リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年12月~その1

2012年12月16日 | 昔語り(2006~2013)
大食いもバケーションのうち(11月30日~12月5日)

11月30日(金曜日)

* 夕食: @Zingari (501 Post Street, San Francisco)

前菜: フィレミニョンのカルパッチョメイン: ロブスターのラヴィオリ(カレシ)、オッソブーコ(ワタシ)デザート: クレムブリュレ(カレシ)、プロフィテロール(ワタシ)

マリオットホテルの向かいの別のホテルにあって、今回が3度目のお気に入りのイタリアンレストラン。ジャズ演奏がある。金曜の夜でオフィスのクリスマスディナーがいくつもあったらしく、えらく騒々しかったけど、いつもはもう少し静か。飛び込みで入った私たちのテーブルはピアノに近い隅っこの2人用。バケーションの始まりを祝ってカクテルで乾杯。

フィレミニョンのカルパッチョは口の中でとろけるような食感が何とも感動的なおいしさ。今まで食べた中で一番かな。ワタシのオッソブーコはリゾットの上にごっついのが乗っていたけど、柔らかくて最高。かなりのボリュームを平らげて、その上でデザートまで。でも、バケーションだから、いいか。

* ランチ: (当然)なし

12月1日(土曜日)

* 朝食: (ホテル)オートミール、フルーツ(カレシ)、ベーグル&ロックス(ワタシ)

ベーグルにクリームチーズを塗って、スライスしたスモークサーモン(ロックス)を載せて、薄切りの玉ねぎも載せて、さらにクレムフレッシュを載せて・・・おお、天国だなあ。遅めの朝ごはんにはこれが一番のお気に入り。クレムフレッシュにはお飾り程度にアメリカンキャビアが載っていた。

* 夕食: @Santorini (242 O’Farrell Street, San Francisco)

前菜: サガナキメイン: ムサカ(カレシ)、ラムのスヴラキ(ワタシ)

サントリーニ島はまっ白な壁と青い屋根の教会で有名なエーゲ海の観光地。その名を取ったレストラン。ギリシャ料理は久しぶり。前菜のサガナキはフェタチーズに西洋パン粉を付けて挙げたもの。よく食べるケファロティリチーズよりあっさりしておいしかった。カレシのムサカもワタシのスヴラキもボリューム満点で、午後いっぱい歩いて空っぽのおなかは大満足。デザートに蜂蜜たっぷりのバクラバを食べたかったけど、そこまではとても・・・。

12月2日(日曜日)

朝食: (ホテル)ブッフェ

マッシュルームとアスパラガスでオムレツを作ってもらっている間に、ベーコンとポテト、フルーツ、クロワッサンをお皿に取って、熱々のオムレツと一緒にテーブルへ。でも、朝食のブッフェの内容はどこへ行っても同じ。ブッフェなら京王プラザの和食の朝ごはんの方がずっといいな。

* 夕食: @Grand Café (501 Geary Street, San Francisco)

前菜: ボルシチとグリーンサラダ(カレシ)、まぐろのタルタル(ワタシ)メイン: ニョッキ(カレシ)、鴨胸肉のロースト(ワタシ)デザート: クレムブリュレ(カレシ)、プロフィテロール(ワタシ)

劇場街の一角、Hotel Monacoに入っているフレンチレストラン。かっては金持たちが夜な夜な踊り明かした舞踏会場だったのかな。天井がすごく高くて、大きなシャンデリアがいくつも下がっていて、入り口近くには楽団用と思われるバルコニーがあった。サンフランシスコには古い建物を別の用途に改修したものがかなりあって、華やかな時代の情緒が残っている。

「Soupe du jour」だったボルシチはフレンチっぽくないけど、あまり実のないさっぱりしたスープだったとか。ニョッキもフレンチっぽくないけど、カレシはご満足。肉食のワタシは鴨の胸をしっかりと食べ、チョコレートソースがたっぷりとかかったプロフィテロールも平らげた。だって、バケーションだもんね。

12月3日(月曜日)

* 朝食: (ホテル)オートミール(2人とも)* スナック: 寿司(まぐろの握りとロール各種)@Safeway

夕食がかなり遅くなるので、通りがかったスーパーのセイフウェイでテイクアウトのパッケージを2つ買って、おやつ。店内の隅にあるテーブルで食べた。ロールはどれもアボカドが入っていたのは、さすがカリフォルニア?

* 夕食: @Pazzia (337 3rd Street, San Francisco)

前菜: アンティパスト各種メイン: 薄皮のピッツァ2種類(2人で半分ずつシェア)

ダウンタウンの南を斜めに突っ切るMarket Streetの南側のSoMaと呼ばれる一帯。会議で来ていたお客さんが地元に住む他の下請けの人たちとのディナーを企画してくれた。すごいタイトX
ルの人たちだけど、ワインを酌み交わして和気藹々で盛り上がる中、ワタシとカレシは30センチはあるピッツァを半分食べて交換して、結局丸々1枚ずつ平らげた。調子に乗ってその足で近くのバーで二次会。

12月4日(火曜日)

* 朝食: (ホテル)ベーグル&ロックス(2人とも)* 夕食: @The Oak Room, Westin St. Francis ( 335 Powell Street, San Francisco)

前菜: グリーンサラダ(カレシ)、かにのチャウダー(ワタシ)メイン: ローストチキン(カレシ)、プライムリブ(ワタシ)

ユニオンスクエアに面した110年の歴史を持つ高級ホテル。オークというだけあって、どっしりとした格調が高そうなダイニングルーム。メニューもかなりアメリカン。かにのチャウダーはビールとチーズを使っていて、なかなかイケた。プライムリブには古典的にベークドポテトが付いて来たけど、買い物でくたびれたワタシはポテトは無視。もっぱら厚さが2センチ以上あって、ワタシの手よりも大きなプライムリブに挑戦。別について来た肉汁をどぼ~っとかけて、ナイフでガシガシと切って、豪快に食べた。ああ、この食べ甲斐のありようと来たら、もうたまらない・・・。

12月5日(水曜日)

* 朝食: (ホテル)コンチネンタルブレックファスト@ルームサービス

フライトの関係でちょっと早起き。眠いけど、指定した時間に朝ごはんのカートが届いた。出発の朝はだいたいルームサービスを利用することが多い。プライベートなので食べながらでも最後の帰り支度ができるから、時間的に効率がいい。ジュース、ボウルに満載のミックスフルーツ、クロワッサンとデーニッシュとマフィン、ちょっと趣向を変えて温かなココア。これで家に帰りつくまで持つかな・・・?

