昨日から、すべてを投げ出して干刈(ひかり)あがたさんの小説を読み始めました。彼女に注目するようになったのは、2~3年前からで、それ以前は全く無視し続けていました。読もうともしないし、亡くなっても全くどんな人だったのか、知ろうともしていませんでした。
たまたま、3年前に短い小説を読む機会があって、少しだけ気になって、それからまたしばらくブランクがあって、たまたま古本屋さんで「ウホッホ探検隊」を見つけて、少しだけ読んで、それで単なる趣味として収集することにして、ようやく長編小説にたどりついたのです。いつも遠回りしてますけど、そこから切り抜いてみます。
(葵)「私は彼女と仲よしだったから、お母さんは泣いて私に言ったの。こんなことなら、きちんと話しておけばよかった。嫌だったらいつでも帰っておいでと言えばよかったって。でも、普通の場合は特に性のことなど話さなくても、相手がいい人ならそれですむわけでしょう。何も知らないところから、旦那様の好みに合った女になっていくのが幸せだということになっている。
一度嫁いだら、多少のことは我慢して添いとげれば、世間に恥もさらさないですむということになっている。彼女のお母さんが特に悪いお母さんだったわけじゃないのよ。でも、やっぱり、いけないんだわ。一人の人間にとってどうか、一人の人間がどうかが問題なんだと、その時私は思ったよ。私、女はこうあるべきだ、みたいな中でAhと嘆いたりUhと呻(うめ)いたりして生きたくない、と思ったのよ。自分にとってLetを持ちたいよ」
話しているうちに葵は真面目な気持ちになった。一種のプロポーズでもあるボーイフレンドの、女はやはり家にいてほしい、ということとも関係があると思った。自分のことをもっと槙野に知ってほしいような気もした。……P28
葵さんが話題にしている女性は、不幸な結婚をして心身ともに傷ついて、やがて離婚することになり、そのショックを引きずるうちに事故死してしまったということになっています。
葵さんは、主人公の芹子さんの同僚で、会社のデザイン課で活躍している。彼女のボーイフレンドは無口な槙野というカメラマンさんで、これから彼女とどのような関係になっていくのか、先が読めない感じです。
ここで注目したいのは、60年代末の女性として、「Letを持ちたいのよ」というセリフです。50年近くたった今の女性も、嘆いたりうめいたりしたくなくて、「Letを持ちたい」と思っている。これは別に女性に限った問題ではなくて、2015年の若い男女たちも、「Letを持ちたい」のに、生活の不安に押し流されて、Letを持てていないと思います。
はたして「Letを持つ」ことって、どんなことなのか。これは今後の小説の中で見て行きたいと思います。たぶん、やりたいことを見つけるとか、生きがいを見つけるとか、そんなことですか。それとも、前向きに生きるということですか。葵さんという登場人物にはマークしていきます。つづいて、
こうして喫茶店に向かい合って座ることも、もうないだろう。喫茶店に入るということ。初めてのコカ・コーラの味。詩や小説を読むこと。人を恋すると、なんだかからだの中に泉がわいているような気持ちになること。彼に教えられたことは沢山あった、と梅子は思った。
「十四歳から二十三歳までの大切な時を、あなたと過ごせてよかったわ」
と梅子は言った。唇には微笑を浮かべることができたが、眼には涙がにじんだ。
愛しているから友達のままでいることはできず、一生を共にするか別れるか、決めてもらわなければならなかった。
そうしたことも彼によって教えられた。
「それじゃ、これで」
と最後に梅子は言った。彼はうつむいたまま、何も言わなかった。日曜日の夕方の電車はすいていた。梅子は窓から、流れていく町の家並を見ていた。
一つ一つの屋根の下には家族がいて、夫と妻がいる。
でも、この人以外にないと思う相手と一緒になったのかしら。
そう思うとなんだか家というものが、奇妙な人間の容器のように見えた。……P36
梅子さんも芹子さんの同僚です。9年間つきあった彼は「結婚してやっていく自信がない」と言い、とうとう別れることになった日曜の午後、梅子は自宅へ帰る。そして、今までの日記を焼き尽くすことにした。焼きながら、母に日記を盗み読みされて、突き放されたことばを言われたことを思い出す。けれども、一晩泣き尽くしてショックから立ち直り、今までの恋愛をあっさりと諦めることができた。
わりとあっさりすることに成功して、そのままお見合い・結婚へと急展開している。まだ数十ページしか読んでいませんが、どうやら群像劇なんですね。広告部とそこにお勤めする女性たちのいろいろが描かれている。それは干刈さんの経歴とも重なるし、だから1943年生まれの作者だから、舞台は1960年代末になるわけですね。でも、小説が出たのは1986年で、20年のギヤップがありました。
干刈さんの自伝的小説として読めばいいのでしょうか。そういうふうに切り替えて、読んでいったらいいんですね。抜き出したいことばは2つ見つけたので、早速切り抜きました。もっといろいろあるかもしれない。
