リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年12月~その2

2012年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
お掃除ロボットと何の話をするの?

12月16日。日曜日。正午をちょっと過ぎて起床。ちょっと明るいけど、夜には荒れ模様で雪混じりになるかもしれないとの予報。微小気候の集まりみたいなメトロバンクーバーでは、地域の気温に5、6度の幅があるので、我が家のあたりはたぶん雨だろうと思うけど・・・。

日本の総選挙のニュースを見たら、わっ、民主党は惨敗もいいところ。ニュースサイトに出ていた広告には仏頂面の総理大臣の写真に「動かす力=決断」みたいなことが書いてあった。たしかに、決断がなければ何も動かない。民主党はその「決断」ができなかったから何も動かせなかった。そういうことだろうな。政権政党が一気に凋落するというのはカナダでもあったな。1990年代の初めに過半数を占める政権政党からたった2議席の「その他」に転落した進歩保守党がそれ。毎年の予算であれこれと税金が上がったのに赤字は膨らむ一方で、不景気の最中にGSTと呼ばれる連邦売上税を導入して国民にそっぽを向かれた。個人的にも汚職の疑惑があったりして嫌われた党首が辞任して望んだ選挙でたった2議席。回復できないまま、やがて解党。カナダ連邦初代首相を出した政党の流れを組む由緒ある政党が姿を消した。うん、民主主義国家の有権者はそのくらい厳しくなちゃね。

朝日新聞サイトのリンクを辿ったら、ロボット掃除機の比較というのがあった。最近ルンバを使い始めたところだったので、どういう結果が出るか興味津々。販売店での実演だと何もないところをすいすいと動き回って、取りやすいところにあるゴミを取るわけだけど、障害物や段差のある実際の日本の住環境ではどうなのか、という実験だった。試したのはルンバ君と日本のメーカーによる2機種。(日本の家電メーカーがすでにロボット掃除機を出していることは知らなかったな。さすがというべきか・・・。)結論を急げば、総合的にルンバ君に軍配が上がっていた。思わず吹き出してしまったのが日本のメーカーの機種。吸引力は抜群だったけど、どうも他の2機種に比べて賢さはイマイチ。唯一のいいところは「愛嬌」。学校から帰ってきた子供が「あ~疲れた」とつぶやいたら「たまにはゆっくりしいや」と(関西弁で!)労ってくれたんだそうな。

はあ?愛嬌のあるロボット掃除機って、いったい何なの?開発したメーカーは何を考えていたんだろうな。人間さまをやさしく労ってくれる愛すべきお掃除ロボット君を作ったのは、今日本で潰れるかどうかという危機的な状況にある老舗の家電メーカー。つい、これだから潰れそうになったんだなあと思ってしまった。まさにガラパゴスのゾウガメ。掃除ロボットというキカイに「癒し」機能とやらを付加することにエネルギーを費やしたとすれば、まさに「ガラパゴス現象」。だって、ロボット掃除機の目的はひたすらきれいに掃除することのはずだけどなあ。ルンバのメーカーははっきりそう言っている。この機種を作ったメーカーが本来の目的である「掃除」をする性能よりも、「愛嬌」で人間を癒すことが消費者に受けると判断したとしたら、わかってないなあとしか言いようがないし、大変な経営難に陥った遠因と言えそうなものが見えてくるような気がする。

だけど、いろんな新開発のロボットの記事を見ていると、日本の人は人間(あるいは動物)の形をしていて、人間の言葉で人間と交流できる「癒してくれる」ロボットが好きなんだなあと思う。しかも人間型ロボットはたいてい今どき風の若い女性の形に作られていて、目が空ろだから人間ではないとわかるくらい精巧なものもある。プログラムされたロボットと交流して癒されるというのはちょっと不可解ではあるけど、ロボットは人間がプログラムした通りのことしかしないから、生身の人間のように嫌味を言わないし、批判をしないし、けんかも売ってこないし、とにかく文句も言わずにひたすら従順でやさしい。まあ、鉄腕アトムで育った(かどうかはしらないけど)日本人にとってはロボットは人間に近い形をしているものという観念があるのかもしれないな。

でも、これからいろいろと有用な仕事をするマシンを開発するためのロボット工学の基礎技術をPRしているんだろうということはわかるけど、やっぱりロボットとは何ぞや(何をするものか)という重要な命題のポイントから外れているような感じは残る。人間の心を癒すのが目的で作られたロボットであれば、その「癒し」効果があればそれなりに目的を達したと言えるけど、本来の目的が掃除をすることなら、つべこべ言わずにきれいに掃除をしてくれればそれで十分だと思うんだけどな。でも、小町に立っている『お掃除ロボに話しかけるワタシ』というトピックを見ていると、「うちの子」に話しかける人がけっこういるらしい。日本のメーカーはそういう心理を理解しているからこそ、おしゃべり機能付きの家電を考え付くんだろうな。

ワタシはルンバ君はきちんと掃除をしてくれる賢い子だとは言っても、がんばってとか何とか話かけることはないな。だって、話しかけたところで、キカイはプログラムされたことしか言い返せないんだもの。

冷え込むのに暖房システムが故障

12月17日。月曜日。起床は午前11時半。このくらいの時間が一番いいような。雨は降っていない。かなりの嵐になる予報だったけど、あまり荒れたような形跡はないな。でも、テレビのニュースを見たら、スタンレー公園の遊歩道シーウォールが高潮で壊れたという話だし、入り江の向こう側のウェストバンクーバーでも被害があったらしいし、雪や雹が降ったところもあったそうだから、荒れたことはたしか。もしかして、我が家の辺りだけすっぽかされたのかな。

ロウルが暖房システムの問題を調べに来てくれる日だけど、忙しい人だから何時になるかわからないので、きのうやっと書き終わったクリスマスカードを午後5時に収集される郵便ポストに入れに行くことにした。我が家から2ブロック先にある郵便ポストは収集予定時刻が午前9時なので、収集は明日の朝になる。今夜は気温が氷点下に下がって雪が降り出すかもしれないという予報なので、2、3センチくらいでも雪が積もれば収集に来ない可能性が大きくて、そうすると次は早くて水曜日の朝。これじゃあクリスマスに間に合うものも間に合わなくなる。モール近くのポストなら収集は午後5時だから、今日中に集めてもらえる・・・。

痛めた足がまだ少し腫れているので、まだぎごちない足取りで半分くらい行ったところでカレシから携帯に電話。ロウルが到着したので迎えに行こうかと思ったけど、不要だというのでとりあえず携帯をオンにしておけという「指令」。もうしてあったんだけど・・・。まあ、午後5時のポストにカードをどさっと入れて、銀行に寄ってずっと持ち歩いていた小切手を口座に入れて、青果屋に寄ってカレシに頼まれたトマトとその他ワタシが使う野菜を買って、家路の半分まで来たところでまた電話。暖房システムのリレースイッチの名前がどの部屋を指しているのかわからないという質問。自分の家なのに、カレシはこういうことになると未だに何も知らないから困るなあ。歩きながらいろいろと説明したけど、歩きながらの携帯はけっこうやりにくい。みんなぺちゃくちゃとおしゃべりしながらすいすいと歩いているように見えるけど、慣れているからなのかな。

