リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年10月~その1

2012年10月11日 | 昔語り(2006~2013)
婚活にも市場原理?

10月1日。月曜日。今日から10月だ、もう。ちょっと寒い。正午の気温は15度。でも、涼しさが増して来て、トマトもインゲンも熟すペースが落ちたからあまり文句も言えないかな。

カレシがガレージのドアの修理屋に電話。言われるままにいろいろテストしてみて、「では、1時半に行きます」ということに。そういうときになると落ち着かなくてうろうろするカレシは家とガレージの間を行ったり来たり。「壁のスイッチだとちゃんと動くようになった」。でも、リモートは?しばらくして「スイッチもリモートも、上がるけど、下がらない」。センサーの近くに何かゴミでも置いてない?しばらくして「材木がセンサーをブロックしていた」。やっぱり。ドアの内側の両側床上10センチくらいのところに障害物を感知してドアが下りないようにするセンサーがある。子供やペットがドアに挟まれる事故を防止する安全装置なんだけど、ガレージには古い材木がごちゃごちゃあって、それでトレリスなんかを作っていたカレシが動かしているうちにセンサーをブロックしてしまったんだろうな。さっそく電話してアポをキャンセル。カレシの「しつこくいじる」癖もこういうときには役に立つから捨てたもんじゃないな。

次の仕事にかかる前にと新聞サイトめぐりをしていたら、あるサイトで必ず出て来る(大手らしい)結婚相談所の男性向けの広告がちょっと変わっていて、まずベッドで何かを読んでいる男性(なぜか若いモデルだ)が「今日もひとりで寝るか・・・」とつぶやき、キャッチが「そろそろ再婚相手、探さない?」(2分間で「理想の相手」をチェックしてくれるとか)。ニュース記事をクリックしたら、男性が「あの子と結婚してたら独りメシなんて・・・」とわびしそうに手酌で一杯。何だか敗者復活戦みたいなイメージ。一方の女性向け広告は相変わらずきらきら目のお嬢さんたちがモデルで(キャリアウーマン風だったり、カワイイ奥サン風だったり)、しきりに「結婚力診断」とやらへのお誘い。何だかイメージがすごいミスマッチという感じで、どうりで結婚したいのにできないと嘆く人が多いはずだと思ってしまう。

小町横町にも婚活トピックが多いけど、中に『婚活は男が売り手市場』というのがあって、えっ?結婚て、売り買いの話だったの?男が売り手で女が買い手ということは、結婚は女が男を買う取引だってこと?で、それが今は売り手市場で、買い手の女には厳しい時代ってこと?で、読んでみると、若い盛りだったバブル時代は「三高」とかいって学歴、年収、容姿に厳しい条件を付けられて婚活に苦労したおじさんが、売れ残っていた同世代が今頃になってひと回り若いきれいな女性と結婚しているのがうらやましくて、焦らずに待てば良かったと悔やんでいる話。安定した年収が700万円くらいあれば容姿、外見に関係なく「好条件」で結婚できるらしい、と。若い嫁が来てくれるのが好条件?へえ・・・。

世界の国や地域によっては、「娘+ヤギ3頭ではどうだ?」とか、「ヤギ3頭で娘をくれないか?」とか、バザールの「売買交渉」みたいな結婚風習があったりするそうだけど、日本の結婚市場では、男性が「年収700万円だよ。ちょっととうが立っているけど、お買い得でっせ~」と呼び売りをして、女性が「少しとうが立っているけど、年収700万なら買ってもいいかなあ」と手を上げるのかな。だとしたら「買い手市場」のように見えるけど、まあどっちにしてもこの「700万円」とか「600万円」という年収が売り買いのいわば「損益分岐点」ということか。(ワタシもそれくらい稼ぐけど、男じゃないし、婚活してないからお呼びじゃないか。倍くらい稼いた頃は家事の時間がなくて「嫁サン欲しい~」と言ってたけど、男じゃないから見向きもされなかった。)でも、その年収レベルの独身男性はほんの数パーセント(たぶん大半が40代以上?)なのに対して、独身女性の3割以上が相手にその収入ラインを希望しているらしいから、すごいミスマッチ。どうりで結婚したいのにできないと嘆く女性が多いはずだ。タイヘンだなあ、ほんとに・・・。

ワタシなんか団塊の世代のど真ん中で、結婚対象年齢の男の絶対数が少ないのに、25歳で売れ残りのクリスマスケーキと言われた時代にいわゆる適齢期になったんだけど、女の子は結婚するものだと言われるとその逆の方向に行ってしまうのが天邪鬼なワタシ。結婚なんてたまたま出会って互いに好きになった人と一緒になろうということになったときにすればいいやと考えていたもので、出会いゼロの無菌環境なのにお見合いなどまっぴらゴメンとそっぽを向いていたら(というか父が縁談をことごとく阻止したと言う話だけど)、ほんとうに25歳を過ぎてしまったんだけど、宇宙の壮大なドラマに夢中で危機感も何もなかったな。かえって「賞味期限」という枷が取れてやっと自由になれたという気持だったように思う。

