廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

スタン・ゲッツ 最初の名演

2019年12月01日 | Jazz LP (Prestige)

Stan Getz / Stan Getz Quartets  ( 米 Prestige LP 7002 )


Stan Getz / Stan Getz Quartets  ( 米 Prestige LP 7002 )


スタン・ゲッツが1949~50年にプレスティッジに録音した3つのセッションはまずSPで発売され、次に10インチLP3枚で発売され、しばらく間を置いて
12インチLPで発売されている。12インチLPも何度も版が重ねられていて、最初の写真のものが1955年、次の写真のものが1956年、その後1959年に
"Long Island Sound" というタイトルで New Jazz レーベルから、1963年には "Greatest Hits" というタイトルで、と数年置きにプレスされていて、
このレーベルの看板タイトル扱いになっていた。ここまでくると何がオリジナルなのかよくわからなくなってくるが、12インチ化された時に初めて
ルディ・ヴァン・ゲルダーがリマスタリングを施して音質の改善が図られたので、ここを1つの分水嶺と考えるのが普通だろう。

昔のプレスティッジのオリジナル判定はレーベルのN.Y.C表記とNJ表記だけで済んでいたが、現在は初期番号のタイトルについてはジャケットの仕様で
更に細分化されて面倒臭いことになっている。このタイトルで言えば、最初のものはコーティングがなく、色が赤みがかっていて、住所は446、
次の物はコーティングされていて、色が薄紫で、住所が447、と違いがある。

盤の仕様や形状はまったく同じで見た目は何も変わらないが、実際に聴き比べてみると、後者のほうが微妙に音像がくっきりとしていて、空間表現も
長けているように感じる。特に3つのセッションの最も日付が新しいA面、B面各々の最後の2曲でその違いが聴き取れる。プレスティッジのこの頃の
レコードはランアウト部分のマトリクス番号に違いがなくて、実際に聴き比べてみないと違いなどはわからない。但し、この音場感の違いはRVGが
マスタリングを変えたからなのか、プレス時のラッカーの摩耗状態の違いによる個体差なのかはわかるはずもなく、断定的なことは何も言えない。

私の感覚で言うと、手持ちの2つに関しては後者の方が優れている。音質面の改善を図るためにエンジニアを交代したり、ジャケットの質の悪さを改善
するためにコーティング仕様に変えたり、とモノづくりとしての見直しが定期的に施されて品質が上がっているという話であり、常識的に考えれば
音質が最も良く、ジャケットも一番コストがかかっている56年版が製品としては一番いいと思う。


プレスティッジ時代、ルースト時代と隣接したこの時期のゲッツはその繊細で巧みな演奏から既にピーク期を迎えていると言われていて、まあその通り
だと思うけれど、いかんせん録音が悪く、演奏時間も短く、彼の本当の実像は捉え切れてはいない。唯一、このRVGリマスタリング版は音質が改善
されていて、聴く分には一番いいだろうと思う。逆に考えれば、3分間という制約の中で誰にも真似ができないアドリブラインを上手くまとめている
というところに本当の至芸があるのかもしれない。亡くなる直前まで素晴らしい演奏を残し続けたこの人の最初のステップが記録されていることは
間違いなく、我々は感謝の気持ちをもって有難く拝聴すればそれでいい。

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プレスティッジ発 最終列車

2019年09月22日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / The Last Trane  ( 米 Prestige PRLP 7378 )


プレスティッジとしては一番最後に発売されたレコードでありながら、録音は57年8月、58年1月、3月の3つのセッションの残飯整理という訳の
分からない形態だが、これも演奏内容がとても素晴らしい出来。 ちょうど57年から58年へとまたがる演奏で、やはり57年の演奏は技術的には
かなり落ちることがはっきりとわかる。 それに比べて58年の演奏は完成しており、奇しくもコルトレーンの演奏の分水嶺が捉えられた格好に
なっていて、瓢箪から駒的なアルバムとしてコルトレーンを知る上では価値がある。

このアルバムのハイライトはB面トップの "By The Numbers"。 ガーランド・トリオがバックで支えるスロー・ブルースだが、これを聴いていると
コルトレーンはガーランドにサポートしてもらえて本当に良かったなあと思う。 演奏が安定せず波があったコルトレーンをこのガーランドたちが
どれほど上手く支えてきたことか。 ガーランドやチェンバースはコルトレーンの成長を一番近くで見守っていたから、こういう成熟した演奏を
するコルトレーンを見て、さぞ嬉しかっただろう。 ガーランドが発する都会的なブルースの雰囲気が堪らない1曲となっている。