帰りついて、ロウルからリレースイッチが不良だという診断。4ヵ所のコントロールが「音信不通」なんだそうな。もうかなり長いこと不良のままだったらしい。あらまあ・・・。たしかに、八角塔の部屋はあまり温度が上がらなかったけど、窓が多すぎるせいだと思っていたし、キッチンとリビングも何となく暖かくないなあという感じはしていたけど、寒くはなかったし、温度計はいつも20度前後を指していたので、そんなもんだと思っていた。なあんだ、知らないで暖房のない部屋で暮らしていたのか。まあ、それも裏を返すと、我が家の断熱・省エネ性能がそれだけ高いという証拠なんだろうけど、何だかなあ。とにかく、全部で11ヵ所のコントロールのうち、反応のない4ヵ所のリレースイッチを新しいものに交換。1ヵ所ずつコントロールをオンにして、作動していることを示す表示灯が点ったのを確認して、作業が終わったのは午後6時。請求書は明日持ってくるから、何か質問があったら電話してと言い残して、ロウルは帰って行った。

でも、でも、でも、まだ問題解決とは行かないような予感。八角塔の部屋はこんなに暖かかったことはなかったと思うくらい暖かい。椅子に乗って(落ちないように気をつけて)天井に触ってみると、うん、暖かい。だけど、キッチンとリビングのコントロールの温度計は、サーモスタットを試験的に24度に設定してあるのに20度を指したままで、天井はまったく暖まっていない。つまり、直っていないということだけど、サーモスタットはOK、リレースイッチもOKということになると、もしかしてヒーターがダメになったのかな。原因がパネルだったら、天井の石膏ボードをはがして取り替えて、新しい石膏ボードを取り付けて、ペンキを塗って・・・と、軽~く何千ドルの修理費が吹っ飛ぶこと請け合い。ロウルはパネルは問題なしと言っていたけど、あちこちで取り替え工事をやったとも言っていたし。まあ、何にでも寿命というものがあるのはわかっているんだけど・・・。

ま、外の温度はゼロに近づきつつあるけど、家の中は一応快適だから、明日、明日・・・。

深まる暖房システム故障の謎

12月18日。火曜日。少し早寝したので、起床は午前11時10分。ベッドルームは暖かい。八角塔の部屋はぽっかぽか。日当たりがいいこともあるけど、ちょっと暖かすぎやしないかなあ。だけど、キッチンに下りたら18度で、ちょっとばかり「肌寒い」。テレビをつけたら、かなりの雪が降って交通事故続発だったという話。二階に上がって外を見たら、屋根の谷に少し残っているだけで、そんなに降った形跡はない。ポーチの温度計は摂氏3度・・・。

朝食後、さっそくロウルに電話してバッドニュースを伝える。「どうしてかなあ」と思案の様子。今日のスケジュールが終わったら来てくれることになった。暖房がないと言っても、キッチンとリビングだけで、真下のオフィスの温度を少し上げれば、何となく床暖房の代わりになって、昼間は寒い感じはしない。夜になると少し冷えるけど、最悪の場合は温室用の予備においてあるポータブルの電気ヒーターを持ち出せばいいけど、ちょっと雪が降ったくらいでもこの18度~20度を保てるなら、必要ないかな。それにしても八角塔の部屋(リレースイッチには「サンルーム」と書いてあった)は暖かすぎる。午後1時には暖房モードから設定温度が低い「節約」モードに切り替わったけど、天井はポッカポカで、室温は25度。コントロールを最低の15度まで下げて様子をみたけど、やっぱり25度。どうやらサーモスタットもコントロールも無視して勝手に暖房しているらしい。ロウルに報告しておいたけど、どうなってんだろう・・・。

シーラが明日の掃除の件で電話して来て、午後には雨になるから行けると思うとのこと。シーラが住んでいるニューウェストミンスターでは10センチくらい積もって、車で仕事に出かけるのに坂道に差し掛かったら、前の車がスリップしてずるずると下がって来たので危なくぶつかりそうになったとか。今夜もまた10センチくらい、ところによっては20センチの積雪だけど、明日の午前中には気温が上がって雨に変わるという予報。どうやら雪かきしないで済みそうだけど、道路に積もった雪がべたべたになると車の運転は怖い。今年最後の掃除が終わった後の「打ち上げ」はお天気しだいと言うことにした。こういうときは、仕事にでかけなくてもいい在宅稼業はラッキーだなあ。

ロウルがやって来たのは夕食のしたくを始めた午後5時過ぎ。さっそくリレースイッチのパネルを開けて、サンルームのリレーを見て「あれ、開いていない」。設定した温度になると接点が開いて電流が切れるしくみなんだそうな。で、キッチンとリビングの場合は設定した温度に程遠いのに接点は開いたまま。つまり、電流が流れないからいくら待ってもヒーターは暖まらないというわけ。そういえば、ゆうべはパネルのあるところからブルブルという雑音が断続的に聞こえていたと言ったら、今度はとなりのパネルを開けて、変圧器のチェック。それにしても、どうしてこういうときに限って故障が起きるんだろうと言ったら、「こういうときに故障するんじゃなくてさ、寒くなってやっと故障に気がつくたんだよ」。そっか、暖かいときは暖房を使わないから故障していても気づかない。後はロウルに任せて、私たちは夕食。

私たちの夕食が終わった6時過ぎ、ロウルが「ミステリーだ。あしたの朝メーカーと問題を話し合ってから来る」と言って帰って行った。腕前ピカイチの電気工のロウルにも解決できない難問ということらしい。でも、どうやら天井に埋め込んだヒーターパネルは原因ではなさそうだからちょっと安心した。こうなったら変圧器でもリレーでも、どんどん最新のものに取り替えて、暖房システムを正常化してちょうだい・・・。

ああ、あったか~い

12月19日。水曜日。とうとうベッドルームとバスルームの暖房もダウンして、二階は全域が暖房なしになってしまった。毛布を1枚足して、電気ヒーターを入れて寝たけど、それでも2人とも午前10時過ぎに目が覚めて、結果的に早起き。やっぱり冷え冷え感が出て来たまあ。寝る前に降り出した雪は5センチくらい積もったけど、降って来るものは固体になったり、液体になったりで、雪にするか雨にするかを決めかねている感じ。

ベッドルームで使ったヒーターをキッチンに持って行って、朝食は熱々のオートミールで中から暖める。暖房が機能しているゾーンが半分以下(居住部分はベースメントの2ヵ所のみ)になってしまったので、少し気温が上がってくれないと、いくら断熱性の高い家でも時間と共に熱は失われるから、ちょっとした緊急事態に発展して来た様相。郊外は道路事情が悪そうだけど、リレーの交換が必要かもしれないと、とにかくロウルに電話でアップデート。「そっちへは今から2時間くらいで行きたいけど、道路の条件しだいかな」という返事。シーラが掃除を延期したいと言って来たので、かなり悪いことはたしか。ひと冬に1回雪が降るかどうかという土地柄、積雪5センチは大雪、10センチならドカ雪という感覚で、車はたいていがオールシーズンタイヤだし、ドライバーは雪道に慣れていないし、はたして、ロウルは来れるのか・・・?

