朝の時間、ヒバリの鳴き声が聞こえたと思われました。おそらく、そうでした。
でも、うちの近所でヒバリが鳴くって、なんか変だなとも思ったのです。数年前なら、田んぼもありました。水路で小さなホタルを見つけました。こんな住宅街の中を抜けていく水路で、ゴチャゴチャした市街地近くにホタルが住んでるなんて! ホタルも頑張ってるな! いやむしろ、申し訳ないというか、いじらしいというべきか! とにかくビックリしたものでした。
でも、今は田んぼはほとんどなりなりました。ヒバリが飛ぶような地面はないのです。ヒバリも、シティバードの仲間入りをするのかな? よくわかりません。
イソヒヨドリは、シティバードになりました。電柱のてっぺんを渡り歩いて、夜明けとともにキレイな歌声を聞かせてくれます。もう住み着いているみたい。十年くらい前、初めて沖縄でイソヒヨちゃんに会いましたけど、あれから、彼らは本州でも住み始めたようでした。本州も亜熱帯化しつつあるんでしょうか。
ああ、トリたちは、こんなに初夏のさわやかな空気を運んでくれます。それなのに、人間たちは何をしているんだろう。
ヒバリは、ピーチクパーチクでした。ウグイスは、ホーホケキョでした。トンビはピーヒョロでしたね。こういうの、何て言ったっけ?
聞き覚え、聞き込み、聞こえ感、鳴きまね、鳴きっぷり、全部違いますね。何て言ったっけ?
悩みすぎて、事故しそうでした。もういいや、ネットで調べたら出て来るだろう。と気持ちを切り替えて、しばらくしてから調べたら、ちゃんと「聞きなし」「聞きならし」というのがあるそうでした。「聞きなし」というんですね。トリたちの声を、人間たちが聞き取って、正確ではないけど、こういうもんだとみなすことにしたんですね。
本当は、ちゃんとトリたちには別な風に聞こえるはずですけど、人間は、それを無理矢理自分たちのことばで文字化してしまいました。
ホーホケキョも、いろんな抑揚があるし、谷ごとに、家系ごとに独特の節回し、ローカル色みたいなのがあると思います。それを、人間様は勝手にこんなもんじゃろ、と文字化して、それをみんなに披露しますので、その人間が鳥の鳴き声を文字化したものが、トリたちの現実を離れて、どんどん私たちの感性を鈍くさせます。
私たちは、ウグイスの生の声は聞いたことがなくても、「ホーホケキョ」という文字を見たら、それはウグイスのことだと知ることができるようになりました。まあ、仕方ないのです。私たちも、トリたちとずっと付き合ってきたわけですから、それなりにトリたちと親しんできた文化の上で、「聞きなし」が生まれました。
寒い時に聞いたホオジロくんは、「一筆啓上仕り候(イッピツケイジョーツカマツリソーロ)」と鳴くって? ちゃんと聞けばよかったなあ。また、どこかで聞けるチャンスを待つしかありません。
秋しか鳴かないモズくんは、キィー・キイキイキイ(けたたましい声なんだそうです)。これは聞いたことがありますけど、あまり私たちをシンミリさせてくれるものではなかったかもしれない。
でも、ああ、こうして秋が深まっていく。モズも鳴いてるし、私は何をしているの? と、自己を問い直させてくれたんでしょうね。
あれ、この鳥もキレイな声で歌ってて、あわてて写真を撮ったけれど、何ていうトリでしたっけ?
(ハクセキレイ? どうだったかな? 図鑑見てみます)
自分とトリたちの関係を見直した、というところかな。
最近、シジュウカラをよく見るので、また写真探してきます。聞きなしは「ツッピー、ツッピー」なんだそうです。ああ、調べてしまって、もうそう聞こえてしまいます。
文字がなかったら、何だか小さい、短い、促音みたいなモヤモヤとしたまんまだったのに、何だか残念というか、ありがたいというか、なのです。