リゾートバケーションを都会で

12月5日。水曜日。嵐の後で3日晴天が続いたサンフランシスコはまた雨に戻り、帰って来たらバンクーバーも雨。定刻より1時間半遅れてバンクーバー空港に着陸。サンフランシスコ空港が悪天候のためバンクーバーからの出発が遅れたんだそうだけど、ヘンだなあ。たしかに今日のサンフランシスコは雨だったけど、どう見たってただの「しとしと雨」。着陸したときのバンクーバーの雨の方がよっぽど「じゃぶじゃぶ」。ゲートの指定がどうのこうのと言っていたけど、最大瞬間風速35メートルくらいの台風並みの大嵐が直撃して欠航が続出したのは土曜日の夜の話だし・・・。おかげで、朝食が8時半だったので、実質的にランチ抜き。帰り着いた頃には空腹なんてもんじゃなくて、まさに飢餓状態で冷や汗は出るし、頭痛はするし・・・。

サンフランシスコはもう何度も来ているので、今回は名物のケーブルカーには乗らなかったし、フィシャーマンズウォーフにも行かなかったし、ゴールデンゲートブリッジも見なかった。食べて、飲んで、リラックスするビーチリゾートのバケーションを都会でやっていたようなもので、朝は9時半頃に起きて「朝ご飯、どうする?」結局はホテルの外へ行くのがめんどうで毎朝ロビーのレストラン。オートミールだったり、ベーグルとスモークサーモンだったり、ブッフェでオムレツを作ってもらったり。(けさはルームサービスを頼んでおいて、帰りのしたくをしながらの朝ごはん。)のんびり朝ごはんを食べながら「今日はどっちの方へ行こうか?」元々歩き回るのが目的だから、土曜日はカストロ地区、日曜日はエンバーカデロのフェリービルディング、月曜日はミッションドロレス、最終日の火曜日はもっぱら(ワタシの)ショッピングデイ。

午後いっぱい歩いて、ほどよく疲れてホテルに戻る途中で「ディナーは何にする?」で、着いた日の金曜日の夜はホテルの向かいのイタリアン、土曜の夜はギリシャ、日曜の夜はフランス料理、月曜の夜は仕事関係の集まりで大きなピッツァ、そして最後の夜は老舗のホテルのダイニングルームでアメリカン。ほとんど1日2食で過ごして、夜はしばし外をぶらぶらして、ホテルのバーで寝酒。合間、合間に無料WiFiのあるロビーでカレシのiPodいじりに付き合ったり、部屋で本を読んだり、私たちのペースでゆっくり過ごせた、メキシコやカリブ海のリゾートのバケーションはこんなものかなあと思うような、ほんとに休日らしい休日だった。(一度もけんかをしなかったし・・・。)

天気はほぼずっと雨のはずだったけど、土曜の夜の大嵐は予報になかったな。去年のボストンでは北上して来た猛吹雪で立ち往生しかけたし、6月の東京では台風が頭の上を通り抜けて行ったし、二度あることは三度あるということで、今回も台風並みの嵐。ひと晩中荒れて、(珍しく開く)窓はガタガタとうるさいし、消防車や救急車のサイレンがやたらと鳴るし、おまけにもしも停電したら温かい朝ご飯が食べられないかもしれないと心配になっって、よく眠れなかった。サンフランシスコ市内でも低いところで浸水騒ぎがあったり、風による倒木被害があったそうで、何万戸が停電したという話だった。ベイの向こうのさらに内陸の方では気温が急降下して雪になったので、危険水位まで増水していた川が氾濫せずにすんだというニュースもあった。日曜日の午後にはまさに台風一過の青空で、慌ててサングラスを買った・・・。

その嵐が来るという土曜の夜、ユニオンスクエアのクリスマスツリーのそばに作られた仮設スケートリンクでは、かなりの人たちが雨でずぶ濡れになりながらスケートを楽しんでいたからびっくり。ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマス風景を再現しようということらしいけど、気候が温暖なところだからウィンタースポーツが盛んだとは思えない。それでも、雨にも負けずにへっぴり腰で手を取り合って滑るグループ、柵の手すりにしがみついておっかなびっくりで進む人たち、その間をすいすい滑って行く人たち。誰かが転ぶたびにバシャ~ッと水しぶきが上がる。なるほど、これがサンフランシスコのクリスマス風景か。クリスマスツリーはなぜかてっぺんの星がライトアップしていなくて、最後の夜になってやっと赤い星(スポンサーのMacy’sの★)が点った。アメリカは不景気なはずなのに、ユニオンスクエア界隈は夜遅くまで賑わっている。その活気を肌で感じるのが好きなんだなあ、ワタシ。

ワタシのワタシへのクリスマスプレゼントはずっとずっと夢だったLaliqueのガラス細工。クリスタルの小さな魚のモチーフを、Neiman Marcusで青と黄色、Bloomingdaleで赤紫と、3つも手に入れて、ああ、もう最高にうれしい~!

アメリカ入国を拒否されたりんごの話

12月6日。木曜日。カレシの英語教室の日なので、午前11時半に目覚ましをかけておいたけど、起床は9時半。それでもゆうべは就寝が午前1時半だったので、たっぷり8時間眠ったことになる。食後に2時間くらい眠ってしまったけど、それでも8時間も寝たのはやっぱり相当に疲れていたんだろうな。飛行機の遅れのような不測の事態は気分的にストレスが大きいし、おまけにほぼ8時間絶食でふらふらしながら帰り着いたという感じだったし。

シーラがミルクを買い置いてくれたので、ゆうべ慌てて焼いたパンで、いつものメニューに戻っての朝食。カレシを送り出して(エコーのバッテリは無事だった)、ワタシはメールをチェック。あちゃあ、ロンドンから大型案件を持ち込んで来たあの会社、今度はニューヨークからもっと大型そうな案件。何しろ大きいから手を上げた人には欲しいだけの仕事を送れるという話だけど、ハヌカ、クリスマス、年末年始で、引き受ける人が少ないシーズンだから、作業期間は年末までというのはきついな。いったいどうなってるんだろうな。法律系の翻訳は成長産業だ見たいなことを書いていたEconomistの記事のようなことが起こっているのかな。特に北米の民事訴訟制度だったら少なくとも全体で何十万語という頭がくらくらするような量になる。ま、食指は動くけど、もう本年の営業は「一応」終了しちゃったから・・・。