クリスマスまであと1週間を切ったのに、買い物の予定は狂いっぱなしで、この分ではどうなることやら。でも、暖房システムが復旧しないことにはクリスマスを祝うどころじゃなくなるから、珍しくカーディガンを羽織って(それでもまだ裸足で)、ロウルが来るのをじっと待つ。最近開通したばかりの橋のケーブルの上から氷の塊が落下して、混雑でのろのろと通過中の車が何台か被害を受け、2人が怪我をしたというニュースが入って来た。この分ではロウルは来れないかもしれない。夜はベースメントのソファベッドで寝るか、なんて話をしながら夕食のしたくをしていたら、ロウルが到着。午後5時。3時半にこっちへ向かったそうだから、普通なら30分くらいところを2時間半もかけて来てくれたんだ。感謝感激!「だって、あんた方が寒くて震えているんじゃないかと思って気が気じゃなかったったんだよ」。おお、ありがとうね。

で、謎は解けたのかと聞いたら、「間違ってTがついている型式のリレーを寄こしたんだ」。あはあ、Tは変圧器(transformer)のTね。「そう。変圧器なしのをと言ったのに、んっとにバカすぎて頭に来たぜ」とロウル。さっそく正しいリレーに取り替える作業にかかって、ほどなくしてベースメントから「キッチンはOK」と言う声。数分待ってから、カレシが椅子に上って天井に手を当てて、「おお、あったまってるぞ」。不具合だったリレースイッチが次々と作動し始めて、ああ、家中があったかくなって来たぁ・・・。6時過ぎに作業を終了して帰るロウルに、フリーザーからスモークサーモンとスモークサーモンのパテと鴨の胸肉の燻製を出して、手近にあったレジ袋に入れて、ほんのお印だけど、ありがとうの気持ち。メリークリスマス!

食後にそれっとトラックでIGAと酒屋。幹線道路はほとんど雪は解けて、交通量の少ない中をすいすい。スーパーの駐車上はがら空き。まず2人ともそれぞれの野菜をどっさり。手持ちが少なくなっていた白身の魚もどっさり。カレシはわざわざ印刷した自分専用の買い物リストを見ながら、スーパー中をあっちへうろうろ、こっちへうろうろ。ベーキング用のダークチョコレートを3箱も買ってにこにこ。ホリデイのデザートには、大きな箱のパネットーネとラム入りシュトレン。また太るかなあ。これで一番大きなトートバッグ2つと予備の小さいエコバッグ3つが満杯。酒屋ではなぜか(!)すぐに空になってしまうレミと、久しぶりに入荷したアルマニャックの1982年ヴィンテージを2本。我が家のハウスワインになっているStarboroughのソヴィニョンブランを6本。クリスマスのディナー用にシラズ(赤)にヴィオニエ(白)をブレンドしたオーストラリアの赤ワイン1本。そして毎日のマティニに欠かせないジンの大瓶。ついでにめったに入らないプリマスジンも1本(マティニの味が微妙に違う)。

やれやれ。これでグルメ三昧のホリデイの準備は80%くらい完了。後は明日ママのところへご機嫌伺いに行く途中のHマートでお正月用のアジア食品の調達を残すだけ。雨が降ろうが、雪が降ろうが、世界が終わろうが終わるまいが、ぬくぬくとした我が家で、2人で飲んで、食べての冬ごもり。また太るなあ。でも、この年になれば、花より団子の方が健全じゃないのかな。

家が暖まったら、買いすぎた食品の保存が問題

12月20日。木曜日。ぐっすり眠って目が覚めたら正午過ぎ。毛布の下からそろ~っと腕を出してみたら、あれ、寒くないし、逆に暖かい感じもしない。最適温度になっているんだろうな。バスルームも普通に暖かい。ああ、うれしい。でも、一階のサーモスタットが制御している「サンルーム」はまるで「お日様かんかん」の暖かさ。まだ問題があるのかなと思いつつキッチンに下りたら、こっちもあったかすぎ。どうやら設定温度(23度)がまだ高めらしい。古いアナログ式から精度の高いデジタル式サーモスタットになったんだから、頭を切り替えて、最適な設定になるまで微調整しないと・・・。

一般的な温風をダクトで送る集中暖房システムと違って、輻射熱暖房は空気そのものよりも(人間を含めた)物体を暖めるので、効き過ぎると炎天下にいるように頭がのぼせ気味になるけど、体が十分に温まっていれば、寒気の中に出てもすぐには寒いと感じない。そこで外気温がマイナス10度でもTシャツ1枚で裸足にサンダルを突っかけてゲートの郵便受けまで行くという芸当ができるんだけど、寒くないからとぐずぐずしていると「蓄熱量」がゼロになって、家の中に戻っていきなりブルルッと震えが来る。システムそのものは70年以上前にノルウェイで開発されたもので、ワタシは(自分でリサーチして選んだから身びいきがあるとしても)これほど快適な暖房システムはないと思うんだけど、北米での普及度は未だに低い。

外は雨だけど、雪はすっかり消えたので、予定通りにママのところへ行って、帰りにHマートで買い物をして来ることにした。でも、雪がないのは我が家のある区域だけらしく、場所によっては芝生はまだまっ白、道路にも解けた雪が残っていたりするから、改めて大変だったんだと実感。週中の日中だからなのか、きのうの今日でまだ混乱しているのか、どこも交通量がすごい。フリーウェイにつながる幹線道路はのろのろ運転なので、せっかちなカレシはいつものように「渋滞」を迂回しようと左折するところを右折。で、案の定、よく通る交差点でワタシが「右」と言ったのに「いや違う」と左に曲がったもので、結局ぐるっと回って渋滞していた道路に出てしまった。闇雲に流れに逆らうのも考えもんだよねえ・・・。

途中はどしゃ降りになって、カレシは運転に集中、ワタシは標識の読み取りに集中。昔よく出口を見落としてうっかり渡ってしまった橋(きのうケーブルから氷塊が落ちて来て大騒ぎした橋)は架け替えで「有料」になったから、ワタシは出口の標識に目を凝らして、何とか迷子にならずに無事にナビゲータの任務遂行。フリーウェイを下りて、橋を見上げたら、レーンの数が多い広い橋なので、ケーブルを吊るパイロンが中央にあって、ケーブルが合掌するようなデザインになっている。なるほど、これじゃあケーブルから落ちた氷塊が車を直撃するはずだ。ゼネコンは「想定外の天候条件だった」(どっかで聞いたせりふ・・・)と言うけど、専門家によると同じようなデザインのつり橋ではよく起こることらしい。バンクーバーじゃそんな心配はないとか高を括っていたのかな。政府は今後の対策の費用だけでなく、「雪爆弾」の被害を受けた車の修理などの費用も設計施工を請け負ったゼネコンに全額負担させることにしたそうな。

紅茶を飲みながら1時間ほどママとおしゃべりをして、今度はラッシュの中をHマートへ。駆け込みでクリスマスショッピングをする人が多いから、大小のモールが並ぶ辺りの渋滞がものすごくて、1時間以上かかってしまった。お正月用の食材を中心にど~んと買い物をして、帰ってきた午後7時過ぎ。すぐに冷凍してあった寿司飯を一旦電子レンジで温めて、酢を足して冷ましている間に、冷凍品を解凍しながら、買い物の整理。う~ん、これ、みんな納まるところに収まるのかなあ。ま、ささっと生ちらしを作って、春雨がないからビーフンでちょこっと酢の物を作って、インスタントのお吸い物を作って、夕食は午後8時。いつもならそろそろランチのことを考えている時間・・・。

氷点下までは下がらないという予報なので、野菜や要冷蔵品はしばらくガレージに保管することにして、冷凍食品が全部フリーザーに納まるかどうかが問題。あんがい、家の中が寒いままだった方が収納的には良かったのかも。まるでジグソーパズルのような感じだけど、いっちょうやってみるか・・・。

みんながそうじゃないのはあたりまえ

12月21日。金曜日。午前11時30分、夢を見ていたところを目覚ましにたたき起こされて、しばし茫然。湿っぽいけど雪の気配はなし。家の中は暖房がオンになっているのかどうかもわからないくらい快適。システムが安定して来たようで、めでたし、めでたし。