RVGの仕事が冴えているのもこのアルバムのいいところで、"Come Rain Or Come Shine" でのテナーサックスの音色のブライトな輝きといい、
ルイス・ヘイズのシンバルの音といい、金属が鳴る音の素晴らしさは圧巻。 音のいいレコードとしても高い価値がある。

このアルバムが発売された1965年は、コルトレーンが "Ascension" を作った年。 時代の変化についていけなかったプレスティッジ最後の花火が
この "最終列車" だったというのは何か象徴的なものを感じるが、それでもある意味では最も良かったと言っていい58年のコルトレーンの姿を
埋没させることなく世に出せたことは良かった。 これらの演奏を聴くことで、翌年に作られる "Kind Of Blue" の重みがより深く理解できる。


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マイルスへの感謝のメッセージ

2019年09月21日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / Bahia  ( 米 Prestige PR 7353 )


コルトレーンの演奏力が急にステップアップしたのは1958年頃だと思う。 人気のある "Blue Trane" は57年9月の録音だが、この時の演奏は
それまでのたどたどしさは無くなったものの、フレージングには未熟さが残っていて、脱皮手前くらいの出来だと思う。 ところが58年初夏の頃に
なると出てくるフレーズが急に上手くなり、ワンパターンだった処理の仕方は影を潜め、本当に歌っているような感じになってくる。 そしてその
タイミングでコルトレーンのプレスティッジのレコードはリアルタイムで製作されなくなり、数年後までリリースはお預けになるようになった。
おそらくアトランティックへの移籍話が出始めて、プレスティッジはレコード化を止めていたのだろう。 

やがてコルトレーンはアトランティックで快作を連発するようになり、プレスティッジも慌てて貯め込んでいた58年以降の録音をレコード化して
リリースし始める。 そういう訳でコルトレーンが普通のスタイルで普通の音楽をやっていた一番の名演は、プレスティッジの事後処理的制作の
レコードの中に集約されることになった。 プレスティッジ時代は出来の落ちる頃のレコードばかりになぜか人気が集中して値段が高騰し、
出来のいい時期のレコードはあまり人気が無く、先の物と比べれば値段が抑えられているということになっているのは何とも皮肉なことだ。 

この "Bahia" も "至上の愛" の翌年にリリースされており、58年7月と12月の2つのセッションのコンピレーションという手抜き具合いだから、
誰からも有難がられないレコードになっているが、演奏の素晴らしさは折り紙付きだ。 特に、ウィルバー・ハーデンとのコンビネーションは
抜群に良く、バックもガーランド・トリオでこれ以上はない布陣と言っていい。 

このアルバムのハイライトは "Something I Dreamed Last Night" で、究極のバラード演奏となっている。 マイルスのマラソンセッションでは
吹かせてもらえず、指を咥えて見ているしかなかった悔しさの借りをここで返したのだろう。 マイルスとはまた違うアプローチではあるけれど、
コルトレーン・バラードの完成形がこの時期に出来上がったことがよくわかる。 コルトレーンはこの演奏をマイルスに聴いてもらいたかったんじゃ
ないだろうか。 私はこんなに成長しましたよ、というマイルスへの感謝のメッセージがこの演奏から聴こえてくるような気がする。


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Nakatini Serenade

2019年09月08日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / The Believer  ( 米 Prestige PR7292 )


カル・マッセイの名前が私の心に刻まれたのは、このアルバムに収録された "Nakatini Serenade" を聴いたときだった。 哀感と祝祭感が入り混じる
メロディーに魅せられる、1度聴くと忘れることができない素晴らしい楽曲で、これを書いたカル・マッセイという人はどういう人なんだろうと思った。

コルトレーンは無骨で不器用な人だけど、楽曲の素直な理解とそれをそのままメロディーにすることができる才能があって、だからプレスティッジ時代の
彼のスタンダードやバラード演奏はどれも素晴らしい。 コルトレーンがいつまでも人々から聴かれるのは、彼のそういう特質のおかげだろうと思う。
インパルス時代になって激しい演奏へと変わっていっても、彼の音楽にはどこか心に残る不思議なところがあって、その正体はきっと楽曲を素直に自分の
中に取り込んでその魅力と同化することができたからなんじゃないかと思う。 それこそがコルトレーンの最大の武器だったのだと思う。

そういう美質が素晴らしい楽曲に出会うと、当然そこには名演が生まれる。 私がプレスティッジ時代で最も好きな演奏がこれだ。 バラードでもない
のに、溢れ出て止まらない哀感に胸が熱くなる。 ドナルド・バードの輝かしいトーン、ルイス・ヘイズのシンバルが祝祭的なムードを盛り上げる中、
コルトレーンの奏でるメロディーやアドリブラインが楽曲を作り上げていく様は一介のジャズの演奏などとうに超越している。