法律といえば、サンフランシスコへ向かう日、バンクーバー空港でおもしろい経験をした。なぜか知らないけど、カナダからアメリカへ行くときは、カナダ側の出発空港でアメリカの入国管理と通関を済ませることになっている。バンクーバーからなら、国際線ターミナルの端にアメリカ便専用のターミナルが別のセクションになっていて、チェックインしたらすぐにセキュリティ検査の方へ進まなければならない。荷物の検査をして、それから入国管理。「アメリカ合衆国へようこそ」なんて書いてあるけど、まだアメリカに入ったという感覚はないから、カナダ人にとってはいわば何だかもやもやするグレーゾーンなわけ。ハプニングはそこで起きた・・・。

問題は2個のりんご。朝食のデザートとして搭乗ラウンジで食べるつもりで、冷蔵庫に残っていた2個のりんごを洗って袋に入れて持って行った。セキュリティのX線も難なく通過して、入国管理のブースへ。ワタシが記入した税関の申告書は質問全部に「ノー」となっていたんだけど、「申告するものはないのか」と聞かれて、カレシが「ラウンジで食べるつもりでりんごを持っている」と言ったもので、仏頂面の入国管理官氏曰く「キミたち、申告の意味がわかっているの?この用紙には何もないと書いてあるよ。嘘の申告は罰金300ドルだよ」。カレシ応えて曰く「でも、搭乗前に食べるからアメリカには持ち込まないよ」。管理官氏曰く「あのね、入国するというのは地図に引いてある線を越えることじゃないの。その国の入国管理官のいるところを通過して初めて国境を越えたことになるの」。へえ。つまり、私たちはカナダの空港にいて、国境線はずっと南だけど、実はカナダとアメリカの国境に立っているということか。

ちょっとイジワルな入国管理官氏、「だから、そのりんごはここから先へは申告しないで持ち込めないの。検疫しなきゃ」と相変わらず仏頂面でガミガミ。カレシが「じゃ、ここに置いて行くからいいよ」と言ったら、「ダメ」。じゃ、どうするの?まず、税関申告書の「野菜・果物・肉類を持っているか」という質問に「イエス」と答えて、元の「ノー」を消して修正のイニシャル。それで「これで罰金は取られないから、キミたちはセーフだよ」と管理官氏。じゃ、りんごは持って行っていいの?「検疫官がOKしないとダメ」。というわけで、入国は許可してもらって、別の係官の案内で「二次審査室」へ。入ってみたら、指定されたカウンターにアジア系のお年よりカップルがいて、何やらごねているところ。でも、結局は手ぶらで出口の方へ案内されて行った。ここは「アメリカ合衆国農務省」の窓口なのだ。(係官は何となくカナダ人っぽいけど・・・。)

私たちの番になって、問題のりんごを袋ごと見せたら、おばさん係官が「ラベルがないわねえ」。はあ、洗ったときに落ちたか、剥がしたか。なにしろ空港で食べるつもりだったから・・・。「アメリカかカナダのラベルのあるものならいいのよ。でも、ラベルがないとどこから来たかわからないからダメなの」。なるほど。どこか遠い国のエキゾチックな種類で、ラウンジで食べ損ねてアメリカまで運んでしまって、そこで食べた芯をポイと捨てて、たまたま中の種が芽を出したらどうなるか・・・侵略的外来種かもしれないってことか。アメリカ系のセイフウェイで買ったんだから、たぶんワシントン州産だろうと思うけど、たしかにいつも剥がすのがめんどくさくて文句を言っている、あの「ラベル」がないと確証はないよなあ。

ということで、2個のりんごは「没収」となって、私たちは朝食のデザートなしで出口までご案内。惜しかったなあ。ものすごく大きくてジューシーそうなりんごだったのに。だけど、入管と審査室は一応は「アメリカ領」なのかもしれないけど、空港は実際にカナダにあるんだから、廃棄処分はカナダ側の土地ということになるんじゃないのかなあ。だったら・・・。でも、たしかに搭乗前に食べてしまうという保証はないよね。うっかり食べ損ねて、飛行中にも食べ損ねて、サンフランシスコに降り立ったら、やっぱりまずいかもしれないな。あのりんご、甘くておいしそうだったのに。廃棄処分にしないで誰かのおやつになるってことはないだろうな。それとも危険物扱いで処理されるのかな。

暗示の力というのは恐ろしいもので、ラウンジに入ったら急に果物が食べたくなった。しょうがないから、フルーツの盛り合わせパック(これは持って搭乗できる)を買って、カレシと2人で分け合って食べたけど、ああ、もったいなかったなあ、あの2つのりんご・・・。

旅にはハプニングがつきもの

12月7日。金曜日。やっとのことで「ノー目覚ましデイ」。でも、就寝が午前2時半と、いつもより早かったので、11時前には目が覚めて、起き出してしまった。まあ、8時間寝ているからいいんだけど。

今日は朝食担当のカレシが朝からぶつぶつ。コーヒーがないんだそうな。あれ、きのうの午後にワタシがモールに出かけて、英語教室が終わったカレシと落ち合って、当座の必需品を買ったときには、まだあるから大丈夫と言っていたのになあ。冷凍庫を見たけど、きのう使い切ったのが「備蓄品」。しょうがないから、朝は紅茶。まっ、それも悪くないんだけど、夜になってから買出しに行くとしたら、夕食後も紅茶だなあ。カレシに関してはこういうハプニングはよくあること。スーパーであれはまだいいの?これはまだあるの?と聞いても、たいていは「まだあるからいいよ」と素っ気ない返事。でも、実際はもうなくなっているか、その寸前であることが多くて、帰って来てから「買ってくればよかったなあ」となる。計画性に難ありなのか、自分の持ち場の全体を見渡していないのか。カレシに孫子の兵法でも読ませたいような・・・。

