リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年10月~その2

2012年10月21日 | 昔語り(2006~2013)
最後は笑える非常識な注文

10月11日。木曜日。午前11時半起床。曇り空。平年並みだと14度は行くそうだけど、今にも10度を切りそうな寒さで、ちょっと無理。さて、今日は忙しい。ワタシは美辞麗句の仕事を片付けて、次の大きいやつに取り掛からなければならない。カレシの方は英語教室が午後の部と夜の部のダブルヘッダー。その間にまた両手にいっぱいのサヤインゲンを収穫して来て・・・あ~あ。

とにかく、カレシを送り出して、がんばる。納期は日曜日の夕方だから焦ることはないけど、すぐ次にかからなければ後がきついからから、とにかくあくびをかみ殺してがんばる。おかげで、カレシが帰ってくる頃には完了。すぐに夕食の支度をして、食べて、カレシを夜の部に送り出して、すぐに次の仕事。これも大きいけど、まあまあ興味が持てそうなテーマ。でも、分野が法律系から年次報告になったと思ったら、今度は環境科学になったり、医学系になったりと、くるくる変わるから、頭の切り替えがタイヘン。まあ、自ら選んでの「何でも屋」だから、注文が入ってくれば(特許と嫌いなIT以外は)「何でも」やるっきゃない。おかげでひとつ終わって次の仕事に没頭する頃には、よぽどおもしろいと思えるテーマでもない限り、せっせとググり回って学んだことを忘れてしまう。忘れなければそのうち大学勉強に匹敵するくらいの教養を身に付けられるかもしれないのに、もったいないなあ。それにしても、もしもノーベル賞に「雑学賞」なんてのがあったら、ワタシ、もらえるかも・・・なんて。

そうこうしているうちに、とうとう期限の重なる引き合いが来てしまって、もっとおもしろそうな医学系の内容なので、3分くらい沈思黙考してみたけど、初めっからできない相談ということで、止むを得ず見送り。まあ、予定が少しきつくなる程度なら、ちょっと無理してでも引き受けてしまうところなんだけど、さすがにこれは2日くらい連続して徹夜しないとまずできそうにないから、その「無理」も無理な話。魔の10月ではあるけど、ここんところの仕事の洪水、どうなってるんだろうなあ。もしかしたら、去年の夏休みを自粛した分もまとめて徹底的にリフレッシュして来たもので、やる気満々・・・なんてこと、あり得る? 

まあ、次の仕事の要領がわかったところで、同業者のメーリングリストを見たら、「最も呆れた仕事の引き合い」のスレッドで盛り上がっている。まず、「2000ページの英語原稿を2日で日本語訳」。マジっすか、それ?投稿主曰く、「読むだけだって2日じゃ無理」。それを日本語に訳して打ち出すのにどれくらい時間がかかると思ってるんだろうな。キーボードのキーはこっぱ微塵で、手の指は全部根元まで磨り減ってしまいそう(労働災害だ)。次に「文字数が3万近くある論文を2日で英訳」。どんなにしゃかりきになっても5日で終わるか終わらないかだな。投稿主曰く、「そっちが1年かかって書いたものを2日で訳せるわけがない」。まあ、できると思っている人がいるから、椅子から笑い転げるような引き合いがあるわけだけど。「10万文字の契約書を10日で」。投稿主、「どっちみち不可能だから、1文字40円と吹っかけてみようかと思った」と。10万文字なら400万円!1年の残りを南国のビーチに寝そべってのんびり暮らせるなあ。

「1000ページの小説を2ヵ月で訳して、翻訳料35万円」。ええ?冗談がきついなあ。「30ページの論文を明日の朝までに(もう夜なのに)」。できるわけがないと返事をしたら、「質なんか気にしなくていいから、やれるでしょ?」やれないよ。4年後、同じ人から突然「250ページを1週間で」。投稿主は黙って電話をガチャっ。翻訳会社のコーディネータというのは相当に神経のいる仕事で、百戦錬磨の人が多いから、ある程度はったりをかましていることが多いし、ちゃんとした編集機能のある会社なら何人かに発注して集団作業でやるもんだけど、個人の依頼客の場合は、元々翻訳のプロセスどころか翻訳とは何かもよくわかっていなくて、原稿を翻訳者の口に突っ込めば下から翻訳がするすると出て来ると思っているようなところもある。もっとも、「○○語わかるから、翻訳するよ」という肝っ玉の据わったなんちゃって翻訳者もいるわけで、無知ほど怖いものはないという話かな。

