リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年5月~その1

2011年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
もうひとつ、10年のひと区切りかな

5月1日。日曜日。今日から風薫る5月。ふむ、「風薫る」というのは慣用表現だと思うけど、sweet wind of Mayか、それとも、fragrant windかな。それとも、windよりはbreezeに近いのかな。空の色合いが春から初夏の明るい青へ移って行くのを鼻で感じているようなところがあっておもしろい。日本語には嗅覚的な抽象表現が多いような気がするけど、それだけ鋭い嗅覚の持ち主が多いってことなのかな。まっ、いい天気で始まったから、きっとそよ風も芳しく薫っていることだろうな。

今日の日本はゴールデンウィークの「中休み」で、ワタシは夕方の納期を目指して仕事。ポカミスの始末書みたいな内容で、なんともしょぼい。それでも、経過をたどって行くと、サラリーマンがうっかりミスの「穏便」な収束にあたふたしているイメージが見えて来る。ミスのおかげで迷惑を被った相手方に「つきましては、ぜひとも今回の件は穏便に・・・」なんて口止め工作をしたのかなあ、なんてついちらっと考えたけど、まっ、うっかりミスだから世間に知られたって特に不都合があるようには見えないな。それでも、社内では上へ下への騒動だったんだろうけど。それにしても、日本語作文の質の低下ははなはだしい。(完全にバイナリ思考だし・・・。)一流の職場なんだから、みんな一流大学で教育を受けて、厳しい就活を勝ち抜いた人たちなんだろうに。

仕事を納品して、月末処理をして、夕食後をのんびりしていたら、CNNが「ビンラーデン死亡」のニュース。へえ、とうとうやったんだ。ウィキりークスもすっぱ抜けなかった隠密作戦らしい。大統領が特別声明で発表して、アメリカ中が沸いているそうな。もちろん、石川五右衛門の「浜の真砂は尽きるとも・・・」の通り、ジハードだとか何とか言って「異教徒」を殺すことしか頭にない人間や、殺意の標的にされるアメリカ人に「アメリカの態度が、過去の行動が悪いから自業自得」と言えてしまう人間がいる限りは、テロの脅威はなくならない。アメリカ人だってそれはよく知っている。それでも、彼らにとっては10年前のトラウマのひとつの区切りなのだ。アメリカ合衆国は宗教上の迫害を逃れて来た人たちが作った国。この世界では、自分を信頼して、自分の力と知恵で自らの存在する権利と尊厳を守るしかないということをよく知っていると思う。

たしかに、ニューヨークやワシントンに集まって喜ぶ大勢のアメリカ人たちを見て、「だからアメリカ人は・・・」と鬼の首でも取ったように軽蔑する人たちもいれば、「かえってテロが増えるではないか」と糾弾する人たちもいるだろうな。日頃アメリカ発祥の文物の恩恵に浴しながらもアメリカに嫉妬にも似た嫌悪感を持つ人たちもごまんといる。10年前だって「アメリカが自ら招いたこと」と言う人たちはたくさんいた。「自業自得だ」と。十人十色、人それぞれの反応があって当然だけど、殺人者をそっちのけで、殺された人に「おまえにも悪いところがあった」というのは、DVを受けている人に「あなたにも悪いところがある」と言うのと、DV人間が人を殴っておいて「殴らせるおまえが悪い」と言うのと、同じことじゃないのかな。人はテロとDVはレベルが違うと言うだろうけど、恐怖と暴力で他人を自分に隷従させようというのは同じじゃないのかと思うけどな。

まあ、ワタシが感じる限りでは、日本の社会文化は昔から「けんか両成敗」で人間関係の縺れを一刀両断するのが最善と思っているらしいから、テロにもDVにも虐待にも遭わずに生きて来られた幸せな人にはそれが妥当な解決策なんだろうな。どちらの側にも組しないから、何かあっても責任は降りかかって来ないし、選択を間違ったと糾弾される心配もないし、ことがうやむやになってくれれば、丸く治めた力量を評価されることになるかもしれない。加害者と被害者が明らか過ぎて両成敗が不可能であれば、「こういうことになるとわからなかったのか」と被害者の先見の明のなさ、人を見る目のなさを指摘してやればいい。10年前の9月のあの日をテレビでリアルタイムに見てしまったワタシは、そういう人たちからのまるで中世の異端裁判のような糾弾の嵐から脱出できたばかりだったのところだったな。だから、あの頃の深いトラウマとアルカイダのテロのショックとがダブってしまって、感情のうねりが大きくなってしまうのかもしれない。まっ、あのときに学んだことを忘れずに、自分を信頼して、自分の力と知恵で自分の存在する権利と尊厳を守って行かないとね。最後的にはそれしかないような気がするから。

番狂わせの総選挙が終わった

5月2日。月曜日。総選挙の投票日。小雨もよう。正午過ぎにのんきに起き出して、朝食をすませてすぐに近くの投票所へ出かける。選挙区は「バンクーバー・サウス」、投票ブロックは56で、投票カードの番号は369と370。この選挙区は東西にひょろ長く、西の端は何億円もする邸宅が並ぶ裕福な地区、東の端は中流の下くらいの人たちが多い地区と、所得格差のスペクトラムがやたらと広いもので、いわゆる「浮動選挙区」。現職は前回わずか二桁の票差で当選した野党自由党のウジャル・ドサンジ(インド系)で、対立候補は保守党がウェイ・ヤン(中国系)、躍進目覚しい新民主党がミーナ・ウォン(中国系)。道を歩いていくと、庭先に支持する候補の看板を立てている家がかなりある。一軒の家に2つの政党の看板が出ているのは、夫婦や親子で支持政党が分かれているんだろうな。きっと熱い議論が戦わされて来ただろうけど、まっ、選挙が終わったらまた元の通りに仲良くしなさいね。

投票所はコミュニティセンターの体育館で、ブロックごとの投票箱を置いたテーブルがぐるりと並んでいて、選挙管理委員会のスタッフが2人ずつ。ひとりが投票カードと身分証明(運転免許証)の名前と住所と顔写真を照合して、名簿の名前の横に確認済みのチェックマークをつけて、名前に線を引き、もうひとりがたたんだ投票用紙をくれる。それを後ろにある段ボールの囲いを置いたテーブルに持っていって、備え付けの鉛筆で投票用紙にアルファベット順に印刷されている候補者の名前の横の白い丸の中に✕をつけ、元のようにたたんで投票箱のところへ持って行く。ただし、そのまま投票箱に入れるのではなくて、用紙をくれた人に渡して、たたんだ用紙から突き出している照合用のタブを切り取ってもらって、返された用紙を投票箱に入れる。ワタシが先に投票を済ませて、離れたところでカレシが投票を終えるのを待っていたら、なんとカレシ、タブを取った投票用紙を渡されて、ひょいとポケットに入れようとしたから、テーブルの人が大あわて。ジャケットを引っ張られて、投票箱を指差されて、カレシの「清き一票」は無事に投票箱に収まったけど、この寝ぼけっ!