1958年の録音でこれはコルトレーンの演奏力が一皮むけた時期にあたり、フレーズは逞しく安定しているし、バックはガーランドとチェンバースの鉄板
コンビで演奏としては完璧だ。 更にRVGの録音やカッティングも見事で、非常に音のいいレコードになっている。 A面のミッドテンポのブルースから
哀感たっぷりのハイライトに続き、最後は静謐なバラードで閉じるアルバム構成も非の打ち所がない。

コルトレーンとマッセイがどういう関係だったのかはよくわからないけれど、一般的には知られていなかったであろうこんな素晴らしい楽曲を収録に
持ち込んでくるくらいだから、おそらくは親交があったに違いないと思う。 残念なのはプレスティジが録音の5年後に消化試合扱いでリリースした
ことで、そのせいでこのアルバムはコルトレーンの中では人目に触れることが少ない位置にいることだ。 ガーランドもそうだったが、契約を盾にして
たくさん録音させておきながらアルバムリリースを真面目にしなかったところがこのレーベルのダメなところだった。 コルトレーンもガーランドも
どの演奏も確かに似たり寄ったりで変化には乏しいからそんなにアルバムをたくさん出してもなあというのがあったのだろうとは思うけれど、それでも
1つ1つの演奏自体は他を寄せ付けないレベルだったのだから、50年代の間にアルバムリリースするべきだった。 そうしていれば後世の名盤の序列も
変わっていただろうと思う。

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ごった煮の中で光る抒情

2019年08月25日 | Jazz LP (Prestige)

Jaki Byard / Solo Piano  ( 米 Prestige PRST 7686 )


このアルバムを聴いていると、ソロ・ピアノでアルバムを作るというのは難しいことなのだということを改めて思い知らされる。 ピアノという楽器は
メロディー、和音、リズムを1人で演奏できるので、ソロ演奏することが大前提になってはいる。 ただそれをジャズという音楽領域でアルバムという
形にすることは、クラシックとはまた違う難しさがあるのだということがよくわかる。

収録された楽曲の半分以上がバイアードの自作であるが、それらも含めてほとんどの曲がオールド・タイム・ジャズの形式や色調を帯びている。
ファッツ・ウォーラーやアート・テイタムの、あの世界。 ただ、もちろんそういう古風な演奏の再現をやっているわけではなく、それを土台にして
自身のオリジナルな演奏を展開している。 彼はショパンやストラヴィンスキーなどの近代作曲家を独自に研究していたそうだが、ここでの演奏には
単なるジャズの語法だけには終わらない、近代クラシックピアノ音楽の要素が同居している。 

キャリア初期はボストンで活動していてニューヨークに出てくるのが遅かったことや、移住後すぐにミンガスやドルフィーと活動したため、何となく
ニュージャズ世代の人という印象があって、こういう古いタイプの音楽をやっているのを聴くといささか面を喰らう。 自身のルーツを棚卸しして
自身のジャズピアニストとしての総括をしようとしたのかもしれない。 一聴して一番近い雰囲気として思い出されるのは、セロニアス・モンクが
コロンビアに残したソロ・ピアノ集だ。 

ただ、バイアードのピアノはストライド奏法だったり、クラシカルなタッチだったり、といろんな要素がごった煮にされている感じで、この人自身の
オリジナルなピアノ演奏のスタイルが確立されているとは言えない。 モンクのソロ・ピアノとは当然そこが決定的に違う。 器用に何でもこなせる
けれど、これぞバイアードのピアノだというものは見られない。 そこにこの人の哀しみがあったのだと思う。

唯一強く印象に残るのは、"Hello, Young Lovers" や "Do You Know What It Means To Miss New Orleans" でみせる濃厚な抒情感。
前者は若い頃のシナトラも真っ青のドリーミーさだし、後者の夕暮れ時を想わせる切ない哀感は素晴らしい。 このあたりはジャンルの狭い枠を
大きく超えた表現力を発揮していて、一音楽家としては際立っていたことを伺わせる。 

プレスティッジ時代の作品は一癖あるものが多いので、そういう意味ではこのアルバムは彼のピアノを純粋に堪能するにはちょうどいい。 
色々と感じるものはあるから、これを聴いてバイアードという人への理解がもっと進んでくれればいいのにと思う。


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試行錯誤の時期

2019年08月03日 | Jazz LP (Prestige)