まあ、夫婦も長いことやっていると、少しくらいはこういうハプニングがあった方が刺激になっていいかもしれないな。もちろん夫婦げんかになったら何をかいわんやだけど、一方が「んっとに、もう」と呆れたり、おかしがったりしていれば、けっこういい潤滑油になりそう。37年も一緒にいれば今さら「夫教育」も何もないもんだし、今さらああして、こうしてと指図をしてもどうなるものでもないから、ワタシはもっぱら静観作戦。カレシが「やってちゃん」を絵に描いたような性格なのは承知の上で、危険がない限りはカレシに自分で対応策を考えて、自発的に実行してもらう。ハプニングのたびにお説教したり、指導したりしていたら、ワタシはお母さん代わりにされてしまうものね。

だけど、こういうちょっと不便な結果になるハプニングと違って、旅の空でのハプニングは楽しい。今回は例のりんご事件に始まって、ハプニングがけっこうあった。その中でも長く思い出に残りそうなのが、カストロ地区でのできごとと最初の夜に食事をしたZingariでのできごと。前者の「カストロ地区」はサンフランシスコ、というか世界のゲイ/レスビアンのメッカ。ユニオンスクエアからMarket Streetをてくてく歩いて行って、大きなレインボウ旗が翻っているところがカストロ通り。古いカフェや新しいブランドショップが入り乱れている感じで、それが何となくまとまった雰囲気になっている。そのカストロストリートの一角から突如出現した素っ裸の2人組。いや、びっくりしたの何のって、ほんとうに素っ裸。手に太鼓を持っていたけど、後はほんっとに前も後ろも素っ裸。通行人は何事もないように通り過ぎるから、ワタシもつい何てこともないようににっこりしたら、お兄ちゃんもにっこり。振り返ってから後姿をとくと眺めて、若い男のお尻って意外とかわいいもんだと思ったな。

もうひとつのハプニングはレストランでの夕食が終わったところで起きた。金曜日の夜とあって店が混んでいて、私たちが案内されたのピアノがあるところ。周りのテーブルのほとんどはオフィスのクリスマスディナーなのか、わいわいがやがや。そのうちにオフィスのゴシップが出尽くしたのか、少し静かになったところで歌手がリクエストを募り、まず近くのテーブルから何曲かリクエスト。それがちょうど途絶えたところで私たちの食事が終わったので、そのままピアノのところへ行って歌手に、ルイ・アームストロングが歌った『What a Wonderful World』(この素晴らしき世界)を歌ってくださいとリクエスト。(ピアノの上においてあるチップを入れるグラスには5ドル札を1枚。)アフリカ系の女性歌手は「いい曲だわ」と言って、しっとりと歌ってくれたので、ワタシはうっとり。ふと気がついたら年配のカップルが4組ぐらい踊り出していた。テーブルの間にあまり隙間がなくて動き回れないから、ほぼその場でスローなステップ。自然発生的にそうなったらしいから、カレシもびっくり。でも、ほのぼのとするような「素晴らしき世界」のシーンだったな。歌が終わって、歌手にお礼を言って帰ろうとしたら、踊っていたおじさんに「サンキュー」と言われた。だって、愛する人と踊りたくなるような素晴らしい曲だもんねえ・・・。

そうそう、ワタシのハプニングはShop till you drop(買いまくり)。すてきなクリスマスの飾りの他に、ひと目で「これ、欲しい!」と思ったラリックのクリスタルガラスの魚を3つ。[写真]

実は、おまけにOrogoldという化粧品のセールスマンに呼び止められて、ああだこうだジョークを飛ばしながらお試しをやっているうちに、びっくりするような値段の化粧品を買ってしまった。旅にはハプニングがつきものだけど、ワタシが化粧品?これが一番大きなハプニングと言えるかもしれないな。金が入っているんだそうだけど、はたして効能のほどはいかに・・・。

ソプラノに生まれたかった

12月8日。土曜日。目が覚めたら午前11時20分。就寝は午前2時半だったから、9時間も寝てしまった勘定。サンフランシスコで少し早寝、早起きになったのをそのまま維持しようとか何とか言っていたのが、三日坊主ならぬ二日坊主・・・。

外はいい天気で、夜はかなり冷え込む予報。きのう夜にどかんと買出しをして来て、冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになったので、今日は2人とも大っぴらにだらけモードを決め込んだ。ツリーを立てる場所を片付ける気にもならないので、クリスマスツリーは明日までお預け。ワタシはニュースを読んで地球を一周、その後ろでカレシはクリスマスソングを探してダウンロード。しばらくはママが好きなナナ・ムスクーリの連続、そのうちビング・クロスビーになり、スーザン・ボイルになり、スタン・フリーバーグのはちゃめちゃに愉快な「Twelve Days of Christmas」になり、午後いっぱいクリスマスソングを聞かされて、ワタシもすっかりクリスマス気分になってハミングしながら、だらだら。

今どきのポップは2人ともまったく興味がないけど、1980年以前の曲なら、ワタシはカレシがユーチューブで聞いているのに合わせてハミングすることが多い。でも、歌うのは好きなんだけど、ワタシの声域に合った歌がなかなかないから困る。女性歌手のものはまず歌えない。何とかついて行けるのはハスキーボイスで鳴らしたペギー・リーくらいかな。というのも、ワタシの声域がどういうわけかひどく中途半端で、アルトの上の方は高すぎて出ない代わりに、下の方は男声のテノールの声域をほぼカバーできる。だから、アンドレア・ボチェリやラッセル・ワトソンならお手のものだけど、耳の中で聞こえる自分の声はそんなに男っぽい声じゃないし、話し声もそんなに低いようには聞こえないから不思議。

女の子はあまり目立った声変わりがないはずなのに、ワタシは小学校5年生くらいのときに小学校唱歌の声域が高すぎて歌えなくなったことがあった。先生が1オクターブ下げてオルガンを弾いてくれたら(下がちょっと低すぎたけど)何とか歌えた。あのときは先生もびっくり仰天したらしい。別に病気があったわけではなかったし、ワタシの父はかなりの低音だったけど、それが女の子に遺伝するのかどうかはわからない。若い頃はまだ少しは高い方まで出せたと思うけど、ギターを爪弾きながらフォークを歌っていた十代から20代の頃もジョーン・バエズなんか初めからアウトで、ピート・シーガーならOK。あれから年令と共にもっと低くなったのかもしれないな。

