リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年4月~その1

2013年04月16日 | 昔語り(2006~2013)
どうせ井の中の蛙なら

4月1日。月曜日。イースターマンデイ。ついでにエイプリルフール。今日から4月。もう4月になったというべきかな。4月はワタシの誕生月。今年はいよいよ65歳。西洋暦には「還暦」という考えがないから、65歳になってやっとシニアで「老後」の始まりカレンダーを見たら、ワタシの誕生日は満月だって!満月の光は人の気を狂わせるというけど・・・。

でも、ワタシって、ずいぶん気が触れたんじゃないかと思われそうなことをやって来たような感じがするな。異人種との結婚がまだ家族や親戚からの猛反対に遭うことが多かった頃に、よりによって「好き」というだけで、今どきの人なら二の足も三の足も踏むような男と一緒になるために太平洋を渡って来たのがその最骨頂だったかもしれない。「クリスマスケーキ」と揶揄された25歳の夏がその始まりだったから、指を折ってみれば、この夏で40年、カレシと切手蒐集を通じて知り合ってから44年か。海を渡って来て38年、1万3800日余り。1日たりとも後悔したことはないし、日本を恋しいと感じたことさえなかったから、筋金入りの狂気だったんだろうな。

おりしも、小町横町を散策していて、変化の激しい先進国でない国(中国か?)に住むこと10年、「日本の生活があまりにも平和で静か」で、自分のいる状況をまったく理解できないし、する気もない「日本にいる日本のことしか関心がない家族や友人との会話や距離感」をどうしたらいいのか・・・という悩みを小耳に挟んだ。悩みの主はその「ずれ」をギャップと捉えて、「自ら好きで海外に暮らしている」人にどうしたらいいのか教えて欲しい、と。考えてみたけど、何が「ギャップ」なのかよくわからないので、アドバイスはできそうにない。だって、日本に住んでいる日本人が日本のことにしか関心がなくたって、日本人なんだからいいじゃないかと思うし、日本の生活があまりにも平和で静かなら、好き嫌いに関わらず「海外に暮らしている人」にとっては喜ばしいことじゃないかと思うけどな。この人は海外で肩肘を突っ張って働いている一方で、その気負いの故に、日本に一時帰国すると「海外在住日本人(海外でがんばっている日本人の私)」の目線になってしまうのかもしれない。

まあ、短期滞在組から定住組まで、日本を出て数年は「日本なら」、「日本だったら」と、現地の「欠陥」に対して不満たらたらな人が多いけど、環境に慣れるまでは、すべての価値判断に「母国」の基準を当てはめては現地(人)(の価値判断基準)との間に「ギャップ」を感じるのは人類共通だと思う。でも、この人の場合はそれを10年経って日本で家族や友達との会話の中で感じるわけで、日本と言う枠組みの外、家族や友達という集団、つまり、「群れ」から外れることへの見捨てられ不安のようなものがあるのかな。おそらく、日々海外で遭遇する「現地(人)とのギャップ」との葛藤に疲れて来て、せめて日本にいる友達や家族にはその大変さをわかって欲しいのに、相手はまったく興味を示さず、平和ボケで幼稚なことに現を抜かしていて、共通の話題さえない。ああ、ここにも深い溝(ギャップ)が・・・というところなのかな。

ワタシが海を渡って来た38年前は、ITは先史時代。インターネットも何も存在していなくて、日本の情報はなかなか入って来なかった。おかげで、毎日の生活のすべてを学び直すことに集中できて、その過程で日本が否応なしに遠くなって行ったんだろうと思う。今は成田に降り立つたびに、外国人専用の窓口で、愛想のない入国管理官が「何しに来たの、あんた?」と疑り眼で質問し、日本国民には不要の指紋と写真を採取して、90日の滞在許可をくれて、日本の土の上ではワタシは「外国人」であり、「日本」はワタシにとって「外国」なんだということを、日本国政府がしっかりと確認してくれる。ワタシとしてはそれに何の不都合も違和感もないので、ごく自然体で日本を闊歩して来る。あまりの天然ぶりに、日本で会う人たちには呆れられているかもしれないけど、違和感は持たれていないんじゃないかな(と思うけど)。でも、今の生活があるところ以外に「帰るところ」がある人にとっては、「望郷」という感情もあって、何年経っても折り合いのつけにくい、難しい問題なんだろうと思う。

トピックにはいろいろな人からの助言や批判、共感が集まっていたけど、その中で「みんな井の中の蛙。違うのは井戸の大きさと風通しだけ」というのがあった。掲示板にはもったいない。名言としてどこかに残しておきたいくらいの名答。まあ、ワタシはどこの井戸の蛙でも、蛙は蛙だと思っているから、「オレんとこの井戸はこんなにでかいんだぞ/すごいんだぞ/名水なんだぞ」と言われたら、ワタシんちの井戸もそうだよっと思いつつも、、「蛙の面に水」でそうなのぉ~と乗ってみるけどな。そこから蛙の大合唱に発展することだってあるんだし・・・。

ちょっとうるさいんだけど・・・

4月2日。火曜日。何だか鼻がむずむずする感じで目が覚めたら、先に目を覚ましたカレシがワタシの鼻をくすぐっている。こらっ、せっかくよく眠っていたのに~。

連休が明けたとたんにちょっと涼しい。空の色も何となく高曇り。また雨になるのかな。ワタシは今日が期限の仕事の見直しと仕上げ。カレシは庭仕事。ニラやモロヘイヤの種を蒔くというけど、日本から買って来たものだから、袋の説明書きは日本語。それをまとめて持って来ればいいものを、ひとつずつ持って来て、クエスチョ~ン。

「これ、何て書いてあるの?」
えっとぉ、種まきは3月下旬から6月ね。プランターに蒔いて、間引きして、庭に植え替えて、ああたらこうたら、なんちゃらかんちゃら(と、同時翻訳)・・・。

仕事は見直しだけだから中断もいいんだけど、3つ目の袋は中国語ときた。写真はほうれん草のようで、そうでもなさそうな。よく見たら、簡体字がある・・・。

「打ち込んで印刷してくれたら、あさって教室に持って行って生徒に聞いてみる」。
でも、中国語だよ、これ。おまけに簡体字だよ。フォントがないよ。このまま袋ごと持って行って生徒さんに聞いたほうが早いんじゃない?
「あ、そうだな。それがいいや」。

夜になると今度はオフィスのワタシの後ろで何やらごそごそ、がさがさ、バタバタ。仕事は終わって遊んでいるからいいけど、う~ん、ちとうるさいなあ・・・。

「めがねが見つからない」。
(あ~あ、また・・・。)置き場所を決めておけばいいのに。
「置き場所は決めてあるけど、めがねがそこにないんだよ」。
(うん、いっつもそうだねえ・・・。)どうして?
「どうしてって、置き場所を忘れて別のところに置くから」。
(あ、ちゃんとわかってるんだ。言うことなし・・・。)
「あった、あった!すぐ目の前にあったのに気がつかなかったなあ」。

探していためがねはケースに入れて置いてあった。どうやら、めがねを探すことに集中して、脳内には「めがね」の画像しかなくなって、目の前の「めがねケース」が見えても捜索レーダーにはキャッチされないらしい。だから、その中に「めがねが入っている(かもしれない)」という思考にならない。しょっちゅう探しものをしているカレシにはよくあるパターンだけど、う~ん、あっちこっちとうろうろするから、ちとうるさいなあ・・・。

年月というものは

4月3日。水曜日。ゲートでチャイムが鳴っているような、夢を見ているような感じがしていたけど、起床は正午過ぎ。チャイムの音は夢ではなくて、郵便局の不在通知が残っていた。バックオーダーになっていた「足のマッサージ器」。コレステロールの治療薬の副作用に遭って以来、カレシが足が冷える感じがするというので、注文してあった。ワタシの捻挫した足指のリハビリにもいいかもしれないな。