Jaki Byard / Hi-Fly  ( 米 New Jazz NJLP-8273 )


ジャッキー・バイアードへの入り口は大抵ミンガス経由かドルフィー経由だろう。 その他ブッカー・アーヴィンやフィル・ウッズなど管楽器奏者たちとの
セット販売で語られる程度で、ピアニストとして独立した話になることはほとんどない。 ありきたりのピアノに飽きた頃に手に取って、今までには
ない質感にマニア心がくすぐられるタイプのピアニストだろう。

この人のピアノははっきりしない。 全体的にレガード過ぎてフレーズがはっきりしないし、不協和音や無調っぽいことをやろうとしても長続きせず
すぐに諦めてしまう。 ニュー・ジャズの全盛期に表舞台に立ったせいもあって、ありきたりなものはやらないぞという気持ちがあったのだと思うけど、
ピアノの腕が気持ちに追い付いていないところがあって、十分にはじけるところまでには至らなかったような印象がある。

このアルバムでは有名スタンダードを取り上げているが、とても独創的なアプローチをしていて印象的だ。 楽曲を壊すことなく、元々の曲想の核を
更に前に推し進めたような表現をしていて、そこには強い才能を感じる。 ただ、それがメロディー部分だけの演奏で終わっていて、その先への発展に
繋がらないのが惜しくて、聴き手には消化不良感が残ってしまう。

そんな中で唯一際立って素晴らしいのは、自作の "Here To Hear"。 幻想的な曲想の中から切ない情感が溢れ出す素晴らしい楽曲と演奏で、これは
圧巻の出来。 このアルバムはまだキャリアの浅い時期の作品でいろんなスタイルや要素を試していた時期だけど、この楽曲でやろうとしたことは
独創的で素晴らしく、この路線を推し進めても良かったんじゃないかと思う。 "Lullaby Of Birdland" や "Round Midnight" のメロディーの繊細な
取り扱い方なんかを聴いていると、この人は拠点を欧州に移してECM辺りからアルバムを出していれば大化けした可能性があったんじゃないかと思う。

このアルバムはこの人の代表作と言われるけれど、実際はこの後にミンガスのバンドで鍛えられることになるので、音楽家としてのピークはその後に
やってくる。 代表作というのはちょっと言い過ぎで、実際は試行錯誤の記録だと思う。

オリジナル盤はヴァン・ゲルダーが関与していて、典型的なヴァン・ゲルダー・サウンドに染まっている。 薄暗いトーンと適度な残響感に支配された
音場感で聴感は良好だ。 ピート・ラ・ロッカのドラムがよく聴こえる建付けになっているのがいい。 サウンド面は素晴らしい仕上がりになっている。


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時代遅れの福音

2019年07月13日 | Jazz LP (Prestige)

Pepper Adams / Encounter  ( 米 Prestige PRST-7677 )


1968年12月に録音されたこの演奏はプレスティッジが録音したわけではなく、フリーランスのプロデューサーだったフレッド・ノースワーシーが独自に
行ったもので、録音が終わってから彼がいろんなレーベルに売り込みに周って、最終的にプレスティッジが買うことになった。 だから、この録音には
ヴァン・ゲルダーは関与していないし、レコードにもRVG刻印はない。 往年の名プレーヤーたちが集まったストレートなハードバップという好ましい
内容にもかかわらず、69年という時代からみればそれはひと昔前のクラシック・ジャズであり、どのレーベルも興味を示さなかったという。

レーベルの販売方針の下で行われた録音ではなく、アダムスが自由にメンバーを選んで好きなように演奏していいという企画だったので、彼は当時の
業界の流行りには背を向けて50年代の音楽を生き生きと演奏した。 他のメンバーたちもきっと同じ気分だったのだろう、みんな最高の演奏をしている。

我々聴き手は一方的に提供されたアルバムを受け取って、これが現代のジャズだとかこれは時代遅れのジャズだと考えるけれど、リリースされた作品は
そもそもアーティストの100%の想いだけで作られているとは限らないということを認識しておく必要がある。 世の中はそんなに簡単な話だけで成り
立っているわけではないのだ。

幸いなことに、このアルバムは100%ピュアな想いで演奏された傑作だと思う。 ズート、トミフラ、カーター、エルヴィンらに囲まれてアダムスは
これ以上ないほどなめらかで歌心に富んだ演奏をしている。 全体の纏まりも一分の隙もなく、最高の仕上がり具合いだ。 ペッパー・アダムスの
アルバムはどれもクオリティーが高いけれど、これはその中でも群を抜いている。