その反動かもしれないけど、一生に一度でいいからソプラノでグノーの『アヴェマリア』を歌ってみたいという欲望に駆られる。天使の声とまでは行かなくても、きれいな澄んだソプラノで『アヴェマリア』を歌い上げてみたい!クリスマスキャロルが聞こえる頃になるといつもソプラノに生まれたかったなあと思う。普通のアルトでもいいけど、やっぱりスーザン・ボイルのような声でクリスマスキャロルや賛美歌を歌ってみたいと切実に思うわけ。まあ、今日のところはビング・クロスビーの『アヴェマリア』に合わせて歌うことにするけど、この曲はやっぱりソプラノじゃないとなあ・・・。

旅の余韻と裸のクリスマスツリー

12月9日。日曜日。午前11時半にかれしに起こされて起床。不思議な夢を見ていたんだけどなあ。リゾートみたいなところで、食べる話。さすが、食いしん坊のワタシの夢・・・。

今日もいい天気。サンフランシスコで撮ったビデオとスチール写真をPCのフォルダにアップロード。たいした傑作はないけど、自分なりにおもしろいと思うものもある。ダウンタウンからMarket Streetに沿ってカストロ地区に向かって歩いて行く途中、教会の尖塔に誘われて横道(Golden Gate Avenue)に逸れて、突如出現したのがこの建物・・・[写真]

JWマリオットホテルのロビーにあるバーに一杯やりに行ったら。たまたま空いていたテーブルが中央の吹き抜けの真下。ここは昔東急系のパンパシフィックホテルだったところで、その頃からお気に入りのホテル。フロントのデスクのある3階から最上階まで吹き抜け(アトリウム)になっていて、一方(写真の下)にガラス張りの鳥かごのようなエレベーターが外側を上下するシャフトがあり、客室は吹き抜けをぐるり囲むオープンな廊下に面している。何となく日本でよく見かける「○○ハイツ」風でもあるけど、お客が落ちるのを防ぐためか、唐草模様風のカーブした真鍮の手すりが張り出している。それを真下から見上げると、ちょっぴり抽象画的な構図・・・[写真]

バケーションが済んだから、今度はクリスマスホリデイの準備。とりあえず、玄関下の納戸からクリスマスツリーを出してきて「植樹」。カレシに手伝わせてリビングに運び込んだ大きな段ボール箱のひとつはライトやガーランド。もうひとつは飾り。今年もまた何個か増えたから、いったい全部で何個になったのやら。絶対に200個は下らないだろうな。全部出してテーブルに広げただけでくたびれた。まずは3連のライトをセットして、飾りはそれから・・・[写真]

だけど、明日は午後は何かとやることがあるし、夜はバンクーバー交響楽団のコンサートがあって忙しいから、どうしよう。まあ、クリスマスまで後2週間あるから、ぼちぼちと飾り付けて行くことにしようっと。

日々の暮らしには休業がない

12月10日。月曜日。湿っぽいけど雨は降っていない。少し早めに起きて、早めに朝食。すぐに、今日の日程にかかる。カレシがコードにつまづいて壊したUSBポートの部品がやっとDellから届いたというので、まずは修理するPCをBest Buyへ持って行く。ヘルプデスクは順番を待っている人が4人で、応対しているのはたったひとり。カレシはちょっとイライラしているけど、ワタシは近くに並んでいるノートをいじって待つ。小さめでタッチスクリーンのものがサムソンとエイサーの2種。食指が動くけど、必要なものではないし、どうせタッチスクリーンならタブレットを買った方がいいのかなと思ってみたり・・・。

やっと用事が済んで、道路を渡ってWhole Foodsでシリアルやら何やら。ついでに今夜の夕食にと、焼くだけになっているティラピアの「お惣菜」も買い込んで、家に帰ったら午後3時。クリスマスツリーの飾りつけをちょっとだけして、あわただく夕食。ちょっとおめかしをしてコンサートへ。ストッキングが見つからないので、膝までのドレスでは寒いかなとは思ったけど、そんなに歩くわけじゃないからと生足のままで出かけた。今夜は第1部がシューベルトの『未完成』。第2部がブルックナーの『交響曲第7番』。なかなかいいんだけど、やっぱりちょいと重いな。カレシにどうだったと聞いたら、「長すぎる!」たしかに・・・。

帰って来て、ランチを食べて、本格的にツリーの飾りつけ。飾りがだいたい片付いたところで、ガーランドは明日。なぜかワタシは最後の最後に天使をツリーのてっぺんに乗せて完成する「習慣」になっているので、今夜はまだ頭のないツリーだけど[写真]。

もうあとひと息・・・

ツリーは飾ったし、年金の通知も来たし

12月11日。火曜日。雨。起床は午前11時11分。久しぶりにいつものお気に入りのシリアルと挽き立てのコーヒーで朝食。予行演習の「ご隠居さん」暮らしにもだんだん慣れてきた感じ。毎日の暮らしにはそれなりにいろいろとすることはあっても、仕事や納期のことを考えないのは気楽でいいな。何となくそわそわし始めそうな感じがしないではないけど・・・。

ゆうべは午後11時過ぎにカレシのコンピュータの部品取替えが済んだという電話があって、店は10時に閉店だと思っていたら、学生アルバイトが閉店後も残って修理作業をしているんだそうな。それで、今日は2時過ぎに取りに行くことになっていて、カレシが先に酒屋に寄って、次にSave-on-Foodsに行ってますの燻製を買って、それから道路の同じ側にあるBest Buyへ行ってコンピュータを引き取って来ると段取り。ところが、正午前に電話が鳴って、電気屋のロウルが15分くらいで行くという話。メインのサーモスタットの取替えと1口しか使えなくなっていた2口コンセント2ヵ所の修理を頼んであって、なじみのロウルが時間を設定することになっていたんだけど、いきなり「あと15分」・・・。

ほんとに15分後にゲートのチャイムが鳴って、ロウルが登場。愉快なジャマイカ人で、電気工としての腕はピカイチと評判。サーモスタットは新築のときからのものだから「古くて直しようがないよ」。じゃあ、取り替えてね。「サプライヤーにあるかどうか聞いてみなきゃ」。スマートフォンをちょいちょいといじって、なかなかつながらなかったので開口一番に「サービス悪いよ、キミ達」。どうやら新しいのがあるらしい。次に半分しかつかえないコンセントの問題は「パネルのスイッチかな」。違うと思うなあ。プラグを差し込むピンが接触不良とか・・・?コンセントを外したら別なところが不良だったらしく、「どっちみち新しいのがいるから、サーモスタットを取ってくる」と、さっさと出かけてしまった。