ワタシにも呆れたエピソードがあるな。ロッキーの向こうのカルガリーでコンピュータ用の(写真を見ると何とも安っぽい)KD家具を作っているという会社。日本へ輸出したいので説明書その他を日本語訳して欲しいと、センテンスをひとつサンプルにファックスして来た。(インターネットもメールもなくて、ファックスがライフラインだった原始時代の話。)まあ、語数が少ないから、ご祝儀で無料ということにしたら、何日か経ってまたセンテンスひとつ。ささっと訳してファックスで送り返したら、次の週にまたセンテンスひとつ。おい、こらっ。そこで、請求は月締めにするか、一定額ごとにするか、どっちがいいかと聞いたら、その会社はそれっきりなしのつぶて。ふん、こっちだって商売でやってんだから、なめるんじゃねぇよっと(心の中で)快哉を叫んだけど、世の中、いろんな商売人がいるもんだ。20年も前のちょっとしたことなのに未だに思い出しては快哉を叫んでしまうけど、あの会社、その後どうなったかなあ。

笑って気分が切り替わったところで、さあ、仕事、しごと、シゴト、お仕事・・・。

死ぬんじゃないよ

10月14日。日曜日。金曜日あたりから降り出した雨。まるで記録的に雨が降らなかった夏の埋め合せを一気にやろうとしているかのような降りよう。まあ、10月は「雨期」の始まり。昔、バンクーバーっ子はこの時期に雨が降り始めると「マザーネイチャーは止み時を知らないからなあ」とどんより暗い空を見上げて言っていたけどな。

起床は午後1時。金曜日と土曜日の2日はずっぽりと仕事に埋没。おかげですご~く眠い。でも眠いのに寝つけないから、目が覚めるのも遅くなる。それでも、がむしゃらに3日分ちょっとの量を片付けたので、後はそれほど無理しなくても期限に間に合う見通しができた。内容としては難しくはないんだけど、ぞろぞろ出て来るある発展途上国の法律やら制度の名前を、それも英語で調べないことには埒が明かない。そのリサーチに半日くらい時間を取られたけど、元々英語のアルファベットとは違う文字を使う国だからと悲観的なことを考えていたら、法律の英訳版が次々と出て来たからびっくり。しかも決してあやふやな英語ではないからすごい。ああ、助かった。

パキスタンでタリバンに「暗殺」されそうになった14歳の少女はわずかずつではあるけど良い方に向かっているというニュース。「私は教育を受けたいだけなの。私は怖くない」と、ひとり果敢にタリバンに立ち向かい、タリバンの頑ななシャリアに逆らって「西洋文化」を広めようとしたとして狙い撃ちされた。大人だってなかなかそんな勇気は出せない。思想を異にする者を嫌ってその殺戮を厭わない野蛮人の群れに素手で立ち向かうことは、宇宙の縁から飛び降りるよりも勇気のいることだと思う。それにしても、タリバンはどうしてそこまで暴力的に女性の教育を阻止しようとするのか。真の教育を受けていない無知な人間だからこそ、表向きは威風を繕っていても、内心では未知の世界に怯えているのかもしれないな。弱いものは常に自分よりも弱い(と思う)ものを標的にするから、「弱い」女性を支配することで自分たちの臆病さを打ち消しているんだろう。だからこそ、自分たちが怖れるもの(知識)を女性に与えたくないんだと思う。マララ。なんというすばらしい響きの名前なんだろう。生きて欲しい。人が人として生きる権利のために、何としてでも生きて欲しい。

先週、近郊で自殺した15歳の少女が死の前にユーチューブに投稿したビデオで、今ネットでの「いじめ」の問題が大きくクローズアップされている。少女の名前はアマンダ・トッド。ビデオでは、SNSで相手を信じてしたことがきっかけで何年も学校やSNSでいじめを受け、転校してもいじめが追って来て、自殺未遂をしてさらにいじめを呼んでしまった経過を書き綴ったカードをカメラに向けて黙々とめくっていて、顔は見えない。それだけに、追い詰められた絶望感が伝わって来て、ひとりの人間を自死に追い込む悪魔のような行為にワタシの心の方が怒りで破裂してしまいそうになる。せめてもの救いは警察が20人専従の特別班を置いて、捜査に乗り出したことか。大津で自殺した中学生は大人たちの醜い思惑によっていじめを否定され、もう少しでまるで臭いもののように蓋をされるところだった。