ストレイホーンの "Star-Crossed Lovers" での深い情感、"Serenity" での繊細な肌触りなど、1つ1つの楽曲が丁寧に演奏されていて粒ぞろいよく、
それらがアルバム全体の印象を決定付けている。 

録音も変な小細工はされておらず、残響感豊かで楽器の音もクリアで輝いている。 自然な音場感で、聴いていて音楽に集中できる感じが好ましい。 
たまたまプレスティッジからリリースされたというだけで、そこにこだわるのは筋違いだ。 このメンバーたちが心の底から演奏を楽しんだ様子が
ありのまま記録された時代遅れの福音を、我々も心行くまで楽しめばそれでいいのだろうと思う。


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ベニー・ゴルソンの予習 ~その3~

2019年06月29日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Gone With Golson  ( 米 New Jazz NJLP 8235 )


冒頭の "Staccato Swing" が素晴らしい名曲で、3部作の中では1番人気がある。 作曲したのがゴルソンではなく、レイ・ブライアントだというのが
意外な感じがする。 Aメロのフレーズが如何にも管楽器奏者の発想っぽくて、ピアニストがこういうのを考えるのは珍しいと思う。

この曲のおかげで、このアルバムが一番音楽的に豊かな印象がある。 1つの名曲がアルバムの印象を決定付けるのはよくあることだが、これもその一例
だろう。 ただ、そのせいで他の演奏への関心が薄れてしまい、アルバム全体の美味さを味わうことを忘れてしまうという落とし穴にはまることもある。
このアルバムも演奏の白眉はB面冒頭の "Blues After Dark" であって、実際はここが重力の中心だと思う。

ベニー・ゴルソンがあれだけの名曲を産み出すことができたのは、この人のブルースへの深い共感がその下地になっているのだと思う。 彼のアルバムに
収録されたブルース形式の楽曲を聴いていると、そこから溢れ出て止まらない翳りのある薄暗いムードが他のアーティストたちのものとは異質であるのが
よくわかる。 彼がブルースから汲み取ってくる何かが澱のように彼の中に溜まっていき、やがてそれが発酵して例えば "Whisper Not" という曲の核が
出来上がる、というような感じだったのではないか。 そんなことを考えながら聴いていくと、このアルバムはもっと愉しめる。

バックを務めるのは、レイ・ブライアント、トミー・ブライアント、アル・ヘアウッド。 ベースとドラムが他の2作と比べるとやはり大人しい演奏なので、
このアルバムが一番演奏が柔らかくマイルド。 それが一番音楽的にわかりやすいという印象を作り上げている。 こうして注意深く聴き比べていくと、
グループのメンバー構成が音楽に与える影響の大きさという当たり前のことを改めて実感することができる。 そして、そういう違いをもすべて覆い包む
ようなゴルソン・ハーモニーの重層感が音楽を何と豊かなものにしていることか。 ありふれたハードバップセッションとは根本のところが違う。

最後に、このレコードの音質は3部作の中では音像のフォーカスがやや甘く、他の2作と比べるといささかモヤッとした感じがする。 ただ、その印象が
マスタリングのせいなのか、バックのトリオの演奏が弱めのせいなのかは判然としない。 音圧もごく微妙に落ちるような気がするけれど、それも
同様の理由ではっきりとはわからない。


今日の夜のブルーノート東京での公演はワンホーンなのでゴルソン・ハーモニーの妙なる響きを味わうことはできないけれど、彼がこれまで作り上げて
きた音楽の重みを感じることができるだろう。 愉しみである。


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ベニー・ゴルソンの予習 ~その2~

2019年06月23日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Gettin' With It  ( 米 New Jazz NJLP 8248 )


ゴルソンのNew Jazz3部作の中では最も言及されることが少ないこのアルバムはトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、アート・テイラーのトリオが
バックを務める。 カーティス・フラーとの2管編成でスタンダードを交えてゴルソン・ハーモニーで彩りながら演奏するスタイルは同じだが、バックの
メンツの違いが音楽の雰囲気を少し変えている。 名前を見ると、このトリオが一番興味を惹くだろう。

冒頭の如何にもフラナガンらしいレガートなピアノの導入部でこのアルバムの雰囲気は既に決定的だ。 そしてワトキンスのイン・テンポなベースは
チェンバースの後ノリのリズム感とはまったく違うムードを音楽の中に持ち込んでいる。 この縦ノリのかっちりとした雰囲気はサキコロそっくり。
ベース奏者が変わるだけでこうまで音楽は変わってくるのか、というお手本のような内容だ。 

