リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年7月~その1

2010年07月11日 | 昔語り(2006~2013)
ハッピーバースデイ、カナダ!

7月1日。木曜日。どうもすっきりしない天気だけど、今日はカナダデイ。カナダの143回目の「誕生日」。首都オタワでの祝典は、今年はエリザベス女王とフィリップ殿下が参加してことのほか盛大でにぎやか。カナダは新大陸北アメリカの国だけど、れっきとした「立憲君主制国家」なのだ。つまり、エリザベス女王は「カナダ女王」でもあり、「カナダ総督」に国家元首の機能を代理させているわけ。女王陛下がカナダに来るときは、「イギリス女王のカナダ訪問」じゃなくて「カナダ女王」として領地に来るわけで、代理の総督は引っ込むことになり、現にミカエル・ジャン総督は上海に出向いて、万博でカナダ国家元首の代理業務をやっている。

ワタシにとっては35回目のカナダデイ。1960年代のピアソン政権以来、1970年代前半にかけて、カナダでは国旗のデザインが新しくなり、公用語がバイリンガルになり、多文化主義に則って移民法が大改正されてアジアからの移民に門戸が開かれ、公的な医療保険や年金の制度ができ、メートル法が施行されて・・・まあ、ワタシが来た頃には今のカナダの形が整ったところだった。あの頃にも日本では「カナダ移民ブーム」みたいなものがあったけど、今と違ってほとんどが家族同伴の男性で、数もせいぜい年間数百人くらいだったらしい。自分たちを「新移民」と呼んで、戦前からの日系人と区別していたけど、今では「新一世」ともいうらしい。とすると、バブル以来続々とやって来て、「新移民」とは一線を画している若い移民世代は何と呼べばいいんだろうな。ひょっとして、「新々移民」?いや、ローカル掲示板でカナダが長い移民は性格がどうのこうのと言っているうちは、あんがいまだ「海外在住日本人」なのかもしれないな。まあ、若い人たちだから、「長い」といっても、想像できる範囲は自分がまだ生まれてもいなかった35年前の大昔までは及ばないだろうと思うけど。

それはともかく、ワタシにとっては35回目のカナダデイだけど、カナダのすべてがあたりまえに感じるし、この日には必ずテレビのニュースになる新市民の宣誓式も、ワタシにとってはもう30年も前のことだし、35年はワタシの人生の半分以上だから、それが長いかどうかはもうどうでもいいよねえ。正式にカナダ人になった30年前の宣誓式ではカナダの女王としてのエリザベス二世への忠誠を誓う一節があったっけな。今はもうやらないけど、あの頃はまだギデオン聖書協会の人が新市民全員に新約聖書を配っていた。まあ、35年の間にカナダもいろいろと変わって来たけど、ワタシはずっと変わることなくカナダが好き。カエデの国旗が好き。国歌「O Canada」が好き。だって、カナダという国も社会も優しかったから。少し変わった人間でもそのまま受け入れてくれたから。苦しんでいたときにも踏みつけにしないで、抱き起こして自力で歩けるまで支えていてくれたから。

カレシは「ボクの生徒たちでも、市民権を取った人たちほどカナダへの思い入れが強くて、みんなカナダが好きだと言うなあ」と感心したようなことをいうけど、それはあたりまえ。自分の意志でカナダに移民しようと決めて、カナダに生活の場を築いて、自分の意志で「カナダ市民」になることを決めた人たちなんだから。もちろん、カナダ国籍を保険かなんかのように考えたり、外国籍や二重国籍をグッチのバッグと勘違いしていそうな人たちもいるけど、そういう人たちはある意味で根無し草のようなものなのかもしれないよ。だって、後にして来た母国への誇りや愛国心や、あるいは執着が強い人は、強制されていないのにわざわざカナダ国籍を取ろうと思わないだろうし、(たとえ幻でも)二重国籍をひけらかそうとも思わないだろうから。まあ、そういう人たちにでも国籍を欲しいといえばあげてしまう能天気さもまたカナダのいいところなんだけど。

なにはともあれ、ハッピーバースデイ、カナダ!

祝日と週末の間の平日

7月2日。金曜日。朝の7時過ぎにトントコトントコいう音で目が覚めてしまった。それほど大きな音ではないのに妙に気なる音。平日の金曜日だし、午前7時過ぎだしということで、どこかでトンカチ仕事をしているのかなと思ったけど、それにしてはトントコトントコ、トトトトトントコと、ちょっとリズム感が良すぎる。ん、これってドラムの音じゃないのかな。だけど、ロックバンドのようなズンズンというベースの音がしていないから、太鼓のようなものか。カレシは耳栓をしたままですやすや眠っているから、騒音と言えるものじゃないのかもしれないけど、ヘンに中断された眠りはやっかい。