これでカレシの段取りは完全にアウトになって、ひとりでコンピュータを取りに出かけ、留守番の形になったワタシはツリーにガーランドを巻く作業。ロウルが来て予定が狂ったおかげで、午後のうちに2012年のクリスマスツリーが完成した[写真]。

カレシが帰って来て、すぐ後にロウルが新しいサーモスタットを持って戻って来た。幅も厚さも古いものの半分になっていて、壁にペンキを塗っていない部分が露出してしまったけど、これも技術の進歩なんだろうな。「摂氏にする?華氏にする?」摂氏。「24時間?12時間?」24時間。スイッチのピンを設定して、新しいサーモスタットは壁に納まり、ロウルが読み上げる手順に従って曜日や時間、温度を設定。週7日まとめて同じサイクルと温度に設定できて便利。コンセントも取り替えてもらって、請求書を書いてもらい、その場でカードで払って、ロウルが帰った後はルンバ君が床のお掃除・・・。

ルンバ君がキッチンを走り回っている間、リビングのテーブルにカレシが放り出してあった郵便の束を見たら、おっ、来た、来た!もうひとつの年金(日本の厚生年金に当たるCPP)の申請が承認されたというお知らせ。ああ、これで2つの年金の受給開始が確定した。良かった!来年はカナダで働き続けて36年。(日本の年金はもらえないけど)日本と通算すると合計42年間働いたことになる。自分でははっきりと自覚していなかったとしても、もしもひとりになってもちゃんと生きて行けるようにと、ひたすら働いて来たんだと思う。結果的に経済的に依存しないで来れたのは、カレシを頼らないとか、信用しないとか言うことではなくて、(異国で)ひとりぼっちになる可能性(子供がいないから五分五分)を心の奥深いところで認識していたからだと思うな。来年の5月からは仕事があってもなくても毎月決まったお金が入って来るということで、路頭に迷って飢え死にする心配はもうなくなる。急に肩の力が抜けたような気がしないでもない。

なあんてのんきに構えていたらちょっと大きめの「仕事」。そっか、サンフランシスコで社長に会ったときに「休業はするけど、ピンチヒッターはやりますから」と言ってあったんだった。ついでに、年金受給が始まったら、生きるためじゃなく、楽しむために仕事をしていいと思うから、もうひとつ残す客先の担当分野を絞ることで仕事量を調整して、この会社の仕事はそのまま続けたいとも言ってあった。科学分野は何たっておもしろいから、楽しむための仕事としては願ったりかなったりだし。でもまあ、少なくともクリスマスが終わるまでは、仕事はお預けにしとこうっと。

幸運な日だと思っていたら災いが

12月12日。水曜日。(20)12年の12月の12日。何かの縁起でもあるのかな。起床は正午前で、ごく普通の1日の始まり。仕事が入ってしまったけど、納期は年明けだから、当分は考えなくてもいいし、今日は出かける用事もないし・・・。

午後はゆっくりとニュースサイトを一巡したところで、シーラから借り戻した会計ソフトのインストール。今のコンピュータに切り替えたときに新しいソフトをいれるつもりだったので、もういらないからとディスクとマニュアルをそっくり(自営業の)シーラにあげた。もっとも、去年は新しいソフトをインストールしたところで、(出版元が変わったもので)様変わりしすぎて勘定科目の設定に戸惑っているうちに結局は挫折。年が明けてどうしても決算をしなければというところまで来て、カレシにお下がりしたコンピュータに残っていた従来のソフトでやっつけで処理した。その後そのソフトは諦めて別の会計ソフトを買ってインストールしたけど、めんどうくさがっているうちに科目の設定さえしないまま。カレシが経理事務を引き受けてくれるはずだったけど、こっちっも頓挫・・・。

年末が迫って来て、シーラにまだディスクを持っているかどうか聞いてみたら、奇跡的にまだあった。でも、プロダクトキーがない!これがないとインストールできないから、はてどうしよう。午後いっぱい費やしてあっちこっちをごそごそとかき回しているうち、ここでも奇跡が起きて、使わないものをごちゃごちゃといれてある引き出しからカードに書き留めておいた番号が見つかった。ああ、やれやれ。無事にインストールできて、起動してみたら、おお、ファイルに取っておいた勘定科目もデータもすべてちゃんと開いた・・・と、喜んだのも束の間。2011年度は1月1日付の財務諸表しかない。あああ・・・。カレシのコンピュータで処理したときに急いでいたので保存しなかったらしい。万事休す、というところだけど、所得税申告のときに会計事務所に送った印刷版があるはず。ファイリングキャビネットのフォルダをがさごそと探し回ったら、おお、1年分の仕訳帳が出て来た。やった!仕訳帳の内容を再入力すれば去年の決算データを再現できて、今年度の決算ができるようになる。ああ、今日はラッキーな日だ~。

たしかにここまではラッキーだった。でも、夕食の支度のためにキッチンに上がってみたら何だか冷え冷えとしている。新しいサーモスタットは「暖房」モードなんだけど、キッチンとリビングだけ「節電」モードから温度が上がっていない。我が家の暖房は天井に埋め込んだヒーターの輻射熱だから、パネルのある天井のあたりを触ってみるのが一番ということで、椅子に乗って、背伸びして触ったら、キッチンもリビングもちっとも暖まっていない。カレシ曰く、「前からあまり暖かくなかったような気がするけどなあ」と。やれやれ、いったいいつからおかしいの?またロウルに来てもらわなくちゃ・・・。

夕食後にヒーターが入っていない部屋を調べて回ったら、新しいサーモスタットが制御しているゾーンのうち2つはOKで、キッチン、リビング、二階の八角塔の3ヵ所が作動していない。他のゾーンはオフィスを含めてすべて正常。八角塔で天井をチェックして、椅子から下りようとしたとき、今日の幸運が尽きたらしい。好事魔多しというけど、暗いところで後ろ向きに下りようとして、足の指先がひっかかったのか、みごとに転落。右足の3番目と4番目の指の付け根のあたりを捻挫でもしたのか、痛くてまともに歩けない。ひょこたんひょこたんと階段を下りて行って、泥縄式にアイスパックをフリーザーに放り込んで、様子見。そのうち指の付け根から甲にかけて少しばかり腫れて来て、しばらくして何となく内出血しているらしい色になって来た。やっちゃったなあ。でも、我慢できない痛みじゃないし、踵でなら歩けるから骨折じゃなさそう。靭帯を痛めたのかなあ。とりあえず凍ったアイスパックで冷やしたけど、これじゃあ当面はひょこたん、ひょこたん歩きかあ。

でも、外へ出かけなければならない商売でなくて良かったな。歩けなかったら商売上がったりだもの。まあ、治って普通に歩けるようになるまではカレシに「お抱え運転手」になってもらわなくちゃ。そう言ったら、カレシ曰く、「今だってどこに行くにも自分で運転してないじゃないか」。あ、そっかあ。お抱え運転手がいてくれてラッキーなんだ。これって、塞翁が馬ってこと・・・?