ほどなくして予告通りにシーラとヴァルが延期していた掃除に来てくれたので、ささっと朝食をして、いつもお中元・お歳暮の発送を頼んでいる会社のオフィスで、私たち用の半年分のスモークサーモンやらイクラを調達。これでホリデイの準備が完了。掃除が終わった後、シーラとヴァルにクリスマスボーナスととサンフランシスコみやげのクリスマス飾りを渡して、ワインを開けて恒例の「忘年会」。しばしのおしゃべりに花を咲かせていたら、ほんの束の間だったけどまぶしい日が差してきた。そっか、今日は冬至。一番夜が長い日。そういえば、世界が終わる日でもあった。はて、きのうまでの世界は私たちが寝ている間に終わって、目が覚めたら今日から始まったばかりの新しい世界になっていたということなのか。だったらいいけどなあ。

全米ライフル協会のおエライさんが「銃を持った悪いヤツを止められるのは銃を持ったいいヤツしかいない」から、すべての学校に武装したガードをおけと言って、世界中から呆れられている。アホか、ほんとに。アメリカ市民*もいっせいに「アホか」。支持者*でさえ「アホか」。テレビに映った人は狂信的な宣教師のようで、あまり賢そうな印象ではなかった。アホだなあ、ほんとにアホ。だけど、これでまた「だからアメリカ/アメリカ人はバカ/暴力的/野蛮云々」というひと括りの話になるんだろうな。まあ、国や人種、民族に関するステレオタイプ(既成概念)は、誰かのふとした体験から生まれ、経験値や視野が限られている人たち*によって(フェイスブックの「Share」を押すように)拡大され、やがてひとり歩きを始めるもので、今に始まったことではない。

劇作の講座を取っていたときに、ステレオタイプについての議論が沸騰したことがあった。生徒は外国生まれも含めて男女7人。架空の芝居の登場人物たちの現状からそれぞれの背景を憶測するわけだけど、生徒それぞれが持っているステレオタイプが反映されていておもしろかった。ポジティブなものもあったけど、ネガティブなものがどちらかというと多かったと思う。(ワタシも特定タイプのキャラクターにかなりネガティブなステレオタイプを投射していることを指摘されたっけ。あれは目からうろこだったな。)先生はかなり過激なテーマの作品を書くカナダの新進劇作家。さて、どういうイメージが浮かぶだろうか。「カナダ」、「新進」と言うキーワードから「白人の若い男性」のイメージが浮かぶかな。(北米では必ずしも「新進」イコール「若い」ということにはならないんだけど。)ワタシの先生は「30代の男性で、童顔のフィリピン系、ゲイ」。親子ほど年の違うワタシを熱心に指導してくれたおかげで、ワタシは「永遠の」劇作家志望・・・。)

ステレオタイプ的ひと括りでおもしろいのは、自分が見聞きしたことないか、あまり体験がない他国や他民族については(経験値が小さいからだろうけど)国土や人口の大小に関係なく簡単にひと括りにするのに、自分の国や民族を(ネガティブに)ひと括りされると「みんながそうじゃない」と抗議する人がかなりいること。ひと括りは一般論であって、みんなが同じではないことは暗黙の了解事項だと思うんだけど、(決めつけにならないように「~が多い」と表現しても)自分ことを言われたように怒り出す人もいる。痛いところを突かれたための反応と解釈できないこともないけど、「証拠を見せろ」、「統計を示せ」と絡む人もいるから、ある意味で自己主張が嫌われる環境で「自分はみんなとは違う」と自己主張しているのかもしれないとも思う。でも、そういう人ほど括りがポジティブだったり、異なものを批判したいときに「同じ○○として・・・」とあっさり自分を「みんな」とひと括りにするから、人間の心理はおもしろい。

全米ライフル協会の副会長を「あまり賢そうでない狂信的な宣教師」なんて評したら、「賢い狂信的宣教師もいる」、「すべての宣教師が狂信的なわけではない」、「すべての宣教師が賢くないなんてありえない」といった反論が出るかな。ただそういう風に見えたという個人的な印象なんだけど。だって、よけいなお世話の物言いの多いワタシだって、主観的に一方的に決めつけるのは政治的に正しくないことくらいわかっているつもり。まあ、銃規制に関してはアメリカ人が自ら解決しなければならない問題であって、傍からああだこうだと口を挟むことではないと思うんだけど、ここでも自分の主義主張こそ正義だと思っている人たち*や何につけてもアメリカのやることに批判的な人たちほど*、アメリカにああすべき、こうすべきと頼まれもしない助言をしたがるようなところがあるな。おっと、これはあくまでもワタシの経験値のみに基づくステレオタイプ的イメージ・・・。

*みんながそうだと決め付けてはいない。そうでない人もいる。

宗教と信仰は似て非なるもの

12月22日。土曜日。なんだか不思議な夢を見ていたら、カレシに起こされた。正午をちょっと過ぎたところで、ベッドルームは薄暗い。今日も雨。天気予報は「来年」までほぼ毎日雨。慣れていない人には気が滅入りそうな予報だけど、雪よりは何倍もましだな。

クリスマス前の最後の週末。ぎりぎりまで腰を上げない「先延ばし族」がどれだけいるのか知らないけど、モールはごった返しているのかな。2桁インフレから2桁金利を招いて猛烈な不況に陥った80年代初め、ワタシは最後のクリスマスプレゼントを買うために意を決して昼休みにデパートに行ったことがあった。店に入ったら「見る人」ばかりで、レジには誰も並んでいなかったからびっくり仰天。あれは、それまでは失業保険をもらって呼び戻されるのを待てばいいブルーカラー層が中心だった大量レイオフが、労働組合に属さないホワイトカラー層にまで及んだ大不況で、公務員だった私たち2人も安穏としていられない状況だった。まあ、結果としてかなりのサラリーマンたちが経験や人脈、知識を生かして起業したり、在宅自営業を始める起爆剤になったのも確かだけど。

最近、テレビで盛んに「帰っておいで、カトリック教徒よ」みたいなコマーシャルが流れていると思ったら、National Postに、カナダ人の半分が自らをreligious(信心深い)であると言う一方で、自らをspiritual(精神的)であると言う人は3人に2人の割合で、信仰心が組織宗教から離れつつある傾向を示す調査結果が出たという記事があった。実際に教会での礼拝に出席する人口は減少を続けていて、組織宗教の衰退が目に見えているとか。世界各国のデータを基にした研究調査でも、西洋社会のほとんどが大きな変化の入り口にあって、宗教よりも個人の精神性を重視する方向へ進んでいることが示されたそうな。それでも、「無宗教」と回答した人たちの4人に1人は神の存在は信じているそうで、組織宗教が教える「神」は信じていなくても、生と死、自然現象などから「魂」(spirit)の存在を感じているということらしい。

ワタシとしては、宗教と信仰心はまったく別のものだと思っているし、ワタシの精神性のルーツがキリスト教にあるとしても、キリスト教会が教えることとイエスが教えたことには大きな違いがあると思っている。イエスは神の無限の愛と赦しを説いたはずだけど、その死後に形成されたキリスト教は宗教という名の組織であって、それ故に階層化され、各階層の権威(あるいは権益)を確保するために戒律や規則で信者を縛り付けているとしか思えない。去年モントリオールで家族と大聖堂を見学したときに、一緒だった姪の夫モンティがそっと抜け出したのに気づいて後を追ったら、寒そうに立っていたモンティが「ぼく、カトリックの信仰を捨てたんだけど、教会に入ると罪悪感で苦しくなるんだよ」と言った。そのとき、マリルーの夫でオーストリアのカトリックの家庭で育ったロバートが「カトリック教会は命令に従わないと地獄に落ちると信者を脅すから嫌いなんだ」と言ったのを思い出した。