それでも何となく眠り直して、起きたのは正午。まだトントコトントコ。外へ様子を見に行ったカレシがふくれっつらで戻って来た。ブロックの向こうの歩道で野外パーティをやっていて、インド音楽をガンガンかけているんだそうな。ははあ、太鼓の音だったんた。それにしても、野外パーティって、カナダディの行事はきのうだったはずだけど。そう思いつつ窓の外を見たら、ブロックの向こう端に大きなパーティ用品レンタルのトラックが見える。なるほど、コミュニティのパーティというよりは、あっちの通りのインド系の家族が結婚祝いか何かのパーティをやっているのかもしれない。パンジャブ地方の伝統かもしれないけど、とにかく人が大勢集まって、朝から夜遅くまで「外」でガンガン音楽をかけて大変な騒ぎをやらかすので、時としてご近所との軋轢も起きるけど、これは庭で足りなくて歩道まで占拠してのパーティか・・・。(まあ、音源の方向に窓がある寝室と違って、半地下のベースメントではほとんど聞こえないから、いいんだけど。)

となりのブロックで歩道パーティをやっているかと思えば、ふと下を見たら我が家の横の歩道の芝生に「臨時駐車禁止」の標識が寝かせた形でおいてある。道路も向かいもそうだから、どうやら舗装工事をするという「予告」らしいけど、「駐車禁止」というだけでまた「日時」の表示がないから、カレシがむくれる。市役所のコールセンターに電話して問い合わせても、祝日と週末にはさまった金曜日とあって、工事担当の部署は「本日の業務は終了しました」というメッセージ。おいおい、冗談じゃないよ。今日は「平日」でしょうが。なのに「業務終了」って、これだからお役所ってのは~と言われるんだってば。もっとも、そんな調子だったら週末の作業はないだろうから、トラックは日曜日の夜に移動しておけば問題ないと思うけどね。それにしても、何だかまた睡眠パターンがかく乱されそうな予感で、日曜日午後に納期の仕事が、これを済ませたら後は1週間の休みだというのに、あ~あ、調子が上がってこないなあ。

だらけたついでにのぞいてみたgooのランキング。『実は本来の呼び方を知らないカタカナ略語』というのを見たら、トップはハイデフ(ハイデフィニション)。テレビの最新技術じゃないかと思うんだけど、初めから略語で普及しちゃったのかな。後はオフレコ、インフラ、ゼネスト、リストラ、ゼネコン、ハンスト、ナンクロ、チューハイ、ボディコン。次いで、トレカ、フリーター、エアコン、ラジカセ、デフレ、ファミコン、インフレ、セクハラ、メタボ、パソコン。う~ん、ほとんどはふだんからフツーに使っているカタカナ語だよねえ。ワタシが?だったのは20語中で「ナンクロ」と「トレカ」だけ。まあ、このランキングに参加する人たちの年齢層から推測するに、ラジカセやファミコン、ハンストはちょっと昭和すぎてわからないのはしかたがないか。だいたい、iPod隆盛の今どき、ラジカセが何か知っている人はいなんじゃないかと思うけどなあ。

それにしても、日本人の造語力にはいつもながら驚くばかりだけど、今どきはたいていが「カタカナ語」で、しかもそのほとんどが4音節なのはどうしてかなあ。シラブル4つが日本人の語感なのかな。何にしても、英語もやたらと略語が作られる世の中になったけど、近頃の日本語は「略語化現象」が前にも増してものすごい勢いで進んでいるという感じがする。言葉をどんどん端折って軽量化してしまう心理って、何かあるのかなあ。こういうのがどんどん翻訳原稿に登場するようになったら、どうしよう。日本語の「短語帳」を作って勉強するか・・・まっ、しゃれにもならないけど。

海の上で野辺の送り

7月4日。きのうの土曜日は午前10時に目覚ましをかけて起きて、あわただしくあっという間に過ぎたような気がする。なんとなく疲れが気分が取れないのは、たぶんに精神的なこともあるんだろうけど、おかげで早目に寝たはずなのに、今日は二人ともなんかどんよりとしたままで目が覚めた。

雨がちとと曇りがちと、2つに分かれた土曜日の天気予報。どうやら曇りがちの方に軍配が上がって、薄雲から青空が垣間見える天気。あわただしく朝食を済ませて、海の上は少々涼しいかなと思って、ジャケット持参でチャーターした船が係留されているダウンタウンのマリーナへ。11時半には4世代の家族と近い人たち17人全員が揃ってチャーターした船に乗った。パーティ用にキャビンにバーやテーブルをしつらえた船は長さが12メートルくらいで、定員30人。船長と助手と2人で運行。