郵便局のもうひとつの置き土産はイギリスのFolio Societyからの本。(サインオフしなくてもいいので、いつもロイヤルメールの大きな郵袋に入ったのをどんと置いて行く。)春のセールで3冊注文したら、おまけの本1冊とちょっとすてきなティータオル1枚。注文してあったのはヘンリー・グリーンの『Loving』、ツルゲーネフの『First Love』(『初恋』)、スティーブン・ピンカーの『How the Mind Works』(『心の仕組み』)。おまけについて来たのは分厚い『Memory of the World』(『世界の記憶』)で、ユネスコの世界記憶遺産の本。日本からは山本作兵衛という人が残した炭鉱の絵と記録。これ、去年釧路を訪れたときにJ子に連れて行ってもらった市立博物館でたまたま展示されていた原画を見たっけな。

午後いっぱいのんびりして、Arts Club Theatreの50周年シーズンのキックオフ・パーティに出かけた。去年はキャンペーンがあるたびに寄付をしているうちに金額が一定ラインを超えて「芸術監督サークル」(ADC)に入ってしまって、支援者向けのいろんなイベントに招待されるようになった。(老後はボランティアとして関わらせてもらおうと思っているので、今年はとりあえずその一定額をまとめて寄付したら、芸術監督から直々にお礼の電話が来て、口達者なはずのワタシはびっくり仰天してアワアワ・・・。)

パーティの会場はダウンタウンにある「バンクーバー国際映画センター」。バンクーバー国際映画祭の本拠だけど、かってここに建っていたレンガ造りの元ゴスペルハウスが地元の演劇人の集まるクラブになり、やがて劇団として旗揚げした「原点」。バンクーバー市の「記憶遺産」のようなものに指定されて、今日はその銘板の除幕式の日でもある。このあたりは今でこそ高層コンドミニアムが林立して、おしゃれな地区になっているけど、ワタシが来たばかりの頃は古い家がまだたくさん残っていて、その中にのおんぼろの建物にArts Club Theatreという看板がかかっていたのを覚えている。見たところは場末の芝居小屋という感じだったな。

カレシは二十歳を出たばかりの頃に、当時のガールフレンドに連れられてそのおんぼろ劇場で芝居を見たことがあった。『Hot L Baltimore』(ホテルのEのネオンが消えていて「ホットL」になっている)という、アメリカで物議をかもした芝居だったそうだけど、貧乏な「ブルーカラーワーカー」で、まだ芸術や文化には興味のなかったカレシ。裕福な家の跳ねっ返り娘だったガールフレンドがチケットがあるから一緒に行こうというので、タダならいいかと付いて行ったのが大雨の夜。びしょ濡れのままで固い折りたたみ椅子だった座席に座っていたそうだけど、芝居そのものは楽しんだらしかった。でも、それから50年近い後にその劇団の「懐」に潜り込んで、シャンペンを飲みながら名士の群れを観察しているなんて夢にも思わなかっただろうな。

パーティが終わって、久しぶりにイエールタウンのCioppino’sで食事。なぜか、昔は月に一度だけ、日曜日のランチにマクドナルドでハンバーガーを食べるのが唯一の「外食」だったなあ、と何となくしんみり。そうだったねえ。結婚と同時にカレシが会計学の学位を取るために大学に戻ったもので、1年ほどは超がつく貧乏暮らしだった私たち。ワタシが持って来た貯金で生活して、カレシが無事に卒業して見習い会計士になったときには1ヵ月分の家賃を払えるくらいしか残っていなかったな。見習い会計士の給料はすずめの涙。ワタシが永住権が取れてすぐに運よく就職できて、やっとひと息つけた。そのときのワタシの給料はカレシのとあまり変わらなかった。お祝いに初めてのデートで行ったレストランに行ったね・・・。

おんぼろ小屋で旗揚げしたArts Clubは50年かけてここまで発展して来た。私たち38年かけてここまで発展してきたんだよね。年月って、そうやってレンガのように積み上げて行くものだと思う。

自分がないほど自己中というパラドックス

4月4日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。電池がなくなりつつあるのか、何とも頼りないピーコ、ピーコ。もう少しで目が覚めないところだった。外は小雨模様。気温は11度。

ばたばたとカレシを送り出して、はて、仕事を始めようか、ちょっとサボろうか。結局、サボるほうを取る。何となくサボることに慣れて来た感じがしないでもない。平和ボケと言う精神状態があるなら、余裕ボケというのもあっていいと思うけど。例によって、小町横町をぶらぶらと散歩。あちゃ、また(あるいは「まだ」)左利き是非論をやって、すごい数のレスがついている。今度は彼氏の親に左利きであることを非難されたと言うもの。まったくもういい加減にせんかいな~と思いつつ、まとめて呼んでみたら、ここでもまた例のごとく「親の躾が悪い」。で、かなりある擁護論に混じって、「直せばいいだけのことで傷つくほどのことか」とか、「娘がそういう目に遭わないように矯正する」とか、「息子の嫁に左利きは嫌」。はては、マナーに反する、育ちが悪い。そして、極めつけは、「周囲に迷惑をかけていることが理解できないのか」。

それではたと、昔の日本は「恥の文化」だったが、今は「迷惑の文化」にであるというエッセイ?を読んだのを思い出した。これは、左利きもへったくれも関係ない。「人に迷惑をかけるな」という大義名分を逆手に取った虐めなんだ。誰のエッセイ(あるいはブログ?)だったか忘れたけど、「恥」というのは自己から生まれるもので、自制心が重要であり、これに対する「迷惑」の概念の根底にあるのは他人の意見であって、批判されたくない、嫌われて孤立したくないという怖れによる外部からの抑制だと言っていたと思う。つまり、昔の日本人は「恥」という概念(「良心」の概念に近いような感じ)によって自己を確立し、自らを律していたということかな。「迷惑の文化」では、他人のことを恥ずかしく思う人が多いらしいけど。

民主主義教育で、人のいうことを聞き、人の意見を尊重しなさいと教え込まれたのはいいけど、大前提になる「自分の考え」を持つことをせずに他人の言うことばかりを聞いていたら自分というものがなくなる。それは律するべき自分がないということでもあるな。自分の考えというものがあるからこそ相手の言い分を聞いて理解することができると思う。でも、自分の中に「自分」というものがなければ、他人に「自分」を求めて、それを内なる空白に取り込むしかないだろうな。そうすると、他人は別個の人格を持った人間には見えなくなる。なるほど、「かくありたい自分」のイメージが強い人ほど、他人にそれを具現させようとするのはそのせいか。心理学で言う「自他の境界」を越えるということかな。だから、「自分はこうだ」と自己表現する人に出会うと自分が見えなくて不安になるのか。不安感は本能的な感情だと思うから、それで、他人のあれこれを生理的(本能的)な感覚で「嫌い!」と拒否するのかもしれない。幼児の人見知りと似たような現象かな。

まあ、左利きなどのマイノリティの存在を迷惑だと言ってしまうような人は、他人の何もかもが気に入らなくて、あれこれと難癖をつける人なんだろうと思う。右利きが左利きの左側に座ったら迷惑かなんて、考えたこともないだろうな。左利きの目には、自分が左手を使えないから左利きは不便だろうと決め込む不器用な右利きの方が不便そうに見えるなんて、思いも及ばないだろうな。左利きが頭がいいと言われるのは右利きが支配する社会で常に工夫しながら生きて来たからだとは、想像したことすらないだろうな。これからも淘汰されることなく、しぶとく存在し続けて、人類が適者生存の状況になったときに究極的に生き残るのは左利きの方かもしれない、なんてことは、たぶん聞きたくもないだろうな。