カナダは西から東までだだっ広い国で、いくつも標準時間帯がある。アメリカもそうだし、ロシアもそうだし、それはそれどうってことはないんだけど、選挙法で西端での投票が終わるまでマスコミは東部での開票結果を報道することが禁じられている。というのは、即日開票なもので、3時間先のオンタリオ州で開票が終わる頃には西の端のブリティッシュ・コロンビア州はまだ投票の最中。オンタリオは超巨大票田なもので、西部でまだ投票しているうちに選挙の大勢が決まってしまうことが多い。そこでとっくに判明した結果を知って西部の有権者が投票をやめてしまわないために報道規制を敷いたわけだけど、それがデジタル時代になって崩れてしまったから大変。前は全国一律で午前8時から午後8時までだった投票時間を、東部では午前9時から午後9時、平原部では午前8時から午後8時、西部では午前7時から午後7時に変更して時差を縮小してみたものの、フェースブックやツイッターなどで即時に情報が流れるから、報道管制は実質的に無意味になってしまった。テレビやラジオは規制できても、個人が主役のソーシャルメディアを規制することは難しいもの。

午後7時になったとたんにメディアはいっせいに開票結果の報道が始まる。西部の票がかなりのウェイトを持つようになったのは過去2、3回の総選挙からかな。アジアからの移民が増えて、西部の人口増加率が高くなり、それにつれてカナダ経済の軸足もだんだん西の方へ移動して来ている。二十一世紀は西部の時代と言えるかもしれない。国政を左右できるだけの影響力を実感するようになって、西部は報道管制など必要としなくなっているんだけど、「トロント=オンタリオ=カナダの中心」というプライドはなかなかそう簡単にはなくならないだろうな。(ちょっとテレビを見て来ようっと・・・。)

午後8時30分。保守党念願の過半数獲得が確定。万年第2野党だった社会主義政党の新民主党が議席3倍増で野党第1党(Her Majesty’s Official Opposition)に躍進。「国民は選挙を要求している!」とぶち上げて少数政権の議会を解散させた自由党は見るも無残なありさまで、党首のイギー自身も落選確実。長年議会を引っかき回して来たa thorn in the side(目の上のたんこぶ)政党のケベック連合は3選挙区でリードしているのみで、党首のデュセップも落選して、まさに風前の灯。速報に「デュセップはオレンジ色のツナミにのまれて潰えた」という見出しをつけたメディアもある。(オレンジは大躍進した新民主党のオフィシャルカラー。)ケベック州の分離独立派の勢力が弱まったということかもしれないし、ケベックの人たちがカナダからの独立を掲げる政党をカナダの議会に送り込んでも無意味だと悟ったのかもしれない。新民主党のレイトン党首がモントリオール出身というのも追い風になったかもしれない。

いずれにしろ、経済危機やら不況やらテロやらと落ち着かない世界で、5年間も不安定な少数政権の下でそこそこに繁栄して来たカナダだけど、やっぱり単独過半数の安定した政権が誕生するのは国にとっていいことだと思う。いくら世界第2位の広大な国土と莫大な天然資源があっても、人が少なすぎるカナダは「大国」とは言えないし、別に大国にならなくたって安定した実務的な政府が国を運営してくれればいい。それにしても、選挙というのはほんとに投票箱を開けてみるまでわからないもんだな。だって、けさの朝刊を見た限りでは、またまた保守党少数政権か、あるいは野党2党の連立政権が濃厚と言う予測だったんだから。まあ、カナダは1選挙区1議席のシステムを取っているので、世論調査の支持率の数字がどうであっても得票率が第2位では意味がないんだけど。

やれやれ、メディアを駆使しての選挙戦も終わって、あしたからはまた静かな日常。まあ、日本のように候補者が拡声器を載せたトラックで名前を連呼して走り回るというスタイルはないから、選挙戦といっても実は静かなもので、防犯意識が高まった今は候補者の戸別訪問もなくなった。うるさいのは各政党のテレビ広告とマスコミに出てああだこうだと御託を並べる政治評論家くらいのものかな。それでも、いかに政治好きなワタシでも毎日5週間も付き合っていればくたびれるし、3月、4月は何かと精神的な動揺が多かったから、元の日常に戻るのはうれしい。

心の中のお荷物も断捨離

5月3日。火曜日。久しぶりにすごく良く眠ったような気分。就寝はいつもより早い午前3時半だったけど、目が覚めたら午後12時半。取りとめのない夢を見ていたような気がする。その夢の中で、日本語だったか英語だったか覚えていないけど、マニフェストみたいなものをせっせと書き綴っていたような。選挙の影響かな。いや、いつも自分の中に潜んでいる別の(たぶん元の)自分と会話しているような、やたらと自問自答しているするようなところがあるから、あんがい自分宛のマニフェストだったのかも・・・。

だけど、朝食後にいつものようにネットの新聞サイトを巡回していて、なんとなく今までとはちょっと違う視点(あるいは受け取り方)で世の中の出来事を見ている自分に気がついて、切れ切れに記憶にある夢のことを考えているうちに、なんとなく「吹っ切れた」ような気分になったから不思議。これが心理学で言う「closure」なのかどうかはわからないけど、コンマ、コンマで、どこまでも完結しない文章に「ピリオド」がついた感じというか、ジグソーパズルのピースが全部きちっとはまったときの感じというか。夢の中で、ここ2ヵ月に見聞きしたいろいろなできごとから感じたことや自分なりに考えたことの整理がついたのかもしれないし、ひょっとしたら、ワタシが眠っている間にワタシの分身が心の中に積み上がった人生の「お荷物」の断捨離を決行してくれたのかもしれない。(お荷物はきちんと焼却処分してよね。リサイクル不可だから・・・。)

テレビ(少なくともカナダの)は総選挙のpost-mortem(検死)でもちきり。かって自由党が過半数を取っていた頃は淡々と報道していたのに、保守党が過半数を取ったら「カナダは大変なことになる」みたいな騒ぎようで、メディアの偏向が丸見えでおもしろい。少数政権とは言え、保守党はもう5年も政権を担当してきたんだけどなあ。惨敗した自由党のイグナチエフはハーパーが議会を2度も停会にしたことを民主主義を踏みにじるものだとして、選挙の争点にしようとしたけど、国民の関心はもっぱら経済、すなわち個人の懐具合。まあ、この「prorogation」という手段は国民を代表する議会の活動を止めるわけで、たしかに反民主的に見える。でも、元はと言えばイギリスの議会制度から受け継いだ立憲君主制ならではの正当な手続きで、総理大臣が勝手に発動できるものではないんだけどな。

意外と知られていないみたいだけど、カナダは立憲君主制国家。だけど君主はイギリスにいるから、その代理としての総督がいて、総選挙で第1党になった党の党首が総督のところへ行って「女王陛下の総理大臣」に任命してもらう。それで、議会開会のときに日本では総理大臣が「施政方針演説」をやるけど、イギリスでは女王が、カナダでは女王の代理である総督が「my government(朕の政府)はこれこれしかじかの政策を行う方針である」と読み上げる。だから、停会も君主の承認をもらわないとできないし、勝手にやったら君主(総督)は総理大臣を解任することができる。まあ、議会を停会にしたのはハーパー政権が始めてというわけじゃなくて、自由党政権もクレチエン首相が汚職疑惑で形勢が悪くなったときにやった。まあ、中道の左側がやるのは問題はないが右側がやるのは民主主義に反すると言うのは、「オレは浮気してもいいけど、妻のおまえがやるのは許せん」と言ってるのと同じような屁理屈だわな。

ま、ワタシが感じる今日のワタシがきのうのワタシとはちょっと違っていることはたしか。追々夢の中で書いていたマニフェストらしきものを記憶から引き出して来て読んでみよう。頭の中まで断捨離されてないといいけど・・・。

巷に溢れるリスクを回避する?管理する?

