一枚岩が日本のエアーズロックと言われているのは知っていました。訪ねたのは、もう二十数年前でしょう。
何度か、自分たちで行ったこともありましたし、大阪の家族を連れて行ったこともあります。でも、みんな感嘆はしてくれるけれど、どれほどのものなのか、イマイチ確かな感じが持てていなかったと思います。
昔見た時は、夏だったから、カヌー教室もやっていて、ここから下流へカヌーを漕ぎだしていく姿を見せてもらったりしたんですが、川下りとかができたとしたら、自然の大きさに触れることができたでしょうか。
とにかく、岩は大きいのは大きいのです。そして、地質的にすごくて、紀伊半島の南で火山の大爆発があって、日本列島ができる時の大変動の歴史を物語っているのだ、というのを少しずつ知るようになりました。
まあ、私はそちらの方面もあまり詳しくなくて、ただそうなんだと思うばかりで、東西に広がるこの一枚岩は、何百メートルあるんだろう。かなりの大きさですし、見えているところもすごいけど、たぶん見えていないところはもっと地下の活動のすごさがあるはずです。でも、私にはわからないし、とにかくこの偉大さにひれ伏すばかりです。
東側の橋の上から眺めると、こんな感じです。これでも、何だか大きな渓谷という感じで、一枚の岩がデーンと広がっている感じはしないですね。でも、途中にはたくさんの赤黒い溶岩の柱みたいな岩がありましたよ。改めて、このあたりのどこかに大きな火山があったというのを感じることができました。
まあ、今は静かな渓谷です。お客さんもそんなにいなくて、いい感じでした。串本につながる国道があるというから、そちらを走ってみたら、一山越えなくてはいけなくて、それがこちらに来た時の道とは少し違いました。こちらへ来た道は古座川をさかのぼるだけだったので、そんなに起伏はなかったんでした。
そして、予定通り、橋杭岩にたどり着きます。お昼過ぎで、潮が引いていて、みなさん潮だまりをのぞいていました。私はひとりだけでしたので、オッサンはキャーキャー言わなくて、淡々とのぞいては過ぎ去るだけで、取り残されたサカナたちに迷惑をかけただけでした。
このいくつもの岩を、弘法大師さんが海に投げ入れて、それらが起立しているだなんて、伝説を作る人もよく考えたものです。弘法大師さんのお名前を出せば、何でもOKになってしまう。
お大師さんは、もうスーパーな人なんですね。人を越えてるなあ。
グルっと回って、ふたたび古座駅まで戻ってきたら、パンダ顔の特急くろしおがやって来ました。今からあと四時間ほどかけて京都まで行くんでしょうか。この鉄路が京都までつながってるなんて、何だか不思議です。
昔、三重県の南に住んでた時は、一つをやればその日は満足でした。一枚岩に行って帰る、橋杭岩に行く、どこかの温泉に行く、それを目的に行きました。帰りは、いつものお店で買い物して、家に帰ったら、買ってきたもので夕ごはんを食べる、そんな単純な日々でした。
それなのに、今日は、一枚岩と橋杭岩と温泉と鉄道写真と、あれもこれもと欲張りな一日でした。残念ながらひとりだから、どうこう言う人がいないから、淡々とめぐるだけでした。それもいいけど、ワチャワチャするのもいいでしょうね。まあ、そんな一日でした。