信じる人を脅す(あるいは脅して信じさせる)宗教は何もカトリックに限ったことではないけど、組織宗教がそっぽを向かれつつあるとしたら、それは思想の自由を得た人たちが自ら信仰の原点に近いものを見出したからじゃないのかな。ワタシが信じる神さまは、宇宙を超えるところに存在する、人間には把握することも具象化することもできず、故に制御することもできないとてつもない「力」であって、その縛りも縛られもしない茫洋さがイエスの言う「無限の愛」であり「無条件の赦し」なんだと思う。ワタシの神さまはワタシにも他の誰にも「ああしろ、こうしろ、でないと地獄に落とすぞ」という怖いお説教はしない。(地獄は現世にごまんとあるし・・・。)バカなことをやって失敗したら「ちょっと思慮が足らんかったなあ」とため息をつくか、「ほんっまにしゃあないやっちゃなあ」と苦笑して、「まあ、ええけど、この次はもうちっとよ~く考えて、しっかりやるようにするんやでぇ」と言ってくれる、いわばワタシの「良心の声」のようなものかな。

神さまは唯一だけど、その「魂」はいたるところにあると思う。まあ、信心深いキリスト教徒にしてみたら許しがたい異端だろうな。不信心きわまりないと怒るかもしれない。もしも中世に生きていたら、宗教裁判にかけられて、魔女として焼かれただろうと思うな。でも、ワタシの自己肯定感を支えるspirituality(精神性)がワタシの世界観、人間観、人生観の骨格を形作っていることは確かだと思う。いつも「まあ、いいか」の極楽とんぼのワタシだけど、ちゃらんぽらんに飛び回っているようでもワタシなりの信仰心を持っているから、自分が決めたことについてさしたる後悔をすることもなく生きていられるんだと思う。

痛がるのがめんどうくさいだけ

12月23日。日曜日。起床は正午。寝返りの打ち方でも悪かったのか、足がずきずきと疼いて目が覚めて、なかなか眠りに戻れなかった。おかげで頭の中は何となくどんよりして、外のどよんとした曇り空とそっくり。クリスマスの予報は「雪混じりの雨」。ホワイトクリスマスじゃなくて、「ごま塩」クリスマスかいな。 

せっかく12月1ヵ月を丸々休みにしたのに、何だかんだとあったもので、さっぱり休み気分になれなかったけど、明けない夜はない(暮れない日もないけど)。きのうは洗濯機と乾燥機を4ラウンド回して大洗濯をしので、今日から2人ともやっとひたすら食べて、飲んで、ごろごろするばかりの「冬眠」モード」。(ふむ、動物は冬眠するために太るけど、人間は冬眠したために太る・・・。)まあ、冷蔵庫もフリーザーもぎっしりだから、2人隠居の予行演習だと思ってしばしのぬるま湯暮らしと行く。2人とも根がぐうたらだから、さて、どんな具合に行くか・・・。

椅子から落ちて挫いた足は、もう10日も過ぎたのにまだ腫れが残っていて、いつまでもうずうずと痛いから困ったもんだ。圧迫包帯を巻いてあるけど、おかしな姿勢で歩き回るから健常な方の膝がぎくしゃくするやら、股関節が痛くなって来るやらで、とほほな感じ。腫れているのに靴を履いて外を歩き回っていたのが良くなかったのかもしれないけど、じっとしていたら何もできないし、何もできないとクリスマスも正月もなくなるから困る。これがカレシだったら「治るまでは安静」を宣言するところだろうなあ。でも、ワタシはドクターに痛みの閾値が高すぎるから気をつけなさいと言われるくらいに「鈍感」らしい。ワタシとしては、「鈍感」はないだろうと思うんだけどな。少なくとも神経は鈍感じゃないんだけど。忙しかったりすると痛いのを相当なところまでがまんしてしまうだけの話。ドクターはそれがいけないと言うけど、痛い、痛いとさわぐのがめんどうくさいというか、疲れるというか・・・。

まあ、今の時期は医者も休暇を取って不在だったりするから、救急センターもクリニックも混雑して、捻挫が治らないくらいで行っても、重病の人が運ばれて来るたびに順番が下がる。たぶん何時間も待たなければならなくて、それで「骨折はないから、圧迫包帯をして、痛かったら鎮痛剤を飲んで、安静にしていれば大丈夫」という診断で、処方箋を渡されるのがオチ。ずっと昔、金づちで叩いて爪が真っ黒になった指を抱えて飛び込んだときは、氷嚢を渡されて、4時間待ってやっとレントゲンを撮って、さらに1時間待ってドクターに診てもらえて、「冷やしておきなさい」と言われて、強力な鎮痛薬のサンプルみたいのを渡されて帰って来た。これじゃあ痛がるのがめんどうくさくなるはずだと思うけどな。ま、今のところはいい年をして暗いところで椅子に上って背伸びするのは危険という教訓を忘れないことにして、年が明けてもまだ歩くのに支障があったらクリニックにでも行ってみるか。

クリスマスイブはおフランス

12月23日。月曜日。クリスマスイブ。足が痛まなかったおかげで、午後1時近くまで寝てしまった。圧迫包帯を外して寝たのがよかったのか、起きてみたらきのうよりは改善された感じ。

朝食が済んだら、さっそくクリスマスイブのご馳走を作る「作業」にかかる。

今日のメニュー:
 かきの燻製入りポレンタの揚げ団子
 フレンチオニオンスープ
 カスレ、温野菜(蒸したフレンチインゲンとレインボーにんじん)
 デザート(パネットーネとシュトレン)

[写真] 今夜のワインはオーストラリアの赤。赤のシラーズに白ワインのヴィオニエをブレンドしたところがちょっと変わっている。どっちもこくのあるバラエティだから互いに負けていない。Chookというのはオーストラリアのニワトリ。赤と白のだんだら模様のマフラーが何ともおしゃれ・・・。

[写真] 前菜は、戸棚を探していて奥から燻製のかきの缶詰が出てきたので思いついた揚げ団子。かきは燻製だから小指の先ほどの大きさ。いろいろとある変わった粉を使ってみることも考えたけど、一番無難そうなところでポレンタを作って包むことにした。イタリアのポレンタは粗挽きのとうもろこし粉を練ったもので、固めに練って冷ますと団子にまとめやすい。かきを1粒包んで、パン粉をつけてフライヤーにぽとん。レタスの葉っぱに載せて、竹串を刺して飾り。かきの他にも試せるものがありそう。

[写真] あっさりのフレンチオニオンスープ。大きな玉ねぎ1個。隠し味はブランディ。今年はオーブンが壊れていてバゲットを焼けなかったので、ガーリック風味のバゲットチップにチーズを載せて代用。

[写真] メインコースは久しぶりのカスレ。ラタトゥイユと並んでカレシが大好きなフランスの田舎料理。食べるのは少量でも、ちょこっと作ってはおいしくないので、盛大に大きなスープ鍋いっぱいに作った。鴨のもも肉、ラム、豚のあばら肉。いつも入れるソーセージは今日は抜き。鴨を骨からはずのがちょっと大変だったけど、3種の肉を別々にオリーブ油で焼いて、玉ねぎ、にんにく、セロリも軽く炒めて、後は缶詰のトマトとカネリーニ豆、白ワイン。タイムの束、ローレルの葉、クローブの粒を入れて、3時間ほどことこと。赤いミニのココットに盛って、蒸した野菜、フランスパンのクリスプとアイオリを添えて、ちょっとおしゃれに・・・。

[写真] コースをイタリアのポレンタで始めたので、デザートはイタリアへ戻って、クリスマス名物のパネットーネと(ちょっと足を延ばして)ドイツのシュトレン。ああ、おなかがいっぱい。メリークリスマス!