5月4日。水曜日。いい天気。いい気持ちで眠っているところをカレシに起こされたもので、何か寝起きが悪い。夕べ、テレビの前のリクライナーでいい気持ちで寝ているところを起こしたから、そのお返しなんだと。ふん、そうやってうたた寝するから肝心のときに寝つきが悪くなって困るとこぼしていたのは誰だったかなあ。ホッケーのプレーオフでカナックスがまたまた延長ピリオドに持ち込まれてるってのに舟なんか漕いでいるから、見逃すといけないと思って起こしてあげただけなんで、別にお返しはしていただかなくてもいいんだけど・・・へへへ。

選挙が終わってやれやれと思っていたら、今度は国勢調査のお知らせが来た。郵便で来るのは初めてで、やたらと薄い折りたたんだ紙が2枚。よく見たら、住所は我が家のものなんだけど、1枚は「MAIN」、もう一枚は「BSMT」と書いてある。うちはベースメントに間借り人はいないけどなあと思いつつ、とりあえずMAINの方を開いてみたら、見慣れた国勢調査の用紙じゃなくて、「アクセスコード」の通知。なるほど今回からオンラインでやるということか。紙の用紙でやりたい人はトールフリーの番号に電話すれば送ってもらえるらしい。そうか、戸建てのベースメントを間貸ししてローン返済の足しにしているところが多いけど、今までは臨時採用の人たちが戸別訪問して、貸し部屋の有無を確認して用紙を置いて行ったのが郵便ではできないもので、「念のため」に貸し部屋の分も送ることにしたんだろう。通知には「受領後10日。以内」に国勢調査のサイトにアクセスして回答せよと書いてある。それにしても、「BSMT」の分はどうしたらいいんだろう。国勢調査への回答は法律で義務付けられているけど、幻の居住者をでっちあげるわけに行かないし、関係ないからとぽいと捨てるのも危なそう。問合せ用の番号に電話して聞いてみるか。ああ、めんどくさ・・・。

朝食が終わったら、カレシはさっそく庭へ飛び出して行った。急に気温が上がったもので、温室にあった苗が急成長。放っておくとあっという間に種になってしまって、野菜は食べられなくなるから困る。涼しい方がいいらしいほうれん草やラディッシュはてきめん。そういえば、カレシはなぜかラディッシュの栽培が苦手。初心者でも簡単に栽培できる野菜のはずなのに、カレシのラディッシュは速攻でとうが立ってしまって満足に食べられたことがないから不思議。逆に園芸雑誌などで「育て難い」と書いてあるような花木ならうまく育つから、ますます不思議。園芸上手な人を「green thumb(緑の親指)」を持っていると言うけど、カレシの親指は何色なんだろうな。

日本では焼き肉店で「ユッケ」を食べて食中毒になって死ぬ人が出ていると言うニュース。前から「焼き肉店」てどんなレストランかと思っていたけど、ユッケが人気アイテムと聞いて、やっ「コリアン・バーベキュー」のレストランらしいとわかった。同時に、日本では生の肉を食べるのがグルメとされている(流行している)らしいとわかった。(そういえば、魚じゃなくて、生の獣肉を使ったすし屋ができて繁盛しているという話を聞いたっけ。)まあ、生肉の料理は世界のあちこちにあって、ワタシたちもWilliam Tellが閉店してしまうまではときどきタルタルステーキを食べに行っていた。でも、事故を起こしたチェーンが「激安」で人気だったと聞いて即さもありなんと思ったな。安く売れるのは肉の質を落としているか、工程で手を抜いているはず。でも、肉の質を落とせばこだわりの強い日本人にすぐばれるだろうな。そこで一番手を抜きやすいのは客の目には見えない工程。食品を扱う工程でコストがかかるのは安全対策・・・。

何につけても日本はパラドックスだと思っていたけど、リスク忌避の日本でリスク認識がこんなにも甘いというのもすごいパラドックス。国の衛生基準を満たす生食用の牛肉の出荷が「ゼロ」なのに、焼き肉店ではユッケが大人気?卸元がアルコールで消毒しているから安全?細菌検査でずっと陰性だったから「菌はつかない」?国の基準は満たしていないけど、基準に強制力がないから生でも食べられる?言い訳のどれも閉めは「~と思った」。極め付きは、「お金を払って出されたものだから安全だと思った」という客のコメント。お金を払ったと言っても、「激安」で人気のチェーン。他では800円近いものが300円以下の価格という格差に疑問を感じなかったのかな。デフレになって何でも安いのがあたりまえと刷り込まれてしまっているのかな。もっとも、どうしてそんなに安いのかと聞いてみたところで、「当店では国の衛生基準を満たさない肉を使っておりますので」なんて言うわけがないか。

ハッカーに侵入されてプレステの客の個人情報をごっそり(7700万人全員!)盗まれたソニーが異常を察知していながら1週間も黙っていた上に、呼ばれた議会公聴会に出なかったことで、めんどうなことになりそうな雲行き。欠陥車問題のときのトヨタみたいなことになるんじゃないかなあ。ソニーが情報の漏出をすぐに公表しなかった理由と言うのが「不確かな情報提供で顧客の混乱や不要な行動を招かないため」。ふむ、これ、原発事故で情報の遅れや不足を指摘されて、東京電力や日本政府が繰り返し使った「国民に不安感を与えないため」という説明と何かだか似てるような感じがするんだけどな。即刻公表して注意を呼びかけて、もし情報が違っていたら「すいません」と訂正すればいいだろうに。もしかして、まずは「社外への漏洩リスク」を回避しようということで、内々で何とかことを収拾できないものかと、頭を突き合わせて会議をやっていたのかな。次は記者会見して、「ただちにクレジットカードなどへの被害はない」と言うんだろうか。もしかして、もうそれも言っちゃった・・・? 