フォルスクリークの奥、カジノの隣にあるマリーナを出て、キャンビー、グランヴィル、バラードの3つの橋の下をくぐってイングリッシュベイに出る。北側ではジャズフェスティバルのコンサートをやっているし、南側のグランヴィルアイランドからバグパイプの音が聞こえて来る。カレシのパパがかってボートを係留していたマリーナがある一番外側のバラード橋をくぐると、キツラノのビーチでは夏の風物になっているシェークスピア劇のテントが張ってあるし、海の上はヨットレースの最中。両側のビーチにはたくさんの人が日向ぼっこ。その後のスタンリー公園の反対側から延々と続いている遊歩道はサイクリストやそぞろ歩きの人の列。キャビンの上のサンデッキに立って気持のいい海風を受けていると、バンクーバーにも夏が来たんだなあという感じがする。港を見下ろす丘の上で生まれて、太平洋を見下ろす丘の上で育ったワタシには、やっぱり海の景色が一番しっくりする。

パパが日曜日ごとに釣りに行っていたところまで約1時間半。ウェストバンクーバーを過ぎて、ハウサウンドの喉元にあるボウエン島の南西側の、「小さな灯台があって、その先のがけの上に白い家が見えるところ」がパパのお気に入りの釣り場だったらしい。自家用の船着場を持った高級住宅が点在する島の南を回って、あった、まるで鉛筆を立てたような細い灯台。そのまま数分行くと、がけの中途に白い家が建っている。少し先まで行ったみたけど、白い家はその1軒だけなので、船をUターンして「このあたり」というところでエンジンを止めてもらった。薄日が差してきて、風もなく、波も穏やか。次男のジムが遺灰の入った箱を開けて、まず69年連れ添ったママにひとすくい。こっちの火葬は日本と違ってほんとうにさらさらの灰になるまで焼くから、白い遺灰は海の上にさあっと広がって、それから波に揺られて徐々に沈んで行く。

サンデッキに座ったままでためらっていたカレシだったけど、みんなに促されて降りて来て、渡されたひとすくいの灰を無言で海に落とした。ジムと末っ子のデイヴィッドに続いてワタシも「大きな魚を追いかけてね~」とひとすくい。血のつながりはなかったけど誰よりもおじいちゃん子だったビルは目をしょぼしょぼ、鼻をぐすぐすさせながら散灰。4人のひ孫たちもそれぞれに散灰して、ひいおじいちゃんとお別れ。最後にジムのガールフレンドのドナと、マリルーの親友でよく家族の集まりに来ていたブレンダも加わって、パパの遺灰はすべて海に流され、船の周りの海はしばらくの間緑がかった乳白色になっていた。みんな一斉に手を振って、海の上の野辺の送りは終わり。船のエンジンがかかると、海面近くに漂っていた灰も波にかき混ぜられて海中に消えていった。

ハウサウンドを少し回って午後4時にマリーナへ戻り、そのまま郊外の中華料理屋に場を移して、わいわいと飲んで食べて、にぎやかに故人を偲ぶ夕食会。ま、パパは湿っぽいことが大嫌いだったから、きっと喜んでいるだろうな。カレシは元々自分の感情をうまく言葉で表現できない人だから何も言わない。だから、どう感じているのか、何を思っているのかはわからないけど、ここのところ何となくピリピリした雰囲気が感じられたから、カレシなりに思いをめぐらしていたんだろうな。ワタシは40代の半ばまでに両親とも亡くしてしまったけど、カレシにとっては自分も老後に入ってからの親の死。きっと折り合いのつけ方も違うだろうと思う。

でも、死んでから広い太平洋をゆらゆらと漂うのはいいと思う。ワタシもやがて死を迎えたら、灰を「太平洋の真ん中」に撒いてもらって、東のカナダか、西の日本か、あるいは半分ずつ両方に行くか、究極の行き先を太平洋の波に任せてみたいな・・・。

ワタシとカレシと、これから・・・

7月5日。月曜日。今日から晴れて「休みモード」。まだいくらか疲れた感じが抜けないけど、なんとなくひとつの「読点」がついたような気がしないでもない。男にとって自分の人生に多かれ少なかれ影を落として来たであろう父親の死がどんな意味合いを持つのか、兄弟がいない女のワタシにはわからない。同名の父親がいる限り、息子は何歳になっても「ジュニア」。世の中で功名を成し遂げた親であっても、箸にも棒にもかからないダメ親であっても、心理的に越えられない「壁」のようなものがあってもおかしくないと思う。でも、カレシにはその「壁」がもう存在しないのだから、これからは頭の上のつかえも背中のつっかえ棒もない自分だけの「自分」。それを実感したときに、自分の足で立つか、どこかに寄りかかるか・・・。