クリスマスの晩餐は鳥肉3種

12月25日。火曜日。クリスマス。カレシに起こされたのが午前11時。寝るのが遅かったけど、その前に2人ともおなかがいっぱいで1時間くらい眠ってしまったので、まあ、睡眠は赤字になっていないか。今日も曇り空のち雨。外はし~んと静まり返っている。

クリスマスの朝食スペシャルは、チキンベーコン、スモークサーモンと野菜と卵のココット。ほうれん草を電子レンジでさっと「湯通し」してココットの底に敷き、スモークサーモンをざくざくと切って並べ、卵を割り入れて、アスパラガスと(カレシが二階の窓際で育てた)赤ピーマンとさっと炒めたしめじを散らして、トースターオーブンで焼いている間にチキンベーコンをかりっと焼いて、カレシがしぼってくれたオレンジとグレープフルーツのジュースを添えて、ちょっとおしゃれにクリスマスブレックファスト。

さて、朝食もそこそこにクリスマスの晩餐の準備。と言っても2人分だから、大汗をかくほどの大仕事ではないけど、大枠だけ決めておいて後は行き当たりばったりだから、けっこう知恵を働かせなければならない。今年のテーマは「ロール」。七面鳥の胸肉と鶏のもも肉と鴨の胸肉を少しずつ。これを3通りの詰め物でそれぞれロールに仕立ててみようというわけだけど、トースターオーブンで焼くから、生焼けや焼きすぎにならないために、肉の中の温度を測れる電子温度計を用意。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(スモークサーモンのかいわれ包み
           鶏のもも肉のルーラード、コーンとオクラ添え
           鴨のロール、チェリーリキュールリダクション、
              シャンテレルのバター炒め、枝豆
           七面鳥のロール、ポートワイン入りクランベリーソース、
              スマッシュポテト白ワインリダクショングレヴィー、
           サラダとバルサミコ酢

[写真] 朝食の残りのスモークサーモンにカイワレをちょこっと包んで、少々ありきたりだけど、マティニのお供の突き出し。

[写真] 鶏の詰め物はもものひき肉にしいたけとねぎを混ぜたもの。ラーメンには使わないけど取ってあるインスタントの粉末スープを味付けに使ってみた。もも肉はさらに薄く開いて、ひき肉を均等に広げてきちっと巻き、ホイルに包んで両端をキャンディのようにしねじって置く。付け合せはHマートで見かけたカラフルなコーンと蒸したオクラ。

[写真] 鴨の詰め物は「にんにくと玉ねぎのジャム」の残りをベースに、さらに玉ねぎとローストしたにんにくを3粒刻んで混ぜて、パン粉とコーンミールでまとめたもの。胸肉は筋っぽいところを切り取って、薄く開いて形を整え、詰め物を広げてきっちりと巻いて、ロースト用のネットをかける。ソースは干しチェリーをうるかしておいて、チェリーリキュールを徐々に煮詰めてから加えたもの。付け合せはバターで炒めたシャンテレルきのこと蒸した枝豆。

[写真] さて、クリスマスになくてはならないのが七面鳥。(ヨーロッパの国によってはガチョウや鴨を食べるそうだけど。)たまたま小さな胸肉の塊を見つけたので、この日のために買っておいた。詰め物は基本的な玉ねぎ、セロリ、パン粉にハーブ(パセリ、セージ、ローズマリー、タイム)。これに大豆肉のイタリアンソーセージをほぐしたものをまぜてみた。白ワインでしめらせて、薄く広げた七面鳥の上に広げて、ぎゅっと押さえつけ、ロールアップしてネットを被せ、乾かないようにホイルに包んで準備完了。ソースはまず料理用の白ワインにセージ、ローズマリー、タイムのブーケを浸してリダクション。ほんの少しだけ出て来た肉汁を混ぜて、粉でとろみをつけてしあげたら、意外とお上品なグレヴィーになった。七面鳥のローストにはクランベリーソースがつきものだから、ポートワイン入りの「ほろよいクランベリーソース」を小皿に入れて添えた。付け合せはスマッシュポテト(最近流行っているマッシュにせずに粗く潰したポテト)。レタス、トマト、かいわれのサラダに熟成したバルサミコ酢。

今年は何かと忙しなくて、去年ほど手をかけることができなかったけど、クリスマスらしいご馳走だったな。鳥肉が3種類だけど、普通なら1人前の量で2人前にしてあるから、特に食べ過ぎたという感じはない。ま、カロリーはけっこう高いだろうけど、年に一度のクリスマスの晩餐だもの(といってイブにも晩餐をやってたけど)。伝統的なクリスマス料理だったら、七面鳥に詰め物にマッシュポテトにその他の温野菜がつくから、軽く1000カロリーは行ってしまいそうで、その後にパイやら何やらとデザートを食べたら、次の日は秤に乗るのが怖いくらいにリッチ。その点、我が家は少量精鋭主義というところ。だけど・・・

[写真] チョコレートを入れてあるクリスマスストッキングに手を突っ込んでいるのは誰だ?ああ、そのおなか・・・。

遺言状という名の責任

12月26日。水曜日。ボクシングデイ。目が覚めたらもう正午過ぎ。2日連続でごちそうを食べ過ぎて、2人とも何かくたびれたのかな。

きのうのクリスマスに続いて今日も祝日。ボクシングデイセールをめがけて、早朝から(人によって前夜から)行列して、量販店に開店と同時にどっとなだれ込むのが習慣になったような感もある。60%オフとか70%オフとか、とにかくどこも大安売りで、売る方はどれだけ店が混雑したか、買う方はどれだけ安く買ったかを競い合う日でもあるような感じ。プレゼントに欲しかったけどもらえなかったものや、前から欲しいと思っていたものを買うには絶好の機会だろうと思うけど、大半の人にとっては「参加することに意義がある」恒例のイベントというところじゃないのかな。まあ、売る方はもうすぐ旧型になる商品の在庫をクリアできてうれしいし、買う方はとにかく安く買えてうれしい(と思う)し、双方めでたくしゃんしゃん・・・。

起きてみたら、電話のボイスメールにマリルーとロバートとそれぞれから私たちが金曜日に行く予定なのを土曜日に変えられないかとメッセージ。きのう電話したときは(何しろ大家族が集まるから)周囲がわいわいがやがやで、うっかり金曜日に予定が入っていたことを忘れていたという話。さっそく折り返しOKの電話。ロバートが「念のためにパジャマと歯ブラシを持っておいで」とお泊りの誘い。車で1時間半くらいかかるところだし、1年に何度も会わない2人だし、ゆっくりとおしゃべりするには泊り込みがいいかもしれないな。土曜日はマリルーとロバートの息子、娘たちの家族も集めてディナーに繰り出そうという話になった。ざっと暗算したら、三世代で少なくとも総勢16人・・・。

人数はともかく、私たちとしてはマリルーの娘のセーラに相談することがある。セーラはワタシがカナダに来てまもなく生まれた子で、今は父親(カレシの弟)の会社を継いで、2人の子供を育てながら社長として(営業担当の)夫のロブと共にアメリカの不況とカナダドル高の中で奮闘しているバリバリのビジネスウーマン。そのセーラに私たちの遺言状の執行人になってもらえるかどうか話をしようというわけ。遺言状についてはもう何年も前から作ろうと言いながら先延ばしにしてきたもので、来年はワタシも年金受給が始まることでもあるしというわけで、やっと重い腰を上げる気になったしだい。ところが、遺言状にはその内容を忠実に実行する遺言執行人を指定する必要があるんだけど、子供がない私たちは親族や信託会社や弁護士に頼むしかないわけで、けっこうめんどうくさい。