視力0.008でも世の中は見える

5月5日。木曜日。何か湿っぽい天気。正午ぎりぎりに目を覚まして、同時に目が覚めたらしいカレシに腕枕をしてもらってちょっぴりいちゃいちゃしたい気分だけど、カレシの左肩がまだ不調なので、カレシの枕に侵入して、頭をくっつけてしばしの間うとうと。ご隠居さんはいいなあ・・・とのどかに考えていて、あ、今日は目の検診に行く前に納品しておく仕事があったんだ。ワタシはまだバリバリの現役で、のんきにご隠居さんをやるにはまだちょっと「若すぎる」もんね。

けさはシリアルの牛乳を切らしているので、粉末のスキムミルク+水+ハーフ&ハーフ(乳脂肪10%)を味を見ながら混ぜ合わせて代用。ふだん使っている乳脂肪1%の水っぽい牛乳に比べるとやっぱり牛乳らしい味がする。まあ、1%のでもスキムミルクに比べたらまだ牛乳らしい味がする方かな。カレシの高コレステロール騒動があって全乳から切り替えたんだけど、ときどきは全乳をコップ1杯ぐいっと飲みたい気もする。北海道の牛乳で育ったせいかな。そういえば、ウェールズを旅行中にスーパーで買って飲んだ全乳はカナダの全乳よりもずっとコクがあって飲みごたえがあったな・・・。)

仕事のファイルを送信して、入れ替わりにフィリピンからの仕事に見積もりをして、月末処理関係のメールに返事を出して、ダウンタウンへ出発。予約したときになるべく車で来ない方がいいといわれたので、今日は地下鉄。新聞に市が草案を出している地下鉄沿線の再開発計画に関する公聴会の記事があって、ノースショアの山並みの景観が売り物の北の斜面は最高4階建て、オークリッジのモールまでは12階建て、バンクーバーの南端にあたるマリンドライブ駅までの南斜面は36階建てという構想で、今後30年で14000人くらいの人口増になるらしい。例によって「長年住んだ閑静な住環境が失われるのは困る」と反対する人もいるけど、明日すぐにそうなるわけじゃあるまいし、30年後にはこの世にもいそうにない年令だな。ワタシたちも20年後にはたぶん再開発でできた地下鉄駅そばのコンドミニアムに住んでいると思うけどね。

行きつけの検眼クリニックのガファー先生はイラン系二世で、年(といってもまだ40代前半?)と共にイケメン度があがる感じ。ワタシが先に検査室に入って、コンタクト付き、コンタクトなしで視力を測定して、眼球の検査。左目の隅でときどきフラッシュが光ると言ったら、99%は正常だけど、1%の確率を否定するために網膜の専門家に見てもらうことになった。(そういえば、前回はカレシが同じ問題?で、同じ専門家のところで問題なしのお墨付きをもらって来たっけ。)ま、第1期にある老人性白内障も進行していないようだし、視力がやや低下している以外は異常なし。新しいコンタクトレンズを頼んで、外で順番を待っていたカレシと交代するときに、何気なく裸眼の視力スコアは20/200くらいかと聞いてみたら、あっさり「2400だよ」という返事。

えええ。北米で使われている「スネレン式」視力スコアでは20/20が日本では視力1.0に当たるから、20/200は0.1に相当する。つまり、ワタシの裸眼視力20/2400は日本式に言うと0.008と言うことになる。日本にいた頃に0.05だったことがあるけど、0.008って少数以下の桁がもうひとつ多いじゃないの。そんなに視力が低かったんだ。生まれつき角膜がでこぼこなためにかなりの乱視で、ついでに近視と遠視も同居しているワタシの目。でも、コンタクトレンズを入れると角膜のでこぼこがなくなるので、矯正視力は0.1以上になって、法的な視覚障害者には認定されないんだそうな。まあ、目がちゃんと見えるに越したことはないけどな。

2人とも検査が終わって、65歳以上で医療保険が利いて半額自己負担のカレシと、「若すぎて」医療保険の対象にならないために全額自己負担のワタシと、今日の検査料は2人分合わせて176ドル(1万5千円くらい)。かなり目を酷使する生活だから、投資と思えば安いものかな。後は久しぶりにRodney’sでビールを飲みながら、カウンターで殻を開けてくれる生牡蠣を2ダース平らげた後、ワタシはディルとバターとワインで蒸したムール貝、カレシは魚介類満載のサラダで夕食。レストラン特製の生牡蠣用の辛いソースを2種類ひとびんずつ包んでもらって(頼むと売ってくれる)、外へ出たらなぜかしゃっくり。(冷たいビールを2パイントも飲んだせいかな。)そのまま盛大なしゃっくりとおしゃべりで周囲の注目(それとも顰蹙?)を浴びながら、地下鉄で帰って来た。(年を取ったら、ヒック、ワタシは地下鉄の駅から徒歩1分くらいの、ヒック、コンドミニアムの最上階に、ヒック、住みたいなあ・・・ヒック。)

コロンブスのアクシデント

5月6日。金曜日。けっこう早い時間に電話が鳴っていたような気がするけど、起床は正午ちょっと前。夜来の雨がまだ降っている。日本はまた週末の休みで、うまく仕事を交わせるかと思っていたら、ぎりぎりに小さい仕事の置きみやげ。金曜日の、それも普通の終業時間をとっくに過ぎた時間になって月曜日が納期の仕事を発注するという発想がすごいな。受注する方の担当者がひと足違いで帰ってしまっていたらどうするんだろう。どこでもみんな遅くまで職場にいるのが「普通」ということになっているらしいから、まあ、それが日本的なんだろうけど。

まだ牛乳がないので、今日は卵でちょっと目先を変えた朝食にしてみた。ほうれん草少しとアスパラガス1本としめじを何本かに塩を水をほんの少し振りかけて、ラップに包んで電子レンジで15秒。ソーセージを2切れスライスして細切れにしておいて、しめじ以外を全部油を塗ったラメキンに入れて、卵を2個ずつ割り入れ、しめじを載せて、パルメザンチーズを載せてトースターオーブンで焼いてできあがり。カレシが庭からめずらしくうまく育ったフレンチラディッシュを採って来たので、トマトをスライスして、ブルーベリーを添えて、ちょぴりおしゃれな朝食になった。フレンチラディッシュは普通の丸いラディッシュよりもマイルドな味で、上が赤、下が白と、見た目もきれいでいい。ラディッシュの葉っぱは捨てるのがもったいないくらい大きいので、明日にでも炒めて付け合せにするか、「大根めし」風に粟かキノアに炊き込んでみるか・・・。

仕事は明日に回すことにして、今日はのんびり。コンピュータの画面から世の中を斜めに眺める。アルカイダは報復テロを展開するんだそうな。イスラム過激派にとっては異教徒やアメリカ人を無差別に殺すのは「聖戦」で、相手の反撃は聖戦に対する冒とくということらしいから、黙っているのはプライドが許さないんだろうな。で、どこかでテロ事件が起これば、また世界が「よけいなことをするから」とアメリカを非難するだろうな。9・11のときにも口先ではテロは許せないと言いながら、内心では「いい気味だ」と舌を出した人たちが世界中にたっくさんいたはずで、さらにテロを招くから報復するなと言ったのはそういう人たちだろうな。本当は自分たちに危険が及ぶのは迷惑と言うことだろうけど、人間の正義なんて所詮そんなものだろうと思う。

最近はあちこちで政治や社会が分極化して、自分の意見を受け入れない相手を敵視したり、蔑視したりする風潮の高まりを感じる。異端者は抹殺してしまえと煽らないだけまだ文明社会は健在と言えるんだろうけど、時代の漠然とした不安感に対する反応なのか、あるいは単なる「負け犬の遠吠え」なのか。まあ、人間の営みは社会も政治も経済も関係もみんなダイナミックに連動しているもので、歴史という記録はあっても、未来への「ロードマップ」なんてものはない。ないからこそ、「予言」に期待をかけるんだろうけど、実際のところは、一歩ごとに周りを見回して危険をチェックしつつ、転ばないように前進する以外にないように思う。(それでも、つまづいて転ぶことがあるけど。)「黄金の国ジバング」という途方もない投資話をイサベラ女王に売りつけたコロンブスは相当な山師だったらしいけど、それでも海図のない大西洋を渡るのは太陽と星空と風向きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。きが頼りのおっかなびっくりだったろうな。結局、黄金のジパングじゃなくて未開のアメリカ大陸に行き当たるというアクシデントがあったわけだけど・・・。