2つ目は、家というものが、奇妙な人間の容器のように見えた、という当たり前なんだけど、深い言葉なのかなとふと思いました。今日も何か見つかるでしょうか。それを楽しみに夜を過ごすことにします。
たまたま、3年前に短い小説を読む機会があって、少しだけ気になって、それからまたしばらくブランクがあって、たまたま古本屋さんで「ウホッホ探検隊」を見つけて、少しだけ読んで、それで単なる趣味として収集することにして、ようやく長編小説にたどりついたのです。いつも遠回りしてますけど、そこから切り抜いてみます。
(葵)「私は彼女と仲よしだったから、お母さんは泣いて私に言ったの。こんなことなら、きちんと話しておけばよかった。嫌だったらいつでも帰っておいでと言えばよかったって。でも、普通の場合は特に性のことなど話さなくても、相手がいい人ならそれですむわけでしょう。何も知らないところから、旦那様の好みに合った女になっていくのが幸せだということになっている。
一度嫁いだら、多少のことは我慢して添いとげれば、世間に恥もさらさないですむということになっている。彼女のお母さんが特に悪いお母さんだったわけじゃないのよ。でも、やっぱり、いけないんだわ。一人の人間にとってどうか、一人の人間がどうかが問題なんだと、その時私は思ったよ。私、女はこうあるべきだ、みたいな中でAhと嘆いたりUhと呻(うめ)いたりして生きたくない、と思ったのよ。自分にとってLetを持ちたいよ」
話しているうちに葵は真面目な気持ちになった。一種のプロポーズでもあるボーイフレンドの、女はやはり家にいてほしい、ということとも関係があると思った。自分のことをもっと槙野に知ってほしいような気もした。……P28
葵さんが話題にしている女性は、不幸な結婚をして心身ともに傷ついて、やがて離婚することになり、そのショックを引きずるうちに事故死してしまったということになっています。
葵さんは、主人公の芹子さんの同僚で、会社のデザイン課で活躍している。彼女のボーイフレンドは無口な槙野というカメラマンさんで、これから彼女とどのような関係になっていくのか、先が読めない感じです。
ここで注目したいのは、60年代末の女性として、「Letを持ちたいのよ」というセリフです。50年近くたった今の女性も、嘆いたりうめいたりしたくなくて、「Letを持ちたい」と思っている。これは別に女性に限った問題ではなくて、2015年の若い男女たちも、「Letを持ちたい」のに、生活の不安に押し流されて、Letを持てていないと思います。
はたして「Letを持つ」ことって、どんなことなのか。これは今後の小説の中で見て行きたいと思います。たぶん、やりたいことを見つけるとか、生きがいを見つけるとか、そんなことですか。それとも、前向きに生きるということですか。葵さんという登場人物にはマークしていきます。つづいて、
こうして喫茶店に向かい合って座ることも、もうないだろう。喫茶店に入るということ。初めてのコカ・コーラの味。詩や小説を読むこと。人を恋すると、なんだかからだの中に泉がわいているような気持ちになること。彼に教えられたことは沢山あった、と梅子は思った。
「十四歳から二十三歳までの大切な時を、あなたと過ごせてよかったわ」
と梅子は言った。唇には微笑を浮かべることができたが、眼には涙がにじんだ。
愛しているから友達のままでいることはできず、一生を共にするか別れるか、決めてもらわなければならなかった。
そうしたことも彼によって教えられた。
「それじゃ、これで」
と最後に梅子は言った。彼はうつむいたまま、何も言わなかった。日曜日の夕方の電車はすいていた。梅子は窓から、流れていく町の家並を見ていた。
一つ一つの屋根の下には家族がいて、夫と妻がいる。
でも、この人以外にないと思う相手と一緒になったのかしら。
そう思うとなんだか家というものが、奇妙な人間の容器のように見えた。……P36
梅子さんも芹子さんの同僚です。9年間つきあった彼は「結婚してやっていく自信がない」と言い、とうとう別れることになった日曜の午後、梅子は自宅へ帰る。そして、今までの日記を焼き尽くすことにした。焼きながら、母に日記を盗み読みされて、突き放されたことばを言われたことを思い出す。けれども、一晩泣き尽くしてショックから立ち直り、今までの恋愛をあっさりと諦めることができた。
わりとあっさりすることに成功して、そのままお見合い・結婚へと急展開している。まだ数十ページしか読んでいませんが、どうやら群像劇なんですね。広告部とそこにお勤めする女性たちのいろいろが描かれている。それは干刈さんの経歴とも重なるし、だから1943年生まれの作者だから、舞台は1960年代末になるわけですね。でも、小説が出たのは1986年で、20年のギヤップがありました。
干刈さんの自伝的小説として読めばいいのでしょうか。そういうふうに切り替えて、読んでいったらいいんですね。抜き出したいことばは2つ見つけたので、早速切り抜きました。もっといろいろあるかもしれない。
2つ目は、家というものが、奇妙な人間の容器のように見えた、という当たり前なんだけど、深い言葉なのかなとふと思いました。今日も何か見つかるでしょうか。それを楽しみに夜を過ごすことにします。