リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

出不精の夫婦に2台は無理なんだけど

2013年12月04日 | 日々の風の吹くまま
うっ、寒いっ!天気がいいのにやっとプラスで、最低気温は確実にマイナス何度。週明けま
でこんな調子で、雪のちらつきと共に気温が上がり始めるらしい。徒歩で30分ほどのところ
にあるトヨタのディーラーまで運動がてら歩いてきのう整備に出したトラックを取りに行くは
ずだったけど、カレシが「寒いから車で行く」。ということで、きのうに続いて今日も片道だけ
カレシが運転するトラックの後ろをちっちゃなエコーで追いかけるワタシ。

月曜日にトラックをジャンプスタートしたけど、今度はタイヤの空気圧低下の警告サインが
出て、ガソリンスタンドで空気を入れて正常圧にしても消えないので、さすがのカレシも整備
に出す潮時と判断したらしい。何しろ買って6年近いのに走行距離はやっと5千キロという
「カウチポテト」だから、定期的な整備はしていない。点検の結果、タイヤの空気圧低下の
警告はスペアタイヤのもので、空気を入れて解決。トラックのスペアタイヤは普通のタイヤ
でセンサーがついているんだそうな。へえ、知らなかった。バッテリは寿命と言うことで取り
替えて、しめて280ドル。ついでに今リコール中のエアバッグの不具合も手当してもらって、
ひょうきんなマネジャー氏が、「じゃあ、またいつかお会いしましょう」。

根本的に走らな過ぎるのが問題なんで、エレクトロ二クス満載の今どきの車は動いてなくて
もちょろちょろ電流を食うから、出不精の2人に車2台は無理だということは一目瞭然。でも、
無理だとはわかっていても、土を買いに園芸センターに行くとか、リサイクル品をまとめて運
ぶとか、年に数回もやらないような目的を挙げて、手放さない理屈をこねるのがカレシ。ま
あ、トラックはカレシにとってはお気に入りのおもちゃみたいなもんだから、本人が手に負え
なくなったと思うまでは、しゃあないなあ・・・。

家に着いてトラックの前にエコーを止めようとしたら、カレシが「降りろ」。何で?「キミは駐車
がへただから、オレがやる」。はいはい。でも、カレシがとめたのは縁石から50センチも離
れたところ。やり直してもまだ30センチで、おまけにバックしすぎて後ろのトラックにコツン。
3度目の正直で何とか20センチ(そして、もう一度トラックにコツン)。げらげら笑いっぱなし
のワタシに、「こういうやり方はダメというのを実演してやったんだ」というカレシ・・・。

箱の外は広くていいよ

2013年12月03日 | 日々の風の吹くまま
OECDの国際学力調査(PISA)の結果はアジアが優勢で、上海が3つの分野でトップ。日
本もランクが大躍進したけど、カナダは数学で大幅にランクを下げ、アメリカは相変わらず
下の方。各国のメディアの手前味噌的な報道がおもしろくて、その話をしていたら、このとこ
ろ教育論にはまっているカレシ、「それでも革新的なアイデアのほとんどがアメリカ発なのは
どうしてかな」と。なるほど、革新的アイデアは成績優秀の中国からじゃなくて、こういう試験
では落ちこぼれ組のアメリカから出て来ることが多いかな。

ここ何年も何かにつけて物知りそうな人たちが「Think outside the box!」と説教して来て
いて、英語的には一般に「既存の考え方や常識に囚われずに自由に考えること」とされて
いる。そこで「創造性を豊かにする」教育要領を掲げる日本でも流通しているだろうと思って
調べてみたら、「箱の外で考える」、「箱の外から考える」、「箱の外を考える」、という3通り
の日本語バージョンが出て来た。ワタシの直感では、1番目は「箱の外に出て考える」、2番
目は「箱の外から中のことを考える」、3番目は「箱の中から外のことを考える」と、ニュアン
スが微妙に違う解釈ができて、それぞれ訳を当てた人の思考の方向性が見えるような気が
しないでもない。

「Think outside the box」と言われると、ワタシの頭の中では「箱の外に出たらそこは360
度の無限の空間だった」というイメージがわくけど、複数の子供を同時に教える学校教育は
(ごく個人的な体験から言うと)必然的に「箱の中で考える」ことを教えるものだと思う。資質
も学習力もそれぞれに違う子供たちを箱の外に出したら「授業」が成り立たなくなるだろうし、
「先生」の権威も揺らぐかもしれない。そうやって「学校」という箱の中でひたすら知識を詰め
込まれて来たら、テストの成績は上がるだろうけど、社会人になってテストされるのは、その
知識をどう使うか、あるいはどれだけ使えるか。その成績は社会という「箱」の大きさと外の
空間の大きさによって違って来るだろうな。

人間社会では子供をそれぞれの学び方の個性に合わせて教育するのは実質的に不可能
だとすれば、箱の外の空間がどれだけ広いかが創造性の豊かさを左右するんじゃないかと
思う。でも、「無限の空間」に出ると不安に駆られる人も多いし、他人が箱の外に出ることを
良しとしない(阻止したい)人も多いし、傍から外で、外でとあまりにもうるさく言われていると、
それが窮屈な箱になってしまうから、はあ、考えるのってタイヘン・・・。