アマンダを追悼するフェイスブックのページにも、心ない暴言が次々に書き込まれているらしい。インターネットに掲示板やSNSが普及して、些細な失敗や失言をとことんまで追い詰めるようになって、いったい人間はどうなってしまったんだろう。弱いものがサイバー空間という砦を得たために、プライバシーを盾に、「匿名」という武器を振りかざして、他の人間を攻撃するようになってしまったのかな。それとも、人間は元からそういう魔性を持っていて、たまたま匿名空間が出現したことで大胆になった内弁慶たちがそれを発露し始めたということなのかな。それとも、インターネットをそういう妖怪が徘徊する世界にしたのは、後先を考えることなくひたすら「もっと便利に」だけを追求して来た人間なのかな。それとも、後先を考えずにひたすらその「もっと便利」を要求して来た方の人間なのかな。

便利が便利を生み、その便利さに慣れ切った人間がさらに一番めんどうくさいこと(自分で考えること)から解放してくれる究極の便利さを求めて来た結果なのかもしれないけど、何であれ、人類が気の遠くなるような時間をかけて進化させてきた「考えること」がやがて自分たちの衰退につながるとしたら皮肉な話。でも、人間、「自分で」考えるのをやめたら結果的にそうなって行くんじゃないかと思う。もしもそうなったら、地球が「猿の惑星」になるのかどうかはわからないけど、今を生きているキミたち、まともに考えることのできない無知な人間の利益のために死ぬのはなしにしようよ。

わかるはずなのにわからないのもストレス

10月16日。火曜日。起床正午。雨、ひと休み。気温は12度。何となく眠くて、何となくかったるい気分だけど、今日は大丈夫らしいから、ちょっと安心。

大きな仕事がのるかそるかの大詰めに差しかかって、具合が悪いなんて言っていられないときに限ってちょっとした故障が起きるのは、やっぱりストレス信号なのかな。きのうはもろに胃腸系。目が覚めたときから胸焼け。そしていわゆる腹下り。しまいには胃の辺りがチクチク。困ったなあ。寝込んでなんかいられないってのに。そこが自営業のつらいところで、そもそも「病休」なんてものがないから、椅子に座っていられる限りはキーを叩くしかない。たしかに、誰かに「働けっ!」と強制されるわけではないんだけど、納期が迫っているときは、やっぱり「やるっきゃないじゃん」と自分に鞭打ってしまうんだなあ、これが。

でも、今回はどうも寝冷えではなさそうだと思うんだけど、何なんだろう。疲れているのかなあ。たしかに疲れた気分ではあるけど、少々くたびれたくらいでは音を上げないのがワタシの胃袋。別にヘンなものを食べたわけでもないし、飲みすぎているわけでもないし、何なんだろうな。消化不良かなあ。魚のような柔らかいものばかり食べていたら、胃腸に怠け癖がついてしまったということかな。でも、繊維の摂り過ぎは消化不良の原因になるという話。この前はたけのこを食べ過ぎたせいじゃないかと思うけど、今度は何なんだろう。献立のメモを見ると、忙しくなるほど手抜きがひどくなって、野菜や玄米のような穀類の量が増えている感じがする。そこへ生野菜のサラダで仕上げをしたら、おなかは中から冷えるし、消化も良くないということか。でも、ワタシは生野菜はそんなにたくさんは食べないんだけど。困ったね、まったく。

でもまあ、今日は起きてみて調子はまあまあだったから、大詰めの大詰めのところまでこぎつけた仕事をやっつけにかかる。これもたぶんタブを使う人、スペースを使う人、オートナンバリングを使う人と、複数の人が書いたらいけど、それでも見かけだけはきっちりと体裁を整えてあるからすごい。でも、こっちは書式を統一して体裁を整えるのがひと仕事。おまけに、いかにもお役所文学的ではあるけど、とにかく日本語がヘン。ほんとに日本語ネイティブが書いたのかと疑ってしまう。ワタシの日本語だって十分にヘンなのは承知しているけど、ここまでひどくはないと思って安心してしまうくらいにヘン。どうみても現地語から訳して挿入したとしか思えない部分もあって、こっちはもっとヘン。わかりまへんなあ。ひょっとして上司がゆとり教育世代の新人に「おい、おまえが書け」と丸投げしたとか・・・は、まさか、ないだろうと思うけど、そのくらいにヘン。