小町に定期的に上がってくる「左利き是非論」も、実は「自分探し」をしている人たちが集まって、互いに「迷惑をかけるな」という呪文を唱え合う「枠組み」の中のひとつにすぎないと思う。呪文の威力は外野席の外れまでは届かないから、野次馬でいる限りは安全で、その呪文に縛られるのは元々自分がない人たち。自分の外見や言動を他人に批判されないように、見下されないように、疎遠にされないように、孤立しないように・・・とひたすら迷惑(嫌われる人)にならないように気を配って(いるつもりで)ストレスをためているように見える。そして、心が疲れて来ると、自分はこんなに大変な思いをしているのに、どうしてみんな思いやりのない、(自分に)気配りのできない自己中ばかりなんだ、という不満になって行くんだろうな。他人に自分を求めるあまりだとしたら、あんがい自己嫌悪のようなものに近い感情なのかもしれないけど、自分とはまったく別の人格である他人が何をどう思っているかなんてわかりっこないのに、自分の存在を確認するために他人に自己否定を要求するって、いったい、どっちが自己中なんだか・・・。

上の空はキケンがいっぱい

4月5日。金曜日。起床は午前11時40分。今日も雨っぽい。ポーチの気温は11度。

今日は珍しく日本風の朝ごはん。2日ほどミルクを切らしていて、低乳脂肪のクリームとスキムミルクパウダーと水で何とかして来たけど、そのミルクもなくなったし、パンもなくなったので、パンもミルクも要らない朝ごはんは?となると、ご飯と味噌汁と焼き魚。

麦入りの発芽玄米でお粥を煮ている間に、白ザケの腹身のあたりに海塩をまぶして冷凍してあった自家製の「塩鮭」とカレシの辛子明太子(ワタシのは生)をトースターオーブンで焼いて、豆腐とシメジとさやえんどうで何ちゃら煮物を作り、大根と油揚げとワカメの味噌汁を作る。起き抜けでコンタクトを入れていないから、0.008の視界はピンボケ状態で、包丁を握る手先もちょっとおっかなびっくり。(日本の薄刃包丁は切れすぎてコワイ・・・。)お盆にまとめて、何ちゃら和風の「朝粥定食」。[写真]

朝ごはんが終わったところで、カレシが郵便局に行く前にパン焼き機をセットするというので、ワタシは二階で、すっぴんに眉だけ描いて、ジーンズに履き替えていたら、

「@#$%&!!!」

何だ、何だと階段を駆け下りて行ったら、カレシがびしょびしょのペーパータオルをポイポイと流しに放り込んでいる。滴った水が床のあちこちに・・・。

「バケットを外したのを忘れてマシンの方に水を入れてしまった」。
ええっ、水を入れたって、マシンの本体の中に?全部?
「だから、水を吸い取ってるんじゃないかっ!」
底までしみ込んで、モーターがショートしないといいけどねえ。(タオルをリレー・・・。)
「水がかかるかもしれないことぐらい想定して作ってるはずだろ?」
(ふむ、本来バケットに入れる水を(上の空で)そっくりドバッと本体の中に空けてしまう人がいるとまでは考えたかなあ。パン焼き機を後ろに傾けてみたら、あら、底から水がちょろちょろ・・・。)
ねえ、だいぶ底まで入っちゃってるよ。ショートするかもしれないよ。
「とりあえず、動かしてみろよ」。

底から出て来る水が止まるのを待って、プラグを差し込んだらライトが点灯。おっかなびっくりでスイッチをオンにしたら、捏ねるサイクルが始まって、普通にぐいぐいと回って、止まる気配はなし。ほっ。クイジナートよ、明日のパンをありがとう。

だけど、カレシ。パン焼きに慣れて、目をつぶっていてもできるのはわかっているけど、「上の空」はやっぱりキケンだと思わない?何とかならないもん?う~ん、昔からだから、ならないか・・・。

謙虚じゃなくて悪かった?

4月6日。土曜日。普通に起きて、普通にいつものメニューで朝食を取って、普通に「今日は何をする日ぞや」と考える。つまり、いつものようにいたってフツーの日。気持が自然に落ち着くもんだな、こういうの。

手持ちの仕事は明日の夕方(日本の月曜日朝)が期限のものがひとつ。まあ、「ジョーホーカジダ~イ」とか「ジョーホーハッシ~ン」というタイプの文書の英訳は、ビジネスの分野に関係なく英語での文体がわかっていれば、日本語の意味をあまり深く考えずにちゃかちゃかとやれる内容だから、楽といってしまえば楽、と高をくくって、まずはのんびりと『自然界における左と右』を読む。まだ鏡映対称性の話が続く。地球上に最初に現れた生物は球形で、海の中を漂っていたから、上下、前後、左右は存在しなかった。それが、固定される種が登場して上と下の概念が生まれ、餌を追いかける生物が現れて前と後の概念が生まれた。右と左が意味を持ち始めたのはずっとずっと後の話。自然界には右回りと左回りのものがいたるところで共存している・・・。

例の左利きトピックには、やっぱり出た~っという感じのレスが出ていた。曰く、「左利きの所作が見苦しいのは、「自分は特別」感が強い人が多く、(食事の所作など)個性と履き違えて周囲を気遣う謙虚さが少ないからだ」と。「自分は特別」感、ねえ。個性と履き違えている、か。匿名掲示板では「一般的な」日本の常識の枠外にある人の相談に対して必ずと言っていいほど出て来るのがこの手の反応。ここでもついに出て来たかと、なぜか吹き出してしまったけど、マナーだの気遣いだのと綺麗ごとを言っても、それが「本音」、つまり他人の「個性」に対する生理的な嫌悪感なんだろうな。人間、みんなそれぞれに他人と違う特別な存在であって、だからこそみんなそれぞれに他人と違う「個性」を持っているのにね。マイノリティ(規格外)はマジョリティ(規格品)を不快にさせてはならない。マイノリティはマジョリティに迷惑をかけてはならない。マイノリティは存在を許してくれているマジョリティに対して謙虚でなければならない・・・。

では、小町横町の住人のように、マイノリティは謙虚になってマジョリティに従うべきという考えを持つ日本人が「外国」に定住することになったらどうなるのか。バブル景気からこの方、外国人と結婚して海外在住になる人が増えたとはいえ、その海外の「居住地」では、まず人種的にマイノリティ。言語的にもマイノリティ。故国の社会から見てもマイノリティ。いろいろな要因から経済的、社会的にもマイノリティだったりする。揚げ足を取ってみるなら、この人たちは居住地である外国のマジョリティに気を遣って、「謙虚に」その文化や習慣に従うべきなんじゃないのかな。「郷に入っては郷に従え」と言うのは日本だけの諺ではないんだから、マイノリティの謙虚さとやらを率先して示して欲しいもんだな。

でも現実には、うまく郷に従って暮らしている人を見ると、日本人を捨てたとか外国かぶれだとか、何かと喧しい。しかも、そういう非難を矢を射かける人に限って、居住地の人間(マジョリティ)は外国人(マイノリティ)である自分(の苦労?)を気遣ってくれない、思いやりがない、差別されていると(日本人同士で)愚痴るのはなんで?まあ、答は小町横丁の掲示板に張り出されているようだから、聞くだけ野暮ってもんだろうけど、一度でいいから、そういう人にイジワルをしたい気分になったときに、面と向かって「なんでマイノリティとして謙虚になれないの?」と聞いてみたい気もするな。でも、そういう気になるのは、これから先の人生ではもう年代的にもそういう人たちに関わることはないと思うからだろうな。たっぷり年を取ることで、一種の安全圏に入ったと言うことか。謙虚じゃなくて悪かったね。なにせ年寄りだからね、ワタシ・・・。

人生最大の節目の誕生日まであと19日。いろいろと考える・・・。

ハワイよいとこ一度はおいで

4月7日。日曜日。相も変わらず雨っぽい週末。家の外の桜並木はもう花吹雪で、芝生はピンク。

まずはきのう終わった仕事の見直しから。何だか知らないけど、やたらと「確認」、「確認」。ふた言目には「確認」。これをあっさり「confirm」と訳してしまえたら楽だけど、全部まったく同じ意味合いじゃないから、つい思い悩んでしまう。confirmだったり、checkだったり、clarifyだったり、ascertainだったり、make sureだったり、reviewだったり、いろいろとあるのに、「(名詞)をご確認ください」で済んでしまう日本語は経済的だなあと感心する。あんがい日本語ではいろいろとなくて、みんな同じ「イメージ」なのかもしれないけど・・・。