何しろ、カナダには日本のように遺産を誰がどれだけ相続するかを決めた法律がないもので、遺言状を書いておかないと、政府の検認機関が遺産の処分を決めることになる。もっとも、夫婦の共有財産をすべて生存者権つきの共同名義にしておけば、自動的に生き残った方のものになるから、「後は野となれ山となれ」式に考えるなら遺言状など書かなくてもいいんだけど、問題は個人名義の財産がある場合に、遺言状がないとその処分にがっぽりと手数料を取られること。子供がいなければ、相続権のある親族を調べ上げなければならないので、手数料は膨大な金額になって、庶民のささやかな財産だったらそれだけで消えてしまうこともありえないことではない。つまり、遺言を残さずに死ぬと、政府に最後の確定申告で税金を取られ、残った遺産をさらにごっそり分捕られるわけで、なんか間尺に合わない気がする。

でも、基本的に自分の財産は自分で管理し、自分の最後は自分で始末する責任があるということだから、それをやらないで死んだら文句を言えた義理じゃないな。まあ、私たちの財産のめぼしいものはすべて共同名義になっているから、どちらかが先に逝っても遺言がなくてもそっくり「生存者」のものになるし、今は(不動産がバカ高いバンクーバーに住んでいるというだけで)それなりの財産があっても、2人の老後の生活資金として消化して最後に残るのは微々たるものじゃないかと思う。だから、遺言なんかどうでもよさそうなんだけど、英語で遺言状のことを「Will」(意志、意向というの意味もある)というように、残ったものも私たちが夫婦として築いた財産なんだから、不要に政府に献上するよりは、誰にもらって(あるいは何に役立てて)欲しいかを決めておくのが自分たちの責任を全うする逝き方だと思うな。

意外なことに、取られる額が大きい大富豪ならしっかり遺言状を作っているかというと、どうもそうとは限らないらしい。それで、遺産相続争いが起こって、セレブであるが故にマスコミを賑わすわけだけど、一族の誰かが何億ドルという「棚ぼた」を持っていたら、期待するなと言っても無理なのかもしれないな。でも、いくらお金がざくざくあっても、あの世へ持って行くことはできないんだから(それでカレシは「持って行けないならボクは行かない」と言うわけだけど)、金持は金持なりに自分が貯めこんだお金に責任を持ってもらわないとね。まあ、我利我利亡者を争わせて、あの世でドラマを楽しもうってことなら別だけど・・・。

知りたがり屋だけど勉強オンチ

12月27日。木曜日。起床午前11時50分。ごみ収集トラックの轟音で目が覚めた。外はただの曇り空のようで、何となく霧がかかっているような、湿っぽい色合い。ポーチの気温は摂氏5度で、まあ平年並み。北米大陸の東の方ではアメリカからカナダにかけて1200キロもの地域で相当な荒れ模様になっていて、空も陸もマヒ状態。クリスマス休暇から帰る人たちが立ち往生しているらしい。なぜかこの時期には荒れることが多いような・・・。

きのうのボクシングデイはかなりの人出だったそうで、隣町のバーナビーでは混雑のために大きなショッピングセンターの駐車場から出られなくなった買い物客からの(日本の110番と119番にあたる)911番への電話が相次いで警察はおかんむり。買い物を終えて広大な駐車場から道路へ出るのに1時間かかったという人もいるから、混雑は相当なものだったらしいと想像がつくけど、だからといって警察に通報してもどうなるってもんじゃないと思うけどな。どこの世界でも「アホか」というような電話があるそうだから、これもそのうち「迷(惑)通報百選」の殿堂入りしたりしてね。いい大人がいったい何を考えているんだろうと思うけど、どうやら近頃は便利になりすぎて人間は考えなくなっているらしいから始末が悪い。

クリスマスの2日間あれだけ食べたのに、きのう、今日と体重がほんの少しだけど減った。半日キッチンに立って動き回っていたからかな。それとも足の不具合が「喫緊のストレス」になったのかな。まあ、どっちでもいいけど、前者だとすれば仕事に戻れば元の木阿弥、後者だとすればほとんど普通に歩けるようになったから元の木阿弥ということになるのかな。足はまだ腫れっぽくて赤みが取れないけど、階段の上り下りも普通に近くなったから一応は「治った」。でも、立つと何となく包帯をしているように感じるのは、ワタシの足が後天性の偏平足だからかな。Fallen archesと言うやつで、土つかずはあるんだけど、立つとアーチが潰れてしまう。(家の中では裸足だけど、靴の中には矯正用の底板を入れている。)おまけに歩いていると腫れているところがプヨプヨ、タプタプとして、何ともいや~な感じだなあ。

今日は平日だから(というわけでもないけど)、置きみやげの仕事の段取りを始める。原稿用紙にして30枚ちょっとの量で、納期は1月7日。年が明けてからお屠蘇気分で仕事を始めてもいいけど、そうのんきに構えていて新年早々から期限ぎりぎりになって慌てるのは良くないと思うから、とりあえずファイルを開けて読んでみる。テーマはどうやら地球温暖化で、分野は水文学。この会社はいつのまにか「環境科学」をワタシのデフォルトの専門にしている感じだけど、ひと口に環境科学といっても「環境」に関わる学問の範囲が理系、文系に広くまたがっているので、専門の学歴がなくて好奇心だけでやっている何でも屋のワタシにはうってつけと判断したらしい。それにしても、世の中には「何とかology(学)」というものが星の数ほどあるということは、基本的に人間は「知りたがり屋」なんだろうな。知りたがりの範囲は半径5メートルから無限大まで人それぞれではあるけど、ゼロという人はいないんじゃないかなあ。

ワタシは好奇心の方は多すぎるくらいだけど、一貫していないというか、要するに学校という集団環境で教育指導要領に沿って教えられることを学習するのが苦手で、高校時代は数学も物理も化学もテストの点数は赤点すれすれ。数学も物理も化学も地学も生物も、とにかく理科には興味があって好きだったのに、最後には成績が悪すぎて危うく高校を留年しそうになった。でも今考えると、あの散々な成績はテストが「できない子」だったということじゃないのかなあ。それなのに、英語ができ過ぎるから数学も物理もできる「はず」と思われて、テストのたびに先生にやる気が足りないと説教されたもので、もう学校はこりごりの気分になって、大学進学はノー。(後悔したことはないけど、そもそもあの成績じゃ骨折り損・・・。)

だけど、今こうして科学者博士たちの論文を、ググりまくっては楽しく学びながら翻訳してけっこうな報酬を頂戴しているんだから、ワタシが科学オンチだったはずはないと思うな。5年生のときに通信簿に(誰も何のことかわからなかった)釣鐘型のグラフがついて来て、ワタシの「成績」が右側のぺちゃんこになった部分のずっと先で子供心にすごくがっかりしたのを覚えているけど、生まれついてのぎっちょ思考だから、「学校」というセッティングでは「勉強オンチ」だったということはあり得るかな。まあ、少なくとも大の知りたがり屋だったら、学校での勉強がダメでもまだ望みはあるってことだと思うけど。

2000本目で今年の書き納め

12月28日。金曜日。薄日の差す穏やかな日。気温は5度。テレビのニュースチャンネルはどこも回顧モード。今年もいろいろあったな。その前の年もいろいろあったし、その前の前の年も、その前の前の前の年も・・・。