時計を横目で睨みながら、何が言いたいんだ!と毒づいているうちに、またみずおちのあたりが何となくチクチクして来た。もしかしたら、この3回は読まないとわからない日本語がストレスの根源になっていたりして・・・。たしかに、小町なんかではよく、国際結婚で海外在住という人たちが、毎日が外国語という生活で自分が言いたいことを言いたいように言えないもどかしさがストレスになって辛いと嘆いている投稿を見るけど、もしかしたらその裏返しで、自分にとって外国語でないはずの言語で書いてあることがすんなりわからないというのもすごくもどかしくて、同じようにストレスが溜まるということかもしれないな。

でも、もうあと少しだというところまで来たんだから、あしたの夕方までの辛抱なんだから、とにもかくにもやるっきゃないんだから、がんばれよっ、ワタシ。

自分磨きもやり過ぎると地金が見える

10月17日。水曜日。起床は正午。気温は10度。胃腸系はいつもの元気に戻った感じ。ずっと格闘して来た仕事は今日が期限だから、終わればちょっとだけ「休みモード」になれる。そう思っただけで、やる気満々になるゲンキンなワタシ。朝食後はホームストレッチで一直線にゴールを目指すランナーの気分で快走。2時間で、1時間の余裕を残してゴールイン。やったぁ。ふぅ、はぁ・・・。

ちょっとだけど手間をかけた夕食をして、「休み」。仕事のことを考えなくていいのは楽だなあ。と言ってもすぐには頭が切り替わらないから、例によってぶらりと小町横町の散歩。ふむ、相も変わらずの風景だけど、この「女子力」ってのはいったい何なんだ?英語ならgirl powerか(と、まだ翻訳モード・・・)。だけど、Girl powerというのは、オックスフォード英語辞典によると「女性が行使する力。特に少女や若い女性の野心、自己主張、個人主義に示される気骨のある態度」。ふ~ん。でも、トピックの趣旨や書き込みを読む限りでは、「女子力」というのは「girl power」とはまったく似て非なるものらしい。そこでちょこっと調べてみたら、「女性のメイク、ファッション、センスに対するモチベーション、レベルなどを指す言葉」という定義が出てきて、(最近やたらとおバカになりつつある)あるオンライン辞書で調べて見たらそれをストレートに英訳したような定義が出てきた。ワタシがおば(あ)さんだからかもしれないけど、よくわからない・・・。

要は、30代に入った独身女性が、自分磨きや女子力UP(アルファベットなのがミソ?)に努力し、英会話をやったりして内面も磨いているのにさっぱり相手が見つからず、片や特に美人でもなく、メイクもせず、ファッションセンスもなく、気も利かない同僚が努力しないで爽やかなイケメンと結婚できているのはどうしてなんだ、つまり、自分はこんなに努力していても報われないのに、「努力せずに」いいとこ取りする人が許せない、努力が虚しいという愚痴で、あっという間に投稿本数の限度に達しそうなくらいの賑わいを見せている。男性もけっこう参加して「女の言う女子力は男から見たら魅力がない」。結婚相手を引き寄せるために磨くのが女子力であり、「自分」であり、「内面」なんだろうに、ここでもミスマッチか・・・。

昔から「玉磨かざれば光なし」と言うから、自分が魅力的にきらきら光るためにはせっせと磨かなければ、ということなんだろうけど、どれだけ磨けばどのくらい光るかは原石である「玉」の質によるんじゃないのかなあ。もちろん、石炭だってしっかり磨けばみごとな黒光りになるし、道端の石っころだって磨いてみたら実はすばらしい珠玉だったということもあろうだろうな。ダイアモンドなんか最初からけっこう光っているけど、磨けば磨くほど中(内面)の不純物が際立ってしまう場合だってあると思う。玉によっては無理して磨かない方がいい場合だってあり得るだろうな。さらには、何を磨き粉にして、どのように磨くかによっても、玉の光ぐあいが違ってくると思うんだけどな。ワタシなんか、磨いているんだかいないんだか、いい加減で自分でもわからないから、まだら模様の蛇紋石みたいになっているかもしれない。(貴蛇紋というのもあるらしいけど・・・。)

