甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

安土城でヒザがくがく

2018年08月26日 21時57分56秒 | 滋賀のあれこれ

 去年の夏も、新潟の関川町でうちのカシオのデジカメはダウンしました。あの時は、しばらくしたら機嫌を直してくれたんですけど、今回はもう直してくれないかもしれない。

 とにかく、明日、写真だけは取り出そうと思います。

……奇跡的にカメラは蘇えりました。こうしてだましだまし付き合っていかなきゃいけないのかな。

 ついこの間、クルマで守山市の佐川美術館に行きました。

 でも、今回は違います。18キップで安土城をめざしました。まわりにたくさんの博物館やら、資料館があるのは知っていました。でも、そんなのは別に見たくなかった。

 とにかく、お城の跡と、そのお山からの展望とやらを見たいと思っていました。信長さんになれるわけではありませんが、気分だけでもなりたかったのです。

 それで、今、家に帰ってきて、どうかといえば、やはり信長さんはぶち壊しと新しい秩序を作るにはパワーはあったと思うんですけど、無理がいろいろあったんだなとつくづく思います。岐阜城にしろ、安土城にしろ、失敗でした。もっとちゃんとしたものを作ろうと思ったら、京都に巨大な二条城を作るとか、別の形のちゃんとしたものを作らねばならなかったでしょう。

 まさか安土城でパーフェクトとは思ってなかったはずです。

 どうして失敗かというと、あまりに急ぎすぎています。もっとじっくりと好きな材質で、しっかりした計画を立てて、石垣の名人とか、建築の職人とか、選ばれた人たちにちゃんとしたものを作らせたらいいのに、そこは戦国大名的な気質で、突貫工事で作らせたので、お城のお山全体にお寺や神社や、いろんなところの石仏やら門やらを持ち込んだようです。

 だから、ただの観光客である私たちは、城跡見学に来て、石段を一歩ずつ上って天守閣のあったところをめざすのですが、途中でどれだけたくさんの石仏をみせられたことか。

 それ以外にも、石垣が崩れて、出てきた石は、お寺でお釈迦様の足をイメージした仏足石のレリーフが出てきたそうで、それもたまたまではありますが、飾られていました。たくさんのお寺・神社・石仏その他を周辺からかき集め、安土城というものを完成させたようです。

 比叡山は丸焼きにしたくせに、お城の下にはお寺も持ち込んだりしたそうです。もう何でもありだったんですね。


……二つのお山の間から東海道線が行ったり来たりしています。

 私は、もしや知らず知らずに石仏を踏んだことにはならないだろうかと、家に帰ってから心配になったんですけど、あとから考えてみると、石仏はすべて石段のガイドラインに置かれていた。すべて仏さまを上にして置いてありましたので、当時の石工さんたちも、いくらなんでも、踏みつけられるところに石仏は置けないなと考え、石段を守るところ(石段の側面、土砂に流されないための土留めかな?)に、すべて横側に仏さまをわざと上向きにして並べたのだと、人々の配慮を感じることができました。

 そうか、突貫工事とはいえ、人として守るべき道はちゃんと踏み外さなかったのだと、うれしくなりました。強制労働でも、人はやはり譲れないところは譲ってはならない。

 天守閣までの上り下りは、とてもハードだったらしく、私は両膝ともダウンして、帰りの駅での階段などの苦しかったこと。明日がとても心配です。

 というわけで、もう寝ちゃいますね。失礼しました。


★ デジカメさんは機嫌を直してくれました。たぶん、夏バテだったんでしょう。しんどかったから、もう働かないことに決めて、一日休んだら、元気を取り戻してくれました。有り難いことでした。このデジカメさんの写真を撮ってあげないといけないくらい、愛用しています。

 表紙は、安土駅から農道を歩いて、やっとお城があった山にたどり着くかというところで湖があったので、山と湖を一緒に撮りました。魚たち、フナなんだろうか、水面でみんなで集まってました。空気がないとか、そういうことではなくて、「暑いね」とか、「ここしばらくは稲刈りのシーズンになるから、水が心配だね」とか、世間話しているみたいでした。子どもたちだったんだろうか。

 二番目が、お城の入口の受付のところです。お寺がお城を管理していて、上り下りの道もイマイチ整備は進んでいません。それを近江八幡市に任せる方法もあるかもしれませんけど、そうなると、通り一遍の公園化させられてしまうし、痛しかゆしの部分があります。

 比叡山を焼き討ちにした信長さんのお城は、今は臨済宗のお寺に管理されている。入場料が七百円で、このお金はお寺のものになるの? お寺の拝観もできるみたいだけど、そんなのいいや、とか思ってしまった。何だか素直になれない気分でした。

 でも、放置しておくと、荒山になるだろうし、ペルーのマチュピチュだって、きっと管理しているからあんな風に見えるわけであって、管理していなかったら、アンデスのとんがった岩峰とそのすそ野にしか見えないでしょう。私たちが見やすいようにするためには、管理する費用が必要なわけだ。



 このメイン・大手門の石段を上がる。たくさんの石仏様が置かれていて、上る人は、その事実にびっくりするのでした。それで、下を眺めると、田んぼが広がっていますし、さっき見た東海道線もひっきりなしに走っているのでした。



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
安土城 (鈴木)
2018-08-27 10:41:05
こんにちは
今日も猛暑です
ブログ拝見してます
安土城の石組はそのような訳があるのですね
はじめて知りました
一度行ってみたいです
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