何となくそわそわした様子のカレシを見ながら、ワタシもここでちょっと気持を入れ替えたい気持がしきり。それぞれの親と過ごした時間よりもずっと長い年月を一緒に暮らしてきたのがワタシとカレシ。そこで(といってもあまり脈絡がないけど)、きのうはテンプレートをこれと思うものに変えてみたんだけど、う~ん、ちょっとまぶしい。底抜けの青空に白い雲がぽっかりというのは、たしかにすかっとしそうな明るさがあるけど、やっぱり霧深い最果ての街で生まれ育ったワタシは「夏の子供」じゃないもんなあ。ということで、あれこれ試してみて落ち着いたのがこの「サンマ」。「ふるさとの魚」のようなものだし、いずれは太平洋を終の棲家とするつもりなんだし、まあ、のほほんと泳ぐ姿がなんとなく・・・。まあ、ブログのテンプレートを変えたからって、書いている人間の中身が変わるわけはないんだけど、親なし子のワタシと、もうジュニアじゃなくなったカレシが、これから少しずつでも「いい老夫婦」になって行けたらめっけものの、・・・。

市役所が知らない幻の道路工事

7月5日。さて、「休暇初日」の月曜日の朝。目覚ましをセットしてあった午前10時にあと3分というところで、家の外の騒音で目が覚めた。金曜日に歩道の芝生に寝かせてあった「臨時駐車禁止」の標識が、きのう日曜日の午後に忽然と姿を消したもので、予定が変わったと思ってトラックはそのままにしておいた。やっぱり作業を始めたらしいけど、10時というのはどうも半端な時間。とにかく路上のトラックが心配になって起きてみたら、道路を通行止めにしただけで、道路の真ん中で市のトラックが1台と作業員が3人で「何となく」アスファルトをカットする作業をしている。駐車禁止の標識はないし、トラックが邪魔になっている様子もないから、こっちはひと安心。

工事といっても、電力会社が掘った幅がせいぜい50センチくらいの溝をアスファルトで仮舗装してあったのが冬の間に沈下したので本舗装するだけ。半日もあれば済みそうことなんだけど、そこがお役所仕事のおもしろいところで、金曜日の早朝に標識を置いて行ったのは交通規制担当の部署。日時を指定していないを怒ったカレシの苦情電話と関係がありそうだけど、なぜか休みの日曜日のうちに誰かが標識を全部回収して行ったらしい。(休日出勤手当稼ぎかな?)。それで作業は中止かと思ったわけだけど、ボイスメールには午前8時37分に入った市役所からのメッセージで、「道路工事の日程表にはお宅付近での作業予定は入っていません。予定が決まったら改めてお知らせします」。はあ?実際に外で作業をやってるんだけど。物好きなカレシがさっそく電話したけど、向こうは予定にないと言い張っているらしい。道路に赤ペンキでマークをつけていた(市の)人は歩道の縁石の修理を含めて舗装工事をすると言っていたけどなあ。

まあ、カレシが担当者と押し問答をしているうちに外は静かになって、本日の「予定にない」工事はおしまい。といっても、舗装したわけではないから、明日あたりまた来るつもりなのかもしれないけど、市役所の工事日程表には予定がなくても市のトラックが作業をしに来るというところがなんとも不思議なお役所仕事。ま、あしたも午前10時に目覚ましをかけておこう・・・。

旅籠屋「極楽とんぼ旅館」

7月6日。火曜日。目覚ましを午前10時にセットしておいたけど、案の定、9時半に外で重機の音。なんで午前7時始業の部署が9時半なのか不思議だけど、これも「予定にない」工事なんだろうな。きのうカットを入れたアスファルトを剥がして、トラックで搬出。そこへほかほかと湯気の立っているアスファルトが到着して、ざざっとおろして、ローラーで均して・・・あはは、朝食が終わる頃には今日の作業はおしまい。でも、よく見たら、新旧の舗装に少しばかり段差がある。なるほど、これはまだ予備の作業で、そのうちに「どこかで手が空いたら」仕上げるつもりらしい。あしたか、あさってか、神のみぞ知る、かな。

遠い郊外のマリルーのところに泊っていたデイヴィッドから電話が来て、今夜から我が家に来ていいかという。あさって4人でウィスラーへ1泊旅行する予定に合わせて明日の夜から我が家に泊ることになっていたけど、ジュディの妹夫婦のところで食事をするので、そのまま我が家に来て、明日はレンタカーを返してしまいたい、と。今夜はカレシの英語教室があるし、ワタシは即興演劇のクラスがあるので午後9時15分くらいまでは誰もいないから、それ以降に来てね、ということで話がまとまった。ジュディのお父さんがアルツハイマーは発症して介護ホーム入りしたのをお母さんが気に病んで食事も喉を通らない状態になって、次女夫婦がめんどうをみているそうで、ジュディにお母さんとゆっくり過ごさせてあげて、我が家には寝に来るだけでいいからね。