そういう非常に目立つ2人を、アート・テイラーの寡黙なドラムが支える。 テイラーはハイハットをメインに使い、おかずのシンバルは最小限にしか
使わないので、非常に静かなドラムであることが身上で、彼がドラムに座った演奏はその他の楽器の音が聴き取りやすく、バンド・サウンドの内部構造が
よくわかる。

そしてこのアルバムは他の2枚に比べて2管のハーモニー部の比率が低く、それぞれのソロ演奏に重点が置かれている。 そういう意味でこのアルバムが
一番演奏の本気度が高い印象がある。 特にB面最後の "Bob Hurd's Blues" でのフラーの長尺のソロは圧巻の出来だ。 片面を2曲のブルースだけで
目一杯溝を切ったB面がこのアルバムの真骨頂と言える。 そしてこのアルバムはフラーの好演が全面に出ている。 ゴルソンもそれがわかっていたのか、
ファースト・ソロはフラーに取らせて、自分は一歩引いて演奏している。 丁寧に聴けば聴く程、ゴルソンの人柄がにじみ出ているのがわかるだろう。

全体的にゆったりとした曲調が多く、マイルドで洗練されている雰囲気が素晴らしい。 "Groovin' With"とは好対照を成すアルバム作りの上手さが
絶妙だと思う。 昔のレーベルはこういうところに感心されられる。


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ベニー・ゴルソンの予習 ~その1~

2019年06月22日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Groovin' With Golson  ( 米 New Jazz NJLP 8220 )


来週ベニー・ゴルソンが来日して、ブルーノート東京でライヴをやる。 最近はほぼ毎年来日していて、去年も一昨年も都合がつかず行けなかったが、
今年はうまくタイミングが合ったので、行くことにした。 御年90歳ということで、もうこれ以上先送りにはできない。

ゴルソンが絡む作品はリーダー作以外も含めると無数にある。 それだけジャズ界への貢献が大きかったということだが、その割には巨匠扱いされる
こともなく、ウネウネとしたフレーズになるところが嫌われることもあり、まともに評価されているとは言えない。

私の場合、ベニー・ゴルソンと言えばNew Jazzレーベルに残した3部作がまず頭に浮かぶ。 カーティス・フラーとの2管編成だが、バックのトリオの
顔ぶれがそれぞれ違い、その違いがアルバム毎の雰囲気を微妙に変えているところが面白い。 その違いを聴き分けて楽しんでみよう。


このアルバムはレイ・ブライアント、ポール・チェンバース、アート・ブレイキーがバックを務めていて、当然ながらブレイキーのドラムがサウンド全体の
印象に大きく貢献している。 我々にはお馴染みの、ザ・ハードバップ・サウンドである。 このアルバムが一番ブルー・ノートっぽい雰囲気が濃厚なのは
ひとえにブレイキーの輝かしいシンバルワークのおかげだ。

ゴルソンのテナーもフラーのトロンボーンも骨太の分厚い音で、その存在感は圧倒的だ。 もちろん、それはヴァン・ゲルダーの録音が上手くいっている
からだが、それだけではない。 ゴルソンの深くくすんだ音色の魅力には抗いがたいものがあり、これが本来のこの人の持ち味だったのだろう。
いくら録音技師が優秀だからといって、そこに存在しないものまで録ることはできないのだ。 録ったものをいかにロスレス再生できるかが腕の見せ処
だったのであり、そういう意味では録音技師というよりは再生技師という称号のほうが相応しいのかもしれない。

全体的に濃厚に漂う深く煙ったようなサウンドと音場感にヤラれてしまう、素晴らしいアルバムだ。 ピンポイントで話題になる要素はないけれど、
5人の演奏は最上級で纏まりがよく、究極のハードバップの姿を見ることができる。 音質も3部作の中では一番音場感が明るく張りがあるように思う。
最後に置かれた "Yesterdays" の穏やかで繊細な表情がこのアルバムを上手くクロージングさせるのも素晴らしい。 完璧な仕上がりだと思う。


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寂し気な音楽

2019年05月05日 | Jazz LP (Prestige)

Bobby Timmons / Little Barefoot Soul  ( 米 Prestige PR 7335 )


4カ月振りにHMV新宿に行ったら、ジャズの売り場面積が半分に縮小されて、在庫も1/3くらいになっていた。 新着品もすべて3ケタの国内盤ばかり。
フロア全体の大きさは変わっていないので、その分別ジャンルが広くなったようだ。 予想はしていたとは言え、やはり目の当たりにするといささか
ショックである。 ここは遅かれ早かれ、ジャズからは撤退するのかもしれない。