納品前の「確認」に忙しいワタシの後ろで、カレシは5月末のハワイ行きの準備。ホノルルとの往復のチケットは取ったし、会議のあるホテルの部屋も予約したんだけど、会議の前にカウアイ島へ行くことになっているのに、まだ何も手配していなくて、日本から来るお客さんにホノルルでの予定を聞かれて、やっと重い腰を上げたしだい。ところが、2人ともカウアイ島についてはまったく知識がないから、滞在するホテルを決めるのがまずひと仕事。リゾート地とはあまり縁がないもので、都会のホテルの感覚で調べていると混乱するばかり。あっちこっちを調べまくって、結局はあまり大きくなさそうなところに決まった。何だか高そうだけど、ウェブで調べた限りでは評判はいいらしい。ま、朝食付きだし、3泊だから、いっか・・・。

予約を入れて、レシートを印刷していたら、ホテルから電話。予約した名前とクレジットカードの名前が違うので「確認」したいと。あはは、まただ。予約の名前は70年来の通称で、クレジットカードの名前は「戸籍」の名前であると説明して一件落着。ついでに、とカレシはカウアイ島での足回りについてあれこれと質問。ホテルの方で空港からのタクシーを手配してくれるという話だったけど、まだ飛行機の予約をしていないので、後で必要ならお願い、ということで落着。リゾートだからねえ。大都会に行くんじゃないもんねえ。路線バスどころか、タクシーだってそうそう走っていないかもしれないね。ということで、思い切ってレンタカーを借りることにして、飛行機の予約と同時に手配。(飛行機は今のところがら空きらしい。)

カウアイ島ってどんなところなんだろうな。前回ハワイに行ったのはなんと27年も昔。ワタシの勤め先のえらい人が持っていたタイムシェアのキャビンがあるモロカイ島に行った。プロペラ機で着いたのは空港というよりは飛行場。「キャビン」というのはゴルフリゾートの寝室が3つもあるユニットだったのでびっくり。カウナカカイという一番大きな町に行ってみたら、西部劇に出てきそうな板張りの歩道が3丁ほどの「ダウンタウン」には小さなスーパーと小さな食料品店。月に2回発行される島の新聞には、斜めに駐車していた車を出すのに、バックしたら道路の反対側に止まっていた車にぶつかったという「交通事故」の記事。ビーチに行ったら、右も左も見渡す限り人っ子ひとりいない。泳げないので波打ち際で日向ぼっこしていたけど、ふいに大波にさらわれても助けてくれる人がいないと思うと、ちょっと怖かったな。ホノルルに戻るのに、夜の飛行場でおじさんが「飛行機、来るよ~」と言うのを聞いて、みんなぞろぞろ・・・。

もうずっと昔のことだし、時間が止まったようなところだったモロカイ島も今ではもっと開けているだろうと思うけど。片や、カウアイ島は観光客に人気らしい。ホテルがあるのはサウスショアのポイプーというところでん、ビーチのランキングがナンバーワンとか。まあ、ハワイと言えば、やっぱりビーチなんだろうな。地図を見たら、どうやらレンタカーを借りて正解だったらしい。けっこう予算が膨らんだけど、これでハワイは全部手配済み。後はその日が来るのを待つばかり。やっとワクワクしてきたような・・・。

タダ働きでは商売上がったり

4月8日。月曜日。起床は午前11時半。ちょっと肌寒い。今日は手持ちの仕事がないから、「休み」モード。

まずは、私たちがハワイに行っている間にトロントで結婚式を挙げる姪のローラに結婚祝いを選ぶ。ブライダルレジストリの長いリストの品物は大半が「お買い上げ済み」だけど、グラスの類はまだ手付かずになっていたので、それをぜんぶ指定の数だけ注文。赤ワイン用、白ワイン用、シャンペン用、マティニ用のクリスタルのグラス。なにせ相手は高給取りの出世株だから、将来はしかるべき人たちをホームパーティでそれなりにもてなすことになるだろうな。まあ、社交的だし、料理も上手だから大丈夫だろうと思う。後は調理用品を何点か加えて、添えるカードやギフトラップを指定して、「注文」をクリック。

懸案がひとつ片付いて、後は小町横町のそぞろ歩き。「マッサージ店に行ったら、翻訳を頼まれました」って、何だ?と思ったら、客として行くマッサージ店のオーナーに、偉い客がドイツ語の本の一部を翻訳して欲しいと言っているからとお願いして来たという話。菓子折りを持って来たというのは、投稿主の察しの通り、タダでやってもらおうという魂胆だな。口の軽いオーナーがそのエライ先生に「ドイツ語ができるお客さんがいるんですよ~」なんてしゃべったんだろうな。で、そのエライ先生は「おお、やれる人を探していたんだよ。やってもらえるかなあ」と言い、上客のエライ先生にいいところを見せたいオーナーは「頼めばやってくれると思いますけど」と言い、エライ先生は本と(礼のつもりで)菓子折りを持って来て、「それでは、ひとつ、よろしく」・・・。

まあ、この投稿の主が翻訳を生業としているかどうかはわからないけど、外国語ができると聞いて「○○の誼で」と、無料奉仕を期待して寄ってくる人はけっこういるな。あるかないかの些細なつながりを口実にして、あわよくばタダでやってもらおうという図々しい人たち。少しだから(プロなら)ささっとできるはずだし、テキトーにでいいし、翻訳会社に頼むとばか高いし、お金ないし、ほんとにほんのちょっとなんだし。お金なんて、そんな水くさい・・・。ずっと昔、戸籍抄本だか卒業証書だかの翻訳を持ちかけられて、無料奉仕を期待されていたとは気づかずに「最低料金の範囲内ですので100ドルプラス税金となります」と言ったら、「何だと?たったこれだけに金を取るのか?ばかにするな」と怒り出した御仁がいたな。(いや、商売としてやっている人にタダでやれって、料理屋へ行ってタダで食わせろと言うのと同じなんだけど・・・。)

日本人相手にあれこれと仲介商売をやっていた人は客の子供の成績表やら何やらをどっさり持ち込んで来た。最終的に英訳料金は700ドルくらい。請求書を送ったら「客が高いから払えないと言っている」と。おいおい、ワタシはあなたのお客さんとは何の関係もないんだけど。英語1語あたりの単価はこれこれで、見積もるとこれくらいで、これに税金、って言ったでしょ?「では、よろしく」と言ったあなたが注文主なら請求先もあなたで、ワタシへの支払い義務もあなた。あなたの注文主であるおっさんがあなたに払うかどうかなんて、ワタシの関知するところではござんせんっ!あわくって請求どおりの額の小切手を送って来たけど、あの人、客から回収できたのかな。当時は古アパートの家賃くらいの額だったから、自腹を切ったとしたら気の毒だけど、ま、商売というのはそういうものなんで・・・。

同業者やごく親しい人たちにだけは商売を離れて個人的に無料で引き受けることはあるけど、ボランティア仕事はボランティアがやるかどうかを決めること。決して安くはない報酬を払ってサービスを買ってくれるお客さんがいるのに、そのサービスをあわよくばタダで受けようとする図々しい人たちに提供するのは、お金を払うお客さんををバカにするようなものだから、つながりが何であれ、タダにしてくれてもいいじゃないかというような人たちを利することはしたくない。時間(労力)を売って生計を立てる商売人にとっては「時は金なり」。殿様商売をしていたらお飯の食い上げ。まあ、こういう図々しい人たちは一度タダで引き受けたら最後、味を占めて何度でもタダを要求して来ることが多いけど、はて、投稿の主はうまく断れたのかな。