結果としてワタシは「たまたま出会って好きになってずっと一緒にいたいと思った」人と結婚できたわけだけど、今でもその結婚観は変わっていない。収入(将来の収益性)も容姿も性向も義家族もみんな結婚と共に双方に付いて来るもんだし、しかも5年、10年先のいろんな環境が「今」のままで変わらないと言う保証はゼロだし、究極的には結婚は「今」を基準にしてするもので、後は2人して学習と努力を重ねて行くしかないと思う。それでどうしてもやって行けないと判断したときに自分の「将来」を考えればいいんじゃないのかな。それにしても、ほんとに日本で今どきアラサーとかアラフォーとか言っている世代に生まれなくてラッキーだった。何たって市場原理主義的過ぎて、生きるのがすごくタイヘンそうだもの・・・。

仕事に邁進した後はひだの深い芝居でリセット

10月3日。水曜日。起床午前11時40分。今日も明るいけど、内陸部や北部からは雪の便り。まあ、BC州は広い(94万平方キロ以上)から、北の方はとっくに冬に入って不思議はないけど、ニュースで雪の便りを聞くと、ああ、もうそんな季節になったのかという気持になるな。最低気温が10度以下に下がるようになったので、トマトもサヤインゲンもペースが落ちて、キッチンの窓から見ると、サヤインゲンがまだかなりぶら下がっているけど、食べる方が追いついて来た感じで、やれやれ。でも、軽く5、6分蒸したのを口に入れるとキュッキュッと鳴るサヤインゲンもあともう束の間の楽しみだと思うと、ちょっとさびしいかも。

目が覚める直前まで何だかヘンな夢を見ていた。どこかのレストランのようなところで、でっかい楕円形のお皿にどんどん食べ物を盛り上げてくれる。フライドチキンみたいな塊もソースもいっしょくたで、それを見ながら、「あっちのレストランに持って行って食べてもいいかな」と聞いているワタシ。「聞いてみたら」というウェートレスさん。道路のようなところへ出て、そのレストランの方を見たら、カレシが外に立っていて、「早く、早く」と腕を振り回している。差し渡しが1メートルくらいありそうなず~っしり重いお皿を持って、運ぶのを手伝いに来てくれても良さそうなものを、とむくれるワタシ。ははあ、この週末はご馳走を食べる感謝祭の三連休。個々のところ、頭の中で何を作ろうか思案投げ首。だけど、あの大皿に山盛りの食べものはきっと週末に入って来る特大サイズの仕事の象徴だろうな。期限までの10日間、ぶっ通しでやってもきちきちだから気にかかっているんだと思う。仕事、ちょっと食傷気味だもん・・・。

仕事、きのうは気合を入れてがんばった。何しろ奇想天外の表作りに出くわしたおかげで作業量が倍になって、ちょっとばかり遅れ気味だけど、期限は変わらないから、結局3日分の仕事を1日半でやるはめになる。ま、社内文書だから楽と言えば楽で、きのう1日で2日分をやっつけて、今日は期限までの半日で残りを仕上げ。夜に芝居を見に行く予定だから、期限通りに送らないとね。とにかくがむしゃらに進んだけど、このへったくそなフォーマット、なんとかならないのかなあ。いつも思うんだけど、日本の人は神経質なくらいに見てくれの「良さ」を要求するのに、作る文書は書式設定がぐしゃぐしゃ。まあ、「書式設定」という観念からして理解していないのかもしれないけど、タブを使わずにいちいちスペースを入れるし、自動改行するのに、いちいち先回りしてを越して行末で強制改行するし、Wordに任せないで自分の手でやりたがる。この文書も原稿用紙な人が作ったのかな。あの「四百字詰め原稿用紙」はとっくに日本人の美感DNAに組み込まれていたりして・・・。

ぎりぎりに仕上げて、ささっと納品して、シャワーに飛び込んで、洗髪して濡れたままで食事のしたく。こういうときはパスタが早い。フリーザーにあった去年のカレシ製トマトソース。これをペースにして、ひき肉もどきで「ミートソース」を作る。コーヒーを飲み終わらないうちに、ささっと簡単にメークをして、ドレスパンツとおしゃれなTシャツに着替えて、ハイヒールを引っ張り出して、午後7時ちょっと前に出発。週中の水曜日だから劇場近くの駐車も楽々。今週末で打ち上げになるブルース・ノリス作の『Clybourne Park』。絶対に見たかった作品。風刺劇だから笑いどころがいっぱいだけど、舞台はシカゴの郊外の家の居間で、第1幕は1959年、第2幕は50年後の2009年。引越し準備をしている白人夫婦の家の買主はアフリカ系の家族ということで日本で言うなら「町内会」が大騒ぎ。やがて白人が次々と出て行ってアフリカ系のコミュニティになっていたのが、50年経ってその家を買った若い白人夫婦が大きな家に建て替えようとしてコミュニティとひと悶着。

昔はどうだった、ああだったと、現代アメリカの心の複雑なひだの中に滓のように溜まっていた歴史上の恨みつらみが一気に表面に噴き出して、何となく尖閣諸島を巡る中国と日本のやりとりにも通じるところがないでもない。第1幕では夫婦の息子が戦争で民間人に残虐行為を働いて訴追され、コミュニティに背を向けられて自殺した話が語られる。父親が穴を掘るといってシャベルを持っていたのは、その息子の遺書が入っている従軍トランクを庭に埋めるためだったことが第2幕になってわかる。1950年代だから朝鮮戦争。夫婦の息子が殺戮したとされる人たちは当然アジア人。ここに人種問題のもう1本の伏線がある。最後はフラッシュバックの場面になって、軍服姿の息子が現れて両親に宛てた遺書を書き始め、そこへ現れた母親が「これから良い方へ変わろうとしてると信じているの」と言う。アメリカでは大統領候補者の討論会。アフリカ系のオバマ大統領は「Change(変化)」を掲げて当選したけど、いったい何が変わったのか、あるいは変わらなかったのか。人種とは何か。コミュニティとは何か。偏見とは何か。表現や思想の自由とは何か。笑いが満載ながらも、胸にずしんと来て、すごく奥の深いドラマだった。

