甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ラバウルへ二度、三度! その2

2022年09月22日 20時43分33秒 | 本読んであれこれ

 まだ21時前なのに、もう眠い感じです。今でも寝てしまえそうで、たいして疲れていないのに、どうしてこんな眠りこけるオジイになったんでしょうね。困ったなあ。

 昔、「パパラギ」という本が話題になりました。私もつい何年か前まで、持ってたんだけど、今はもう家にはありません。たぶん、誰かにあげてしまったんだと思います。欲しい人がいたら、それをあげる、というのはシンプルなことです。古本屋に持って行ってお金に替えたって、何にもならないのです。

 パパラギという酋長さんは、文明国といわれる人々が、落ち着かない様子で、いつも何か時間にとらわれ、自分のやりたいことが分からず、信念を持っていないような、何が楽しいのか本人たちもわからないような、あてもない暮らしをしているのを嘆いていました。そういう指摘は『星の王子様』にもありましたね……。

 今、パパラギさんがいたところでは、どんな暮らしがそこにあるのか、新しいパパラギさんによって、文明国と呼ばれるところの人たちが、相変わらず落ち着きのない暮らしをしていると指摘してもらえるのかどうか。私は、何だか心配です。

 もう世界中の人たちが、みんな同じように落ち着かなく暮らし、何かに追い立てられているのではないか、そんな気がしてならないのです。世界の全ての人々が同じようにカリカリと暮らす、そんな姿が見えてこないかなあ。みんなが電波の虜になってないかなあ。私はもちろん虜ですけど……、居直ってもなんにもならないな。


 二十数年ぶりに、仲良くなった地元の人たちに会うために水木さんは、当時の軍曹が設定してくれた旅に二人で旅立ちます。現地では軍曹は陣地のあったところで十日ほど過ごしたいということなので、十日後に落ちあうことにして、戦争が終わった後に、「ここに住め。私たちと一緒に暮らそう」と言ってくれた人たちを探して、水木さんは記憶をたどりながら、集落を探していきます。

 半日ばかリ自動車を走らせ、もうだめかとあきらめかけていたら、道に、数人の土人が現われた。これが最後と思って、
「このあたりに、トペトロという男はいないか」と尋ねると、
「おお、トペトロは酋長だ」
「僕は、三十年近く前、このあたりにいた通称パウロという日本の兵隊だ」
「あっ、パウロ。おれ、トマリルだ。トペトロの妹と結婚している。おれの顔、おぼえていないか」
 残念ながら、トマリルの記憶はなかった。何人かいた少年の一人だったのだろう。

 とうとう水木さんは、ずっと夢に見ていた仲良くした人々と会えそうな感じでした。まあ、このあたりだろうと思ってやってきたのだから、出会ってもらわないと、まるで戦後のワンシーンが幻になるところでした。


 部落につくと、トマリルが大声で何か叫んだ。子供たちがイナゴの大群のように現われて跳びついてくる。

 僕のことを伝説のように、日頃からトペトロが口にしていたのだろう。子供たちは、親愛の情を示して、やたらしがみついてくる。子供たちの手は泥だらけだから御遠慮ねがいたいのだが、ムゲに断わるわけにもいかない。適当に握手をした。

 なかなかトペトロに会えませんね。戦後すぐの時はおばあちゃんだったイカリアンさんはもういないでしょう。少年だったトペトロは酋長になっているし、時間は冷酷に過ぎて行ったあとでした。

 日本なら、おばあちゃんのお墓参りをして、しばらく宴会をして、時間が来たら去っていく。そういうところでしょうか。

 昔話なら、最後にメッセージをもらい、「これだけは絶対にしてはいけない」ということをしてしまい、谷底に真っ逆さまに落ちるというパターンです。

 トペトロさんと再会するところは、また次回書きます。

 私は、こんなことを割と素直に受け入れた水木しげるさんの実行力に感心しました。いくらまたやって来るよと誓っても、普通は行かないでしょう。それに、水木さんは日本でたくさんの仕事を抱えていたし、それらを乗り越えるために何度か徹夜もして、ここに来る仕事の段取りだって無理してやってきていました。

 それくらいに会いたい人たちだった。歓待してくれたらいいのに、いっそのこと、この村で暮らすことにすればいいのに、それはしなかったということでした。また、今度書きます!


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