変わらないものと変われないもの

5月7日。土曜日。今日も湿っぽい。正午ぎりぎりに起き出して、まずは牛乳作り。ぐうたらして買いに行かないから、ソースやスープに使うつもりで買ってあったハーフ&ハーフがとうとう全部ただの牛乳に化けてしまったじゃないの。

置きみやげの仕事は論文の抄録。短いから夕飯前に終わりそうでいいなあ、なんてのんきに訳していたら、ん?何かおかしい。どうも日本語の主語を間違えたか、動詞の意味を勘違いしているらしく、そのまま訳したら全体の趣旨とは逆の意味になってしまう。困るなあ、こういうの。だけど、増えて来ているんだよね、この頃。漢字熟語の定義やことわざの意味の解釈がずいぶんと変わってきているらしい。ま、言葉は人間と同様に流行り廃りのある生き物だから、「ら抜き」や「さ入れ」が文法を変えたように、単語の意味の勘違いがそのまま定着してしまうこともあるだろうけど。そういえば、小町に「自覚」のつもりで「自負」と書いてある投稿があったな。自分の欠点を自覚するのと自負するのとでは、この先の人生に大きな違いがありそうな気がするけど。

さて、相変わらずいろんな新聞を読み比べながらつらつらと考える。膨大な個人情報の流出で騒がれているソニーは、前からサーバーの欠陥を指摘されていたらしいのに、対策を取らずに「システム管理者が認識していなかった」と言っているそうな。科学者が巨大津波の可能性を指摘したのに「確たる科学的証拠がない」と退けた東電と何だか似てるな、これ。「日本ブランド」の信用まで失われかねないというけど、これは日本ブランドの「技術」の信用問題というよりは、日本ブランドの「企業風土」の信用問題だと思う。機械的なことなら日本の技術はどの国よりも信用できる。でも、その優秀な技術で作ったものを世界に売る企業文化の方は信用できないな。不正侵入に気づいてから公表するまでに1週間もかかったのは対応が「ずさん」だったからって、細かいところまでこだわる日本人が「ずさんな対応」なんてありえない・・・よね?

焼き肉チェーンでの生肉ユッケによる食中毒は、サプライヤーもレストランも客もみんな安全は「あっち」がやることだと思い込んでいたような印象。流行に載った「~は○○でなきゃ」というこだわりには落とし穴が多いけど、そういう「こだわり」はこだわる人の自己責任(つまり、リスクの存在に対する事前の了解)みたいなところがある。でも、単純に「誰かがやってくれている」という思い込みはその自己責任を放棄したようなもので、命の安全が絡むことでのそういう思い込みほど怖いものはないと思う。自分の安全を自分の知恵で守るというのはけっこうしんどいことだから、それをしないで済めばストレスがなくていいだろうけど、そのくらい他力本願でいていいのはまだ知恵がついていない赤ん坊くらいじゃないのかな。

ビンラーデンがこの世から消えて1週間立たないのに、きのう配達されたTIME誌はもう特集を組んでいた。特に読もうという気にはならなかったけど、ページを繰っていて見つけた短い記事に興味を持った。10年前の9月のあの朝、ブッシュ大統領はフロリダ州サラソタの小学校の教室で2年生の子供たちが本を読み上げるのを聞いていた。そこへ、補佐官が入ってきて大統領に耳打ち。大統領の表情がこわばり、真っ赤になるのを間近に見た当時6、7歳だった子供たちも今では多感な高校生になっている。国際バカロレア資格を取ろうとしている男の子はあのとき「世界はすごく広いこと、アメリカについていろんな見方があって、そのすべてが好意的ではないことを知った」と言う。大学ではビジネスと語学を学ぶつもりとか。ミリタリーアカデミー(陸軍式の規律で知られる私立学校)に進学した女の子は、当時はまだ7歳で何が起きたのかよくわからなかったとしながら、「時が経つにつれて、世界中のみんなを支配して、どのように考え、何をするかをコントロールしたいがためにと思うとビンラーデンに対する怒りがどんどん大きくなった」と言う。カメラをまっすぐに見つめて立っている制服姿の彼女の夢は獣医になることだそうな。

おもしろかったのは、テロリストをやっつける人気テレビシリーズ「24」を軸に、テロ後のアメリカのエンタテインメントの流れを見て、尋常でない時でも「我々が普通の形に戻って行く様を見ることができる」と分析した記事。(ちなみに「24」はテロの前に制作が始まっていたとか。)TIMEは最後のページのコラムに、「勝利は、ビンラーデンの死ではなく、あらゆる面で彼が我々を変えられなかったことにある」と言う見出しをつけた。それはたぶん、ビンラーデン一味は自分たちの不満を異教徒や欧米に向け、暴力で「変われ」と脅したのであって、イスラムの聖戦でもなければ反帝国主義闘争でもなかったからだろう。チュニジアに始まって、エジプトに広がり、今は中東各地で起こっている民衆の民主化要求デモがそれを裏付けているんじゃないかと思うけどな。

行く川の流れは止まらない

5月8日。日曜日。何か湿っぽいけど、まあまあの日。マニトバやケベックではあちこちの河川が融雪洪水を起こしているし、アメリカでもミシシッピ川がテネシー州で大洪水を引き起こしている。はて、今年のフレーザー川はどうなるんだろうな。だけど、古代のナイル川と同じで、氾濫するごとに土地に栄養分を残して行くから、ダムや堤防で自然の営みを無碍に遮るのも何だかなあという気もしないではない。川が氾濫しなくなれば、土地は栄養分が補給されなくなって、やせて行くばかりということにならないんだろうか。ゆったりと流れる川は見ているだけで癒されるような穏やかさがあるけど。

あれはハリケーン・カトリーナの翌年だから、2006年だったかな。アメリカの協会の会議があって、10月にニューオーリンズに行った。(カレシがそのときに復興支援のTシャツを着ていたから思い出した。)観光名所のフレンチクォーターには「売り」、「貸し」の張り紙をした店先がまだたくさんあって、ビジネス街でさえもドアや窓に合板が打ち付けられたままのところが残っていた。ミシシッピ川を見たくて、「あっち」と指差された方角に道路を渡って、階段!のある斜面を「上って」行ったら、急に目の前に海かと思うような広々とした川が現れた。子供の頃に『世界の国々』とかいうシリーズ本で見た観光用の外輪蒸気船「ナッチェス号」(9代目)が見えたから、あれがまちがいなく大いなるミシシッピ川。ミネソタ州に始まって、Mighty Moと呼ばれるミズーリ川やオハイオ川のような大河と合流しながらアメリカ大陸をほぼ縦断してきたミシシッピ川は、大河と言うよりは、まるで湖を見ているような感じだったな。