運動不足だったせいかなあ

12月13日。木曜日。目覚ましで午前11時半に起床。きのう痛めた足がじわじわと疼いてよく眠れなかった。起きて見たら甲の指に近い半分が紫色になっていた。やれやれ、せっかくの休みなのに・・・。

今日はコーヒーとトースト半分(パンが1枚分しかない)だけの朝食で、今日が今年最後になるカレシの午後の英語教室のポットラックパーティに出かけた。みんな料理上手で、台湾のかぼちゃ入りのビーフンはとってもおいしくて3回くらいお代わりしたし、韓国の牛肉入りの巻き寿司もおいしかった。寿司といえば魚と思ってしまうけど、ところ変われば品変わる。今や国際的ファストフードになって、アメリカにはご当地ロールが都市の数だけあるそうだし、韓国といえば焼き肉、とすれば肉入り寿司があっても不思議はないな。ワタシも今度作ってみようかな。わいわいがやがやとにぎやかにおしゃべりをして、カレシはクリスマスカードと台湾の高山茶をプレゼントされて、お開き。また来年ね~。

帰ってきたら、カレシはすぐに夜の部の準備。こっちも今夜が今年最後の授業。キッチンとリビングは相変わらず暖まらない。夕食の支度をして、食べさせて、送り出して、同じサーモスタットにつながっているセカンドキッチン/ランドリールームに椅子を持って行って、天井に触ってみたら暖かい。玄関ホールも暖かい。ということは、新しいサーモスタットの欠陥ではなさそうだし、全域ではないから暖房システムの故障でもはさそうだし、もしかしたら各ゾーンの温度を調節する個別のサーモスタットが機能していないということかな。そういえば、この3ヵ所は前からあまり温度が上がらなかったような気もするけど、家も築後24年を過ぎると、いろいろと老化現象が出て来るもんだけど、とにかくロウルに見てもらわないことにはどうにもならない。週末は冷え込むという予報だし(断熱性が高いから家の中はそれほど寒くはならないけど)。

そこでベースメントにあるオフィスのサーモスタットを少し高めに設定して、すぐ上のキッチンとリビングを暖めることにして、階段をひょこたん、ひょこたんと下りて行ったら、ギクッ。右足をかばって変則的な姿勢で歩いたせいか、腰が痛くなって来たと思ったら、今度は左の膝がおかしくなってしまった。あ~あ。長いこと忙しがってろくに運動していなかったから、まさにout of shape(不調、というか体が「型くずれ」)。平らなところなら歩くのはさほど苦痛ではないけど、階段は上るのも下りるのも、手すりにつかまってえっちら、おっちらで、イテ、イテ、イテ。我が家は三層だから、階段だらけ。どうしようか。困っちゃうなあ。まあ、膝の方はとりあえず温湿布療法をやってみるけど・・・。

ニューヨークからまたメールが来て、「少しでいいからできないか」。ふむ、よっぽどの大きな仕事で、よっぽどの人手不足らしい。ロンドンのオフィスからも仕事の話が来たりして、いったい何なんだろうなあ。でも、ワタシは本年度の営業は終了したんだし、カレシの英語教室は明日から3週間の休みだし、おまけに年越しの仕事もあるから、ダメ。悪いけど、悪しからずというところ。でも、新聞サイトめぐりをしていたら、アメリカで日本企業を相手取ったでっかい集団訴訟が起きているという話があった。そっか、またなんだ。年の初めにドカンと来た仕事もこの企業に絡んだものだった。右からも左からも巨額の訴訟を起こされて、タイヘンだなあ。もっとも、身から出た錆といえばたしかにそうなんだけど、他の訴訟案件もいくつも控えているらしいし、潰れないといいけどなあ。だって、何万人の社員の生活がかかっているんだから。でも、訴訟の原因が原因だから、形勢はあまり良くなさそうに見えるけど。ま、年が明けてもまだ仕事が残っていたら、少しは引き受けるかどうか、考えてみるか・・・。

右足も、左ひざも何か危なっかしいけど、せっかくの休みくらいはせいぜい動き回らないと本当に体が型くずれどころか、ぼろぼろになってしまうもの。

自分より弱い者への暴力は意気地なしのやること

12月14日。金曜日。起床午前11時10分。きのうからベッドルームの設定温度を、日中と就寝中は20度、起床・就寝時は22度に下げたので、起き抜けはちょっと涼しいように感じるけど寒くはない。あんがい、今までの設定温度がちょっと高めだったのかもしれないな。キッチンのサーモスタットはヒーターなしで日中は20度前後。夜中過ぎには20度を切るけど、慣れてしまえば、家の中では年中Tシャツ1枚に裸足で過ごしているワタシでも特に寒いとは感じない。ま、慣れることができるのが健康だという証拠かな。(家の中は寒くないから大丈夫と言うことで、ロウルは月曜日に来てくれることになった。)

またアメリカで無差別殺人が起こって、犯人が自殺したというニュース。今度は教育や所得の水準が比較的恵まれているコネティカット州で、しかも大企業の重役や大学教授が多く住む町だというから驚いた。犯人の20歳の若者は優等生だったそうだけど、問題児でもあったらしく、高校を卒業したかどうかは不明とか。何らかの発達障害を持っていたとも言われる。現場になった学校の教師だった母親も殺して、学校には黒ずくめで乗り込んだそうな。だけど、乱暴な言い方だけど、そんなに死にたかったら勝手にひとりで死ねばいいのにと思う。多くの子供たちを道連れにするなんて許せない。どうせ死ぬなら後世に残るような、世間があっと言うようなことをやって死のうということかもしれないけど、何の関係もない他人や子供たちを道連れにするなんて一番卑怯な死に方だと思う。