それでも朝食用のパンを焼いて、野菜を仕入れ、地物のいちごとブルーベリーを大盛パックでどっさり仕入れ、ビールを中心にお酒を仕入れて、旅籠屋「極楽とんぼ旅館」の開業準備。あとはフトンを引っ張り出して、寝るところをしつらえるだけ。ワタシもカレシもお客に行って手取り足取りでがんじがらめの溺愛サービスをされるのは窮屈でしかたがないから、我が家に来るお客にも遠慮しいしいの窮屈な思いはしてほしくない。いつも散らかっているけど不潔なわけじゃないから、客が来るからといって大みそかの大掃除のような大騒ぎはやらない。予めこういう形になるけどと説明しておいて、「何のおかまいもしませんが、気兼ねなくごゆるりと」と、手みやげもお返しも求めないのが我が家のホスピタリティ。まあ、我が家には小町に「家は片付いていないし、こっちは客なのにまともなもてなしもしてくれなくて・・・」なんて不満をぶちまけるような疲れる客がそもそも来ないから楽なんだろうけど。

今夜の演劇クラス、D氏ははたして現れるのか。というのも、先週のクラスでいつのまにか忽然と教室から姿を消してしまったのだった。大柄な人なのに、出て行くのに気がついた人がいなかった。だから、どうして途中でいなくなったのか誰もわからない。先生の説明を理解しかねていることが多くて、コミュニケーションがすれ違いがちな人なんだけど、初日の自己紹介では「日本で9年英語を教えたことがあって、バツ1で元妻は日本人」と言い、干支がどうのこうのと言いながら遠回りに「三十代後半」と自己申告。隣に座っていたときには、ペンを出して自分の腕に「いい男」と日本語で書いて見せたから、おいおい、キモイおっちゃんやなあ、あんた。(ワタシは干支がふた回りも上なんだからね!)そんな風にぬ足差し足で姿を消すのはなんか大根役者的だけど、はたして来るのかな、今夜は・・・。

3日がかりの鉄道の旅

7月7日。水曜日。きのうの即興演劇教室に現れたのは結局パーシーとワタシの2人だけ。去就が注目?されたD氏は先生が残したメッセージにも応答しなかったそうな。やっぱり「合わない。やめた」ということらしい。パーシーと2人だけで観客は先生だけだったけど、「台本つきの即興劇」という一見矛盾したスキットをやってみたら、これがおもしろい。台本は他愛のない短いせりふのやりとりなのが、役どころ、2人の関係、場面の設定、直前の状況の組合せを何通りも自在に変えてやってみると、単純なせりふがそれぞれに意味を持つようになり、ひとつの短い芝居ができ上がる。3本ほどの台本を6通りくらいずつやって、なるほど・・・。

デイヴィッドとジュディが来て、隣のパットを呼んで、5人で飲みながら夜中過ぎまでおしゃべり。パットは共通の友人を通してジュディの両親をよく知っているし、デイヴィッドとは大学の工学部で1年違い。ほんとうに世の中は狭いなあと思う。午前2時を過ぎてから、大急ぎで寝るところをしつらえて就寝。道路工事があるかどうか心配だったけど、どうやら今日はほんとに「予定なし」だったと見えて、4人とも起き出したのは10時過ぎ。カレシとデイヴィッドは少々二日酔い気味。

得意のベーコンポテトとアスパラガス入りスクランブルエッグで朝食。ちょうと終わった頃にシーラとヴァルが掃除に来たので、人口密度が高すぎるから、デイヴィッドはレンタカーを返しに行き、ジュディとワタシは地下鉄でWhole Foodsへショッピング。今日は予報どおりにすご~く暑い。同じように熱波が襲来して、湿度が75%もあって体感温度は45度近いというトロントに比べたら、湿度が50%そこそこのバンクーバーはましだから、文句は言えないな。それでも、60代のおばさん2人、スリーブレスのTシャツにショーツ、サンダル履きのいでたちで、トートバッグを袈裟懸けにして、つばの長い野球帽を目深にかぶっておでかけ。だって、暑いんだもん。

思いつきでメルルーサに南アフリカのペリペリ入りのあんずソースとパン粉を混ぜたクラストを載せてオーブンで焼いた夕食。初めてキノアや粟を見たというジュディのリクエストで付け合せは黄色いピーマンとアスパラガスを刻んで炊いたキノア。これに蒸したインゲンを添えて、リビングの一角にあるダイニングテーブルで、今や「ハウスワイン」になったニュージーランドのKim Crawfordのソヴィニョンブランで乾杯。まあ、見映えのするご馳走メニューになったかな。今日はカレシの英語教室のワンサイクルの最終日なので、デイヴィッドとジュディを見学がてらの会話の練習台に同伴してお出かけ。

