リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年4月~その2

2013年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
どたんばで、ど忘れする人

4月16日。火曜日。おお、いい天気。今日は久しぶりの友達とのランチなので、寝坊しないように午前11時50分に目覚ましを掛けておいた。カレシが自分の朝食を用意している間に、ささっとしたくをして、ちょこちょこっとメイクをして、ジュースだけ飲んで、出発。駅まで歩いて15分弱。天気がいいと気持ちがいい。

地下鉄の終着駅まで約15分。やっぱり親しい友だちとの語らいはいいな。ほんっとに久しぶりにしゃべる日本語だって、けっこうちゃんと出て来るし。ワタシには朝食だけど、たっぷり肉を食べて、誕生日のプレゼントとカードまでもらって、言うことなしの幸せ。

カレシとBest Buyで落ち合ってタブレットをピックアップすることになっていたので、これから出るよ~と電話。レシートを持って行かなきゃと言うので、どこに置いてあるかを説明。ワタシのごちゃごちゃしたデスクにちょっと手こずったらしいけど、「あった!」

オリンピックヴィレッジ駅で降りるつもりが、つい乗り越して、ブロードウェイ駅で降りた。まあ、どっちで降りても店までの距離はあまり変わらないんだけど。Best Buyでちょっとうろうろしていたら、外から入ってくるカレシの姿が見えた。何だか冴えない顔・・・。

「忘れて来た・・・」。
何を?
「レシート」。
ええ?見つけたって言ったじゃない。
「だから、それを忘れないように玄関のそばに置いといたんだよ」。
で、忘れたの・・・?(ワタシ、むずむず・・・。)
「車のキーを取ったときに、レシートのことはけろっと忘れたんだ」。
あらまあ(むずむず・・・)。
「忘れないように気をつけてたんだよ」と口をとがらせるカレシ。
それで、土壇場で忘れた・・・と(ついに爆笑するワタシ)。
「ラッシュだから取りに帰るのも嫌だし、なしでもピックアップできるかなあ」。
まあ、クレジットカードの記録とか何とかでわかるんじゃない?

ピックアップのカウンターで「ああだ、こうだ」と事情を説明し始めたカレシ。カウンターの向こうのおにいちゃんは「運転免許証とかあればOKです」。免許証を出すのに、いつものように財布のあちこちを探すカレシ。免許証を見て、顔を見て、モニターの名前を見て、「はい、OK」。無事にタブレットをピックアップ。

家に帰って、「まだ早いから」とどこかに隠してしまったカレシ。誕生日まで、どこに隠したのか覚えていてくれるといいけど・・・。

うちのフィットネスジム

4月17日。水曜日。少し曇り空。起床午前11時半。普通に朝食をして、ゆっくり本を読んでいたら、電話。トレッドミルを買ったところから、後60分ぐらいで着くとの連絡。1時間くらいと言うのは普通に聞くけど、60分は初めてかも。

大急ぎで、カレシはゲートを開けておいて、車を動かしてトラックの駐車スペースを作り、ワタシはトレッドミルを置く場所にあるもの(全部カレシのもの)を奥の部屋に移動。ちょうど良く収まるはず・・・。1時間もしないうちに、若いお兄ちゃんとフィリピン系らしいそれほど若くないお兄ちゃんが到着して、さっそく撤去する古いトレッドミルを解体。「どのくらい使ったの、これ」と聞くから、5年か6年と答えたら、「(デッキを)上げられるタイプとしてはずいぶん長持ちだなあ」。うん、うちは別にフィットネスマニアじゃないから・・・。

古いのを運び出したら、新しいのを運び入れて組み立て。ショールームで「小さめ」に見えても、いざ家に来るといつも「大きい」からおもしろい。電源を入れて、試験運転して、ちゃんと作動するのを確かめてサインオフ。マニュアルはPDF版をメールで送ってくれるとか。でも、運動だけならすぐに使える。マニュアルがいるのは「メディア」機能で、音楽やビデオを流せるらしい。ワタシはそんなのいらないんだけど、カレシにはうってつけかな。組み立てと据付が完了[写真]↓

さて、今度は奥の部屋に移したものを移動。カレシは庭仕事で忙しいから、ワタシひとりで、まずファイルキャビネットを50センチくらい動かして、次にカレシの古い勉強机を動かして、壁との間にできたスペースに袖机を押し込んで、机とキャビネットを10センチくらいずつ戻して、トレッドミルがあったところに保存箱を積み上げて、今日は終わり。あしたは棚を吊り替えて、ランプを壁に取り付けたら、模様替えは完了、のつもりが・・・。

「本棚の出し入れがちょっとなあ・・・」とカレシ。(あまり使っていないのに、何で今?)
デッキをおろせば前が空くし、トレッドミルはローラーで動かせるから、大丈夫。
「でも、めんどくせぇなあ・・・」。
でも、あそこに移してからほとんど使ってなかったじゃん。前をふさいじゃって・・・。
「使うつもりだったんだよ。あっ、本棚をこっちに移せばいい。で、ファイルキャビネットと保存箱をその上に積めば解決だな」と、カレシはにんまり。「で、他の運動器具を奥の部屋にまとめたら・・・」。
そっかあ、いよいよ「おうちジム」でフィットネス、待ったなしだねえ・・・。
「オレは農作業でフィットネスだけど、キミは待ったなしだよ」。
はあ?

でも、IKEAの本棚はえらく重いから、動かすのはひと仕事。週末の仕事ということにしたけど、また大汗をかいての作業で、いい運動になりそうだから、トレッドミルで走るのはお預けかも・・・。

理性でもって、辛抱強く・・・

4月18日。木曜日。あら、今日は雨もよう。気温はまた一桁に下がったけど、暖房システムが正常運転に戻ったおかげで、キッチンもリビングも寒くは感じられなくなった。めでたし、めでたし。

ボランティア英語先生ダブルヘッダーの今日は、カレシを送り出して、まずパルミーダにシーズンフィナーレのミュージカル『Dreamgirls』のオープニングナイトのレセプション出席の返事とチケットの手配の依頼。ハワイから帰って来てからゆっくりと行くつもりだったけど、チケットと交換するバウチャーが残っていないのでどのみち買わなければならないし、せっかくの招待だし。交響楽団のシーズン最後のコンサートと同じ週に立て続けで忙しいけど、まあ、カルチャー生活ってのもけっこう忙しいもんだ。「芸術監督のサークル」のメンバーは追加購入のチケットが25%割引ということで、バウチャーよりも安くついたのかな。

