昔、白洲正子さんが大阪からタクシーでずーっと伊勢本街道を通って伊勢まで走って行ったのを書いてた文章を読んだことがありました。
すでにその時私はそこを通ったことがあったので、あの道をタクシーで走ったのだと感心していました。そして、自分は二度とあの道は通らないと決めていた。それほどに恐ろしい、誰からも救われない自分だけが頼りの怖い道でした。
なのに、間が差したというのか、アマビエちゃんに誘われたというのか、その道をもっと奥までたどってみようという変な気持ちを起こしてしまったのです。
道は、白洲さんの時代、私が昔通った時、何十年も経過していると思われますが、とても国道とは思えない恐ろしい峠道でした。
私が山の山賊で、馬で山の要塞に戻るのなら、朗らかに山道を登れたでしょうけど、ただのオッサンで、たまたまクルマでこの峠に踏み出してしまった愚か者でした。向こうからダンプが来たら絶体絶命です。
細い道だし、大型車通行禁止と書いてあるし、冬に入ったばかりだし、大型車はいないだろうと昔の街道をほんの少しだけ舗装しただけの道に分け入ってしまいました。……甘いというのか、ムチャというのか、先見性がないというのかでした。
まあ、私にはアマビエさまがついてますからね、滅多なことでは災難に遭わないのですと、変な自信で走り始めたら、しばらく行ったところで早速ダンプに出会い、その時はダンプさんが後ろに下がってくれて、私はどうにかその横を抜けることができました。ダンプの後ろにはクルマが二、三台。大阪ナンバーのクルマもあって、何だか嫌な予感です。
次は、貨物のトラック、これはどんなふうにして交わしたのか、もう忘れてしまいましたね。
三台めは、山から伐り出した木をたくさん積んだトラック、向こうがカーブのところにいて、普通ならカーブのところは少し膨らんでるはずなのに、余裕はないようでした。向こうが下がってくれる気配はないし、私の後ろにも軽自動車が張り付いていました。
トラックの前に軽自動車が入り込めるようなスペースがありました。そこに頭を突っ込んで、トラックに通り過ぎてもらうしかないようでした。えーい、突っ込んでやれ!
すると、トラックはすごすごと私のクルマの後ろを通り越していきました。私は、バックしてまた道に戻ればいいけれど、はたして後ろにいた軽自動車はどうなるんだろう。
そんなことをイチイチ心配していられなくて、とにかく自分さえこの長くてウネウネの道を通り越して、峠に達しないといけない。それしか考えられない、余裕のない道でした。
峠に達したら、はたして救われるんだったろうか、それとも、峠の向こうも細い道だったろうか。
わからないままに、それからはすれちがうのに苦労することなく、淡々とピークに達し、そこに何軒か家があり、昔からの集落ではあるようだけど、人が住んでいる気配はまるでなくて、廃村を抜けつつ、人の気配を探してずっと降りていくと、昔懐かしい名松線が走っている谷に降りてこられて、私はやっとドキドキから解放されたのでした。
そんなこと、どうしてやっているんでしょう。アホみたいですね。野生生物にもちっとも出会わなかったけど、恐ろしい大型車には三回、それ以外の普通車は数台すれちがいました。ずっと恐ろしい道はやはり存在していた。本来ならトンネルを掘って、東西の行き来を楽にさせてあげればいいのに、そんなに需要はないのか、昔のまんまの国道です。たぶん、これからもこのままでしょう。
たぶん、私はもう二度と行かない。
まあ、それはそれでいいのかな。ダンプさんたちが道に彩を添え続けているはずです。迷い込んだアホな奴らをどやしてあげたらいい。そんなところに迷い込んだ私が間違ってたのです。それにしても、怖かった。ずっとドキドキでしたし、今考えても恐ろしい。