磨き粉となるものが英会話であれ、ワイン講座であれ、稽古事であれ、おしゃれな雑貨趣味であれ、グルメ趣味であれ、お嬢様的挙動であれ、マナー本で読んだ気遣いであれ、とにかく何であれ、磨くときの「手加減」と言うものもかなり重要じゃないかという気がする。内面磨きというのはたぶん「教養」と関係があるんだろうと思うけど、あまり力を入れて磨くと外面まで穴が開いてしまうことだってありえると思うな。同様に外面を磨くのだって、芯までしっかりと地金であれば、磨けば磨くほど光るだろうけど、もしも表面がめっきだったら、あんまり磨くと地金が露出して目も当てられないことになりかねない。(つまり、メイクやファッションなどで決まるらしい「女子力」とやらがその「めっき」なのかもしれない。)でも、めっき層の厚さを過信して、剥げるまで磨いてしまう人もいるだろうな。まあ、めっきし直す手もあるけど、何度もそれをやったらコスト高・・・。

世の中は玉石混交。自分磨きをするなら、まず自分の「品位」(鉱石のグレードのこと)を確認してから、相応の磨き粉やテクニックで、ていねいにていねいに磨いてやるのが無難かもしれないな。もしかしたら、幸せを呼ぶパワーストーンになるということもあり得ないとは言い切れないし・・・。

たまには主婦業もやらないと

10月18日。木曜日。目覚ましで早起きの午前11時半。仕事がひとつ終わって気を緩めていいはずだけど、今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから、残念ながらゆっくり寝ているわけには行かない。何となくばたばたと身支度をして、朝食をして、カレシを送り出す。

カレシが勤めていた頃には毎日がこんな感じだったな。どんなに遅くまで仕事や家事をしても、毎朝午前6時に起きてカレシのお弁当作り。日本のお弁当箱に(冷凍食品を温めたものの多かったけど)けっこういろいろと工夫して詰めていたっけな。カレシを玄関先で見送ってから、ひとりで朝食をして、すぐに仕事。ひとりでランチを食べて、また仕事。カレシが帰って来たら夕食を作って、食べて、また仕事。カレシに叱られて真夜中に半泣きでカレシのシャツをプレスしていたり・・・。1990年代は毎日がそんな、何か自分にかまっている暇がないという感じだったような気がするなあ。

今日は雨。降り出したらいつ止むかわからないのがバンクーバーの雨期。かなり寒くなって来たから、今日はまず冬用のフランネルのシーツに取替えて、夏のシーツを洗濯。(新しい洗濯機を買わなきゃ・・・と、もう何年もそう言っている感じ。)洗濯機が回っている間、ファイルのキャビネットから老齢年金の申請書に添付する書類を集める作業。説明書をじっくりと読んでみたら、書類はService Canadaが(無料で)コピーして証明するから、窓口に出向けない場合に「適格者」に証明してもらいなさいと書いてある。ワタシの場合に必要なのは市民権証書、永住権の認可書、永住ビザのスタンプがある日本のパスポート。この永住ビザの日付が1977年4月12日で、あと2ヵ月半遅かったら改正法の施行に引っかかって、老齢年金は満額支給にならなかったから、ラッキーなワタシ。市民権の証書は1980年9月17日付。つまり、64年の人生の半分以上をカナダ人として生きて来たということだな。まあ、いろいろあったとしても、カナダ人としては良い人生を送れたと思うから後悔はないけど・・・。

洗い上がったシーツを乾燥機に押し込んで、今度はレンジ換気扇のフィルターを洗う仕事。仕事と言っても洗うのは食洗機なんだけど、これだって家事のうち。カレシが帰って来たら、もう夕食のしたくを考える時間。手をかけていて食後のコーヒーを飲む時間がなくなるといけないから、木曜日は簡単料理の日。サヤインゲンをエリンギと一緒にきんぴら風に炒めて、やれやれこれで最後と思っていたら、庭に出ていたカレシがまたビニール袋いっぱいに収穫して来た。トレリスを覆っていた葉っぱはもうほとんどが黄色くなっているのに、まだぶら下がっていたのか。もう蒸しただけで食べるには固そうだから、調理法を考えないとね。とにかく、午後5時過ぎには夕食。カレシを送り出したのは午後6時20分。すぐに前から約束していたラタトゥイユの仕込みにかかる。小さなスロークッカー2つにセットしてから、乾燥機をチェックして、まだ少し生乾きのシーツをさらに乾燥機にかける。ふはあ、家事ってのもけっこうタイヘンだなあ。