切符1枚で往復する90分のスリル

2013年12月02日 | 日々の風の吹くまま
午後1番の気温は7度で晴れ。ほんとに今夜は氷点下に下がるのかなと思うけど、ま、どん
な展開になるかわからないのがバンクーバーの天気。バッテリが上がったトラックの手当は
カレシに任せて、ワタシはひとりで用足しにダウンタウンへ。Tシャツの上に厚いカーデガン
ジャケットを着ただけなのに、地下鉄の駅まで早足で歩いただけでじっとり汗ばんで来る。

モールにあったグリーティングカードの店が撤退してしまったので、ダウンタウンのモールに
はまだあるだろうと期待して行ったんだけど、こっちも影も形もなくなっていた。グリーティン
グカードやギフトラップの売上ではモールの高い家賃は払えないんだろうな。しょうがないか
らChapters/Indigoに行ってみることにして、美術館の横を通ったら、映画の撮影中らしく、
トラックやテントがずらり。バンクーバーでは大ベストセラーを映画化した『Fifty Shades of
Grey』の撮影中だそうだけど、これがそうかな。他にも何本か撮影というから、カナダドル安
に振れて「北のハリウッド」が活気を取り戻したと言うことか。

Indigoでクリスマスカードを買って、次は銀行。5分ほど並んで、GSTの還付小切手と一緒
に数年前のイギリス/アイルランド旅行で使い残した85ポンドと80ユーロをカナダドルに
換金して入金。合わせて250ドルになったけど、買ったときはすごいカナダドル安だったか
ら、ドえらい為替差損。でも、今またカナダドル安になって来たおかげで、アメリカドル建て
の翻訳料の「手取り」が増えるし、アメリカドル口座においてあるお金の価値も上がるわけ
で、ここのところ何かと散財しているから喜ばしい限りだけど。

次はロードウェイで地下鉄を降りて、Home Depotへ。バーの蛇口をやっぱりメインのシン
クのとお揃いにしたいので、「Plan B(次善策)」としてとりあえず量販店にあるものを買うこ
とにしたんだけど、いかにも蛇口!という感じのピカピカのクロム仕上げのが1種類だけ。そ
の代わり安いから、気に入ったものが見つかるまでの当座しのぎにはちょうどいいか。店を
出て市役所の時計塔を見たら3時30分になるところ。切符の有効期限は3時36分。大急
ぎで坂道を駆け上がって、道路を渡って、駅に飛び込んで、(まだ稼動していない)改札口を
駆け抜けて、ホームに下りたら3時34分。はっ、間に合った!今日も1枚の切符で所用を
全部済ませて往復。スリル満点で汗びっしょり・・・。

タラレバって、おいしいの?

2013年12月01日 | 日々の風の吹くまま
今日は晴れ。でも、案の定トラックのバッテリが上がっていて、どこへも行かない日。まあ、
ジャンプスタートさせれば出かけられるんだけど、めんどうくさくなったらしい。最初に「園芸
の土を買いにひとっ走り郊外まで行こう」と提案したときに、どたチェンしないで行っていれ
ばよかったのにねえ。でも、「まだ大丈夫」と希望的観測でいるうちに大丈夫じゃなくなって、
よけいなエネルギーを使う羽目になるのがカレシの流儀で、そこで「ちょっと走らせておいた
ら、上がらなかったのになあ」となる。

こういう思考を最近の日本語では「タラレバ」というらしい。(初めて聞いたときは食べ物かと
思ってしまった。)目新しくてまだ正確な意味がわかったとは言えないけど、「もしも○○だっ
たら(○○していれば)」というのは、期待外れの結果(失敗)の原因を過去に存在しなかっ
た状況に求める場合に使うらしい。でも、「○○」と具体的な行動に言及しているのは、そう
いうオプションがあることを知っていたということで、知っていてやらなかったことを悔やんで
いるということになるのかな。まあ、後悔先に立たずというけどね。

未来について「もしも○○したら(すれば)」と言う場合は、実際にはその「○○」はあくまでも
仮定であって、実際には(たぶん)実行しないという、一種のwishful thinking(希望的観測)
のような感じがする。夢見る夢子ちゃんのせりふみたいだけど、行動や状況の主体は必ず
しも夢子ちゃん本人とは限らないらしい。というよりは、「誰それ(何々)が」という枕が付いて
いることも多いような印象で、もろに他力本願思考だけど、初めから責任の所在を自分以
外に設定してあるから、結果が期待通りでなくても特にがっかりはしないのかもしれない。

過去にしても、未来にしても、仮定が前提になっているわけで、自分あるいは誰かが実際に
○○をやって期待外れの結果になるよりは、やらないでがっかりする方が心理的に楽だと
いう思考のようにも取れなくはないな。それにしても、すでにタラレバ(な)話とかタラレバ論
という言葉も派生していて、いつも日本語の「省略力」はすごいと感じるけど、この「タラレバ」
は近年稀な傑作だと思う。「○○だったら」、「○○すれば」は人類共通の思考だから、その
うち翻訳原稿に出て来ても英語になりやすいかな。あんがい「tarareba thinking」として輸
出されたりして・・・。