次にボトルの水を配達してくれる会社に、明日は間に合わないとしても、次回までに必ず「2本配達」に変更してくれと、要求のメール。水の消費が減ったのかどうか、1週間おきに4ガロン(約19リットル)のボトル3本だと、使いきれずにだんだん貯まってしまって、置いておく場所がない。そこで、2月に3本から2本に変更するように頼んで、ちゃんと「次から2本になります」と確認が来ていたのに、なぜか3本配達されてしまった。しょうがないから、3月いっぱいは配達停止にして在庫調節を図ったけど、4月になって配達が再開したら、やっぱり3本。注文記録を変更してなかったんだろうなあ。サービスデスクの人たちは朗らかで人当たりがいいんだけど、仕事は仕事。やっぱり、その辺はちゃんとやってもらわないと・・・。

次に、きのう配達されたトレッドミルのマニュアルがまだ来ていないので、買った店に電話。配達の人たちがまだオフィスに戻っていないので(って、24時間前だよ~)送っていない。すぐに送ると言うので、別のメールアドレスを指定。だけど、待てど暮らせどマニュアルを添付したメールが来ない。そうこうするうちにカレシが帰って来て、ネットで調べたら、「印刷版マニュアルが付いて来ることになっている」。ふ~ん、店内に展示してあったのを梱包なしで持って来たからなあ。「よし、電話番号!」 はい、これ! カレシが電話して、結局のところマニュアルは梱包ごと捨てられたらしいという印象。(何をかいわんや・・・。)でも、PDF版のファイルがあるというので、カレシは自分のメールアドレスを教えて、「マニュアルがないと使えない。すぐに送れ!」 (20分後にメールが到着。やれやれ・・・。)

そそくさと夕食を済ませて、44ページあるPDFのマニュアルを印刷。ちゃんと型式番号を確認して、これで安心。実を言うと前のドイツ製のは何とも役に立たないマニュアルしかついていなくて、結局はいろんなプログラムを使うことができなかった。今度のはメディア機能もついているからよけいにマニュアルがないとお手上げ。でも、ざっと見たら、モニターの表示のイラスト入りの解説もあって、わりかし役立ちそうなマニュアル。今度はフィットネスのプログラムを試してみることができそう。いやあ、カナダの顧客サービスは客の側に忍耐が要求されることがあるけど、お客は神サマじゃないから、対等な人間としての立場から理性的に対応すれば、まあ、たいていの問題は円満に解決する。短気は損気、傲慢は放漫・・・。

カレシをダブルヘッダー夜の部に送り出して、ひと息。月末に迫った最後のHST(統一売上税)の申告のために帳簿をつける準備。丸々12%戻ってくるのはこれが最後で、4月1日の記帳からは連邦税(GST)5%、州税(PST)7%に分けることになり、還付されるのはGSTの5%だけになる。何だか損をした気分だけど、州民投票にかけた結果の「民意」なんだからしょうがないな。その間、トロントのデイヴィッドが電話して来て、30分ほどぺちゃくちゃ。ワタシと同じ日が誕生日なので、互いハッピーバースデイを交わした。そうそう、テキサスのシャーラも同じ誕生日。高校時代にはまったく同じ生年月日のパリジェンヌのペンフレンドがいた。世界的に生まれてくるには「いい日」なのかもしれないなあ。

カレシが帰ってきて、あら、また浮かない顔。どうしたのかと思ったら、来週のレッスンは休みだと言うのを忘れてしまったとか。レッスンの初めに知らせるつもりが、遅刻の人を待っているうちにけろっと忘れてしまったらしい。「ほんとにがっかりだなあ・・・」。でも、夕食とランチの順序を入れ替えて、帰って来てからゆっくりご馳走を食べたっていいじゃないの、ちょっと早めに切り上げさせてもらって、と言ったけど、まだ納得が行かないような顔つきのカレシ。しばらく自分のデスクでごそごそ探しものをしていて、「あった、生徒のメールアドレス!これで来週は休みにできるぞ」。あのぉ、ほんとに、ワタシの大きな節目の誕生日だからって、無理しなくてもいいんだけど・・・。

アメリカよ・・・

4月19日。金曜日。晴れて来そうな空模様。起きてテレビをつけたら、まだボストンからの生中継が続いていた。寝る前に午前4時くらいまでずっとテレビに釘付け。ウォータータウンで夜が明けて、明るくなるにつれて物々しい光景がはっきりと見えて来た。リアルタイムの映像だから、伝わって来る緊張感もリアル。アメリカは怒っている。こういうとき、アメリカ人には日頃の主義主張の違いを超えて団結するパワーがある。

テレビの様子からは、逃げていたボストンマラソンの爆破実行犯をどこかに追い詰めたらしい。危険人物ではあるけど、何よりも真相を知るために容疑者を死なせてはならないということだろう。重装備の警官隊は突入するそぶりをまったくみせない。容疑者は10年くらい前に難民としてアメリカに来たチェチェン人の兄弟で、アメリカ国籍だそうな。叔父だという人が自首を呼びかけていた。この人も怒っていた、チェチェン人の恥だ、家族の恥だ、と。「やつらはlosers(負け犬)だ」と。カナダにいる叔母という女性は、「映像は信じられない。官憲をやすやすと信じるわけには行かない。証拠を見せろ」とまくし立て、チェチェンにいるらしい父親は息子たちを褒め称えていた。文化的背景が何となく想像できるような・・・。

買い物から帰って来てテレビを付けたら、まだ中継が続いていて、どうやら特定の家を包囲しているもよう。住んでいる人が人質になっていないといいけどと祈るような気持で、テレビをちらちらと見ながら、買い物の後処理。そのうちにストリートビューの写真が映って、庭のボートがどうのこうの。映っているボートには覆いがかかっている。どうやらそこに隠れていたらしい。上空からの赤外線探知で生きた人間が隠れていることを確認したとか。立て篭もり犯人との交渉のプロが来ているらしい。食事の支度を始めたところで、容疑者を拘束したと言う緊急発表。拍手が聞こえる。やった。よかった。引き上げて行く警察車両を沿道に並んで拍手で見送る住民たち。長い1日だったね。