島国でなくても島国根性はある

10月4日。木曜日。午前11時30分に目覚ましが鳴って、反射的に時計の頭をポン。でも、カレシは今日から午後と夜の英語教室のダブルシフトだし、ワタシもきのうの今日でまた夕方が期限の仕事があるから、ちょっと眠いけど、また鳴り出す前に起きた。

朝食を食べながら、きのうの芝居の話。第2幕で「町内会」を代表するアフリカ系のカップルがコミュニティの変遷に触れて、「ほら、今はWhole Foodsがあるところ」というくだりがあった。そのひと言だけで、アフリカ系の流入で不動産が値下がりし、貧困や犯罪が横行した時期もあっただろうけど、都心への近さ故に地価が上昇して所得が比較的高い層に入れ替わり、さらに偏見を持たないと自負する「politically correct(政治的に正しい)」白人たちがファッショナブルな地域として注目し始めていることを描いているから、すごい。もっとも、スーパーストアやWhole Foodsが何であるかを知らなければ、ただのせりふでしかないけど、かなりの笑いが起こったのはピンと来た人たちがたくさんいたということだろうな。(ちなみに、スーパーストアはウォルマートのような安売り量販店、Whole Foodsはちょっとお高く止まった自然食品が主力の高級スーパー。)

昼のニュースはアメリカ大統領選のオバマ対ロムニーの討論でどっちが「勝った」かという話で持ちきり。どうやら第1回戦はロムニーに軍配が上がったらしい。オバマ大統領は大群衆に向かって演説するときは確かに格調が高いんだけど、カメラ(視聴者)に向かって語りかけるようなスピーチはあまり上手な方だとは言えないと思う。ワタシなんか聞いていてイライラしてしまうことがあるくらい。まあ、ワタシはいわゆる「活動家」タイプの人たちにありがちな上から目線的(英語的には「holier than thou」というのかな)な物言いが嫌いだから、偏見が入っているんだろうと思うけど。それにしても、アメリカの社会とそれを反映する政治って何だってこんなにも「島国」的なんだろうと思うことが多いな。

たしかにアメリカは広い国だし、経済力も軍事力もダントツなんだけど、何かと視野が狭いという点では日本や中国とどっこいどっこいじゃないかなと思う。日本は地理的に元から島国だから、それが一番落ち着くのかもしれない。一方の中国はアジア大陸に広がっていて、何千年もの昔から地続きの中東やヨーロッパと接触して来た国なんだけど、現代中国の指導者は共産党内部の熾烈な権力争いにあらゆる手段を尽くして勝ち抜いてきた人たちだと思うから、いつも内なる敵に視線が向いていておかしくはない。そのせいか、上にたったと思うとつけ上がって高飛車になるところがある。(まあ、バブル景気だった頃の日本もけっこうつけ上がっていたけど、日本の場合はたぶん周囲に「21世紀はキミたちの時代だよ~」と煽てられて舞い上がったんじゃないかと思うな。)

アメリカは、元々宗教的迫害を逃れて来た人たちが礎を築いた国だから、未だにどこか被害妄想的なところがある。つまり、アメリカにも中国や日本と同様の政治的、社会的「島国根性」があるということだけど、同時にそういう経緯があるからこそ世界の「虐げられた大衆」を受け入れる懐も持っている。かといって何でもOKというわけではなくて、どこかで同化しようとしない「異なるもの」を警戒し、あるいは嫌悪する人たちは多い。それでも、移民が持ち込んで来るさまざまな「異なるもの」と格闘し、ときには偽善を働き、ときには違いを超えて結束しすることで何とか「民主主義」を機能させて来ているのは、アメリカ人が建国以来培ってきた試行錯誤と失敗と嫌われることを恐れない精神的な強さだと思う。逆にそこがよけいに嫌われるところでもあるけど、嫉妬の要素があることをアメリカ人は百も承知なんじゃないかな。

まあ、今日はカレシを送り出して、仕事。午後の教室を終えて帰ってきたところで、急いで食事のしたく。夕食を食べさせて、飲む暇のないコーヒーを魔法瓶に入れて持たせて、夜の教室に送り出して、ひと息。カレシには、いろんな国から来た人たちに接して「目からうろこ」の経験ができ、その人たちがカナダに同化する自信をつけることがボランティア英語先生としての何にも代え難い報酬なんだそうな。今回はアジア系だけでなくて、南米や東欧出身の生徒もいる、ちょっとしたミニ国連らしい。あんがい、新聞の風刺漫画のように、世界の各国を擬人化して円卓会議を開いてみたら、とうに賞味期限の過ぎた国連総会なんかよりもよおもしろいかもしれないな。

