なかなか戦国時代の全体がイメージできていません。なのに、闇雲にこの時代に突入しています。何か私の中にちゃんと物語が生まれてくるでしょうか。自信ないですけど、まあ下手な鉄砲でやって行きます!
有名なことわざにチャレンジしてみます。『戦国策』をベースに書いてみます!
燕の文公の時、秦の恵王は自分の娘を燕の太子の夫人にしました。文公は亡くなり、その子の易王が君主になりました。
恵王というのは、恵文王ともいわれる人みたいで、秦の始皇帝さんの高祖父に当たる方だそうです。秦では、この方から後の人たちはみなさま「……王」ということになるみたいです。燕だって、文公だったのに、息子さんは易王という扱いを受けます。
BC333くらいから時代の変化は来ていたんですね。ここから百年後の始皇帝さんの時には「皇帝」という新しい称号が作られてしまうんですから、時代は変わっていくようです。
ずつと「……王」と名前がつくことはためらわれ、「王」を名乗れるのは中心的な国の周だけだったのに、何年も人々の社会が続いていくと、ないがしろにされたり、下のものが上のものを食いつぶしていくような下剋上的なことが起こるようです。それは突然ではなくて、自然にそうなっていくので、みんなも「ああ、そんなものか」と認めてしまう。今の日本にも通じる、何でもありの世の中はこうして作られていくようです。秩序がなくなって、再び新しい秩序が生まれる、そういうことの繰り返しですね。
さて、この変化の時代に、斉という国の宣王さんは燕の国の十の城を奪ったそうです。火事場泥棒ならぬ、葬儀泥棒というんでしょうか。
戦国時代ですから、そんなことはあり得ます。斉は燕(今の北京あたり)の南側の国。秦は燕のはるか西の強国です。そういう力関係の中でことばが生まれていきます。
その状況がことばを意味づけていくというのか、人々が求めている、今の状況をサラリとまとめることばを扱える人、こういう人が遊説家として名前を残していくのでした。遊説家は、たくさんことわざを知ってなくてはいけないので、そういうのを整理したタネ本みたいなの、持ってたでしょうか。
今回は、蘇秦さんという有名な方です。
蘇秦さんは、斉の王様のところへ行き、祝辞と弔辞を述べたといいます。遊説家ですから、相手を挑発せねばならないので、わざと王に対して失礼なことをぶちかまします。当然、その理由を述べさせ、納得できなければ、この使者を殺してしまえばいいわけで、蘇秦さんは何と述べるかです。
勝算はあります。燕の後ろには秦がついているというのを相手にわからせればいいだけです。戦国の王様は、目先の利益に敏感なので、チャンスとみれば攻める。危ないとわかれば、自らの命と引き換えに国を守ろうとしたり、何だってできる人でなくてはいけません。
蘇秦さんは言います。
「燕は小さな国ですが、秦のお嬢さんのダンナさんが燕の王様なのです。」と強調します。そもそも、そんなことは百も承知で攻めたはずです。そして、娘の嫁ぎ先とはいえ、弱い国ならつぶれても、秦としては痛くもかゆくもないのです。さあ、どうなるでしょう。
「聖人が事を処理するには、災いを転じて福とし、失敗を機縁として成功を導くものです(敗によりて功をなす)。」と、ことわざ対句を出しておいて、例話を持ち出します。
「斉の桓公(BC7世紀、三百年くらい前の人です)は、夫人を理由としてその母国である蔡を攻め、これは過失でしょうけれども、その結果、蔡を打ち破り、勢いに乗ってライバルであった楚も討ち果たして屈服させたので、その名はますます尊ばれる福を得ました。
晋の韓献子[かんけんし]は、味方が過失から負った罪をみなで分担し、罪を着るという禍を得たが、その結果、味方の結束がそれまで以上に固まるという福を得ました。
これらの事例はいずれも、禍を転じて福となし、失敗をきっかけとして成功を収めたものでございます。」と、関連するエピソードも述べました。
だから、どちらかというと、今の状況は、斉にはよくないのだから、それを福に変えなきゃいけないと説得するのです。
「燕の十のお城を返し、秦にお詫びをすれば、斉が秦のことを強い国だとし、その国に対して敬意を払い、その娘さんの国に対しても申し訳ないことをしたと反省しているところを見せれば、秦も燕も、悪い気はしないでしょう。かくして、敵意は消え、関係は良好になるでしょう。」
普通なら、やってしまったことは消えないから、このままずっと敵対してしまいそうだけれど、敵対したり、仲良くなったりするから戦国時代なのであって、お城を取ったり取られたりは日常茶飯事ですから、すんなり受け入れられたんでしょう。
93【禍い転じて福となす】……不利益なこと、あるいは失敗を、うまく処置し、工夫をこらすことによって逆に成功・幸福のきっかけとしてしまうこと。《戦国策・燕策》
手元の中国語辞典では、「転禍為福」は見つかりませんでした。「因禍為福」も載っていなかった。今の世の中ではあまり使われていないんでしょうか。「ピンチをチャンスに」ということばもありますが、どっちにしろスローガン的で、あまり説得力がない気がする。
斉の王様だって、目先の利益で葬儀ドロボーをしたけれど、それがどのような結果になるのか、あまり考えてなかったようです。
それくらいに、為政者は目先のことにとらわれている。先のことなんて、見えてない人の方が多いのかもしれないです。