川が海と出合うところで生まれたワタシは、旅先で見た川がいろんな印象となって記憶に残っている。セーヌ川の河岸は観光船が忙しく往来して、絵葉書の方がロマンチックだったし、テムズ川はヒースロー空港に向かって旋回する飛行機の窓から見たのが一番良かったな。あのときはバッキンガム宮殿も国会議事堂もビッグベンも見えて、ひと回りでロンドン観光ができてしまった感じ。ダブリンのリフィー川は何ともいえない重々しさが印象的だったし、シカゴ川は洗練された感じで、日曜の朝ミシガン湖へ出るヨットを通すために、次々と開閉する跳ね橋がまるでバレエのようだった。ニューアークから見るハドソン川はいかにもニューヨーク。イーストリバーはブルックリン橋を歩いて渡った。去年、宮崎でホテルの窓から眺めた大淀川はゆったりとしてすばらしかったな。十数年前に北上のホテルでひとり眺めていた北上川もほっとするような雰囲気の川だった。大津波はどこまであの北上川を遡ったんだろう。

日本で3番目か4番目に長くて、2番目か3番目に広い流域を持つ石狩川はいうまでもなく北海道の「母なる川」。生まれ故郷の釧路川はワタシの母なる川。霧の中に幣舞橋がおぼろげに浮かび、秋には船体を黄色に塗ったさんま漁船が終結し、冬になると河口に砕けた流氷が流れ着いたものだった。BC州の「母なる川」フレーザー川は日本で一番長い川よりも4倍近くも長い。大陸と島の地形の違いだけど、それでもカナダではやっと10番目の長さ。我が家からずっと坂道を下りて行くと、そのフレーザー川の北支流に行き着く。昔は春になるとよく氾濫したそうな。ずっと郊外のチリワックで、眼下にフレーザー川を見渡せる山の斜面の1000坪ちょっとの造成地をもう少しで買うところだったのは、もう十何年も前の昔の話だなあ。眺めて暮らすなら、やっぱり川よりは海の向こうの水平線の方がいい。

本棚のバインダーを整理していたら、10年くらい前にコンサートでシューマンの交響曲「ライン」を聴きながら、ふと浮かんだのを書きとめた「The River」という詩があった。シビアに推敲しないと詩とは言えないような駄作だけど、ひたすら流れてゆく川のイメージ・・・。

The river runs forward forever,
Only forward, never looking back.
Unconcerned of your woes,
Or dreams, or nightmare,
The river just flows past you.
Where does the river comes from, you ask?
See, way over there,
Beyond cities, and tall forests,
Up the mountain till you touch the sky,
There, you see, the majestic trees,
In a tryst with the gentle spring rain.
From their dreamy rapture,
Deep inside a mysterious veil,
The river is born, drop by drop,
On the bed of soft green moss.
Sensuously, and secretly,
The river comes running down,
And down the mountain as it grows.
Someday, the river will come to the ocean
Where it will rest, in a slumber of the blue.
Someday, the river will rise to the sky,
Into the rain cloud, drifting over
To the top of the mountain,
For a misty tryst with tall trees.
You see, the river never runs backward.

さて、ノスタルジックな気分に浸っていないで仕事をしなきゃ。行く川の流れは何とかというから。

信号無視は自己責任でお願いね

5月9日。月曜日。まだ肌寒い。季節はずれの低温と日照不足の落ち着かない天気はまだしばらく続くと言う予報。水曜日と木曜日は「3月の雨の日」のような感じだそうな。でも、夏は「そのうちに来ます。いつもそうですよ」と、環境省のお天気おじさん。まあ、そうだけど・・・。

今日はシアトルまでちょっと長いドライブに出るトラックを整備してもらいに行く日。カレシがトラックを運転して、その後ろをワタシがエコーを運転してついていく。トヨタのディーラーはその気になれば歩いて帰って来れる圏内なんだけど、結局はめんどうくさくて「送迎サービス」付き。こういうときには車が2台あるのは便利。エコーをガレージから出して、あれ、燃料ゲージがピカピカ。表示が最後の1本。うはっ、ガス欠寸前だ、これ。でも、行く先は近いし、たしか両側にガソリンスタンドがあるから、ま、いっか。

カレシが選ぶジグザグのルートに従って、誰にも間に割り込まれることなく順調に進んで、あとひと息のフレーザーストリートとマリンドライブの交差点で赤信号。信号が青に変わって、カレシが道路を渡り、後ろのワタシもそろりと発進したとたんに、どこかでホーンが鳴って、ひゃっ、目の前に人間が!!反射的にガシッとブレーキを踏んだら、その人間、大きな声で「Oh, sorry!」っと言って、何ごともなかったみたいに歩道へヒョイ。おいっ、何が「ソーリー」だ!こっちは心臓を吐いちゃうところだったよ!あんたをはねちゃったら、いくらワタシの責任じゃなくたって、一生のトラウマになっちゃうでしょうがっ!そうなったらどうしてくれんのよっ!

まあ、それでもまだ前方は青だったので、気を取り直して道路を渡り始めたけど、今度はバックミラーにオートバイの警官が!あああ、やだぁ、もう。止められるかと思って、ディーラーの駐車場に曲がったら、なぜか先を行っていたカレシはそのままどんどん走って行くじゃないの。おいおい、ワタシを見捨て逃げるの、アナタ?!リコンだよ、リコン!だけど、思案しつつ待っていてもオートバイの警官は現れない。さては、信号無視で横断した歩行者の方を追っかけて行ったんだな。もしも、もしも万一そのおバカやろうとぶつかってしまったとしても、ワタシのせいじゃないもんね。ワタシの左側から走って来たし、左側にはでっかい市役所のトラックが止まっていて、ワタシには見えなかった。たぶん、市役所のトラックの運転手が赤信号を無視して横断し始めたあんちゃんにホーンを鳴らしたんだろうな。なんせ、エコー(日本ではヴィッツ)はおチビだから、でかいトラックの横についたらもうひたすら前方しか見えないの・・・。

中途半端な場所でギアをニュートラルにして待っていてもカレシも警官も来ないもので、どうしたものかとしばし思案していたら、カレシのトラックがワタシの横を通り抜けて、整備工場の入り口の方へ。なんだよっ、今ごろっ!あわててエコーを駐車して、工場のオフィスに入ってみたら、カレシ曰く、「ついうっかり通り過ぎちゃった」。あ、そっ・・・。見たでしょ、おバカなやつ?「うん、信号が変わって交差点に出てから、走り出すやつがバックミラーに見えたけど、きみに動くなよって念力をかけるしかなかったの」。あ、そっ。まっ、Uターンして駆けつけるってわけにも行かないしね。それにしても、近頃の若い人は命を大事にしないねえ。んっとに、もうっ。

