日曜朝のひとり散歩から帰って奥さんが言います。
「おとうさん、卒論は何だった?」
「えっ、山東京伝(口にするのも恥ずかしい思いを抱えながら)」
「あっ、そう、泉鏡花がネムの木のこと、書いてたんだって」
「へっ、そう」
そもそもネムの花を教えてくれたのは奥さんでしたね。彼女に教えてもらって、何とも言えない、花とも言えないけど、確かに花であるネムの花を知り、少しずつ知ってくと、どんどん好きになりましたっけ。
ネムの花って、桜みたいに派手ではないし、みんなの気持ちを騒がせないし、とても静かだし、トリだってわざわざ来ないし、少しだけミステリアスな花です。
そのネムの花を題材に、小説かエッセイなのか、たぶん小説(タイトルは?)を書いてる人がいる。泉鏡花さんは北陸・金沢の人だから、柳かネムか、夏の今頃を旅していると、目につく花はネムだったんだろうな。
というんで、今も近所のネムの花、まだ咲いてるから見に行くけれど、そこに咲いてくれてるだけで、安心します。
まだ咲いている。まだ季節は夏の取っ掛かり、梅雨も明けない。夏はまだまだだし、足腰の弱い私だけど、なんとか生きていけてる、みたいな、安心感とも言えない、それでも、ホッとする、そう、昔と今と、こことどこか違うところとを行ったり来たりできる、不思議な花ではあるようです。
ネムの花がなくなったら、単純に暑い日々が続くだけで、もう毎日がへろへろになってしまう。
というんで、書棚の泉鏡花を取り出してみたんですね。
うちには二冊の岩波文庫しかなかった。しかも、タイトルは同じで、「高野聖(こうやひじり)・眉かくしの霊」というものです。最初に出たのは1932年なんだそうです。
「高野聖」が出たのは1900(M33)年、鏡花さん28歳の時の作品なんだそうです。
それを中学生の私は、あろうことか岩波文庫の★1つの50円で買ったのだと思われます。そして、もちろん読まなかった。
すべてフリガナがふってあって、昔の本みたいで、読む気さえあれば読めたでしょうか。読む気がなかったから、読まなかった。
それから30年後の2005年の秋、400円の同名の文庫本を買い、ふたたび読もうとしたみたいです(1992年に改版されて読みやすそうな活字になっていました。だから、ふたたびチャレンジしようとしたんでしょう!)。でも、もう十数年読んでいません。
取り出してみて、読んだらいいのにな、読めそうなのにな、とは思います。でも、読まないかもしれない。しばらくぶりに外気に触れて、またいつか書棚でホコリをかぶっているのかもしれません。
それで、気づいたことがあります。
今のおうち、私は書棚中心に設計してもらって、階段のまわりは本棚なんですけど、たまたま北側の柱のそば、北側といえば、本にとっては光も当たらないいい所のはずなんですが、何年か前、北東からの雨風で屋根から柱伝いに水が流れて来た時があったみたいで、今も少しだけ柱がよごれているんですけど、その時に本の端っこが少しだけ濡れたみたいでした。
ああ、新品の本が、うちにいたせいで、水を吸って少しふくれていた。被害はほんの少しで、ページがめくれないというほどではないけど、何だかザンネンな形になっていました。
罪滅ぼしは読むしかないのか。
今読んでる本が終わったら、この夏、少しチャレンジしてみるか、というところです。
鏡花さんも、笑ってるでしょう。なんとなあ、こんなトロイお人は……。