芝居の舞台裏ツアー

4月9日。火曜日。寒い。今日はでかけるのに、あまり天気が良くないなあ。

グランヴィルアイランドにある劇団のプロダクション部門のツアー。当初の予定が運悪く木曜日で、残念がっていたら、希望者が多かったので第2回を企画したとのメールがあって、飛び上がって、行く、行く。来月から開演するシーズン締めくくりのミュージカル『Dreamgirls』のセットと衣装の製作現場を見せてくれるというので、ここのところ「モータウン」にはまっているカレシも、行く、行く。始まりが午後4時半だから、また夕食の時間がずれるよといっても、「Whole Foodsでカニコロッケでも買ってくればいいよ」と。

火曜日だし、小雨模様だしで、グランヴィルアイランドはバスで来る観光客と美術大学の学生以外は閑散。駐車スポットも簡単に見つかった。早めに着いてしまったので、劇場の隣の公共マーケットをぶらぶら。東南アジアの珍しい調味料などを売っている小さな店で久しぶりに「竹米」を見つけた。青竹の汁に漬けたという緑色のお米。炊くとほんのりと竹の香りがしておいしい。イベントの前だけど、パーティじゃないから荷物があってもいいか、と1ポンド入りを2袋。イベントは劇場の二階のラウンジが会場で、大きなクッキーとコーヒーが出ていた。集まったのは4、50人くらいで、まずはdramaturge(芝居の脚本の原本や背景などを調べたりする人)のアシスタントと言う女性が、Dreamgirlsのモデルになったシュープリームズとモータウンレコードについて説明。「これはバイブルです」と言って見せてくれたのが分厚いバインダー。背景資料や写真、衣装のスケッチなどがぎっしり。なるほどねえ。

次に劇場の中に入って、舞台装置のデザイナーが始まったばかりの『My Turquoise Years』のセットの説明。舞台の前に大きな流木がで~ん。若い人たちがビーチを探して見つけたのを、えっさえっさと運んで来て据え付けたとか。ストーリーは1960年代。あの当時に流行していたキッチンテーブルや椅子、冷蔵庫、テレビ(古っ!)、ミシンに美容室のパーマの機械まで。20世紀以降は時代ごとの細かな資料や写真が多いから、かえって時代考証が難しそう。家具や小道具は、古道具屋を探したり、ネットのオークションや売買サイトを漁ったりして、集めて来るんだそうな。それで、そうやって集めた数々の小道具はどうなるのか・・・それを見に、みんな霧雨の中をぞろぞろと舞台装置家氏の後についてアイランドの反対側にあるプロダクション部門の建物へ。

グランヴィルアイランドは高架の橋の下にある元は工業地だったところで、今はセメント工場だけが残っている。(工場見学イベントの看板が出ていた。)大きな公共マーケットに、ホテル、レストラン、地ビールの醸造所、大小の劇場や、劇団や演劇グループのオフィス、美術カレッジから昇格したエミリーカー大学があり、アーティストのスタジオや工芸品ショップがある。まあ、一種の「美術工芸文化村」みたいなところか。プロダクション部門は元倉庫だった建物で、一歩中に入るとぶ~んと「おがくず」の匂い。工具や作業台、材木、ペンキのバケツを積んだ棚がずらっとあって、ここでセットの組み立てをする。となりは大道具、小道具の段ボール箱を積み上げた天井までの棚。いろんなスタイルの椅子がある。電気スタンドもいろいろ。調理道具や家電もいろいろで、うわっ、ちょっとした博物館みたい。

狭い階段を上がると、縫製室。布地が並ぶ棚がぐるり。ミシンを置いた大きなテーブルが何台もあって、ラックには男女のいろいろな衣装がずらり。壁には女性の帽子がずらり。コスプレ天国だねえ、これ。どこも足の踏み場もないくらいで、責任者のオフィスはどれもちまちまと隅っこにある。華やかな芸能界を舞台にした『Dreamgirls』の衣装には箱いっぱいのスパンコールが必要なんだそうな。誰かが「これを全部どうやって管理するのか」と質問していたけど、助成金をもらって大学の芸術選考の学生のアルバイトにカタログとデータベース作りをしているところだとか。でも、タイヘンそうだなあ。だって、ものすごい数だもの。ワタシは目をまん丸にして、見回したり、見上げたりのきょろきょろ。いやあ、何か感激・・・。

芝居というのは脚本があればいいってもんじゃないんだな。ストーリーだけでなくて、ステージのことや、舞台装置のこと、衣装のことも含めた大きな枠組みの中で作るものなんだと実感。「永久劇作家志望」を称するワタシにも勉強になった!

人間も家も古くなると・・・

4月10日。水曜日。ごみ収集のトラックの轟音で目が覚めたけど、何とか眠りに戻って、起床は正午ちょっと前。いい天気になりそうなそらもょう。今日は掃除の日で、朝食が終わったところでシーラとヴァルが到着。

「すんごい雨だったのよ」とヴァル。
へえ?そういえば、道路が濡れてたけど。
「でも、日が出てきて良かった」とシーラ。後からワンちゃんのレクシーがぴょんぴょん。
「週末にキャンプに行って蜘蛛に噛まれたの、ほら」とヴァル。(口の脇にまだ赤いマークが。)「顔がぶわ~っと腫れて、頭痛はするし、死ぬかと思ったわ」。
ワタシも藪の中で蜘蛛に手を噛まれてエライ目にあったことがあるから、わかる~。
「でもまた今度の週末にキャンプに行くのよ」とヴァル。(60歳を過ぎても熱狂的アウトドア派で、大雨が降ろうが、蜘蛛に噛まれようが、夫氏のリッチとキャンプに出かけて行くから、大したもんだなあ。)

ヴァルはオフィスのあるベースメントへ降りて行って、レクシーが水を飲んでいる間、カレンダーを見ていたシーラに、ワタシの「成人」の誕生日は満月なのよ、と言ったら、
「Coming of age(成人)って、あなた、65?ほんと?」
そう、そう、ほんとなのよ~。いよいよシニアシチズンなのよ~。
「へえ。いいの、それで?」
いいのって、シニアになったらさ、何を言っても年よりのたわごとで済ましてもらえるじゃない?羽目をはずしたって、ボケてる~で済ましてもらえるじゃない?
「あはは、そうそう、そうなのよ」とシーラ。
ワタシ、かわいいおばあちゃんになりたいから、ご指導、たのんまっせ。
「そんなこと、かわいくないおばあちゃんに聞いたってダメよ。自分でなんなきゃ」。

シーラはカレシと誕生日が9日違いの同い年だから、今年の夏で70歳。いろいろ苦労の多い人生だったようだけど、まだこうやって掃除代行業を続けているし、お客さんの信頼が厚くて、旅行中の家の留守番サービスもしている。ワタシがカレシとのことで辛かったときには「いつでも電話して」と言ってくれて、掃除に来てワタシの目が腫れていたときは黙ってハグしてくれた、かけがえのない親友でもある。

掃除が終わって、2人が帰って行った後、ん?キッチンがやたらと暖かい。日が差しているからかと思ったけど、どうも天井の辺りから暖かい。きのうは暖まらなくて、またぞろ暖房システムがおかしくなったのかと思ったけど、これはどうやらほんとうにおかしい。12月のときと同じく、新しいサーモスタットがコントロールするゾーンだけ。またリレーがおかしくなったのか、それともサーモスタットがおかしいの。またロウルに来てもらわなくちゃ。人間も家も、少し古くなって来るといろいろ・・・。

夫婦はいるけど主婦はいないのが我が家

4月11日。木曜日。いつものように午前11時30分に目覚まし。忙しい日。でも、気温はちょっと季節外れに低いらしいけど、天気はいい。窓の外はもうみ~んな葉桜。家の外の並木の桜は葉っぱが暗赤色と言うのか、紫っぽいような色・・・。