子供の名づけは大変だ

10月5日。金曜日。またヘンな夢を見ていたけど、今日は覚えていない。まぶしいくらいのいい天気。晩夏というやつかな。予報では、この感謝祭の三連休の間ずっとこの好天が続いて、気温もあす、あさっては20度を超えるらしい。

朝食が終わるか終わらないかの時間にデイヴィッドから電話。(トロントは3時間先だから、もう夕方に近い時間だけど。)モントリオールから帰って来たばかりだそうで、新米おじいちゃんは孫息子のことを「she(彼女)」と言っては、ずっと娘2人の家族だったもんでまだ慣れてないんだよと困惑気味。フェイスブックの赤ちゃんの写真(ママのスーザンが生まれたときの顔にそっくり!)は名前が「エヴァン」になっているのはどうしてか聞いたら、出生届を出す間際に変えたという話。パパのモンティの希望で綴りにXの入った「ジャクソン」と決めていたのが、「やっぱり流行りの名前では将来・・・」とジジババたちが難色を示し、モンティが折れて、ミドルネームの「エヴァン」に変えることで決着したんだそうな。で、空欄?になったミドルネームは「ジャクソン」ではなくて「スペンサー」。「エヴァン」は「ジョン」に相当するウェールズの名前で、ジョンの愛称「ジャック」の息子を意味する「ジャクソン」をミドルネームにしたらちょっと格好がつかないし、苗字は母親の姓なので、「エヴァン・スペンサー・○○」は全体的に何となく格調のある響きになっていい。それにしても、スピード改名はギネス級じゃないのかなあ。

考えたら、ワタシも出生届の段階で「千尋」は人名漢字にないからダメと拒否されて、元の名前になった経緯がある。あのときにお役所が「千尋」を受け付けてくれていたら、カレシが熱を上げた「夜のお仕事」のオンナの名前が似すぎていたために、改名しなければ立ち直れないと思いつめるところまで落ち込むようなことはなかっただろうな。ま、ジョギングの最中にふと見上げた梢から舞い下りて来たような感じで思いついた今の名前に変えて、でも父が仮死状態で生まれて来て生き延びたワタシを表す意味で改めてつけてくれた名前はミドルネームとして残して、起死回生の心機一転。生まれ変わった自分の名付け親になるなんてめったにあることじゃないと思うけど、自分という人間に対して「親の責任」みたいなものを感じることがあるから不思議。What’s in a name? 名前が何だというのか。でも、子供の名づけはその一生を左右しかねないから、世界のどこでも、親たるものは責任重大でタイヘンだなあ。

さて、コーヒーを飲み終わって、今日はまず買い出し。ジュースもミルクも卵もないし、パンを焼こうにも必要な脱脂粉乳もないし、サラダ油もないし、野菜も(トマトとサヤインゲン以外)ないし、魚も少なくなって来た。そこへもってしてこの週末は感謝祭の三連休と来ているから、今日の午後のうちに行っておかないと混雑することは必至。今日はカートに山盛りの気配だから、一番大きなトートバッグを2つ持って行く。フリーザーの中は図体の大きな七面鳥がごろごろ。中に混じっている鴨もひと頃に比べたらずいぶん大きくなった。コーニッシュヘンも昔は1人で1羽の大きさだったのが、今では丸々とした1羽を2人で食べる。ニジマスも同じ。エビもホタテも「ジャンボ」という冠が付いている。はて「大きいことはいいこと」なのかどうなのかと考えつつも、カウンターで「ジャンボ」ホタテを包んでもらい、後はロックフィッシュ、ティラピア、マヒマヒ、ヒラメ(これがまた大きい)、ぶ厚いアヒまぐろ、ギンザケ半身、ケフィアに特大容器のヨーグルト。カレシは野菜と果物をど~っさり。在庫切れの必需品も調達して、金曜午後のラッシュが始まる前に帰って来た。

冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになって、これでしばらくは食いっぱぐれがないと安心したところで、考えただけで目が回りそうな大仕事の山の算段にかかる。これからほぼ2週間ぎっしり。まあ、豊穣と飢饉が背中合わせなのがフリーランス稼業で、仕事があるときは過労死しそうなくらい入って来るし、ないときは心配で青くなるほどない。経験則的には、10月はだいたいいつも仕事ラッシュの月のような気がするけどな。Work by any other name・・・仕事はどんな名前で呼んでも楽ちんにはならない。まっ、これがワタシの生業なんだから、腕をまくってやるっきゃないな。

大人でも寝冷えするとは知らなかった

10月6日。土曜日。夕べはやっとよく眠れた気がする。どうも寝付けなくて悶々としているうちに、ん、何だか寒い。おなかの調子もおかしい。寝ているのに何となく腰が痛い。シーツやブランケットを肩まで引っ張り上げてもまだ寒い。寒い。すっごく寒い。とうとう起き出して、夏中ベッドの近くに置いてあるひざ掛けサイズの毛布を引っ張り出して、ベッドの上にふわ~っとかけて寝たら、これが温かくて何ともいい気持ち。夏っぽさを感じさせるいい天気なんだけど、やっぱり10月は10月・・・。