今になって気がついたけど、ワタシの饒舌ブログ、「今日の風の吹きまわし」カテゴリーはこれが2000本目の記事。ほんと、ああだ、こうだ、ああでもない、こうでもないと、よくもそんなに書くことがあるもんだと感心するけど、饒舌もここまで来ると我ながら大したもんだと思う。実際のところ、ワタシの脳内はああだ、こうだ、ああでもない、こうでもないと、いつも騒がしい。おまけに翻訳業という仕事柄、人さまの脳内で発生した何千文字、何万文字の「ああだ、こうだ」の(言わずもがな的)真意を思いやって、それを言わずもがなの通用しない思考パターンの言語で「ああなんだ、こうなんだ」と書き出す作業を20年以上年中のべつ幕なしでやっているもので、ワタシの脳内の騒々しさは盛り上がっている飲み会の騒音レベルどころじゃない。うっかりすると通訳の先生に「大きい」ことをほめられた自分の声が聞こえなくなって、庇貸して母屋を何とか・・・。

と、「前置き」だけでも一気に原稿用紙1枚いっぱいの文字数になる。どうもワタシの記事は「ソナタ形式」風だったり、「起承転結」風だったりで、まとまりがないな。小説やら映画脚本やら芝居脚本やらと、あれこれと文学作法をかじって来たけど、まだ「作風」というやつができていないからかな。まあ、決められた形に従うのが苦手(だからマニュアルやレシピ通りにやれない)だし、他人が作った型枠にはめられるのも嫌いだから、自分を型にはめることもしない、自分には思いっきり甘ちゃんの極楽とんぼなもので、何をやってても「何とか風」だから、それが「ワタシの作風」というところか。それにしても、やっぱり言葉数が多いなあと思うけど、たとえ無言でいても、ワタシの頭の中も、心の中も言葉で溢れかえっているからしょうがない。もしも誰かにその言葉を取り上げられたら、ワタシは消えてなくなるかも。

言葉は人間が人間であることの証拠。「人間は普遍的な心的言語で考える」と言ったのはスティーブン・ピンカーだったかな。西洋文明の基盤となった新約聖書にも「初めに言葉ありき」と書いてある。だけど、日本文明の場合は「初めに形ありき」じゃないかと思うな。人間が持って生まれた心的言語を日本人は目に見える「形」として表現しているのではないかということで、それで言葉としての日本語があいまいなのではないかと思っている。「言葉」そのものは目に見えないから、音声や表記によって初めて意を通じることができるけど、そこに明確な「意」がなければ有意な言葉をつなぐことはできない。一方で、「形」は目に見えるものだから、「意」が明確でなくても一定の型をきっちり決めさえすれば無言でも意を通じることができると言える。つまり、伝統芸術の世界の「流派」という宗教にも似た階層組織と、「金銭価値」が伝達する意思の解釈基準になる形式的な贈答習慣はその「形ありき」の代表的な例だと思う。

そういう形式文化も集団のみんなが暗黙のうちに要件を理解して、習慣・風習という形に従って実行しているうちは「美しい」文化だっただろうけど、集団主義の上に平等主義、個人主義という西洋由来の思想を塗り重ねることで期待感や価値観が多様化した現代では、誰それにはいくらが適切(相場)か、お返しの相場はどれくらいか、はてはお返しがなかった(少なかった)と、思い悩んでいるような観がある。まあ、「初めに言葉ありき」で、日本語ではそういう習慣を贈るのとそれに答えるのをセットにして「贈答」と言う言葉にしているせいかもしれないけど、「形」に従ってやりとりされる物は具体的な価値(金額)を伴っていることがほとんどだから、その数値で贈り手の自分に対する気持や受取人による自分の評価を計ろうとする人もけっこういるらしい。「ありがとう!」という感謝の言葉だけではお礼として不足らしいのは、「形」でもらったものには相応の「形」で謝意を示さなければ釣り合わないということなんだろうか。

たしかに、「形」というのはマニュアルのようなもので、要件と手順を頭に入れてしまえばけっこう便利だけど、目に見えない「言葉」でのコミュニケーションのためのマニュアルを作るのは難しそうだな(聖書や聖典を宗教の「マニュアル」と見立てられないことはないけど)。日本では「言霊」といって、言葉には「魂」が宿っていると考えられていた。自分の言葉はやがて自分に跳ね返って来るから物言いには注意が必要ということだとも言われるけど、言葉に出して言質を取られたり、発言に対して責任を問われたりするといけないからできるだけ言葉を使わずに済ませようという趣旨が含まれているとしたら悲しいな。言葉は人の心の発現であり、心の機微は人それぞれ。その人の心を伝えるのに、どの国も民族も自分たちの言語が他の誰の言語よりも美しいと思っている。その美しい言葉を発しないなんてもったいない・・・。

でもまあ、風まかせの極楽とんぼが日本では受けないという長ったらしい記事を書き続けること2000本。2012年は残すところ後3日。ここんところはしばし口をつぐんでじっくり行く年を振り返ることにして(3日もあったら来し方も行く末も熟考できるか?)、新年になったら2001本目から書き始めることにしよう。ではどうぞ良いお年を!I wish you all a happy New Year! 

大晦日は1年の最後の晩餐

12月31日。月曜日。大晦日。1週間の始まりであり、1年の終わりでもある日。起床は午後12時15分でまあまあ。きのうは延々とおしゃべりをして寝室に入ったのが午前3時半。その間ホットワインと濃いコーヒーを飲み過ぎたのか、ほとんど眠れなかった。まだ寝足りないような、それでいてまだしゃべり足りないような気分で帰って来たけど、たっぷりと10時間近くも眠ったのはその反動だったのかな。

起きた頃には日本はもう年が明けてお雑煮を食べている頃だけど、こっちはまだ大晦日。朝食後はぶっ通しでキッチン業務。まずは元旦の祝い膳の下ごしらえから始めて、1年の最後の晩餐の準備にかかったのは4時過ぎ・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(枝豆、エビ、紅白なるとのゼリー寄せ)
 いかのゆず胡椒マリネ
 かぶと昆布の煮物
 ミニすき焼き鍋
 ビンナガのたたき、イカと野菜のグリル、あさりの澄まし汁、ロコ貝ご飯

[写真] 寒天の残りに出汁でさっと似た枝豆、エビの切れ端、紅白のなるとを入れて冷やして固め、飾りに(寿司用の)開きエビとコリアンダーの葉。ほんのひと口の突き出し。

[写真] イカそうめん風に細く切ったものをゆず胡椒ソースにつけてマリネート。刻みねぎを散らして彩り。

[写真] かぶと昆布を普通に出汁としょうゆとみりんとお酒で煮てみた。飾りにこんぷのリボン。

[写真] 実家の大晦日のご馳走はすき焼きと決まっていた。のん兵衛のワタシは父と1升ビンのお酒を酌み交わしているうちに酔いつぶれたこともあったなあ。カレシが魚をメインにして欲しいというので、少しだけのすき焼きを1人用の鍋に持って、家族伝統の大晦日の晩餐をちょっぴり再現、というわけでもないけど。

[写真] メインはビンナガまぐろのたたき。外側をこんがり焼いて、水に落として冷やして、スライス。いかはレモンを塗って焼いただけ。たけのこと白ねぎとカレシの赤ピーマンを一緒にグリルして、かぼすのジュースとゆず胡椒ペーストであっさり。玄米ご飯に半日がかりで炊いたロコ貝(アワビの代用)をスライスして入れた。お吸い物はカレシのリクエストでねぎとあさり。

さて、シャンペンもしっかり冷えているし、後は新年が明けるのを待つだけ。半量の年越しそばでも作ろうかな。でも、半量では「めでたさも中くらい」になるかな。まあ、日本はもう元旦がとっぷりと暮れる頃だけど、太平洋のこちらは、もうそろそろ・・・。