ずっと続いていた生中継を見ていて、40年くらい前に日本であった「浅間山荘事件」を思い出していた。日本赤軍が浅間山荘と言うところで管理人を人質に取って立て篭もった事件。包囲した警官隊が突入を決めた日、たまたま風邪で欠勤したワタシはテレビの前に座ったまま一部始終を見たのだった。何度も銃声が聞こえたし、建物の解体に使う鉄の球で山荘を壊して行くところも見たし、被弾して血だらけになって運ばれていく人も見た。日本赤軍がメンバーを次々と殺していたことは知っていたけど、こんな銃撃戦なんか、日本で起きるわけがない。嘘だろう、嘘だといいという気持がどこかにあったと思うな。でも、あれはドラマじゃなかった。現実だった。若さの勢いで夢想的に左に傾いていたワタシが「現実」を見た日だったかもしれない。

アメリカよ、もう十分に世界に貢献したんだから、世界の紛争地から難民を受け入れるのはやめた方がいいよ。(極言を承知の上で言うけど)自らを統治する能力のない人たちのために、アメリカ市民の血を流すのはやめなよ。アメリカ嫌い、外国嫌い、異教徒嫌いに凝り固まった難民を教育してあげたところで、感謝するどころか恩を仇で返すだけじゃない。地球上にアメリカが存在する前から近隣の部族といがみ合って、復讐を繰り返してきた人たちが、アメリカがいくら努力しても、民主主義を理解できるわけがない。そもそも「友好国」だって、表向きはいい顔していても、裏では嘲笑しているんだから。自国の安全をアメリカに頼る国々には「自分の国は自分で守れ」と言って、アメリカはアメリカを守ることに専念しなよ。自分を守るのは自分であるのは人間も国も同じことで、自分が安心できてこそ、他人を信じることができるんだから。移民も、「いいとこ取り」狙いじゃなくて、アメリカの役に立つ人たちだけを入れた方がいいよ。

自分の頭で考えるのをやめた人間は、安全も物質や精神の豊かさもすべて誰かが与えてくれるものだと思っている。努力しなくても与えられてあたりまえと思っているから、そうならなかったときに「誰か」を責める。そんなとき、自分で考えて努力しない人間は悪魔のささやきに簡単に洗脳されてしまう。人間界には各自が自ら考えて、自己責任で判断することを善しとしない文化がたくさんある。各自が考えて決めるにとどまらずに、他人の分まで考えてあげてしまう「お人よし」文化もある。集団思考文化もお節介思考文化も、まあ、あんまり人類の未来にとってはいいことはないと思うんだけど、人間の理性は人間が自画自賛するほどには発達していないのかも・・・。

簡単な棚を吊るのは簡単

4月20日。土曜日。夜来の雨が上がって、晴れて来そうな空もよう。昼間は晴れて、夜に雨というのは、理想的な天気パターンかもしれないな。夜のうちに庭の水遣りをしてくれるわけだし。まあ、それを便利だと喜んで、のんびりしてしまったら、雑草が蔓延るばかりだけど。

きのうから防犯アラームのパネルがピッ、ピッとうるさい。月の初めにときどき鳴るようになって、操作パネルを見たら「センサー14番、電池」。カバーを開けてセンサーのリストを見たら、14番は二階の階段上の天井に付いている煙探知器。別に家を建てた時からの探知器があるし、アラームを解除したら警告が出なくなったので、後で何とかしようと放っておいた。ゆうべもアラームの解除操作で止まったので、そのまま寝たんだけど、どうもほんとに電池が切れたらしく、今度は止まらない。そこでカレシがカバーに書いてある番号に電話。まず、電池は契約料金に込みなので無料で交換。月曜の午後に予約。次に、「どうしたら止められる?」煙探知器を外して、電池を取り出して、ピピピピッという警告音が鳴ったら解除するだけ。なあんだ、簡単。カレシが二階に行って、ワタシは操作パネルの前で待機。ピピピピッと来たら、即アラームを解除。ああ、やれやれ、これでやっと静かに朝食・・・。

朝食後は予定通り、ベースメントのオフィスの「模様替え」。まず、カレシがデスクや棚の上、本棚においてある細々したものを奥の部屋に移している間、ワタシはワークショップで道具を集める。あり合わせの材料を使っての行き当たりばったりの工作はワタシの得意技のひとつ。長さ120センチ、幅25センチの棚板が2枚。棚受けは大小ごちゃごちゃある中から2種類を3個ずつ。長短のねじ各種。プッシュドリルにラチェット式のねじ回し、テープメジャー、ヤード尺、水準器、鉛筆。カレシのお片づけが終わったところで、まずはファイルキャビネットを動かして、そこへ本棚を移動。(IKEAの家具はほんっとに重いったらない。)本棚が新しい場所に収まったら、今度はファイルキャビネットをトレッドミルの隣の本棚のあったところに移動。これも何やらやたらと詰まっているから重いのなんのって。2人して大汗・・・。

調度品の移動が終わったところで、棚つり作業。カレシの希望で、すでに2段ある棚の下にコンピュータ関係の本を置ける間隔で2枚。2段目の棚から3つの棚受けの下10-3/4インチのところに印。家の設計も含めてずっとインチの分数計算でやって来たので、なぜか未だにメートル法での計算が苦手だから不思議。分数計算と言っても、材木は1インチの1/2、1/4、3/4が基本中の基本だから、こつを覚えるのはけっこう簡単なんだけど。壁の3つの印をヤード尺で結んで、水準器で水平になるように調節して、棚の下側のラインを決定。すでにある棚の棚受けは石膏ボードの後ろの間柱に固定してあるから、その下に3個取り付け。石膏ボードは柔らかいから、本を置くような棚は間柱の位置を調べて、そこに棚受けをつけないと重さを支えられない。棚受けに棚を載せて水準器でチェックして、さらに下の段を同じ手順で取り付けて、棚板を2枚ともそれぞれの棚受けに固定。オープンになっている端には、本の落下防止に、2段目のすぐ下から4段目まで3/4インチの角材を取り付けて、作業完了!