ここしばらく朝起きるといつも何となく腰が痛いような感じで、仕事でオフィス用の椅子に座っていても、いつの間にか背中をそらせ気味にして腰を前に突き出しがちにしていることが多かった。運動をさぼっているうちに背筋が弱ってきたのかと思っていたけど、キッチンなどで立っているときはできるだけ背筋を伸ばして、おなかを引っ込めていたから、そこまで弱っているとは思えない。だけど、腰が痛いとドクターに言ったら内科の病気もあり得ると言われ、やがて卵巣嚢腫が神経を圧迫していたことがわかり、それが(ちょうど今のようなしっちゃめっちゃか仕事が忙しいときに)破れて、3ヵ月後の内視鏡手術で手の付けられない子宮内膜症が発覚してダブルヘッダーの手術になった苦い経験があるから、痛いのは腰だけど、ひょっとしてまた何か?そこへして、きのうは買出しの最中におなかが痛くなり、がまんにがまんして家に帰り着くなりトイレに飛び込んだもので、よけいに「ひょっとしたら?」

後でちょこっと調べてみたら、腰痛と腹痛はつながっていることが多いらしいとわかった。どっちが問題なのかということになると、「ニワトリと卵」の話になるらしいけど、人間を取り巻く世界と同じで、人間の体内の世界もいろんなものがけっこう複雑に絡み合っているんだと納得。でも、実際のところ、どっちが先なんだろうな。野菜だの何だのと、あんがい食物繊維の摂り過ぎになっているのかな。でも、ベジタリアンを称する人たちの食事はもろに野菜と穀類の食事だよなあ。食物繊維の摂取量なんかすごいと思うけど、それで問題ないのかなあ。もしかしたら誰にも言わないだけで、ほんとはおなかの調子を整えるのに困っているんじゃないのかなあ。ベジタリアンと暮らしたことがないからわからない。そんなことよりも、いったい何なんだ、この不調は?

毛布をかけてしばらくしたら、おなかのあたりがほかほかして来て、そのうちに腰のだるい痛みまで和らいで来た。そして、気持ち良くなっているうちに眠りに落ちて、かなりぐっすり眠ったらしい。ここんところ、日中はけっこう気温が上がるけど、夜は急激に冷えて、最低気温はひと桁まで下がる。その気温が一番低くなる明け方に近い時間がワタシたちが深い眠りに落ちる頃ということで、寝室のサーモスタットの設定温度は20度くらい。我が家は冬は保温性の高い純毛の毛布に替えるだけで、日本のような掛け布団は使っていないし、今はまだ夏物のシーツと秋用の毛布1枚。何のことはない、おなかのあたりが冷えて眠れなかったんだろうな。腰が痛いのと、おなかを壊した原因はたぶん「寝冷え」。寝冷えと言うのは寝相の悪い子供の問題だと思っていたんだけどなあ。なるほど、寝相が悪くなくても、いい年の大人でもおなかが冷えれば「寝冷え」をするということか。

おかげで今日は何となく眠いけど元気はいい。腰も痛くないし、おなかの調子も普通。でも、しばらく仕事漬け状態だから、「急病でダウン」なんてことになったら困る。卵巣嚢腫が漏れ出したときはまさに青天の霹靂で、そのまま緊急入院になってカレシに仕事キャンセルの電話を入れてもらわなければならなかった。(おひとり様だったらどうすればいいんだろうな。)うん、今夜は初めからおなかのところにしっかりと半毛布をかけて寝ることにしようっと。

感謝祭の前夜祭ということで

10月7日。日曜日。今日もいい天気で、目が覚めた頃にはちょっと汗をかいていたけど、腰は痛くないし、おなかの調子も正常だし、暖かく、ぐっすりと眠れるのはいいもんだ。

三連休だけど、今日も仕事、しごと、シゴト、お仕事。日本でも三連休ということで、同業仲間のメーリングリストでまたぞろ議論が沸騰するかと言うときに誰かが「みんな、ウィークエンドじゃないの」と茶々を入れ、別の誰かが「ウィークエンドって、ティーンの頃には知っていたけど、もう何のことか忘れたな」と言えば、最年長の大先輩が「忘れたなんてことはないだろ。クライアントが月曜日朝一でっていうやつをやっつける時のことじゃないか」と解説。そうそう、フリーランス稼業の週末なんて、いつも「月曜日午前9時」を目指しての突貫作業みたいなもの。最近「1年前のあなたのブログ」なんてメールが毎日gooから届くようになって煩いんだけど、1年前の今頃も仕事、仕事と騒いでいたらしい。うん、魔の10月・・・。

今日はまた1件片付けたところで、思いついて感謝祭の前夜祭。久しぶりにコース料理でもと思っていたけど、残念ながら明日も仕事、仕事、仕事。まあ、ちょっとしたご馳走を作るつもりではいるけど、「晩餐」にならない分、手っ取り早く刺身で「前夜祭」としゃれ込むことにした。

今日のメニュー:
 刺身盛り合わせ(びんなが、サケ、タコ、きはだ)
 サヤインゲンと松茸のあんかけ風
 あさりとねぎの吸い物
 松茸入り麦ご飯
 (サラダ)

[写真] 食前酒はいつものマティニに代えて特製のミントジュレップ。カレシが砂糖のシロップを作り、冷めるのを待っている間に庭からミントを採ってきて、カクテルのレシピを見ながらマドラーでごりごり。ケンタッキーダービーなどのときに金属のカップで飲むのが正統らしい。ちょっと甘かったけど、何杯でも飲めてしまいそうなくらいおいしい(カレシ曰く、「3杯も飲んだらひっくり返るぞ」)。

