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中3の夏休みに、受験勉強もそこそこに書いてた文章を掘り起こそうと、今朝目ざめる前に思いつきました。それで、起きたらすぐに当時のノートを取り出しました。
春休みに新潟で初めてのスキーをした話です。どんくさい私なので、そこで転んでネンザしたことを、くどくどと書いています。もっと楽しい文章かなと思っていましたが、打ち込みながら読んでみると、なかなか読むのが疲れます。もっと簡単に述べればよいことを、変な言い回しを重ねて、もったいぶって書いています。お話は、大阪に帰ってきてからのことから始まっています。
電車のライトが明るく、夜間の中に静寂期を迎えようとしていた大阪駅を、再度昼間の雑踏期にもどそうとするのか、輝いている。
電車はプラットホームにゆるりとその長旅を癒すのか入ってきた。苦しそうに息切れをしていた。そこには意欲・闘志・悪意など感情は何もなく、ただ苦しいだけの様子であった。
車内放送が何かをしきりに主張していたかいがあってだろうか、乗車していた人々は流ちょうに出口をめざして歩き、足が消え、腰が消え、胴も消え、頭も消え、何ものもない、消滅人間と化した、そんな消滅の人間が幾人もいた。しかし、恐怖の念を持つ人はだれもいないだろうが……。
私は、そんなホームに左足を少しかばいながら立っていた。歩くときも左足をかばった歩き方をせざるを得なかった。そんな私を人々はどう見て、どう感じただろう。そんなことを気にする余裕のない私は、歩くときに自分の足がどこにあるのか、見ているだけで精一杯であった。ホームの上に降り立ち、しばらく不動の姿勢の時があって、母がここに家族の使者的な役割を持って来ていることを知らされていたので、この与えられた時間は、母を探すことに消費してしまったのである。
時が過ぎていった。ホームの下には母の顔らしいものが、こちらに微笑とある一点の疑問を投げかけながら近寄ろうと、頭らしいものをこころもち上げ一生懸命に階段を上って来る。
「大丈夫? 足?」
足がどんな状態かをしきりに見いだそうとしているのか、母は私の足と顔を交互に見ながら言っている。しかし、私の足は母に何も知らせまいと、一般の人々の足と同じ表情になろうと努力しているのだった。
「軽いネンザ。軽い、軽い、ね」
母を目の当たりにして、こう答えるより手段がないのではと思いながら、私は言った。
「ほんと?」
母、いやうちの母だけでなく、世界のすべての母親が、このような状態にあるとき、発せられるのではなかろうか。
と、ここでやめておいて、全部取り上げるのはあまりに辛いので、ちゃんといいところを探してから打ち込むことにします。中学時代の詩みたいなものも、本当にひどくて、情けないやら、みっともないやらです。でも、それが中学生なのかなと思うので、そういうところを、今度抜き出してみます。
タイトルは、昔、北陸本線を走っていた寝台急行「きたぐに」にちなんでいます。自分が乗ったのは中央本線の急行アルプスでしたが、反対側のホームにものすごくかわいい女の子が見えて、そのほんの一瞬で恋してしまったものでした。そんな惚れやすい、愚かしい自分を堂々と書いているのだから、かわいいといえばかわいいんですけど、恥ずかしさもひとしおです。
それから10年以上経過して、新婚1年目の旅で奥さんと初めて「きたぐに」に乗りました。奥さんも当時は夜行電車に着いてきてくれたものですが、今ではそんなことは期待できないですし、乗る夜行電車がなくなってしまいました。
その同じ電車には、つい一昨日くらいに甲子園で試合をしていた新潟県のチームが乗っていました。テレビの中で活躍していた彼らが、負けてしまったら夜行でこうしてシンミリ帰っていくのだなと、その落差に驚いたものでしたが、今の高校野球などは、どんなふうにして移動するんでしょう。貸し切りバスなのかな。あれから30年近く経っているので、道路も整備されているし、移動手段も変わったかもしれませんね。