お待ちかねのカレシはさっそく2枚の棚を本で埋めてしまった[写真]

まあ、これでだいたい土曜日の午後が過ぎて、擦り傷ひとつ、引っかき傷3本、青あざひとつ。ねじ回しを臨機応変に左手、右手、両手で使ったので、手首が凝ってしまった。あしたは肩も腰もコチコチかなあ。そういえば、あしたはバンクーバーの恒例10キロマラソン「Sun Run」の日。初参加で10キロを65分で完走したのは10年前、55歳の誕生祝いだったな。参加者は歩く人や仮装組も含めて約5万人。その後毎年参加するつもりだったのが、翌年は風邪を引いて出られず、それっきりになったけど、今でも記念にゼッケンを取ってある。今年は、ボストンの弔いマラソンとでもいうのか、事件直後から参加者が急増したそうで、主催側は締め切り後の参加者ひとりにつき10ドルをボストン事件の被害者の治療費に寄付することにしたとか。天気予報は曇り空。雨が降らないといいね。

2人でひたすら走っていたあの頃

4月21日。日曜日。起床は正午ちょっと前。マラソン日和のいい天気。起き上がったら、ああ、やっぱり肩の後ろがコチコチの感じだし、両手が痛いし、二の腕の後ろ側の筋肉が痛いし、膝頭にはきのう見えなかった打ち身のあざが2つ。カレシがパンを焼き忘れたので、ワタシがバックベーコンを焼いてマッシュルームを炒め、カレシが玉ねぎ入りのスクランブルエッグを作って、トーストしたイタリアンの丸パンに挟んだ、称して「BBバーガー」[写真]

雲が広がってきたけど、今日の10キロマラソンはもう終わっている頃かな。今年は48,000人ちょっとが参加したそうな。子供用の5キロコースを卒業して、初めて父親と一緒に10キロに挑戦した男の子が「9キロ地点がちょっときつかった」と言っていたけど、私たちが走った時と同じコースなら、9キロ地点はキャンビー橋に上がるランプにさしかかるあたり。車のときはわからないけど、徒歩だと傾斜がかなりきつい。それが橋の向こうのゴールまでもう後1キロというところにあるわけで、距離は短いけど、よけいにきつく感じられる。Vancouver Sun Runの「心臓破りの坂」といったところ。でも、ここまで走ったんだから勢いで走り切ってしまおうという気持になることはたしか。

それでも、キャンビー橋に上がってしまえば、高層のコンドミニアムが林立するフォルスクリークの景観がすばらしいし、街並の後ろにまだ雪を被ってそそり立っているノースショア山脈に向かって走っているような気分は爽快。10年前、ワタシとカレシはあのランプを駆け上がって、橋を渡って、下りランプでは互いにちょっとスパートをかけてみたりして、でも最後は2人並んでゴールイン。だから、新聞に載っていた成績は2人とも65分25秒。なつかしいね、と言ったら、カレシ曰く、「いつかまた出てみる?」 そうだなあ、もう一度ゼッケンをつけて走ってみたいなあ。でも、かなり鈍ってしまったから、今からまじめにトレーニングを始めないとね。

ワタシがカレシと一緒にジョギングを始めたのは2000年の晩秋だった。寒い中を高校のトラックを走るカレシをじっと待っているのが辛くて、自分も歩き始めた。自分の身に起こっていることを頭の中であれこれ整理したり、深く考えたり、時には泣いたりもしながら、ぐるぐると何周も歩いているうちに、いつの間にか走り出して、そのまま走ることが日課になり、やがて毎日2人一緒にゴルフ場の周りを走るようになった。ある意味、2人の「心臓破りの丘」を越えたということだったのかもしれない。並んでゆっくり走りながら、とりとめのない会話をすることで、最終的に大雨のあとの地盤が固まったのかもしれない。

雨の日も風の日も、毎日一周2.7キロのコースを走った。ワタシが膝の半月板を傷めて、走るたびに膝が硬直するようになっても走り続けた。膝の手術をする前の日も走った。手術後10日。で歩き始め、3週間後に元のペースに戻った。2人ともひたすら何かに向けて走っていたのかもしれないとも思う。それで、2003年の4月、保険会社のキャッチコピー「Freedom 55」に倣って、55歳の記念に10キロマラソンに初挑戦。膝の手術をしてから6ヵ月後だった。いきなり10キロなんて走れるのかと思ったけど、5キロ地点を過ぎてからの方が楽だったような気がする。あれはまさにワタシのFreedom 55。60歳を目前にしていたカレシが何を思っていたかは知る由もないけど、ワタシにとっては55歳にして自身の解放宣言をしたようなものだったのかな。うん、またいつかSun Runで10キロをひたすら走ってみたいね。

かくして平穏な月曜日

4月22日。月曜日。今日もいい陽気。朝食の最中に外でバリバリと芝刈り機の音。ガーデナーのジェリーが車道と歩道の間の芝生を刈りに来たらしい。

市の土地なのに住人がそれぞれの家に面した部分の芝生を刈る義務を負わされていて、やらないで草ぼうぼうにしておくと、市役所がやって費用を請求して来る。普通は標準区画の幅が10メートルだから庭の芝生刈りついでにやれば簡単だけど、角地の我が家は前と横。芝生の総延長は40メートルを超えて、ひと仕事になるもので、専門のガーデナーに春から秋まで定期的に刈りに来てもらっているしだい。

朝食が終わった頃に早々とセキュリティ会社の人が来て、煙探知器のリチウム電池を新しいのに取り替え、アラームのシステムをテストして、OK。書類にサインオフして、所要時間15分。これで家中の故障案件はすべて解決。なぜかこういうハプニングはいくつか団子になって来ることが多いから不思議。おかげで、そう感じてはいなくても、けっこうなストレスになっているらしく、何だかくたびれたなあ~という気分。

カレシが庭仕事に精を出している間に、ワタシはひと山ある紙類をシュレッダにかける作業。税務上、会計記録は6年分を保存しなければならないところ、去年の書類をしまおうと段ボール箱を開けたら、何と10年分以上。そこで、2006年度から先のを廃棄処分ということにして、きのうからシュレッダにかけ始めた。

数十枚くらいずつ積んで蓋をするとグジョグジョと裁断。容器がすぐに満杯になるから、それをゴミ袋に移して、またグジョグジョ。ファイルキャビネットを移動したときに出した古いフォルダの中身もついでにグジョグジョ。容量45リットルの袋があっという間に6つ満杯になって、床は紙ふぶきだらけ。埃のせいか喉が痛くなってきたので、今日はもうや~めた。

夜、酒類の空き瓶を返しに行くついでに、レミと(ポーランドの)ウォッカとアルマニャックを買いに、閉店間際の酒屋までひとっ走り。5年前に65歳の誕生日に開けるつもりで買った「1948年ヴィンテージ」のアルマニャックはびっくりするくらい値上がりしていた。それだけ5年の間に供給量が減ったということかな。早々と買って正解だったなあ。

人生最大級の節目の誕生日まであと2日。若いこと、若く見えることがもてはやされるこのご時世に、いよいよ「シニア」になるのがうれしくて、指折り数えているワタシって、やっぱりあまのじゃくなのかな。