残ったワタシは明日のウィスラー行きの準備。朝早起きして行けば、ウィスラーに着くのは昼ごろ。土木技師のデイヴィッドの希望で、ウィスラーとブラッコムの2つの山を結ぶ地上からの高さが450メートルとかいう壮大なゴンドラに乗って、夜は私たちがずっと前から行ってみたかったAraxiでディナー。ちょっといいホテルに1泊して、金曜日は夕方までにのんびり帰ってくる、という日程。デイヴィッドとジュディはその夜8時発のカナダ横断鉄道でトロントまで3日がかりの旅。カナダ国鉄OBのデイヴィッドは鉄道運賃が無料になるからそんな長い旅をするんだけど、ちゃんと料金を払って乗ったら何と800ドル近く(プラス食費)かかるんだそうな。それだったら飛行機の方が安いんじゃないのかなあ。時差ぼけはするかもしれないけど、5時間でトロントに着いてしまうから、3日分の食費がかからないし、何よりも(飛行機よりは心地はいいとしても)座席で寝なくてもいいし・・・。

だけど、時差ぼけの体でいきなり体感温度45度の熱波の中に飛び込むのはちょっとつらいかもしれないな。まあ、大西洋岸から太平洋岸まで広がるだだっ広い国をかって幌馬車に揺られて西部まで移動してきた開拓者の子孫なんだし、のんびりと本を読みながら旅するのも悪くないかもね。さて、ワタシもそろそろウィスラーへ持って行くものをまとめるか・・・。

ウィスラーは猛暑だった!

7月9日。ウィスラーは猛烈に暑かった!木曜日。朝8時に起きて朝食。午前9半にエコーで出発。ウィスラーまではハイウェイを125キロ。途中の景色はいいんだけど、ぶっ飛ばすドライバーが多いから、見とれていると危ない、危ない。ウィスラーヴィレッジまでは順調だったけど、デイヴィッドのGPSシステム(カーナビ)の指示通りに行ったら、住宅地のようなところでホテルは影も形もない。おかげで、船頭多くして何とかのことわざの通りに4人であっちだ、こっちだとぐるぐる走り回ること20分。何のことはない、ホテルのある「ブラッコムウェイ」がヴィレッジの駐車場をぐるりと回るようにカーブしているもので、ハイウェイからホテルのあるアッパーヴィレッジに通じる道路を行くと、同じ道路に二度ぶつかるためにGPSは混乱してしまったらしい。ホテルは二度目にブラッコムウェイに出会うところにでんとあった。ふむ、GPSに頼りすぎるのも考えものだな。

それでもホテルに着いたのはチェックインより2時間以上早い昼前。チェックインを済ませて、部屋の用意ができたら携帯に知らせてもらうことにして、レストランに直行。オリンピックと冬スキーのシーズンが終わって、今はいわゆる「ショルダー」シーズン、つまり閑散期。客がまばらだからサービスは極上。部屋の用意ができて、荷物を置いたら、早速アッパーヴィレッジ(ブラッコム)にゴンドラとリフトのチケットを買いにでかけた。だけど、暑い!当初はチケットだけ買って後はレストランの予約がてらヴィレッジをそぞろ歩きのつもりだったので、背中丸出しのドレスのいでたちで出かけたのに溶けそうなくらいに暑い!湿度が低いからべとつかないけど、暑い!!

それが10ドル足せばリフトとゴンドラが2日間乗り放題ということで、2日通用のチケットを買ったもんだから、そのまま4人乗りリフトに乗ってしまった。集めた資料によると、最初のリフトで垂直に565メートル、乗り換えてさらに623メートル。ウィスラーヴィレッジの標高が670メートルだそうだから、一気に垂直距離で1800メートルも登ってしまう勘定(ブラッコム山は標高2284メートル)。あたりはまだ(少々汚れているけど)雪景色なのに、ちっとも涼しくない!そこからお目当ての「Peak2Peak」の赤いゴンドラでウィスラー山へ。壮大なロープウェイは全長が直線距離で4.4キロ。地表から一番高いところで436メートル。タワーの間隔は最長で3キロ。3キロもケーブルを渡すんだからヘリコプターを使ったのかと思ったら、実は山→谷底→山とケーブルを敷いて行って、両側から何日もかけて引っ張り続けて張り渡したんだそうな。雪解けの急流がある谷底を見下ろすと、流れが止まって見えるくらいに高い!

ウィスラー側に着いて、そのまま別のゴンドラでヴィレッジまで降りて、お目当てのレストランに行って予約。ホテルまで炎暑の中を道に迷いながら帰りついて、しばし休養。テレビをつけたら最高気温は摂氏32度だったとか。山の上のリゾートなのになんでこんなに暑いの!?ま、ひと休みしたら、駐車係に車を出してもらって、ヴィレッジの駐車場までほんの2、3分。ヴィレッジの中心には車を乗り入れることはできない。ディナーは期待通りにすばらしかった。レセプションにおいてあったAraxiの料理本が欲しいから勘定に追加してと頼んだら、サーバーがワタシの名前をメモして行って、表紙の内側にシェフのメッセージ入り直筆サインをもらってくれた。食道楽には最高のおみやげ!