ユニオンなんかを見ていても、やはり1番の稼ぎ頭はロックなんだろうと思う。 私のロックに関する知識は大学時代で完全に止まっているから、90年代
以降のシーンの状況などさっぱりわかっていないけれど、ロックの廃盤セールで幅を利かせているのはやっぱりビートルズを筆頭に60~80年代の黄金期の
もののような印象を受ける。 おなじみのメジャーアーティストでも帯付き国内盤にそこそこの値段が付いていてビックリさせられるけど、プレスされた
枚数がジャズなんかとはケタが違うからレコードそのものの稀少度では競えず、マトリクスやプロモや帯というところで差別化を図っているみたいで、
これはこれでものすごく大変なんだろうと思う。

ジャズの廃盤セールに群がっているのは、そのほとんどが50~60代だ。 40代の人もいるだろうけど、数は少ない。 街のレコード屋でレコードを
買って聴いていた最後の世代だから当然この世代が中心になるだろうけど、彼らも数年後には年収が目に見えて下がり始めて、10年後には年金受給者
になる。 昨今のユニオンの廃盤セールの狂乱振りだけを見ていると感覚が麻痺してしまうけれど、それ以外のところではジワジワと先細りし始めて
いるのを肌身で感じる。 

高額盤の何割かは外国人(特にアジア系)が買っている。 彼らの買い方はいわゆるブランド買い。 ブランド品ならなんでもいい。 アジア人が新宿で
壁に掛かっている6ケタ前後のブルーノートをすべて剥がして買っていくのを見た時には唖然としてしまった。 また、Jazz Tokyoなんかは特定の客には
店頭には出さずに直接売ったりもしている。 そういう客には高額盤でもセルフ試聴を許していて、まあやりたい放題だ。 平常時に私が安レコを
セルフ試聴している横で、その客は通常のプライスタグに6~8万円の値段が印字されたプレスティッジのレコードを10枚くらい束で持って試聴して、
根こそぎ買っていく。 ユニオンも上客を繋ぎ止めるためには手段を選ばないようだけど、この手のお得意さんの数も徐々に減っていくだろうし、
老舗専門店のご主人によると外国人の爆買いも年々減ってきているとのことだ。 この先どうなっていくか、愉しみ半分、心配半分だ。


連休にも関わらず客のいないガランとして縮小したHMVのジャズコーナーで拾ったボビー・ティモンズ。 リヴァーサイドのイメージが強いけれど、
プレスティッジ後期にもアルバムが残っている。 リヴァーサイド諸作はスタンダードを無難に弾いただけでどれも印象が薄いが、プレスティッジの
ほうは選曲や演奏がもっと黒っぽく、音楽がくっきりとしていて印象に残る。 ただ、どことなく寂し気な音楽だ。 特にセールスを期待していわけ
でもないだろうし、聴きたい人だけに聴いてもらえればそれいいよ、という雰囲気があって何だか切ない内容だった。 

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若き日のフィル・ウッズの最高傑作

2019年02月17日 | Jazz LP (Prestige)

Phil Woods / Woodlore  ( 米 Prestige PRLP 7018 )


フィル・ウッズの最高傑作はこれで決まりだけど、若くしてこんなアルバムを作ってしまうと、後はもうやることが無くなってしまったんじゃないだろうか。
この時期にプレスティッジをメインにしてたくさんレコードを作ったけれど、なぜか多管編成ものが多く、ウッズの良さはすべて殺されてしまっている。
一番よくわからないのがジーン・クイルとのコンビで、互いの良さを喰い合ってしまうこのコンビネーションの意味は未だに理解できない。

パーカーが1955年3月に亡くなった時、ニューヨーク界隈は "パーカー・ロス" に陥り、業界では "次のパーカー" はどこにいる?と大騒ぎになった。
当時のニューヨークにはウッズやマクリーンがいたが、マクリーンはまだ演奏が未熟だったし、ウッズは白人だったせいもあってか、これまた白羽の矢が
立つことはなかった。 このアルバムを聴けば当時最もパーカーに近いところにいたんじゃないかと思えるけれど、その後のアルバムを見ていくと、どうも
パーカーに近づくことを周囲が許さなかったんじゃないかと勘ぐりたくなるようなものばかりだ。

何の邪念もなく、ワンホーンですべてを出し切るような歌いっぷりには圧倒される。 若さに満ち溢れて、こんなにみずみずしい感性を感じるジャズは他には
見当たらない。 そしてアルバムの最初から最後まで1本のサックスでこんなにも豊かに歌い切っているのを聴いていて思い出すのはロリンズの同時期の作品群で、
同じような感銘を受ける。 サックスのアルバムでこれ以上の賛辞を贈る必要はないだろう。