この世で確実なもの、それは死と税金

4月23日。火曜日。きのうの夜にトレッドミルの試運転のつもりで15分ほど時速6キロで早歩きしたら、なぜか股関節とお尻の筋肉が痛い。座り続けていてお尻が痛くなるのはわかるけど。でも、久しぶりで気分は良かったな。

今日は天気がいいのでモールまでテクテク運動。気温は15度。薄いジャケットを羽織って出たけど、汗をかいた。片道20分。郵便局の私書箱にぎっしり詰まった郵便物(ほとんどがカタログ類)を引っ張り出して、持って帰るには重いから、モールのベンチに座ってカタログから住所の部分を破り取る。カタログはそのまま興味のある人はどうぞといわんばかりにベンチの端に放置。引き返してCrate & Barrelに。見るだけのつもりが、やっぱり何点か買い物。その足でモール外側の青果屋でトートバッグに入るだけの野菜類を買い、さらにセーフウェイに寄って何点か買い物。帰りはすたすた歩くどころじゃなかった。

帰り着いてから、メールをチェックしたら、とうとう来たぁ!2012年の所得税申告書。4月30日が申告期限なので、ちょっとやきもきし始めていたところ。会計事務所からPDFで送られて来た申告書、カレシのは37ページ、ワタシのは55ページもあるから印刷が大変。カバーレターを読んだら、ゲゲッ。去年は日本での震災や節電の影響で不調だったその前の年に比べて倍以上の収入だったから、少なくともワタシの分はがっぽり取られると覚悟していたけど、追加納税分の金額はカレシと合わせて7千ドル超。今の為替レートだと70万円か。まあ、前年度の税額がベースになる予定納税(勤め人の「源泉徴収」に当たる)の額が少なすぎたんだから、当然といえば当然だけど、やっぱりゲゲッ。

でも、明細をチェックすると、ワタシの追加税額のうちで4600ドルがカナダ年金(CPP)の掛け金。勤め人のように月々の給料からの天引きがないので、納税申告のときにまとめて払うわけだけど、自営業の場合は、4600ドルの半分は事業主の分で、残りの半分は被雇用者の分。今年は5月から払い込みをストップできるから、来年の申告のときは少しは「ゲゲッ」度が軽減されるかな。払い込みを続けて年金の追加給付をもらう手もあるけど、スズメの涙みたいな給付金の額を見て、じょ~だんじゃな~い。払い続けると給付額も増えるというけど、2、3年も払い続けたら、元を取れる頃にはとっくに死んでいそうな感じ。

ということで、追加給付はもらわないことにした。でも、大増収のおかげで今年の個人年金への払い込み限度額が1万ドル超。これはそっくり所得控除になるし、まあ、勤労所得がある限り、70歳まで払い込み続けられるので、こっちに目いっぱい入れて将来の年金を増やす方が理に適っていると思う。でもでも、それは将来の話で、ワタシの今年の予定納税は2012年の納税額を4分して3ヵ月ごとに払うことになるから、1回の納付額がけっこうな金額になる。会計事務所が計算してくれた数字を見て、うへっ、これじゃあすぐに仕事を辞めて遊ぶわけには行かないじゃん・・・。

まあ、「死と税金以外は、この世には確実と言えるものなどない」とのたまわったのは、アメリカの百ドル札になっているベンジャミン・フランクリン。それでも来月からは決まった額の年金が毎月確実に入ってくるから、ぼちぼちと仕事をして、それで税金を払ってあげることにするか。(噂をすれば影とやらで、ゲッ、な~んかでっかい仕事が来た・・・。)

その鎧、脱いでみたら?

4月24日。水曜日。よほどぐっすりと眠っていたのか、ごみ収集日なのに、トラックの音で目が覚めなかった。家庭ごみの週一での収集はこれが最後。来月からは、堆肥用生ごみとリサイクル品が週一で、普通のごみは隔週のスケジュールになる。何重にも折りたたんだ大きな絵入りの説明書が来ていた。

シーラとヴァルに掃除をしてもらっている間に、Whole Foodsへひとっ走り。切れかけていたミルクとオレンジジュースを買って、お目当てのケーキ。ケーキを丸ごと買うなんて何年ぶりかなあ。カレシが「どれがいい?」と聞くから、あっちにしようか、こっちにしようかと迷ったけど、一番最初に目を引かれたイチゴやラズベリーを飾ったチョコレートデカダントに決めた。カロリーがすご~く高そうだけど、まっ、あしたはいよいよビッグバースデイなんだもの、ダイエットはその後に始めればいいってこと・・・。

ブログのホストが去年のブログにこんなことを書いていたというメールを送って来るけど、たまたま去年の4月23日の記事を見たら、(移民や難民を)受け入れる側がいくら異文化や異民族に寛容であろうとしたところで、「相手が心を開こうとしなかったり、(遠い外国の)自分たちの常識や規範を鎧のようにまとったままでいたら」、そうそういつまでも寛容ではいられない、というようなことを書いていた。最近立て続けに起きたテロ事件や、小町横町や(昔よく見ていた)ローカルの日本語掲示板に出て来る「海外在住者」の居住国やその国の人たちに対する不平不満や嫌悪感の根底には、ある意味で頑なに母国の「鎧」を脱ごうとしない「不寛容」もあるのではないかと思えて来た。

これは個人的レベルの問題であって、受け入れ側には解決できないものではないかと思う。だって、鎧を脱げと言えば、活動家やリベラル族から差別だ、不寛容だと糾弾されてしまうもの。でも、異なる文化習慣の実践に寛容であることを要求された上に、相手の不寛容さにも寛容であることを要求され、さらには自国の文化や習慣を尊重しない「権利」を認めるように要求されたんでは、どこの国の誰だっていい加減に「帰れよ」と言いたくなるだろうな。大多数は自発的に移り住んだ国に溶け込む努力をして、その社会の一員なっているわけで、そういう人たちにとっても迷惑な話だと思う。でも、「そんなに嫌なら帰ればいいのに」と言えばまた不寛容だ、偏狭だと非難されるから、ひさしを貸して母屋を取られたような、腹ふくるる思いで、「鎧」を脱がない人たちへの不満や反感を溜め込んで行くわけで、何だか負のスパイラルになっているような・・・。