やっとオフィスに下りて、メールをチェックして飛び込み仕事がないことを確認して、まずはニュースめぐり。神奈川県のどこかの駅に「バルーンアート」なるものを展示したら、市民から「いやらしい。卑猥だ」という苦情が出て撤去することになったという話。写真を見てみたら、なるほど、ブラジャーやTバック風の下着をつけた大きな風船がいくつもぶら下がっていて、その下を子供連れが歩いている。中には「下半身から生足2本」みたいなのもあって、制作者は「サンバ」をイメージしたんだそうだけど、サンバの「セクシー」さを強調しているようで、その人にとっての「サンバ」観が出ているような感じだな。まあ、アートはいろいろだし、見る人の印象もいろいろだから可も否もないけど、まっ、ワタシのテイストではないな。でも、女性の下着を覗きたがる盗撮ってもんが横行しているご時世だから、小さな下着をつけたお尻のような風船を見上げて、女性のスカートの中を覗いているようなヘンタイ気分になってしまったらどうするんだろうとよけいな心配をしてしまったけどな。

ひと通り世の中のあれこれを見渡したところで、老齢年金の申請書を書き始める。たいがいは先に送ったCPPの申請と同じなので、コピーを見ながら書き込んで、後は「連絡先」になってくれる人を探すだけ。これはワタシの居所がわからなくなったときに問い合わせるために必要なんだそうで、血縁や婚姻でつながっている人以外であることと書いてある。おひとり様になったり、認知症になったりしても、こういう角度から生きているかどうかをチェックしてくれるということかな。ということは割と若い人の方がいいのかな。ま、友だちにあたってみるか。とりあえず、申請書はほぼ完成で、あした書類のコピーを証明してもらえば、週末には郵便ポストに入れられるかな。何だかこれでかなりの肩の荷が下りそうな気がする。あんがい、一番のストレス源はこの年金申請だったのかもね。政府が一見おいしそうなにんじんを鼻先にぶら下げて「こっちの年金水は甘いぞ~」なんてそそのかすから悪いんだよね、うん。

さて、カレシが帰って来たら、ほっかほかのラタトゥイユでランチと行こう。ああ、主婦業ってほんとに何だかんだとやることが多いなあ・・・って、読み返してみたら、たいしてやってないみたいなんだけど。

お役所の窓口で

10月19日。金曜日。起床は正午ちょうど。何だか心地よく夢を見ていて、なぜかジョージ・ブッシュとビル・クリントンが2人して何やら楽しそうにやっているのにそばから茶々を入れていたような気がする。今日はいい天気。朝食を済ませてすぐに出かける準備。ひとりでさっさと行って来ようと思っていたら、カレシがイーストを買って来ないとパンを焼けないので、一緒に行くからついでにパスポート用の写真を撮って来ようと言うので、モールまで車で行って、そこから地下鉄でダウンタウンへ。

Service Canadaのオフィスは混んでいるかと思ったら、椅子に座って順番を待っているらしい人は4人くらい。あとはキオスクと言うコンピュータを置いた囲いのあるテーブルで何やら調べものをしている人が数人。順番待ちの番号札を出す機械があるのかなと見回したけど、よく見たら番号表示のスクリーンがない。うろうろしていたらカウンターから声がかかったので、え~と、老齢年金のことで書類の証明が必要なんですけどぉ~と言ったら、「アカウントを作りますから」と名前と自宅の郵便番号を聞いて入力して、「座っていてください」。退屈屋のカレシはいろんな言語のパンフレットをながめて、教材に使えそうなものを物色。そのうち、にこにこした女性がワタシの名前(ファーストネームだけ)を呼びながら近づいて来て、手を上げたら、「一番へどうぞ」。