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは今日の夕方が期限の仕事。雇用関係の文書は一方の意見だけを訳すことが多いので、印象もかなり偏っているだろうと思うけど、日本の雇用条件や労働環境、職場の人間関係の現状がもろに透けて見えるから、おもしろい。場合によっては気が滅入ることもあるけど、これはただのもめごとだから気楽。それでもきちんと対応する会社はけっこうえらいと思う。雇用関係といえば、メディアのサイトで企業の間で最近「追い出し部屋」とかいう新手の人減らしが蔓延っているという記事があったな。表立ってリストラなどをやる代わりに、これはと思う社員をこの「追い出し部屋」部署に「異動」させて、屈辱的な雑用をやらせて自発的に退職するのを待つ・・・うはっ、やることが陰湿だわ。本質的にいじめじゃないのかなあ。こっちでそんなことをしたら人権問題として訴えられてスキャンダルになること請け合いだけど、日本であまり騒がれないらしいのは、普通の日本の人たちの目に触れないところでまかり通っているからなのかな。

仕事が終わったところで、電気屋に電話。12月に起きた問題が再発して何たらかんたら。週明けから何か暖まっていないと思っていたら、きのうは暖まりすぎで、サーモスタットの設定温度を下げても「馬耳東風」。キッチンとリビングの暖房が暴走状態になって何たらかんたら。サーモスタットを手動にして、各部屋のコントロールをオフの状態にしてやっとヒーターが切れたけど、何たらかんたら。こういうことは、ワタシが仕事で忙しいときにカレシが担当してくれるとどんなに楽かと思うんだけど、新築以来25年経つというのに、暖房システムも換気装置も、その他もろもろの設備の仕組みや操作に関しても、カレシは「わからんよ、そんなの」。あ~あ。ワタシが自分で設計した家だからしょうないけど、それでもなあ・・・。

厳寒期ではないので特に急がないと言ったけど、月曜日の午後に来てくれることになった。だけどなのだ。よくよく考えてみると、暖房のスケジュールを設定できるサーモスタットが便利なのは2人そろって定時に勤めに出ている場合くらい。いつも在宅なら、そのときどきの必要性に合わせてまめに調節できると思うし、だいたい11ヵ所ある個別のコントロールのうちの5ヵ所がすでに独立しているんだから、いっそのこと、キッチンとリビングもメインのサーモスタットから独立させた方が合理的ではないのか。まあ、月曜日に相談してみるか・・・。

問題解決のための手配ができたら、猛烈におなかが空いた。ストレスは太る。そそくさと夕食を作って、食べて、カレシを英語教室夜の部に送り出して、木曜の夜は(仕事がなければ)ゆっくりと落ち着けるワタシのひとりの時間。次の仕事は入っているけど、とりあえず今日は「早退モード」ということにして、好きなこと(おおむね「だらだらすること」かな)をしてのんびり。「今年度から業務縮小」という前宣伝が効いたのか、仕事前線の方はけっこう余裕のあるペースが続いている。言うなれば「2割5分引退」というところかな。これがこのまま順調に「3割引退」になり、「5割引退」になってくれれば御の字なんだけど。

でも、我が家には夫と妻はいても「主婦」というものはいないのも同然。(だからこそ、散らかそうが脱ぎっぱなしにしようが、いちいち文句を言われないで済んでいるってこと、カレシは理解しているのかなあ。)いずれワタシが完全引退しても「専業主婦」は登場しないことになっているから、このままだと「男隠居」と「女隠居」の2人暮らしということになるんだろうな。ま、この10年ちょっとは片手間の世話人がいるだけで何とかなって来たんだから、この先も大丈夫だとは思うけど・・・。

テレビに映ってしまった!

4月12日。金曜日。本降りの雨。寒いっ。正午の気温はなんと6度。おまけに週末は高台で雪混じりの雨になるかもという予報。我が家はメトロバンクーバーでは一番暖かい地域だし、高台じゃないから雪混じりはないだろうけど、ああ、暖房システムが不調だってのに・・・。

電気屋のロウルが電話してきて、状況を説明して、月曜日午後に来てくれることを確認。不具合が起きているのは前回と同様にこのサーモスタットが仕切っているゾーンだけだから、どうみても個別のコントロールとの折り合いが悪いとしか考えられないけど。機械も人間さまと同じように権力争いをやるのかなあ・・・はちょっとSF的すぎか。

月曜日までどうしようもないから、この週末は暖かなベースメントにこもって、ぼちぼちと仕事をしながらネット三昧と行くかな。そのつもりでFacebookを開いたら、Arts ClubがCBCのローカルニュースに出た先週水曜日の50周年パーティの様子をリンクしていたので、クリック。YouTubeに、ここが「劇団を旗揚げした由緒ある場所」という銘版の序幕の様子が映っていて、カメラがぐるっと回ったら、きゃあっ、何とカレシとワタシがばっちり・・・。

ねえ、ちょっと来てぇ!見て、見て、これ~。
「何だ、何だ」と、ワタシの後ろに来たカレシ。
(フレームをちょっと戻して)ほらっ!
「はあ?」
テレビに映っちゃってるよ~。
(拍手しているワタシ、後ろに黙って立っているカレシ。)
「何で?」
ほら、先週のパーティのときに・・・。
「うっひょ~」。
(またちょっと戻して)序幕のときは一番前に立ってたんだよねえ。
「オレ、ちゃんと髪をとかして行ったのかなあ・・・」。

まあ、私たちを知ってる人はCBCのニュースなんか見てはいないと思うけど、何となく「ten seconds of fame(10秒間の名声)」といったところかな。ほんのつかの間だけでも、テレビに映っている自分を見るのって、鏡の中の自分を見るのとはまったく違って、な~んともヘンてこな気分・・・。

「ふん、テレビに出るとわかってたら、タキシードを着て行ってやったのに」。

お祭りを逃れてお出かけの日

4月13日。土曜日。午前10時ごろから外ではドンチャカドンチャカ。無視して眠ろうとしたけど、結局11時過ぎに起きてしまった。曇り空。今日はシーク教徒のお祭り「ヴァイサキ」で、パレードが通るメインストリートは我が家からわずか2ブロック。ま、年に一度のお祭りだからいいんだけど、困るのはバナーを引っ張った飛行機で頭の上をぐるぐると何時間も低空飛行されること。ぶお~ん、ぶお~んとうるさくて、仕事にならないし、イライラもするので、この日はとにかくどこかへ出かけるに限る・・・。

冷蔵庫で解凍しておいた夕食の鴨のコンフィをスロークッカーにセットして、出発。メインストリートが交通止めになっているから、我が家の前はパレードを見に来る人たちの車でちょっとした「交通渋滞」。でも、昔は家の回りにぎっしりと駐車されて閉口したもんだけど、インド系の主流が郊外のサレーに集中するようになってからは、バンクーバーのインド系商店街は寂れつつあるらしく、交通量も昔ほどではないような感じ。急いでいるわけでもないので、流れにあわせてのろのろ。キャンビーに出たらここもラッシュ並みの込みよう。カレシはぶつくさ言っているけど、まあ半日のことだから・・・。

買い物のまず最初は去年からずっと懸案だったトレッドミル。数年かなりまじめに使って来て、ベルトの下地がところどころ剥離して危険な感じがするので、古いのを撤去してもらえるなら買い替えということにしていた。これまでのBremsheyのはもうないということで、並んでいる5台ほどのデッキをたためるタイプのトレッドミルに乗ったり、降りたりして、ディスプレイやコントロールが大きくて、心拍を測る端子がハンドルではなくて前のバーについているものを選んだ。メーカーは台湾の会社らしい。税金やら配達料やら撤去料を合計すると1285ドル。古いのよりずっと安い。1年保証の延長なしで、何となく頼りないような感じがしないでもないけど、トレッドミルは常用すれば長くてせいぜい3年の寿命という話。