「郷に入らば郷に従え」は世界共通の諺なんだけど、「郷に従う必要はない」、「郷に従うのは母なる郷への裏切りである」・・・そうやって自らを疎外することで自分を保っている人も、どこから来た誰に関係なくたくさんいる。「ムラ社会」的な束縛の強い文化環境から来た人に多いような印象を受ける。大人としての判断で来たはずだけど、慣れ親しんだ環境とは異なる社会で暮らすストレスや異言語での意思の疎通が自在にできないことへの苛立ちや挫折感を乗り越えられない人も、どこから来た誰に関係なくたくさんいる。失望して母国へ帰る人たちもいれば、まるで「chip on one’s shoulder(けんか腰)」とでもいうような姿勢で嫌悪感や不幸感を募らせて行く人たちもいる。(これは「来てやった」と思っているタイプにありがちな態度のような・・・。)

でも、その「鎧」を脱がない限り、郷に溶け込めないイライラは止まらないと思うんだけどな。誰も「鎧」を捨てろとまでは言ってない。脱いだ鎧は家の中の特等席に先祖伝来の家宝(民族の誇り)として飾っておけばいいんだし、大多数はそうしている。みんな何らかの形で幸せになるために来たんだろうに、期待していた「幸せ」を与えられなくて失望しているのか、あるいはその国で「幸せ」とされることが自分規格に合わなくて不満を囲っているのかは知る由もないけど、結果的には「早く鎧を脱いだもん勝ち」であることは否めない。新しい鎧をまとって世界へ出て行く傾向もたしかにあることはあるけど、それを行く先で脱ぐか脱がないかは個人の問題だと思う。重い武者鎧を着てどや顔をしても、自らの身動きを制限して疲れるだけだから、ちょっと脱いで横に置いといて、身軽に街へ出てみたらいいと思うんだけど・・・。

ハッピーバースデートゥミー

4月25日。木曜日。4月25日。「ザ・ビッグ・デイ」のその日は春らしい陽気。(生まれた日は雪が降っていたという話を聞いたことがあるけど、真偽のほどは・・・。)

妹がとてつもなくうれしくなるバースデイカードで祝ってくれた。[写真]

ワタシは自分の誕生日がうれしい。自分という人間がこの世に生まれて来た記念日だし、重ねた年は人として生きて来た歴史でもある。仮死状態で生まれて来て、人生の初っ端で生と死の岐路に立っていたワタシ。たぶんこれがほんとのワタシのComing of Age(成人)かな。総合的に振り返ると、幸せな人生だったと思う。これからの人生は、この積み重ねてきた幸せを楽しまなくちゃね!

いろんな占いやら風水やらを総合すると、春に生まれた子は人生に情熱を持ち、粘り強くてちょっとのことではめげず、好奇心と独立心が旺盛なマイペース型で、女の子ならおてんば。いつまでも子供っぽい雰囲気を持っていて、制約がなければ持てる力をうまく発揮できるんだそうな。ふむ、当たってるかなあ、これ。

ワタシの干支は「つちのえね」。「土」は不動の大地、「戊」は固い地面を押し上げて芽を出すさま、「子」は種の中に新しい生命が芽生えるさま。まさに、命が芽を吹く春だけど、がむしゃらな努力で猛進するように運命付けられているようでもあるな。

ハッピーバースデイトゥミー!

自分でご馳走を作る誕生日

今年も誕生日のディナーは極楽とんぼ亭の気まぐれシェフの思いつき料理。自分の誕生日には、シェフは何でも好きなものを作っていいよね。とっておきのディナーセットを出してきて・・・。

今日のメニュー:
 パースニップのヴェルーテ
 ぼたんえびの蜂蜜ショウガ蒸し、ガーリックアイオリ
 自家製ロブスターのラヴィオリ、ロブスター入りレモンクリームソース
 牛ヒレ肉のステーキ、ラズベリーソース、温野菜添え
 (チョコレートデカダントケーキ)

まずは特製のマティニで乾杯して・・・。

[写真]  パースニップ(あめりかぼうふう)にはかんきつ類のような、ミントのような香りがある。リークといっしょにチキンストックで煮て、梨を少々加えてハンドブレンダーでピューレに。グレープフルーツのビターを数滴垂らして、クリームで仕上げ。ちょっと考えて、デミタスカップで出してみた。

[写真]  ぼたんえびはローカルの産。冷凍だけど、かなり丸々としていた。殻を外して、蜂蜜しょうがでマリネート。これはしょうがを煮出して、蜂蜜を加えて煮詰めたもので、ソーダに入れてジンジャーエールにするもの。えびを蒸して、ローストガーリックのアイオリ(市販)と一緒。もう少し味を利かせると良かったかも。

[写真]  初めて作ってみたラヴィオリ。まずは卵ひとつで作れる粉の量(100g)を量って、オリーブ油を少し加え
ながら、テニスボール大に捏ね上げた。これをパスタメーカーで伸ばして、伸ばして、また伸ばして2枚。オリーブ油でさっと炒めた刻みねぎとにんにくを冷ましておいて、スーパーのフリーザーで見つけてきたロブスターの身を解して塩ヨーグルトと混ぜ、パルメザンチーズをガリガリとおろして、最後にねぎとにんにく。1枚のパスタの上に等間隔で載せて、もう1枚をかぶせ、空気を抜いて、クッキーカッターで丸く型抜きして、食べる直前に茹でた。(生パスタは茹で上がりが早い。)ソースはバターとロブスターの身とレモンとクリーム。飾りにサーモンキャビア。初めてのトライにしてはけっこうおしゃれな1品になった。

[写真]  ここで赤ワインに切り替えて、牛のフィレ肉のステーキ。サリッシュ族の燻製海塩と挽きたての胡椒だけの味付け。ソースはフリーザーにあったラズベリーを解凍して、適当につぶしてワインを加え、梨のスライスを添えた。ポテトとフレンチインゲンを蒸して付け合せ。うまくミディアムレアに焼きあがった。

[写真]  デザートはWhole Foodsで買ってきたデカダントケーキ。スポンジはなくて、中の中までこってりとチョコレートクリーム。まっさらのまま買ってきたので、思いついてステンシルを作って、アイシングシュガーで「65」。ろうそくを65本も立てたら山火事みたいになってしまうしね。ケーキのお供はソーヴィニョンブランのレイトハーヴェストワイン。アイスワインはこってりと甘すぎるけど、レイトハーヴェストはすっきりとした甘さかな。こってりケーキにぴったり。

さて、2人とも満腹すぎて、ランチはスキップ。でも、いい日だったな。後は、この日のために買っておいた1948年ヴィンテージのアルマニャックを寝酒に一杯・・・。

日常は相変わらずのまま

4月26日。金曜日。起床は午前11時半。天気は予報通りに下り坂の気配。

きのうは食べ過ぎて、飲み過ぎて、仕事にならなかったので、今日は気合を入れての仕事日。すごい量があるし、週明けは眼科の検査と芝居があるし、腕をまくって、ねじり鉢巻、たすきがけ。半現役、半引退はどこぞの話だったやら・・・。