一番端の囲いをしたテーブルが「一番」で、持って来た書類を見せてコピーと証明を頼んだら、「これは市民権の証書ではないので使えませんよ」。へえ?「写真入りの市民権カードはありませんか?」へえ、あれが「証書」だったのか。持ち歩かなくなって長いんだけど、家のどこかにあるのは確か。(5年ごとに更新する永住者カードと違って、市民権のカードは更新されないから、改名しなければ32年前の若かったワタシの写真が入ったカードを持っているはずだったんだけど。)「パスポートでもいいんですよ」。あっ、パスポートは1ヵ月前に期限が切れて、今日これから写真を撮る予定だったので、現物は持っていない。「どちらかを持って来てくださいね。今日はとりあえず移民の記録の方をコピーしましょう」。

ということで、移民許可の書類と日本のパスポートのページをコピーして謄本証明のスタンプとサイン。ついでに申請書の項目について質問して、月曜日に市民権カードを持って出直して来ると言ったら、「記入済みの申請書も持って来れば、こちらから直接送れますよ」だって。なるほど。郵送先は同じ省のビクトリアのオフィスだもんね。こういうお役所は自前のクーリアを持っていたりするから、郵便局より早くて確実かもしれないな。一般市民が相手の窓口業務取り扱いが専門のお役所だからか、終始ていねいで、いい感じだった。「バンクーバーの市役所なんかとは天と地の違いだなあ」と感心するカレシ。うん、市役所は態度の悪いのが多いよねえ・・・。

地下鉄の切符の有効期限に余裕があったので、Hマートによって少し買い物。カレシの提案でパスポート写真はモールの郵便局で取ってもらうことにして、期限切れ15分前に地下鉄駅へ。改札口はできていたけど、CompassというSuica式のカードは来年秋から使用開始と張り紙してあった。無賃乗車が横行してるってのに、悠長だなあ。モールの駅で降りて、エスカレーターで郵便局へ。私書箱に詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、まずワタシ、次にカレシと写真を撮ってもらって、出来上がるまでの間に荷物を車のトランクに入れて、セイフウェイでイースト(と、ついでにあれやこれや)を買い、カレシが車に運んでいる間に、ワタシは(途中でもう来年のカレンダーの店が出ているのを見つけて、道草してから)写真を受け取りに行き、今日の日程は終了。

帰って来て、証明してくれたコピーを見たら、あちゃ、永住許可の日付の肝心の「年」の部分が切れているではないの。なんだ、これではどっちにしても出直し。ま、市民権カードが見つかったし、申請書を仕上げて持って行って、まとめて送ってもらおう。65歳になる6ヵ月前の3日前。でも、かっきり「定年」で廃業するわけじゃないから、もしかしてプロセスが遅れても困らないんだけど、何かいつもぎりぎりだなあ・・・。

いじめの種はこうしてまかれるのか

10月20日。土曜日。雨の予報なのに、外はまぶしいくらいの天気。今日も正午起床。でも、ぐっすりよく眠れているし、胃腸の機能も快調。仕事の忙しい時期だし、やっぱり自分で気づかないうちにストレス度が高くなっていたのかな。ふむ、ワタシって、これでも意外と繊細な方なんだろうか・・・まさか。

友だちの許可が出たので、老齢年金の申請書を完成。振込先となる銀行口座の(線を引いて無効にした)小切手を添えて、あとは月曜日に書類ふたつの証明付きコピーを作ってもらって添付すれば、年金関連の処理はぜ~んぶ終了。処理が遅れなければ来年の5月の終わりには2つの年金が振り込まれる。ああ、やれやれ。まあ、年金が振り込まれるようになってもすぐに仕事をやめるつもりはないけど、共働きして来たこの35年間(特に子供を諦めた後は)、根本的にはひとりぼっちになっても路頭に迷って野垂れ死にしないためにがんばって来たんだと思うから、これから生きている限り何がしかのお金が黙っていても毎月入って来るというのは何となく心強い気がする。潮時だと思ったときにいつでも仕事をやめればいいわけで、「趣味優先、ときどき仕事、たまには家事」というのがいいな。

小町に胸の痛くなるような投稿があった。小学生の息子が机の上に「しね」と書いたメモが置いてあったそうで、その日はずっと涙ぐんで「死んだ方がいい、嫌われている」と言い続けていた、と。それを聞いて悲しくて、でも自分の対応に自信がないとアドバイスを求める母親。どこの誰が何を言い出すかわからない匿名掲示板なんかに相談している場合じゃないと思うんだけど。担任との面談で「元気にしている」と言われて、本人の話とのギャップにどっちが本当の状況なのかわからなくなる、息子の被害妄想なのか、と。我が子を疑うような反応はまずいよ、お母さん。親に疑われては、いじめられている子供は四面楚歌を感じて孤立してしまう。教師に「じゃれあっているだけだ」と言われて「そうですか」と引き下がって来るなんてお母さん、テレビのニュースを見てないの?新聞を読んでないの?