旅って、私は「鉄道」なのだけれど、今の人はクルマかな? それとも、旅なんかいかないのかな? いや、この平成の世に自転車で移動している人たちも見かけますね。いろいろですね。
春休みに新潟で初めてのスキーをした話です。どんくさい私なので、そこで転んでネンザしたことを、くどくどと書いています。もっと楽しい文章かなと思っていましたが、打ち込みながら読んでみると、なかなか読むのが疲れます。もっと簡単に述べればよいことを、変な言い回しを重ねて、もったいぶって書いています。お話は、大阪に帰ってきてからのことから始まっています。
電車のライトが明るく、夜間の中に静寂期を迎えようとしていた大阪駅を、再度昼間の雑踏期にもどそうとするのか、輝いている。
電車はプラットホームにゆるりとその長旅を癒すのか入ってきた。苦しそうに息切れをしていた。そこには意欲・闘志・悪意など感情は何もなく、ただ苦しいだけの様子であった。
車内放送が何かをしきりに主張していたかいがあってだろうか、乗車していた人々は流ちょうに出口をめざして歩き、足が消え、腰が消え、胴も消え、頭も消え、何ものもない、消滅人間と化した、そんな消滅の人間が幾人もいた。しかし、恐怖の念を持つ人はだれもいないだろうが……。
私は、そんなホームに左足を少しかばいながら立っていた。歩くときも左足をかばった歩き方をせざるを得なかった。そんな私を人々はどう見て、どう感じただろう。そんなことを気にする余裕のない私は、歩くときに自分の足がどこにあるのか、見ているだけで精一杯であった。ホームの上に降り立ち、しばらく不動の姿勢の時があって、母がここに家族の使者的な役割を持って来ていることを知らされていたので、この与えられた時間は、母を探すことに消費してしまったのである。
時が過ぎていった。ホームの下には母の顔らしいものが、こちらに微笑とある一点の疑問を投げかけながら近寄ろうと、頭らしいものをこころもち上げ一生懸命に階段を上って来る。
「大丈夫? 足?」
足がどんな状態かをしきりに見いだそうとしているのか、母は私の足と顔を交互に見ながら言っている。しかし、私の足は母に何も知らせまいと、一般の人々の足と同じ表情になろうと努力しているのだった。
「軽いネンザ。軽い、軽い、ね」
母を目の当たりにして、こう答えるより手段がないのではと思いながら、私は言った。
「ほんと?」
母、いやうちの母だけでなく、世界のすべての母親が、このような状態にあるとき、発せられるのではなかろうか。
と、ここでやめておいて、全部取り上げるのはあまりに辛いので、ちゃんといいところを探してから打ち込むことにします。中学時代の詩みたいなものも、本当にひどくて、情けないやら、みっともないやらです。でも、それが中学生なのかなと思うので、そういうところを、今度抜き出してみます。
タイトルは、昔、北陸本線を走っていた寝台急行「きたぐに」にちなんでいます。自分が乗ったのは中央本線の急行アルプスでしたが、反対側のホームにものすごくかわいい女の子が見えて、そのほんの一瞬で恋してしまったものでした。そんな惚れやすい、愚かしい自分を堂々と書いているのだから、かわいいといえばかわいいんですけど、恥ずかしさもひとしおです。
それから10年以上経過して、新婚1年目の旅で奥さんと初めて「きたぐに」に乗りました。奥さんも当時は夜行電車に着いてきてくれたものですが、今ではそんなことは期待できないですし、乗る夜行電車がなくなってしまいました。
その同じ電車には、つい一昨日くらいに甲子園で試合をしていた新潟県のチームが乗っていました。テレビの中で活躍していた彼らが、負けてしまったら夜行でこうしてシンミリ帰っていくのだなと、その落差に驚いたものでしたが、今の高校野球などは、どんなふうにして移動するんでしょう。貸し切りバスなのかな。あれから30年近く経っているので、道路も整備されているし、移動手段も変わったかもしれませんね。
旅って、私は「鉄道」なのだけれど、今の人はクルマかな? それとも、旅なんかいかないのかな? いや、この平成の世に自転車で移動している人たちも見かけますね。いろいろですね。