これでやっと「おうちジム」に復帰できる。胃の周りにぷよぷよと付いてしまった内臓?脂肪を落とせば、最近悩まされている胸焼けも解消するかな、と期待してみる。なにしろ座業だし、仕事がなくても座ってだらだらするし、おまけにストレスがたまると喘息のような痰の切れないしつこい咳がひどくなるから、有酸素運動で肺活量を増やすのは絶対に不可欠。脳に行く酸素が足りないと金魚のようになるものね。それに、軽く20分ほど走って汗をかいた後のシャワーは爽快だし・・・。

もうひとつの買い物はカレシがワタシの65歳の誕生日にプレゼントしてくれるタブレット。Best Buyであれこれといじって、Samsungの10インチのGalaxy Noteが気に入ったので、今のうちに確保しておこうという算段。こういうチェーン展開の大型量販店は店頭在庫が少ないのが玉に瑕で、案の定、来週まで倉庫から送られて来ないという話。入荷する頃を見計らって買いに来る手もあるけど、数が少なければすぐにまた「入荷待ち」になってしまう。そこで、「オンライン注文」扱いで前払いをしておいて、店に届いたというメールが入ったら(72時間以内に)ピックアップに来ることにした。所要日数は5日から9日くらい。まあ、誕生日までまだ10日。あるから、たぶん間に合うでしょ。「ギフトラップなしでもいいよね」って、何が入っているかわかってるんだもの、わざわざ包まなくてもいいよ。

雨の予報だと思ったのに、青空が広がって白い雲がまぶしい午後になった。サングラスを持って出たら、カレシが「本気かよ~」と笑っていたけど、ちゃ~んと晴れたじゃないの。空気はまだちょっと冷たいけど。駐車メーターに1時間も残っていたので、London DrugsとWhole Foodsで時間を潰して、4時過ぎに帰り道に付いたら、お祭りが終わって帰る人たちの車、車、車。方向が逆だから渋滞には巻き込まれなかったけど、家に着いてみたらまだ飛行機が飛んでいた。でも、キッチンの窓から見ていると、メインストリート沿いに飛んで東の方へ回っているらしく、我が家の方には来ない。過去によほど苦情が出ていたんだろうな。後でニュースを見たら、州首相や野党の党首もお出まし(州の総選挙まであと1ヵ月)になって、延長10キロのパレードに今年は約8万人の人出。一時期の20万人を超える人出に比べると見る影もないという感じだなあ、やっぱり。でもまあ、おかげで懸案の買い物もできたし・・・。

主婦がいなくても2人の家庭は回る

4月13日。ヒーターはキッチンだけ一時的に入っていたけど、またダウン。もっとも室温は20度を切っていないから、寒いというわけではないけれど、寒ければ一枚重ね着をすればいいし、それでも寒ければ電気ヒーターを持ち出せばいい。カレシは年のせいで少々冷え性になって来たのか、フリースのシャツを羽織っている。ワタシはなぜか「いい年」なのにいつもの通りのTシャツ1枚にミニスカに素足。今日は仕事を少しだけして、それ以外はだらだら。まあ、「主婦」のいない2人暮らしはそんなもんだけど。

きのうそんなことを書いて、はて「主婦」とは何ぞや?と思った。日本語大辞典を出して来て、引いてみたら、「一家の主人の妻。また、一家の女主人」のことで、対語は「主人」。じゃ、「主夫」は「一家の女主人の夫。また、一家の男主人」ということになるのかな。ついでに「専業」の意味を調べたら、「専業主婦」のように使う場合は「ひとつのことだけを業とすること」。ついでのついでに「兼業」の意味も調べたら、「本業のほかに他の事業を営むこと。またその事業(side job)」となっていた。ふ~ん、じゃ、「兼業主婦」は職業と「主婦業」を営む妻のことか。だけど、夫が公平に家事を分担していても「兼業主夫」と呼ばれないのはどうして?

そもそも「主婦業」というのは何なんだ?基本的には「炊事洗濯掃除買物家計管理」(子供がいれば)プラス育児を職務とするらしい。子なしの我が家は結婚以来25年の間、ワタシがそれを全部やっていた。その上でフルタイムの仕事をしていた。(ワタシが家事で忙しい間、カレシはいったい何をしていたんだろう・・・。)自営業になって、「毎日10時間、週7日」みたいな激務になったときも家事を全部やっていたけど、いつも家にいるからと言っても、とっても全部こなせるもんじゃない。あきらめて掃除を外注するようになった。(カレシの倍は稼いでいたので、それくらいはいいかと思ったけど、カレシは反対したっけな。)洗濯は滞るし、カレシのシャツのアイロンかけも滞る。夜中過ぎにアイロンかけして、6時に起きてお弁当を作るのはつらかった。それでもフルタイム2つの兼業主婦をやっていた。なのに・・・。

表向きは「早く引退できる」と喜んで見せて、裏では国際婚活女子と浮気ごっこ。前から2001年をめどに引退を想定していたら、ごたごたしているうちに2000年の夏に突然の退職勧告。図らずも「想定どおり」になって、まだ公的年金をもらえない状況だし、日本から「おしとやかに夫に傅く、若くてかわいいお嫁さん」をもらうという妄想も夢のまた夢になって、ふくらんだ風船はパチン。小町横町の流儀ならそこでカレシに三行半を突きつけるところだろうけど、あまのじゃくのワタシは土下座も謝罪もさせず、始末書も書かせず、何も言わずに結婚指輪だけを捨てて、「主婦廃業」を宣言して、男女共同参画を要求。(カウンセリングのおかげでもあるけど、強くなったもんだなあ、ワタシ。)

そんなこんなで24時間一緒の暮らしになって、何となく元の鞘に収まって13年。今では「炊事」はワタシ8割、カレシ2割の共同作業。「洗濯」はたまったらワタシが適当に洗濯機と乾燥機を回して、乾いたものはカレシは自分のもの、ワタシは自分のものと共用のものをたたみ、「掃除」は外注を継続(ルンバを走らせるのはワタシ)、「買物」はほぼ完全な共同作業で、「家計管理」はワタシ(カレシは会計士なんだけど)。「ごみ出し」はカレシ。朝食の用意とパンを焼くのはカレシ。設備の管理や修理、故障修理の手配をするのはワタシ。(でも、これは「一般家庭」では一家の主人の仕事じゃないのかなあ。ま、いいけど)。要は、特に話し合って分担を「決める」ことなく、ひとり暮らしなら自分でやらなければならないことを2人で適当にやっているだけの話。

家中が散らかっていても、片付けろとは言わないし、片付かないとこぼすこともしない。(「人間、家が散らかっているくらいでは死なない」というのは、生涯共働きで、家事を全部やって、その上3人の息子を育て上げたカレシママにもらったアドバイス。)忘れっぽくて上の空のカレシにはあれこれとうるさく注意しないし、頼まれないアドバイスもするときは一度だけ。まあ、ワタシ自身がずぼらにできているから可能なのかもしれない。もっとも、カレシはワタシが仕事を辞めたら「専業主婦」になってくれると淡い期待を持っていたようだったけど、「主婦」がいないことでカレシの方も気が楽になったんじゃないかと思うけどな。

あまのじゃくな実験の結果、「炊事洗濯掃除買物家計管理」を担当する「主婦」がいなくたって、子供のいない大人夫婦の家庭はけっこうちゃんと回って行くものだとわかったから、これから先も我が家には主婦は不要ということで、ワタシも気が楽。おかげで、夫婦仲も今では前よりもずっと円満・・・。

情報の海で死滅回遊は悲しい

4月14日。日曜日。まあまあの天気。髪が長すぎると切られたヘンな夢を見ていたけど、目が覚めたとたんに何の話だったか忘れてしまったので、悪夢じゃなかったということだろうか。かなりぐっすり眠っていたということかもしれないな。気温は10度でやっと平年並みに近い二桁を回復・・・。