夜はお疲れ気味のジュディをホテルに残して隣のシャトーウィスラーのバーへ遠征。当初はこっちに泊るつもりだったのが、大きな会議があって満室ということでフォーシーズンズに乗り換えたたんだけど、どうやらアップル関連らしく、いたるところでノートを持った比較的若い人たちがごろごろしている。バーでも片隅で3人の男性がカクテルを飲みつつ、それぞれのノートの画面をにらんで(たぶん)仕事をしている。我々3人組は反対側のテーブルに陣取って1時間ほどのんびりとおしゃべり。夜が更けるとさすがに涼しいと感じるけど、暑い、暑い、とにかく暑い木曜日の終わり。

金曜日。午前7時過ぎに起床。ウィスラーはまだ暑かった。部屋のエアコンが効きすぎたのか少々涼しいなあと思ってバルコニーに出てみたら、う~あじあじ~。この分だとまた30度は行きそうな気配。隣の部屋の2人と連れ立って朝食。レストランには家族連れがちらほら。気を利かせてか奥の静かな一角に案内してくれた。今日はコレステロールも何も気にしないでしっかり腹ごしらえ。チェックアウトして、荷物を預けて、またきのうと同じルートでPeak2Peakゴンドラの駅まで行く。こんなに暑いのに、これ、この通りの雪景色![写真]

今日は赤いゴンドラではなくて、銀色の床の一部がガラスになっているのに乗る。レールに寄りかかって見ていると、きた、436メートルの谷底。箱の中なので怖いと言う感じはしない。さて、ウィスラー側に渡ってアイスクリームを食べてたりしていたら、観光案内係なのか、別のリフトまで10分ほど歩くと、ウィスラー山の山頂(2182メートル)まで行ける、と地図を渡して勧誘?していた。見ると駅はかなり下のほうだけど、ケーブルをたどって見上げてみたら・・・ええっ、あんなところまで行くの・・・?[写真]

リフトの駅までの道はクログを履いた足にはちょっと難儀だったけど、行く先を見上げると、うへ、なんだか怖そう・・・。それでも一路頂上へ。これがまたくらくらしそうな急角度で登るからすごい。絶壁が衝突するかと思うくらい目の前に迫って来て、う~ん、やっぱりちょっと怖いなあ。(高いところは平気のカレシもさすがにちょっとばかりぞくっとしたそうな。)足をぶらぶらなんて気分にはなれなくて、無意識にしっかりとつかまっていたような。不気味なくらいにし~んと静まり返った空間をまるで吸い上げられるようにして山頂に着いてみたら、おお、日差しはきついけどやっと「涼しい!」という気分。ぐるりと360度、つい「ヤッホー」と叫んでみたくなるような山頂の風景。登山者に人気のBlack Tusk(黒い牙)と呼ばれる古代の溶岩ドーム。ハイウェイ側から見ると三角の庇のようにせり出して見えるけど、こうして反対側から見ると「牙」というよりはゆったりと構えた人の形に見えなくもないかな。Black Tuskの標高は2319メートルとか。[写真]

チェアリフトは山頂まで上がるのがちょっと怖かったけど、前向きに降りて行くのは急斜面を落ちて行くような感じになったりして、尾てい骨の辺りがぞくぞく。それでも、10年ほど前に急に始まった高所恐怖症が完治したのか、緊張はしても「凍りつくような恐怖感」はなかった。急な上り坂を息を切らせながらゴンドラの駅に戻ってブラッコム側へ戻り、またチェアリフト2本を里へ向かって降りる。途中で熊の親子連れに出会った。といっても、こっちは空中からの「高見の見物」。2匹の小熊がなんともかわいい。カレシが上がって来るチェアの4人組に「熊がいるぞ~」と知らせた。リフトの下は熊の生息地になっていて、「熊に遭遇したら」という標識があちこちにあるけど、野生の動物はやっぱり遠くからそっと見るのが一番。[写真]

最後のリフトに乗り換える頃にはショーツから出ていた足が腿から足首まで真っ赤。露出した肩も首筋も胸も真っ赤。日焼けはいけないと言われるけど、これではもう焦げる一歩寸前くらいの焼け方だなあ。まあ、太陽が燦々と輝く青空の下で宙吊りの一日だったもんね。顔だけはSPF40の日焼け止め入りのクリームを下地に塗っておいたから、大丈夫そうだけど・・・。