あのおバカと対照的なのが、今すごい話題になっている、冷え込む山の中で7週間も生き延びた女性。BC州内陸のペンティクトンから車でラスベガスを目指した50代のカップルがオレゴン州のコンビニの防犯カメラに写っていたのを最後に行方不明になったのが3月。遭難したのか、事件に遭ったのかもわからずにいたら、先週になってネバダ州のアイダホ州との境の山中で奥さんが見つかって救助された。何と7週間ぶりの生還。景色を楽しもうとハイウェイを出て田舎道を行くうちに、車が通らない林道に迷い込んだらしい。旦那さんはその後助けを求めに行ったまま行方不明。雪の残る厳しい環境だから、おそらく凍死したんだろうな。奥さんは持っていたナッツやクラッカーのミックスを1日。にひと口くらいずつ食べ、雪を食べて水分を摂り、日記をつけ、聖書を読んで救助を待っていた。発見されたときは餓死寸前だったそうだけど、病院では医者がびっくりするくらいの回復ぶりだそうな。

赤信号を無視して動き出そうとする車の前を駆け抜けようとする(駆け抜けられると思う)バカがいる一方で、人っ子ひとりいない荒野の中の動かない車の中で、救助されると信じて手持ちの食べ物をできる限り長持ちさせようと自律しながら生き延びる人がいる。何なんだろうな、この違い。年齢の違いによる経験値の差かな?生命観や自分の価値観の違いかな?単なる若さゆえの無謀なのかな?深く考えずに無謀な行為をするのはやっぱり自分を大事に思っていないということなのかな?まあ理由が何であれ、自分の命が大事に思えないなら好き勝手に粗末にしてくれてもかまわないけど、ワタシの心に一生癒えないトラウマを残すのだけはやめてよねっ!

文明の利器を妄信するなかれ

5月10日。火曜日。5月だけど、さっぱり初夏に近づくどころか春爛漫にもならない。それでも、人間はけっこう慣れてくるから不思議だな。もっとも、いつまで待っても来ない春に慣れているみたいなのはワタシだけかもしれないけど。ま、ゴールデンウィークのメーデーのデモによく雪が降るところで生まれ育ったもんで、「春」と言うものがなかなか来ないことにあまりイライラしないのかな。春だって夏だって、いつかはそれなりに来るもんだから・・・。

でも、やっぱり春の遅い北国の人間は我慢強さを鍛えられるのかもしれないな。自分の支配の及ばないことにイライラ、せかせかしないのが生き延びるための知恵なんだろうか。だけど、それは決し「長いものには巻かれる」ことではない。北方圏の人たちにとっては、やっと春が到来し、短い夏が来たときに、その後にやってくるあるかないかの秋と長い長い冬に備えるエネルギーを自分の手で生み出して蓄えることが生存本能に近いものなのかもしれない。それが都会化の波や社会・文化の画一化で失われて行くとしたら残念だけど、ま、それも時代の流れなんだろうし、そういう時代に生きる人たちの選択だろうから、それが幸福ならそれでいいけどね。

ラスベガスへ向かう途中でネバダ州の荒野で遭難して、奥さんだけが7週間(49日。)ぶりに救助されたカップルは、車に搭載してたGPSシステムの指示に従っていて、しだいに条件の悪い道に迷い込んで行ったらしいということだった。カップルが辿ったルートを車が発見された地点まで走ったレポーターは、でこぼこの泥んこ道を80キロも行く間に人家らしいものがまったく見えなかったと言っていた。助けを求めに行って行方不明になっている夫は携帯用GPSを持っていたそうで、北へ14キロほどのところに牧場があるにもかかわらず、おそらくGPSは数十キロも離れた「一番近い町」へ戻ることを示唆しただろうということだった。一見して理に適っているようだけど、そこはキカイのことだから、地図に線として描かれた道路は知っていても、途中の地形が険しくて、まだ深い雪が残っていることなどは知る由もない。

キカイを使うと便利だし、それを可能にする技術はすばらしい。だけど、やっぱりキカイはキカイ。プログラムされた思考、入力されたデータしか持ち合わせていないから、臨機応変に周りを見渡して、最善の手段を考えてはくれない。いや、考えてくれないんじゃなくて、人間に代わって考えられるようにはできていないということなんだと思う。GPSシステムに限って言えば、去年の夏にウィスラーに行ったときにデイヴィッドが持ってきたGPSを使ったんだけど、目的のホテルがU字型に大きく旋回する1本の道路に2度目に出たところにあるのに、最初に交差するところで「左折」を指図したおかげでワタシたちは迷子になってしまった。引き返してやり直しても「左へ曲がれ」と指示が出るのに、どこまで行ってもリゾートホテルらしい建物がない。結局は、同じところをぐるぐる走り回った挙句に、「左がだめなら右へ行ってみよう」ということになって、GPSの指図を無視して右折。半信半疑ながらそのままず~っと走っていたらホテルに行き着いた。

まあ、ウィスラーは都市化しているし、車の4人が船頭多くして何とやらのことわざよろしく、あっちでもない、こっちでもないと議論した挙句にGPSの意向を無視することで事なきを得たけど、もしも人里を遠く離れた山の中での「誤案内」だったら、不運なカップルのように遭難してしまう可能性だってあったと思う。人間と言うのは、便利さに慣れてしまうと自分で考えるのをやめて、つい「おまかせ」の方へ流れてしまいがちだけど、あのときのGPS騒動は「文明の利器」の過信や妄信ほどこわいものはないことを思い知らされたできごとだった。

だからといって、むやみやたらと自分の力を過信するのも危険であることには違いないな。札幌にいた二十代前半の頃、深夜のススキノで迷子になって、「北極星を見つければバス停の方向に出られる」と、夜空を見上げながら彷徨したことがあった。酔いでぼやけた視界いっぱいにネオンがまたたいているところで天文観測も何もあったもんじゃないけど、相当に酔っ払っていたし、世間知らずで怖いもの知らずの若さゆえに、たぶんかなり危険な状況だったんじゃないかと思う。考えたら、世間知らずもまたこわいし、何よりも、若さゆえ、それにまつわる経験不足ゆえの怖いもの知らずもかなりこわいということか。ま、あのときは何とか「遭難」せずに無事に家に帰り着いて、母から「嫁入り前の娘が何たること」と大目玉を食って無謀を反省したけど・・・。

やれやれ、うるさいったら

5月11日。水曜日。雨もよう。いい気持ちで寝ていたら、早く目が覚めたらしいカレシに起こされてしまった。何でも防犯アラームがピコピコと鳴り出して、起きてみたところへ警備会社から電話がかかってきて、停電のときのための予備電池の寿命で新しいのと交換すると言って来たとか。「明日の午前8時から12時の間に来るってさ」と。ふむ、午前8時ジャストかもしれないし、正午ぎりぎりかもしれない。ま、シアトルでは早起きしなければならないから、いいか。

とにかく今日は明日の出発前に仕上げて送らなければならない仕事が最優先中の最優先。これ、玉の日本語訳だから、むやみに話しかけないでね。英訳しているときは話しかけられてもうるさいだけなんだけど、なぜか日本語を書いているときに限ってカレシに話しかけられると、脳波がめちゃめちゃに乱れてしまうから困る・・・。

カレシが忘れかけていた国勢調査の回答をしながら、「生まれて最初に覚えて今でも理解できるのが母語だから、キミの分は日本語でいいよね」と聞いてくる。聞かなくたってわかってるだろうに。カレシ曰く、「重要な統計だから、念のため」。キーをカチャカチャやっていたと思ったら、今度は「家庭で日常使われている言語のところに日本語も入れとく?」と聞いてくる。そんな質問項目なんてあったっけ?我が家では日本語での会話なんてしないし、やろうとしたってできないでしょうが。日本語はワタシの頭の中で以外はまったく使われてないんだから、統計が狂っちゃうようなふざけたことを答えるんじゃないのっ!カレシ曰く、「そう言われれば、うちは英語だけだよな」。夫婦のコミュニケーションの言語はひとつありゃ十分でしょうが。んっとに、もう・・・。

間に合うのかどうか、心配しながらの追い込みの最中、「ポーチの電球が切れている」と報告。あのっ、電球くらい自分でさっさと取り替えられないのっ?「どこにあるかわからない」。あのっ、いったい何年この家に住んでるのっ?電球はもう10年も同じ引き出しに入ってるんだけどっ!「普通のやつ?渦巻きのやつ?」ううう、普通のやつっ!「何ワット?」うううう、60ワットっ!