[写真] 刺身で食べられる魚の種類が限られているもので、いつも変わり映えがしない取り合わせだけど、少し残っていたキハダを小さく切って、ゆず胡椒ペーストをもみ込んで、かつら剝き大根の巣の中に盛って、白ごまをぱらぱら。大根おろしは刺身用。ご飯はまだ残っていた松茸の小さい方の2本をスライスして、濃縮めんつゆにつけておいたのを炊き上がり近くに混ぜ込んでみた。吸い物はカレシご所望のあさりの出汁だけで作ったもの。冷凍の殻付きあさりをさらに足して、ねぎを入れるだけで実に適当なもの。

[写真] ちょっと庭に出て行っただけですぐにこれだけ採れてしまうサヤインゲン。でも、蒸しただけで食べるには少々固くなって来たから、特に太いのを選んで、残りの大きな松茸をスライスして、一緒に出汁と醤油で煮て、スターチ少々であんかけ風。まあ、悪くなかったな。松茸は香りがだいぶ抜けて、いわゆる「賞味」期限は過ぎていたけど、パックに入っていたコケと一緒にビニール袋に入れて冷蔵庫に置いておいたらずいぶん長持ちしたから感心。ま、「消費」期限ぎりぎりで間に合ったというところ。

明日の感謝祭はこれもカレシご所望で鴨。電源を落としたままのオーブンが壊れていないといいけど。

思いがけない豊作を感謝するディナー

10月8日。月曜日。取りとめのない不思議な夢を見ながら、よ~く眠った。今日は感謝祭。もちろん、その年の収穫に感謝しておなかいっぱいご馳走を食べる日。我が家も思いがけない豊作に感謝しつつ、元気でご馳走を食べられることにも感謝。人間、人生の大波、小波を乗り越えるには、とにかく心身共に健康でなければ先へ進むのがタイヘン。ま、心身の健康はどっちが先かということになるけど、「身」の健康を支えて行くには「心」の健康がやっぱり先立つものなんじゃないかと言う気がするけどな。

さて、仕事まみれの感謝祭。朝起きて、配電盤のオーブンのスイッチを入れてみたら、あ、こりゃだめた。温度を設定すると温めようとするけど、すぐにピーコ、ピーコ。止めるにはキャンセルするしかない。ということは、オーブン以外の方法を考えなければならない。でも、ローストではなくて脂の中でゆっくりと調理するコンフィだから、ま、鍋でとろとろと煮込めばいいか。そこで、大きなスープ鍋を出して来て、夕べから解凍しておいたありったけの鴨の脂を入れて、メタボみたいな鴨の足を2本、ガーゼに包んだタイム、オレガノ、ベイリーフを加えて、まずは加熱。温度計を突っ込んで脂の温度を調べ、泡の立ち具合を調べ、何とかうまく行きそうな温度を突き止めて、後は「とろ火」に設定して、仕事場へ一目散・・・。

今日のメニュー:
 フォアグラのフライパン焼き、カルヴァドスリダクション、トマト
 鴨のコンフィ、ハーベストポテト、サヤインゲン
 (サラダ)

[写真] 前菜はまだ残っていたフォアグラ。早目にカルヴァドスを小鍋に入れて火にかけ、ゆっくり、ゆっくり煮詰めて、できたのはやっと小さじ半分の濃いリダクションソース。「スペシャルイベント」用にとっておきのお皿を出してきて、スライスしたカレシ菜園産の赤と緑のトマトを並べ、焼いたフォアグラをのせて、ソースをたらたら。緑色のトマトは「グリーンゼブラ」という種類だそうで、黄緑色に濃い目の緑の縞模様に熟して、赤くはならない。何か未熟そうだけど、食べてみると酸味が少なくてすっごく甘い。数個しか実ならなかったけど、カレシ菜園の思いがけないヒットになった。

[写真] メインは午後いっぱいかけて大なべでことことと煮た鴨の足。去年だったか1羽の鴨を解体したときに、胸肉だけを料理して、ぽっちゃりした足はフリーザーに保存してあった。出来上がったら、オーブンで調理したのと同じように、身が柔らかくて、ぽろぽろと骨から離れて来る。(大成功だな・・・。)コンフィに使う鴨の脂は、肉が完全に埋没しなければならないので、かなりの量が必要になるけど、市販の瓶詰めの脂は(フランス直輸入だからか)すっごく高い。そこで、ぶ厚い脂肪がついている皮などをまとめておいて、自分で煮出して、精製する。これもちょっと試行錯誤してコツを覚えるとけっこう簡単で、ビニール袋に入れてフリーザーに貯蔵。凍って固まった脂はほぼまっ白。スパイスや肉のかけらなどを漉し取りながら、何回か使えて便利。必要は発明の母と言うけど、人間、はたと困って「はて、どうしたものか?」と考えると、けっこういろんなアイデアが浮かぶものらしい。

マッシュポテトにするつもりで冷蔵庫の野菜入れをかき回していて見つけたのが近郊チリワックのトウモロコシ。カレシが普通のマッシュポテトを「まずい」と言うので、ここはトウモロコシの実を削り取って、ズッキーニとにんじんと一緒に炒めて、粗く潰したじゃがいもと混ぜ合わせてみた。適当に「ハーベストポテト」と命名したけど、意外とカレシに大好評だった。