今日から本格的にトレッドミルでの運動に戻る。カウントダウンの時間を20分に設定して、足慣らしに1週間ほどは時速6キロ強での早歩き。しばらくすると12月に傷めた右足の中指の辺りが疼いて来たけど、指と関節が少々変形してしまったみたいだからしょうがない。元気良く、大きく腕を振って、歩け、歩け・・・。

ちょっと汗をかくくらいの運動すると、何よりも集中力が向上する気がする。この1年近くはあっちに寄り道、こっちで道草をしながら、何となくちんたらちんたら仕事をしていたのは、やっぱり運動不足が大きかったかもしれないなあ。じっとしていたんでは、酸素が脳みその隅々まで行き渡らなくなるってことか。運動すると気分が爽快。世の中の展望も何となくアップビートだし・・・は、ちと期待しすぎかな。

大きな節目を越えたから、今日から新たな日常。といっても64歳だった24日の自分と65歳になった25日の自分の間に目に見えるギャップがあるわけがない。白髪やしわが急速に増えるわけでもなければ、いかにも「おばあちゃん」という印象になるわけでもない(と思う)。鏡を見ても、24日のワタシと同じ顔、同じ服装、同じ性格、同じ人間。ま、日常にもすぐに大きな変化が起きるわはずがないな。人生はスペクトラム・・・。

この10年ほどの習慣のまま、正午前後に起床、朝食、遊びまたは仕事(または家事)、運動、夕食、仕事、ランチ、仕事、寝酒、そして午前4時ごろに就寝・・・。この「仕事」の部分が「遊び」に取って代わられるのはいつかなあ。まっ、これからは「副収入」みたいなもんだから、遊び資金を稼ぐつもりで、とりあえず目の前の仕事に精を出さなきゃ。

ポイ置き魔のいる家

4月27日。土曜日。寝ている間に雨が降ったもよう。ポーチの温度計は正午でやっと10度。去年に続いて今年も春は低温がちという長期予報だったけど、はて・・・。

今日も大まじめに仕事。日本はゴールデンウィークなので、ワタシのデスクもいたって静かなもの。何個かあるファイルの一番大きいやつは連休明けが期限・・・。

「今日のサラダ~」と、カレシが見せてくれたのはひと握りのほうれん草の若葉。
あはっ、ベビーほうれん草、大好きっ!
「じゃあ、ほうれん草責めにしてやる。摘めば摘むほど新しいのが伸びるから」。
うん、うん、毎日でもいいよ~。
「ねぎは種をまくのが早すぎたみたいで、全然芽が出て来なかったよ」。
でも、忘れた頃に芽が出て来たりすることがあるよ。(あっ、そこにほうれん草を置いて行かないでよ~。)ほうれん草、冷蔵庫に入れておいたらパリッとするんじゃない?

寒いからと早々に庭仕事を切り上げたカレシ、脱いだフリースのシャツを持ってうろうろ。ははあ、どうやらポイ置きするところを探しているな。
「やれやれ、どこに行ってもオレの着るものが見つかるから、驚きだなあ」。
(そうだろうねえ、あっちの椅子の背、こっちのソファの上・・・。)
「ほらっ、4枚もあった」と、ひとかかえのシャツ。

カレシの老眼鏡もそうだけど、上っ張りにしているシャツを暑いからと脱いで、手近なところにポイ。寒くなって来たら別のシャツを着込んで、暑くなったらそれも脱いだところでポイ。へたをすると家中の椅子の背にシャツがかかっていることがある。スウェットパンツをソックスと一緒に脱いで、ポイ。朝起きて足を突っ込んだら、裾から足と一緒によれよれのソックスがぽろっと出て来て、爆笑することもしばしば。

家の中が片付かないことは確かだけど、「専業主婦」はやらない方針のワタシは知らん顔。その代わり、小町横町のウルトラ几帳面ミセスたちのように、だらしないとか、いい加減だとか、マナーが悪いとか、あれやこれやとうるさいダメ出しもしないな。(ワタシみたいなずぼらな奥さんをもらって、幸せだよね、カレシは。)自分がどこかに置きっぱなしにして忘れたものは、自分で探して見つけてね。(どこにあるか知っていても教えてあげないよぉ~だ。)

それにしても、かき集めて来た4枚のシャツ、今度はいったいどこに置いたのかな。まさかひとまとめにポイってことは・・・ありえるなあ。何たって、ワタシのカレシは筋金入りの「ポイ置き魔」なんだから。

緑内障なし、白内障あり

4月29日。月曜日。午前11時に起床。いい天気。でも、朝食後、まずは今日の夕方に納品する仕事の手直し作業にかかる。日本語の堅苦しい原稿をそのまま堅苦しく訳したんだけど、内容から読む人を推測して、少し平易な文体に変えることにした。いうなれば、字画の複雑な漢字だらけで見ただけで疲れそうな文章を、ひらがなの多い「読む人にヤサシイ」ものにするようなものかな。翻訳にも「TPO」みたいなものがあって、それに文体を合わせるのはけっこうおもしろい。

もうあと少しというところで眼科の検査に出かける時間。ささっと着替えて、地下鉄の駅まで早歩き15分。れっきとしたシニアになったので「割引料金」の切符。普通料金より1ドル安くなる。2ドル硬貨を1個入れたら、カチャン!と25セント硬貨が落ちて来た。眼科のオフィスはシティーセンター駅を出たらすぐそこの高層ビルの14階。ガファー先生から引き継いだコマニッキー先生がまずファイルに目を通しながら前回の「おさらい」。(先生の頭はまるでサッカーボールみたいにまん丸!)検眼をしてからコンタクトを外してまた検眼。今回はまぶしい赤と緑の背景が並んでいて、どっちの色の方でその上の文字が見やすいかもチェック。(紫の残像ができちゃったじゃないの。)

だいたいルーティーンの検査が終わったところで、「白内障の手術が必要ですね」。ほお、とうとう来たか。何年か前に第1期だと言われ、前回は第2期に入るかなと言われた。手術が必要ということは、第3期なのかな。この1年ちょっとでかなり進行のペースが早まったのかな。そういえば、PCの画面の黒い文字の色あいが前ほど濃く見えなくなった感じで、ディスプレイの設定をいじってみたりしていたけど効果がなかったのは、ワタシの目が原因だったのか。(よく見ても、それほど濁っているようでもないけど・・・。)