夕方には日本で月曜の朝が始まるから、まずは仕事を仕上げて送ってしまおうと気合を入れていたら、カレシは先週印刷してあげたBBCの記事が見つからないと、あちこちをごそごそ探したり、行ったり来たり。そこで、元の記事を探して、URLをメールで(同じ部屋の反対側だけど)送ってあげたら、spamhausのブラックリストに載って、ブロックされたと言うメッセージが来た。でも、spamhausのサイトでIPアドレスをチェックしたらブラックリストには「載っていない」。おまけに、最初のメッセージにはスペルミスまである。何なの、これ?だいたい、ワタシはスパムメールをもらう方で、送る方じゃないんだけどっ。

メールアドレスは、メインのISP(A)にドメイン名のアドレスと合わせて全部で4つ、バックアップとしてダイアルアップの契約している別のISP(B)に3つ、それとgooの無料アドレス(C)。(C)以外はメーラーがまとめてめんとうを見ている。URLを送った先のカレシのアドレスは(B)。そこで、(A)から(B)の自分のアドレスにメールを送ってみたら、同じメッセージ付きでバウンス。逆方向に(B)から(A)に送ってみたら問題なくOK(スパムのタグもついて来ない)。(A)から(C)に送ってみたらOK。(C)からのメールは(A)でも(B)でもすんなりOKで、スパムのタグもない。

ということは、このspamhausとやらのブラックリストに載っていないのに載っていると言って(スパム扱いで)拒否しているのは(B)のメールサーバに違いないということになると思うんだけど、(B)のヘルプデスクとチャットしたら、いくらことの顛末を説明しても、質問は「(B)のアドレスからメールを送れない」だと思い込んでいるらしくて、「問題ありませんよ」の一点張りで埒が明かずじまい。まあ、問題はアドレスが(B)の相手にメールするときだけだし、逆にワタシの(B)のアドレスにはちゃんと届くから、しばらくは放置することにして、(B)アドレスの人にメールするときのために、gmailにアカウントを作っておいた。ほんとにもう、情報化時代って、便利になるどころか、逆にめんどうくさくなる一方なのはどうしてだろう。

それにしても、近頃は一般ユーザー用のヘルプデスクはマニュアルとQ&Aの台本にあることしか知らないテクぼけ(あるいは遠いインドあたりにアウトソースされたコールセンター)の連中が多いなあ。マニュアルに書いてないことを質問するとお手上げ。でも、それはヘルプデスクやコールセンターのスタッフでなくても似たようなもので、「専門化」が重視されるようになったせいかもしれないけど、知識や情報の分野がどんどん細分化されて、自分の「専門」(知っていること)以外のことには興味がなさそうな人間が増えているような感じがする。インターネットの普及で情報や知識を見渡せる視野が格段に広がると思っていたら、逆に視野狭窄的な思考になっているのか。ある意味で、知識や教養の「一点豪華主義」なのかもしれないけど、ホモサピエンス、大丈夫か。ネアンデルタール人を愚鈍だったと笑っている場合なんかじゃないかも・・・。

なぜか知らないけど、ふと「死滅回遊」という言葉を思い出した。漁業の話を訳していて出くわした言葉で、普通の回遊領域を越えてしまって、水温の変化や海流の壁によって元の領域に戻れないまま死滅してしまう群れのこと。なんだかものすごく悲しい響きのある言葉だと思ったけど、ひょっとしたら、人類も自らが作り出したサイバー空間で、「視野(思考)狭窄」の状態で情報の海を泳いでいるうちに、うっかり越えてはいけない海流(一線)を越えてしまって、死滅回遊に向かうんじゃないか、あるいはもう越えてしまっているんじゃないかという気もする。まあ、それを進化の過程のひとつと言うなら、人間もこの地球上の生物種のひとつなわけで、進化を遂げて、衰退して、やがて死滅するのは自然の摂理なのかもしれないけど、でもやっぱり「自滅回遊」だけはなしにしたいなあ。

信じられな~い

4月15日。月曜日。起床は午前11時半。まずは最初の電話。トレッドミルを買ったところからで、実は在庫がなくて、店頭に置いてあったのでよければ50ドル値引きするがどうか、と。まあ、別に大勢の人が乗って走ものでもないので、OK。配達は水曜日。ゆっくりと朝食を済ませて、ゆっくりと読書・・・。

午後2時を過ぎて、今日2度目の電話。Best Buyからタブレットが届いたと言う電話。明日の午後にピックアップに行くことになった。(10日。後の誕生日までは開けないでおいた方がいいだろうなあ。待ち遠しいけど、もうすぐだし。)

午後2時半。今日3度目の電話。1日に3度も電話がかかってくるなんて珍しいな。今度は電気屋のロウル。あと15分で着くという予告。カレシがゲートを開けに出て行った。暖房システムは今日も不調。気温が平年並みの2桁に戻ったので、寒くないから問題なしだけど、こういう障害はそのときに手当てをしておかないとね。大きな道具入れを下げてやって来たロウルは開口一番に「ヘ~イ、元気かい?」

ベースメントの工作室にある暖房システムの制御パネルを開けて、テスターを出して、あっちをチェック、こっちをチェック。「何かヘンだなあ」。やっぱりね。ワタシは即席の助手になって、「サーモスタットを30度にあげて」と言われて、階段を駆け上がって行って30度(それ以上にはならない)に設定。「ゼロに下げて」と言われて、また階段を駆け上がって5度(それ以下にならない)に設定。「コントロールを全部オフにして」と言われて、階段を駆け上がって一階、さらに駆け上がって二階へ。「全部目いっぱいオンにして」と言われて、また二階まで。何度も階段を駆け上がったり、駆け下りたり。いい運動にはなったけど。

「絶対におかしい」とロウル。サーモスタットは正常なのに4つのリレーはちっとも言うことを聞いていない。つまり、コミュニケーションが断絶している。またテスターで電圧をチェック。ワタシは今度はテスターの数字を読む係。「全然おかしいよ」とロウル。「変圧器の容量が足りないのかなあ」。スパゲッティのようにこんがらがった配線を、あっちをくっつけ、こっちを外ししてはテスターでチェック。ワイヤ同士をくっつけるとときどきはスパークが飛ぶ。(飛ぶのは生きている証拠・・・。)「配線がおかしいよ。変圧器まで戻ってやり直してみるから、玄関ホールのコントロールをオフにして」と、スパゲッティを解しにかかったロウル。ワタシはまたばたばたと階段を駆け上がって、駆け下りて・・・。

しばらくあれこれとワイヤをいじくり回していたロウル、「どこのどいつか知らないけど、玄関ホールのコントロールとサーモスタットが入れ替わっている」。90年代の初めにベースメントのコントロールを隔離して、10年位前に寝室とバスルームのコントロールを隔離したんだけど。「誰が?」 誰がって、おたくの会社の人、名前は忘れたけど。「てことは、そのときからずっとおかしかったんだ」。へえ、全然気づかなかったけど。あんまり暖まらないなあと思った冬もあったけど。「リレーがいかれて、通電しなくなるまでわからなかったんだ~」と、ロウルはジャマイカンらしく大げさに呆れ顔・・・。

ワタシはついに大爆笑。だって、配線ミスで暖房システムが正常運転していないことに10年以上も気づかないでいたなんて、信じられない話だよねえ。玄関ホールのコントロールがサーモスタットを気取っていたなんて。うんと寒いときに玄関のコントロールの温度設定を上げれば、キッチンもリビングも暖まる。サーモスタットがオンでもオフでも4つのコントロールは知らんぷり。玄関のコントロールがクーデターを起こしたみたい。にぎやかなのに誘われて様子を見に来たカレシも加わって、3人とも、しばしジョークの連発。ほんとに能天気な住人だなあ・・・。

「いや、原点に戻るのは基本だよ」と謙遜するけど、10年以上も前からの「謎」を解いたロウルはやっぱり天才的な電気屋だな。3時間近い作業だったのに「配線ミスが原因だから、今日は無料だよ」と言って帰って行った。ありがとう!