ああ、これでもうおなかいっぱい。ブリューゲルの絵のイメージがわいて来るけど、夏の間のきつい農作業を終えた開拓者たちは、収穫を祝い、神の恵みに感謝しつつ、冬眠を控えたクマのごとく、おなかがいっぱいになるまで「がっつり」とご馳走を食べたんだろうな。それは冬を越えて命をつないで行けることへの感謝でもあっただろうと思う。凶作の後には飢餓の冬が待っていた。新大陸の感謝祭は豊穣だけでなくて、生きていることにも感謝する日なんだと思う。そこで我が家も今年の晩餐はカレシ菜園の収穫に感謝する気持ちを込めて、トマトとサヤインゲンをさりげなくあしらってみた。来年も作物の種類を増やして、また食べきれないくらいの大豊作になるといいね!

今頃あわてて年金の申請

10月9日。火曜日。急に秋が深まった感じ。そのせいかな、何だか疲れた気分なのは。きのうは仕事と感謝祭のご馳走作りとその他大勢のあれやこれやで、ちょっときりきり舞い。おまけに次の仕事の算段と、しばらくご無沙汰の別のところからの引き合いと、とにかくやたらとメールが飛び交って、返事を書くのに大わらわ。まあ、魔の10月だもんなあ・・・。

まあ、鴨に満腹でランチをスキップした分、仕事が進んで期限に間に合う目処が付いたので、ゆうべは早めに切り上げて、カレシとゆっくり寝酒。新発見のタイの米クラッカーとなぜかはまってしまった塩ヨーグルトとイクラ。フェイスブックでリンクを見つけて、さっそく試してみた塩ヨーグルトがめちゃくちゃおいしい。ちょこっとイクラを乗せるともっとおいしい。しっかり水を切ると量が減ってしまうので、前回の買出しでは750グラムのサイズを買って来たけど、カレシまでがはまってしまったもので、2回に分けて作ってもあっという間になくなってしまう。誰が考案したのか知らないけど、はめられちゃったなあ。

今日はまずゆうべ少しだけ残した仕事をやっつけて、期限ぎりぎりで滑り込みセーフ。うんざりするほど邁進、邁進、また邁進。やる気満々だということを伝えたいんだろうけど、美辞麗句が並びすぎて、何か今ひとつだな。どこぞの大臣の国会答弁みたいな感じ。まあ、この手の文書はどこの誰が書いても「きらきらネーム」ならぬ「きらきらレポート」。たくさんの人が目を通すような性質のものではないから害はないけど、訳す方はどこまできらめかせたらいいのかと悶々とする、一番やりにくいタイプ。同じ「きらきら文」なら宣伝広告の方があっけらかんときらめいてよぽど楽でいいな。結局、英語人が読むんだからと思って、かなり英語人的なトーンにしたけど、何か日本語を英語で書いたような感じがしないでもないな。元原稿がとにかくふわふわした文書だからなんだけど、翻訳にもGIGOの法則があてはまるのかな。つまり、「Garbage in, garbage out(ゴミを入れればゴミが出て来る)」。ま、割ときれいなゴミだと思うけど。

次の仕事の量と期限を秤にかけて、納品した後は「タイムオフ」。夕食後に(日本の厚生年金に当たる)カナダ年金CPPの受給申請書を書き始めた。説明書には受給開始の6ヵ月前に申請しなさいと書いてあって、「6ヵ月前までに」とは言っていないんだけど、誕生日が基準なら後2週間ほどしかないから、とりあえず、証明書の類の不要な厚生年金の申請書を先に送ることにした。まず、社会保険番号。ワタシの番号は7と8がずらっとあって、何となく幸運を呼びそうな番号だな。氏名を書き、出生時の氏名を書き、住所を書き・・・手書きなんて最近はあまりやらなくなったなあ。おしまいの方に「外国からの給付」という項目があって、カナダ国外に住んで働いたことがあると、その国から給付を受けることができるかもしれない、と。ワタシは日本で5年勤めたし、カナダは日本と相互年金制度の協定を結んでいるけど、年金番号なんて聞いたことがないし、記録がめちゃくちゃな日本で今さらわかるはずもない。ま、ダメもとで日本での就労期間を記入して、年金番号は「不明」と書いておいたけど、99.999%「該当せず」だな。

老齢年金の申請の方は1977年の制度改正の経過措置の適用を受ける資格があることを証明するために、永住ビザのスタンプが押されている日本のパスポート(古い!)だ、市民権証明書だ、何だといろんな書類を添えなければならないんだけど、コピーを送るのに政府指定の適格者に「真正なコピー」であることを証明してもらわなければならない。会計士の資格を持っているカレシはその「適格者」なんだけど、赤の他人じゃないから残念ながらダメ。これは大仕事が終わったところで、ダウンタウンにあるService Canada(窓口省とでもいうのかな)へ思いつく限りの書類のコピーを持ち込んで、どれを添付するのか聞いて、ついでに証明をしてもらって来れば誕生日の6ヵ月前には間に合いそうだから、一番手っ取り早いかな。はて、「お年寄り」になるのって、ずいぶん手間がかかるもんだなあ・・・。

