リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

小説家の苦労、劇作家の苦労、二股をかける翻訳家の苦労

2024年06月14日 | 日々の風の吹くまま
6月12日(水曜日)。☁⛅🌤☀。天気は回復傾向だけど、けさも起きた時にどのサーモスタットにも炎マークが1本。きのうの最高気温は19度、最低気温は10度。明日の朝方なんか8度なんて言っていて、やぁ~ねぇ、もう。おかげでせっかくしまった半毛布が再登場。日本では猛暑みたいだけど、その暑さ、ちょっとだけこっちの方に送ってくれないかなあ。

きのう脚本の第1稿にThe Endと打ったもので、今日は気が抜けた感じで朝から何となくだらけ気味。創作に没頭しているといつもそうなるんだけど、芝居の脚本となるとものすごい量の精神的エネルギーを消費するみたい。小説や短編は印刷された「文章」がストーリーを伝えるので、読む人は自分のペースで好きなようにページをめくれるし、映画でも録画すれば本のページのように巻き戻すことができるけど、ライブの芝居は生の人間がリアルタイムでストーリーを語るものだから、観ている人はせりふを聞き逃してもそのまま進行するしかない。芝居に取りつかれてから少なくとも160本は観て来た経験上、どんなに舞台に神経を集中して観ていても、役者たちの口から出て来るせりふを本を読むような感覚で100%聞き取ることはまずめったにないだろうと思う。(普通の会話だって互いに相手の言葉を100%聞き取っているのかどうか怪しいもんだと思う。)

そこで、ストーリーの要点だけは確実に聞き取ってもらえるようなせりふを考えなければと思うんだけど、芝居は生身の人間の普段着の「話し言葉」だけでストーリーを展開するものだから、ちゃかちゃかとキーを叩いて画面に「書いた」せりふを目で追って読むのとは大違い。実際に自分の頭の中で「話して」みて、言わんとすることが自然の抑揚やトーンやテンポで耳に入って来るかどうか「聞いて」みないと、舞台という空間で見ている人にどう伝わるかがわからない。英語の場合は寝ても覚めても耳に入って来るし、もう50年も第一言語なのであまり困らないけど、日本語となるともう何年もしゃべっていない(聞いていない)から、なかなかスムーズに行かないし、おまけに、訳す段階で男言葉と女言葉があって、さらに(英語にも微妙な違いはあるけど)明確な敬語、ていねい語、ため口の違いがあって、ますます悶々としてしまうわけ。

こんなんだから、THE ENDと大文字で打ち込んでやったぁという気分にはなっても、満足の行くところまでこれから2度、3度と見直しをするので、まだまだ「いばらの道」は続くんだよね。ときには小説を書く方が楽じゃないかなあなんて思うことがあるけど、小説には小説を書く上で難題がいろいろとあるわけで、そこがクリエイティブライティングの心髄なんだろうな。要は、小説家には小説家の苦労、劇作家には劇作家の苦労があるってことで、どっちも翻訳するとなると、そこに異言語、異文化のフィルターがかかって来るから、常に二股をかけている翻訳家は原作者以上に苦労することになるのかな。でも、みんなそれを承知でやりたいからやっているわけで、願わくば「好きこそものの上手」で少しでも苦労が報われるといいな。だって、「下手の横好き」じゃ、ぎゅうぎゅうに絞られてごちゃごちゃになっているワタシの脳みそがかわいそうだもん。