たまたま明日は早起きしなければならなくなったから、仕事の方は何とか間に合って終わりそうだけど、怒るよ、ワタシ。ああっ、もうしらないってば! 

ではちょっと国境の向こうまで

5月12日。木曜日。午前8時に目覚まし。体内時計にしたらまだ夜中の感じで、頭がぼや~ん。だけど、久しぶりに朝の光。ポーチの温度計はほんとに季節はずれの5℃で、ちょっと湿っぽいけど、晴れて来そうな予感。いびきをかいているカレシを横目にさっさと身支度して、オフィスに「早朝出勤」。

大特急で残りの仕事をやっつけにかかる。きのうは結局午前3時頃までがんばったけど、まだかなりの量が残っている。9時過ぎにカレシが起き出して来たので、仕事を中断して早い早い朝食。すぐにオフィスに戻って仕事を続行。親指の関節が痛くてちょっとつらいんだけど、とにかくやるっきゃないから、カレシがバンバン送ってくる「かまってチャン」オーラを無視して、ひたすらキーを叩く。(なぜか旅行に出る前になると何となく不安でストレス状態になるのか、カレシは「かまってチャン」モード全開になる。今回は「すぐそこ」のシアトルまで行くだけなのに・・・。)

午前11時45分、警備会社のテクニシャンが来て予備電池の取替え。こっちは手を離せないもので、ここはカレシに対応してもらう。仕事をしながら、電池の取替えにしては時間がかかっているなと思っていたら、制御盤の中にある変圧装置が手で触れないくらい熱くなっていたんだそうな。原因は変圧器の容量不足で、過熱による故障停止の寸前だったとか。ドアの開閉とモーションの無線センサーが合計6つ、煙探知機が1ヵ所、おまけにワタシが持って歩いているリモートコントロールもあって、かなりの荷重になっていたらしい。容量の大きいのに取り替えてくれて、電池も取り替えてくれて、全部正常に作動することを確認して、作業終了。まあ、過熱しても故障するだけで火事になる危険はなかったらしいのでひと安心。留守の間に故障してアラームが鳴り出したりしたら、留守番約のシーラがびっくりしてしまうもんね。

午後1時半に仕事が完了。さっと見直しをして、さっと送信。やれやれ、間に合った。さて、まずは平常時間のランチを食べて、ぼちぼちと持って行くものをまとめるか。といっても、飛行機に乗るわけではないし、週末だけだから、小さいスースケースと後はそれぞれがバッグひとつずつ。適当に詰めて、トラックの座席の後ろに放り込むだけ。こういうときは陸続きでハイウェイ一直線というのは楽でいいな。国境まで約30分。アメリカ側に入ってシアトルまで約2時間。カナダ人はパスポートだけあればビザも指紋採取も不要でアメリカに入国できる。ただし、国境で込んでいればカナダ人も何国人もなくて、復活祭の連休のときのようにのろのろと3時間待ちなんてことになるんだけど、まあ、今日は平日だし、連休はまだ先だから、深夜になればすいすいと行けそうな気がするな。(それが待つのが嫌いなカレシの狙い目なんだけど・・・。)

さて、シャワーをして、洗髪して、ちょっとはメイクをして、夕食の支度をして・・・ああ、やることがいっぱい。腹ごしらえができたら、ちょっとそこまで、行ってきま~す。

世界で一番長い国境の北と南

5月15日。日曜日。シアトルでの会議がけっこう盛況で終わって、夕食後にハイウェイをぶっ飛ばして帰って来たら、午後11時前。まだ日曜日だった。狙った通り、連休でもないので、日曜の夜の国境はがら空き状態。ほぼ待たずに入国管理のブースへ。けっこう機嫌の良さそうな女性の入国管理官とやり取り:

 「お帰りなさい。いつカナダを出たの?」
 「木曜日の夜。」(これで48時間以上滞在で1人400ドルまで免税になる。)
 「どこへ行って来たの?」
 「シアトル。」
 「何をしに行ったの?」
 「翻訳会議。」
 「あら、翻訳をするの?」
 「いや、ワイフがそうで、ボクは隠居」
 「じゃ、お供で遊びに行けるのね。」
 「かばん運びもするよ。」
 (ワタシの方をのぞいて)「うらやましいわ~。」

和気藹々になったところで、持ち帰った買い物の金額や、定番の質問と応答があって、2分ほどでカナダ側に戻って、カレシが「お供で遊びだってさ」と大笑い。カナダの入国管理官はけっこう態度がていねいだし、ユーモアのセンスもあるのだ。

木曜日の夜は国境に着いたのが午後8時40分。電光掲示板に所要時間15分と出ていたけど、実際には10分もかからずにブースまで進んで、アメリカの入国管理官とやり取り:

 (パスポートを読み取り機に通しながら)「どこへ行くの?」
 「シアトルまで。」
 「何しに?」
 「会議があるので・・・。」
 「何の会議?」
 「翻訳者の会議。」
 「アメリカにはいつまで?」
 「日曜の夜まで。」
 (パスポートを返しながら)「OK。」

アメリカ側はきっとテロリストの入国を水際で防ごうと意気込んでカリカリしているところもあるんだろうけど、ぶっきらぼうで、淡々と台本を読むような質問のしかたが柔らかめのカナダ側と対照的でおもしろい。カナダ側で態度が柔らかいのは、ワタシたちが「カナダ市民」だという要素もあるのかな。カナダ永住者でも、たとえば日本のパスポートを持っていれば、日本から訪れた人と同じように指紋を取られるし、ESTA(電子渡航認証)を取得する必要もある(と思う)けど、カナダのパスポートを持っていれば指紋採取はないし、ESTAも不要という手続き上の違いはある。もしもワタシが日本国籍のままでいたら、手続き上の違いの他にも何か国境での対応に違いはあるんだろうか。(去年は空港でワタシのパスポートの真偽を疑っているような対応だったけど・・・。)

でもまあ、我が家はやっぱりいいよなあ。帰って手足を伸ばせるところがあることも旅の楽しさを増す要素だろうと思うし、特に管理された国境を越える旅の後は、「帰って手足を伸ばせるところ」があることのありがたさがよくわかるような気がする。さて、2人でゆっくりと風呂に入って、今夜は寝なれたベッドでぐ~っすりと寝ようっと。