ポジティブ過ぎると言われても

10月10日。水曜日。寒いっ!ポーチの温度計は正午過ぎでやっと10度。感謝祭の連休の間、まるで夏の名残りみたいないい天気だったのに、何で急に平年並み以下になっちゃうの?今日はお掃除デーだから、正午前に起床。いつものように朝食の最中にシーラとヴァルが来て、二階とベースメントに分かれて掃除を始め、わんこのレクシーはキッチンの私たちの周りをうろうろ。

食事が終わったら、すぐに着替えてモールへ。ばたばたしているうちに銀行へ行って掃除代や当座の現金を下ろすのを忘れていた。いつも1ヵ月分をまとめて先払いしているけど、隔週の掃除は今月は2回。当座の現金は少額の買い物や電車代などを決済するためだけど、普通はまとめ買いしてクレジットカードで決済するので、月に100ドルもあれば間に合ってしまう。その代わり毎月のクレジットカードの請求はけっこう大きいけど、概ねカレシの年金の範囲内に納まっているから、どんぶり勘定としては上々の部類に入るかな。結婚したての頃は家計簿的なものをつけていたし、共働きになってからはカレシの給料が生活費の基本だったし、家を買ってからはローンの繰上げ返済を目指して5年間の長期予算を立てていたんだけど、ワタシがバカ稼ぎするようになってから「どんぶり勘定」になってしまった。でもまあ、40年近く家計を回していると互いの金銭感覚がわかって、収支の勘も培われるらしいから、どんぶり勘定でも今のところは問題はないけど・・・。

次の仕事にかかる前にちょっとぐうたらしていたら、gooのページに、題して『ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴』ランキングというのがあって、おもしろそうなので覗いてみた。いきなり「ポジティブシンキング」は・・・はっ?Positive sinking?ポジティブ過ぎて沈没する?と、1拍おいてどうやら「positive thinking」のことだとわかったけど、沈没がポジティブなわけがないし、「ポジティブ思考」じゃダメなのかなあ。まあ、カタカナ語の方がカッコいいと思われるのかな。ランキングの第1位は「遠回しにダメ出ししても全く伝わらない」。う~ん。第2位は「自慢話が多い」。ふ~ん。第3位は「声が大きい」。へえ。第4位「嫌いは好きの裏返しだと思っている」。はあ第5位「直接的な言葉でダメ出ししても受け流される」。ふむ。第6位「仕切り魔」。あ、そう。第7位「人が話をしているのに、関係ない話題をかぶせてくる」。何、それ?第8位は「何にでもいちいちリアクションしてしまう」で、第9位「他人の感情の機微に疎い」、第10位「失敗を気にしないので、作業にミスが多い」と続く。

ポジティブシンキングが過ぎるとこういう「面倒くさい人」になるという指摘なんだろうけど、ワタシが想定する「ポジティブな人」とはずいぶん違うなあ。ちなみに、11位以下をざっと見渡してみると、「ダメな部分を指摘されると「嫉妬」と受け止める」、「「若く見えますね」などのお世辞をすぐ真に受ける」、「ウソをウソと見抜けない」、「本人は気づいていないが、相当なかまってちゃんである」、「苦手なことも長所のうちととらえている」、「早口すぎて何を言っているのかわからない」、「嫌なことをすぐ忘れられるから、忘れっぽいのは長所ととらえている」などなど、延々と30位まで続く。ふ~ん、よっぽどいわゆる「ポジティブな人」が気に触るんだなあ。でも、過ぎたるは及ばざるが如しとは言うけど、こういうのが「ポジティブ過ぎる」人の特徴だと言われてもねえ・・・。

アメリカのメイヨ・クリニックによると、「ポジティブ思考」になると、寿命が延び、鬱になりにくく、深く悩まず、風邪に対する抵抗力が付き、心身の健康度が高くなり、心血管系疾患で死ぬ危険が減り、困難に直面したり、ストレスになったときの対処能力が向上するそうで、いいことだらけだけど、これが過ぎると(おそらく「ネガティブシンキング」の人たちに)「めんどうくさい人」というラベルを貼られてしまうということなのか。よくわからないから、もう一度第1位から30位まで読み直してみると、人の話を聞いていない(聞かない)、自己中、鈍感、天然・・・。ふむ、ポジティブ思考の人と言うよりも、単に「ノンシンキングな人」という感じがするんだけどな。Non-thinkingなら「考えない人」、non-sinkingなら「沈まずにコルクのようにプカプカと浮いている人」かな。そういう人だったら、たしかに付き合うのがけっこうめんどうかもしれないとは思うけど、とどのつまりは、ネガティブな人にとっては「疲れるだけでめんどうくさいから付き合いたくない人」ってことじゃないのかな。

メイヨ・クリニックのポジティブ思考のご利益を裏返すと、「ネガティブ思考」は寿命を縮め、鬱になりやすく、悩みが大きくなり、風邪を引きやすく、心身ともに不健康がちで、心血管系疾患で死ぬ確率が高くなり、困難やストレスに対処する力が足りなくて、心(マスト)が折れて沈没する。何だか人生の見通しがあまり良くない感じだから、もう少しポジティブに・・・と言いたいところだけど、これも「ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴」にランクされていたから、たぶん伝わらないだろうなあ。ポジティブ過ぎとネガティブ過ぎとで、まあ、両極端は相通ずというところかも・・・。