ヴィレッジでおみやげ屋をのぞいて、冷蔵庫マグネットとクリスマス飾り、貴石のペンダント3個。ホテルで車と荷物を引き取って、いざ帰りなん。食事のタイミングが合わないままバンクーバーまで来てしまって、急遽スーパーに寄って冷凍ピッツァを仕入れ、家に帰りつくなりオーブンを温める。ピッツァとビールの夕食をあわただしく済ませて、VIA Railでトロントへ向かうデイヴィッドとジュディを駅まで送り届けて、けっこう忙しかった1週間の終わり。「これでやっと普通に戻れるなあ」とは、少々お疲れ気味のカレシの言葉。でも、4人でつるんで遊んで回って楽しかったよねっ。デイヴィッドとジュディのなんともかみ合わない口げんかを聞いていておかしかった。夫婦も十人十色、百組百様だなあと改めて思ったけど。

さて、待ちきれないクライアントからもう仕事が入っているから、明日だけゆっくりと休養して、また鉢巻を締めるか・・・。

パワーストーンとは知らなかった

7月10日。土曜日。起床は午前10時半。きのうは疲れて早寝してしまったので、どうもまだ「早起きモード」のままらしい。ウィスラーへ行く前からずっとかけっぱなしだったエアコンがちょっと涼しく感じられたけど、まだ暑いことは暑い。ワタシは外へ出なくてもいいから助かるけど、カレシは(今頃になって)日焼け止めを塗って庭仕事。デイヴィッドとジュディが乗った列車はまだBC州を抜けていない。アルバータ州のジャスパーに着くのが夕方で、州都エドモントンに着くのが午後11時。うん、なにしろ4,466キロを乗り通す長い旅だから・・・。

仕事は明日からはじめることにして、今日は骨休めの一日。赤くなるほど焼けた胸や背中、足がかゆくてしかたがない。まさにサンバーンというやつで、これは盛大に皮が剥けそうな予感。そこはメラニン色素が多めのアジア人種なのでそれほどのことでもないけど、コーカサス人種の中でも特にアイルランド系に多い赤毛の人は大変らしい。夏が来ると1回30分で色よく焼けてしまうワタシは長い睫毛まで赤毛だったカレンにいつもうらやましがられた。同僚だった彼女は文字通りのホットピンクになって見るからに痛々しい。それでもなお小麦色の肌を目ざして週末はビーチに寝そべっていたから何をかいわんやだけど。

きのうウィスラーで買った3個の貴石。それぞれに小さな説明書が付いて来たので読んでみたら、これがけっこうおもしろい。おもしろついでに日本語でググって見たら、なんとどれも「パワーストーン」というなんだかわからないジュエリーの区分に属するらしい。どうやら「healing stone(癒しの石)」と似たようなものらしく、日本ではこの「パワーストーン」なるものを売る小さな店をあちこちで見かけたから、たぶん日本で流行っているものなんだろう。まず、ラピスラズリ。この石と共に瞑想すると、知恵と知性と決断力がアップして、ポジティブ思考になって、表現力がアップして会話がうまくなるんだそうで、ついでに美肌効果まであるとか。鉱物としては青金石という名前だけど、夜明けが近づいているときの空の色というか、夜の深さと朝の光の間の青というか、「瑠璃」という名の響きの方がふさわしい。

ショーケースの中で目に止まったとたんに「あっ、欲しい!」と思ったのが、小さな目玉が点々とあるなんとも不思議な模様のオーシャンジャスパー。混じりこんだ鉱物が粒々になって見えることからオービキュラージャスパーとも言うそうで、マダガスカルを始めとする世界のごく限られた海岸地域で採れるらしい。じっと見ているとちょっぴり和風の柄のような感じもしないではないな。精神的、感情的な問題の解決に力があって、包容力がつくらしいし、芸術性も高めてくれるというから、万年劇作家志望で大根役者でへぼ絵描き、言い換えれば「へたの横好き」アーティストのワタシにはぴったりの石かもしれないな。

3つ目はロードライトという水晶の一種で、いろんな鉱物が内包されてミニチュアの箱庭のように見えるせいか、ガーデンクォーツ(庭園水晶)とかランドスケープクォーツ(風景水晶)とも呼ばれるそうな。特にこれは紅葉した秋の山の感じがするから、ガーデンよりはスケールの大きいランドスケープかな。学校で習った唱歌で「綾錦」と表現された山の紅葉を一度だけ見たことがある。ワタシの原風景にあるのは針葉樹の森だから、秋の風景も綾錦にはほど遠いけど、それぞれに個性のあるものからどれを選ぼうかと思案していたときに、これが飛騨高山へ行く列車の窓から見た紅葉を思い出させてくれた。まあ、ガーデンクォーツは心を癒してバランスを取り、自然のエネルギーを与え、ひらめきや集中力、創造力をを高めてくれて、おまけに商売繁盛と金運を呼び寄せてくれるというすごいパワーがあるそうだから、大切にしなくちゃ罰があたりそう。

アクセサリーとして買った貴石が「パワーストーン」だとは知らなかったけど、あんがいそれぞれのパワーでワタシを引き寄せたのかもしれないなあ。日本語だと「ご縁」というやつかも・・・。