同じ小町には「咳のひどい後輩を出勤停止にして欲しい」と上司に頼んだけど、出社可能と言う診断書を持って来ているからと取り合ってくれないというトピック。何か病気を移されるのではないかと気が気でないし、子供が保育園で病気をもらってくるので看病休暇は使い果たしたので、残っている年休は年末の海外旅行のために取っておきたいから、後輩のために(病気をもらって)休んでいるわけにはいかない。(はて、この「大手企業」では病気になったら年休を取るの?)咳の主には(ばい菌が飛ばないように)マスクをさせ、(ばい菌が付かないように)共用の備品に触れないようにさせているらしい。怖い人だなあ。相手が後輩だから可能なんだろうけど、強要すればパワハラだな。とにかく、狭いところで一緒にいるのが苦痛だから。何といえば休んでくれるか知恵を貸してくれ、と。医者の診断書があるなら、伝染性の病気ではないと思うんだけど、上司に「そんなに気になるならキミが少し休んだらどうだ」と言われたと憤慨している様子。

ワタシは発作的にひどい咳が出る状態がもう30年も続いているけど、ストレス性の気管支過敏症のようなもので、いくら精密検査しても「肺は健康そのもの」と言われるだけで病名が付かない。迷惑がったのはカレシだけで、オフィスや公共の場で咳き込んでも消えて失せろみたいな扱いを受けたことはないな。知らない人がキャンディや咳止めをくれたりするし、イギリスのケンブリッジの銀行で発作が起きたときは、「救急車を呼べ」、「ソファに横になって」と大騒ぎになって、息がつけないでいたワタシの背中をさすってくれた人もいて、恐縮のしまくりだった。でも、この人のいるところで咳き込んだら「病気を移されるかもしれないから、国外退去させて」とか、「旅行が台なしになるから、搭乗禁止にして」ということになりかねないのかな。くわばら、くわばら。

このトピックは立ったばかりで、これからどんな「知恵」が出て来るか興味のあるところだけど、読んでいて、ああ、きっとこうして「いじめ」が始まり、エスカレートして行くんだなあと思って、背筋が寒くなった。もちろん、トピックの主はいじめだなんてとんでもない、病気を移されたら年末の海外旅行が台なしになってしまうから、咳の主を「出勤停止」にしろと上司に「お願い」しただけだと言うだろうけど、懲罰的な言葉を使う心理が怖い。大企業の就業規則に咳をして同僚を不快にさせた場合は「咳ハラで出勤停止処分」なんて規定があるとは思えないけどな。それでも「子供が保育園で病気をもらって来る」のは気にならないらしいから、人間の心理は不条理だな。そのうち、ばい菌が散るから口を利くな、自分の近くを通るなと言い出したり、はては自分が咳をして「病気が移った、死ぬかも」と妄想したりしなければいいけど。

ワタシが特に咳き込みが長く続いて、精密検査を受けていた頃、レントゲン撮影で肺に影があると主張したやぶ医者がいた。(呼吸器の専門医なのにタバコをもくもくと吸って、ガラガラにしわがれた声で「ほら、影が見えるだろっ」。)どういうつもりだったのか、何が何でもワタシを結核患者にしたかったらしいけど、そのときのワタシの専門主治医が「そりゃあ先入観を持って見れば、ないものも見えて来るよ」と一蹴してくれたおかげで事なきを得た。あのときは、かかりつけのドクターも「偏見に基づくハラスメント」と言って、いじめだと判断していた。このトピックの主は新型インフルエンザが騒がれたときも、咳をしている人やマスクをしていない人を見るたびに「危険な病原菌」として敵視しただろうと思うな。大人だから口には出さなくても、子供だったら「バイキン、来るな。しね」と言い立てたかもしれない。まさにいじめだと思うけど、もしもパラノイアなんだったら、あんがい休めという上司のアドバイスが一番的確なような・・・。