まあ、今年は仕事の整理もあるし、旅行の予定も決まっているので、手術するとしたら早くても来年早々かなあ。今使っているコンタクトレンズと同じく、右目で遠くを、左目で近くを見るように処方したレンズを埋め込むそうなので、眼鏡がいらないらしい。要は、コンタクトレンズを直接目玉にはめ込むようなものか。コマニッキー先生曰く、「目が覚めたときに時計の時間がはっきり見えるよ」。う~ん、別にはっきり見えなくてもいいんだけど。それでも、35年近く(半生以上!)も使って来たコンタクトレンズが不要になるのはうれしいな。毎日朝晩に入れたり、外したりしなくてもよくなるし、保存液や洗浄液を買わなくてもよくなるし、旅行するときにも道具を持って歩かなくて済むようになる。

今日は緑内障の兆候の有無も検査。簡単に手術で機能回復できる白内障と違って、こっちは失明したら一巻の終わりになるからこわい。機械の中で中央の光に視点を合わせて、視野の中でピカッと光が見えるたびにボタンをカチッ。ビデオゲームみたいでもあるけど、いつどこにどれほどの明るさで現れるかわからないから、けっこう緊張する。その結果、眼圧は正常域にあって、数字が前回から変わっていないので、緑内障の心配はまったくなし。実はこっちの方が心配だったので、よかった。緑内障になるリスクは男性よりも女性の方が高くて、アジア人は他の人種よりもリスクが高いらしい。つまり、「アジア人女性」の緑内障リスクは他のどのグループよりも高い。コマニッキー先生曰く、「毎年ゲームをしにおいで」。

白内障の手術は、やると決めたらすぐに専門医に紹介してもらって、いろんな検査や準備を経る。実際の手術は、眼内レンズの技術の進歩と手術のテクニックの進歩のおかげで15分もかからずに済むらしい。まずは一方の目だけにレンズを埋めて、もう一方の目はコンタクトを使用。3週間後にもう一方の目も手術して、最終的に眼内レンズが馴染んで落ち着くまでに3ヵ月くらいとか。でも、手術した翌日にはもう視界がはっきりして、「もっと早くやればよかったと思うよ」というくらいらしい。まっ、世の中、はっきり、すっきり、明るく、ばら色に見えるのが何よりだよねっ。

芝居の開演に遅刻しちゃった

4月30日。火曜日。目を覚ましたら正午過ぎ。いい天気が続いている。きのうはかなり風が強くて、寒いくらいだったけど、今日はわりと穏やかそう。

遅い朝食が終わって、仕事があるというのにのんきにThe New Yorkerを読んでいたら、リビングの窓でコツコツ。外にライラックの木があるので、風で枝が揺れて窓ガラスに当たのかと思ったけど、それほどの風が吹いているようでもない。なのに、休み休みコツコツ・・・。いったい何なんだと思って、窓の薄いカーテンをちょっと除けてみて、びっくり。小さな鳥が下の窓枠に止まって、窓ガラスをコツコツと突いている。どうもsiskinというヒワの一種らしい。目と目が合っても飛んで行くそぶりを見せないのは、ガラスに空が反射して窓の中が見えないのかもしれない。枝に飛び移ったと思うと、また窓枠に移って、コツコツ。何をやっているんだろうなあ。いつだったか、つぐみがしつこく窓に体当たりして困ったことがあったけど、春だからかな。ガラスに映った自分の姿に恋をして、猛アタックとか・・・。

仕事をひとつ片付けて、今日は芝居。『My Turquoise Years』という、地元の作家の小説を脚色した作品で、1960年代のビクトリア郊外のコルドヴァベイの浜辺の家が舞台。世界中を遊び回る母親に捨てられた形で伯母夫婦と一緒に暮らしているマリオンという思春期の少女が主人公で、突然その放蕩ママが来るという電報が来て、てんやわんやという筋書。もう20年以上前になるけど、内陸のオカナガン地方を舞台にした『My American Cousin』というカナダ映画があって、あれも1950年代の終わりという時代設定だった。こういう地元作家の作品は、カレシの家族の昔語りと同じように、カナダ人としてのワタシの「記憶」の空白を埋めて、カレシと共有できる「仮想的過去」を作り出してくれるに貴重な存在でもある。

グランヴィルアイランドの平日の夜は無料の駐車スポットがたくさん空いているので、車を止めるのは簡単。ボックスオフィスでチケットを受け取って、「まだ時間があるから散歩しよう」と言うカレシの後について、劇場裏の水際を散歩。フォルスクリークの対岸はダウンタウンの高層コンドミニアムが並び、「アクアバス」というミズスマシのような小さなフェリー(料金が高い!)が往来し、カヤックを漕ぐ人たちがすいすいと通り過ぎる。写真を取るにはいいところだなあと言いながら、劇場に戻ったら、ん・・・?

芝居はいつのまにか始まっていた。月曜日と火曜日は午後7時30分開演なんだそうで、週の早い日に来たことがない私たちはてっきり普通に午後8時開演だと思っていたのだった。イケメンのお兄ちゃんが、「適当なところで中へご案内しますから、ここで見ていてください」と、二階のラウンジのステージドアそばにあるモニターをオンにしてくれた。持って来てくれた椅子に座って、しばらくの間モニターで芝居を見る。何だかプライベートな「特別映画試写会」みたい。

「適当な」ところで、劇場の中に案内されて、一番後ろの空いた席に着席。休憩時間になったところで、予約した席に行けばいいわけだけど、まあ、半分くらいの入りだから、前に誰も座っていなくて、ステージ全体がよく見渡せる。その休憩時間にイケメンおにいちゃん(たぶん俳優の卵だな)に、カレシが「満員御礼のときに遅れて来た人がいたらどうするの?」と質問。そういうときのために、一番後ろの席の一部をいつも空けておくんだそうな。へえ。お兄ちゃん曰く、「いっつも遅れてくる女性がいるんですよ。この劇場では常連のお客なんですけどね」。へえ、それでいつも遅れてきて、ラウンジで鑑賞するのかあ。世の中、ほんとに変わった人もいるもんだなあ。

作品は基本的にはコメディだけど、テーマは「人間は家族を選ぶ能力を持っている」。単に先祖を共有するというのではなくて、愛と献身を通じて、お互いに「自分の家族」と認め合ってなる「家族」。なかなか奥の深いテーマだけど、ほろっとさせるエンディングは良かった。でも、これからは遅刻しないように気をつけなくちゃね。