客先に送るカレンダーを出してクリスマスの切手を買うために、ゆっくりと歩いてモールよりも近い方の別の郵便局へ出かけ、用事を済ませて、またゴルフ場の外の遊歩道をゆっくり歩いて帰ってきた。角にある小学校は開校100年。元の校舎は大地震が来たら一発で崩壊しそうなレンガ造りだし、増築された部分も一番新しくて50年だから、後ろの方にモダンな新校舎を建設中。正面の校庭の隅には学校の名前になっているセクスミス夫妻が建てた小さな木造校舎がまだ残っている。100年前の我が家の辺りはまだ原始林が鬱蒼としていたそうで、小さな校舎のそばを通るたびに、社会科の教科書に出て来た「村の分教場」というのを思い出す。ワタシが子供だった頃の日本にはまだあちこちに「山村」というのがあって、小学校の「分校」があり、さらに山奥の集落には「分教場」があった(らしい)。北海道にもあったかどうかは知らないけど、教科書には1年生から6年生までの子供たちがひとつの教室で一緒に勉強している写真が載っていて、「楽しそうな学校」に何となく憧れさえ感じたっけ。あの頃の小学校はまだ楽しいところだったんだな。

途中でアジア系の男女とすれ違ったときに、「イケダショウガッコウ」という言葉が耳に入って来て、一瞬あれ?と思ったけど、思い出した。もう何年になるか、日本でも子供たちが学校で無差別に殺傷された「池田小学校事件」というのがあったな。そういえば、ニュースでは中国でも学校の児童たちが襲われる事件があったと言っていた。使われた凶器が銃か刃物かの違いだけで、同じパターンの事件が世界のあちこちで起きている。コネティカット州での事件は、さっそく世界のメディアがアメリカの「銃社会」を指差しで非難しているけど、アメリカが「銃社会」だから起こった事件と言えるのかどうか。アメリカでは手近にある銃が使われ、銃が近くにない国では刃物が使われ、刃物が手近になければ別の凶器が使われるということではないのかな。「銃規制」に世間の議論が集中してしまって、「なぜ」の解明がおざなりになれば、こういう無差別大量殺人をなくす手がかりは得られずじまいになるんじゃないかと思うけど・・・。

それにしても、子供であることがこんなにも危険な世の中になったのは、腕力では自分より劣る女と子供に対してしか自分の「力」を発揮できない、意気地なしの男が増えたということなんだろうか。

寝酒を飲みながらの昔語りは

12月15日。土曜日。起床12時10分。外は雨で、ちょっぴり荒れ模様。今日は2人とものんびりを決め込む。と言って、ここんところのんびりしてばかりの観もあるけど、休みだもんね。そのうちに退屈してくるんじゃないかなあという気がしないでもないけど、今のところはけっこう馴染んでいるような感じかな。

寝酒をやりながら取り留めのない話をしていて、カレシがふと「キミがカナダに来たときに何もかもが違うところだと認識していたの?」と聞いてきた。うん、言葉も習慣も違うところで暮すんだという認識はあったな。「どんな生活になるか不安はなかったの?」 なかったなあ。何しろアナタと一緒にいられるということだけで頭が一杯で、そういう現実的なことは考えていなかったなあ。(若かったせいだろうなあ。)で、着いた次の日から即「カナダ的日常生活」だったもので、違いに遭遇するたびに、That’s the way it is(そういX
うことか)、That’s how they do it(ああすればいいのか)でやって来たわけなの。「キミのお父さんは不安じゃなかったのかなあ」。まあ、事情が事情だったから、親として不安に思わないはずはなかったけど、クリスマスケーキで将来が見込めない娘にとっては最善の選択だと判断してOKしたんだと思うな。「ボクはお父さんが好きだったんだ」と、なんだか遠い目になったカレシ・・・。

「お父さんはボクのことをどう思っていたんだろうな」と、ヘンなことを聞くカレシ。遠い外国まで娘をひとりで行かせても大丈夫だと判断したからワタシとの結婚を認めたんだと思うから、気に入られたってことじゃないのかな。「お母さんはどう思ったのかな」。アナタが母の料理をおいしい、おいしいと食べたから、お婿さんテストに100点満点で合格だったと思うなあ。「ボク、お母さんも好きだったよ。自分の親のいい加減な料理で育ったせいだけじゃなくて、ほんとうにお母さんの料理がおいしかったんだ。キミはいい両親を持っていたんだなあ」と、カレシが妙にしんみりしちゃったもので、いつもよりちょっと寝酒が進んでしまったけど、何なんだろうなあ。2人の結婚に至るまでのことを思い出し語りするなんて、カレシの心境に何か変化が起きているのかな。

先日はテレビの生命保険のコマーシャルを見ていて、カレシが市役所に勤めていた頃に同僚の友だちにランチをおごられて生命保険を売りつけられそうになった話を始め、その流れでワタシが結婚したての頃に生命保険の話を持ち出したらカレシが猛烈に怒ったのでびっくりした話になった。初めて聞いて「それをボクが怒ったの?」とカレシ。うん、専業主婦が多い日本では生命保険はあたりまえのことだったから何気なく聞いてみただけだったのが、「そんなのいらんっ!」と怒ったの。で、「何かあってもひとりで生きて行けるだろっ!」と怒鳴ったのでびっくりして、でも、周りを見渡したらママもマリルーもみんな働いていたから、That’s the way it isということで、ワタシも働けるようになってすぐに仕事を探し始めたの。「それが当然だと思っていたし、昔から生命保険は嫌いだし」と何となくバツが悪そうなカレシ。うん、あのときアナタが「ボクが稼ぐから、キミは家にいておいしいご飯を作ってくれればいいよ」なんて甘いことを言ってくれていたら、ワタシの人生は後でどんなエライことになっていたことか。(今のワタシがあるのはアナタのおかげでもある・・・。)

カレシの心境に何が起こったのか知らないけど、私たちの結婚前後のことを語り合うのを触れたくない過去のように避けてきたカレシが、話題になっても逃げなくなったのは大きな変化だと思う。そのうちに2人の間にあった様々な紆余曲折も「昔のこと」として語り合えるようになるのかな。元々自分の気持を言葉にするのが苦手らしいカレシなんだけど、年と共に心が開かれて来ているのかな。あんがい、ワタシが年金が入ってくるようになれば生きるために働かなくてもよくなるとはしゃいでいたことで、何かカレシなりに感じることがあったのかもしれない。それとも、これが老境に入った夫婦というものなのか・・・。