ワンホーンのもう1つの代表作 "Warm Woods" は演奏に抑制が効きすぎていて、音楽としては消化不良感が残る。 メジャーレーベルのEPICらしい高級感溢れる
ゴージャズ&ファビュラスな音場感でオーディオ的には "Warm Woods" の方が優れているけれど、イージーリスニング的な要素が強過ぎて、まるでラスヴェガスの
高級ホテルの最上階にある豪華なバーで聴いているような感じがする。 それに比べて、"Woodlore" はバードランドやカフェ・ボヘミアの最前列でかぶりつきで
聴いているような濃厚なジャズの匂いがあって、このアルバムは結局のところ、そこがいいのだと思う。


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雰囲気の良さを愉しむ

2019年01月12日 | Jazz LP (Prestige)

James Moody / Hi Fi Party  ( 米 Prestige PRLP 7011 )


ジェイムス・ムーディーは50~60年代にレコードを異例なほどたくさん作れた稀有な人だが、代表作に恵まれず、実力に見合う評価を得られなかった。
ビリー・テイラーなんかとその状況は似ている。 知名度は高かったのでレコード会社は喜んでレコードを作ってくれたが、その内容には凄みが欠けている。

プレスティッジと契約していた時期はゲッツ、コニッツ、マイルスなど錚々たる顔ぶれの中に彼のアルバムも並んでいて彼らと同等の扱いを受けているけれど、
その内容は多管編成による古風な作風で、且つどのアルバムも同じパターンで作られているのはやっぱりまずかった。 この欠点はアーゴ時代にも顕著で、
フルートやサックスの持ち替えで似たような内容のアルバムを連発しているのには閉口させられる。 サックス奏者なんだから、ワンホーンのスタンダード集を
正面切ってドーンと作るべきだった。 そうすれば、もっと人気者になっていたんじゃないかと思う。

ただ、音楽自体は上質で雰囲気のとてもいい出来栄えだ。 街灯に照らされた夜の道を歩いているようなノスタルジックなムードがあり、独特の質感がある。
バラードで見せるムーディーのサックスの音色はどこまでも深い。 彼の紡ぐフレーズは歌にもなるほどメロディアスなもので、音楽を作り上げる腕は確かだ。
どのアルバムもパターンは同じなので何枚も持つ必要はないが、50年代前半のニューヨークの夜の雰囲気が味わえるような内容はもっと見直されていい。
こういう雰囲気の良さで聴かせる音楽はブルーノートにはあまり無く、プレスティッジのほうに分がある。

プレスティッジの人気の無いアーティストやタイトルは、昔に比べて値段が大幅に安くなっていてずいぶん買いやすくなった。 昔はプレスティッジである
ということだけで一定以上の値段がついたものだったが、今は違う。 そのおかげで、この辺りの音楽が気軽に聴けるようになったのは喜ばしい。


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シャーリー・スコットの清楚さ

2019年01月05日 | Jazz LP (Prestige)

Shirley Scott / Scottie  ( 米 Prestige PRLP 7155 )


オルガンのジャズは日本ではとにかく人気がなくて、そのおかげでレコードはどれも概ね安い。 世間的に人気がなくても中にはいい内容の盤も当然あるので、
安いのが見つかればボチボチ拾う。 シャーリー・スコットはこのレコードが昔からのお気に入りで、きれいで安いのが転がっていたので拾ってきた。

管楽器の入らないトリオの演奏で、所々彼女が弾いたピアノがオーヴァーダブされている。 彼女のオルガンはバタ臭さがなく、すっきりと清潔な感じだが、
ピアノが入ることでより涼し気な雰囲気になる。 適度にリズミカルで、適度にファンキーで、非常にバランスのとれた良い内容だ。

RVGの録音も素晴らしく、どの楽器も音が張りがあって輝いている。 特にベースとドラムの音の良さが抜群で、サウンドの良さも満点の出来栄え。
管楽器がいないことで、彼女のオルガンのサウンドやプレイが十分楽しめる。 RVGはオルガンの録り方が上手かったと思う。

日常的にオルガン・ジャズを聴こうとはならないけれど、ほろ酔い気分の時なんかに聴くとツボにハマることが多い。 元々が単純なノリで一発!というタイプの
音楽だから、能書きタレずに音楽に身を任せればそれでいい。 こういうのが音楽本来の姿だよな、と思う。 ジミー・スミス大師匠が最高なのは当たり前だが、
シャーリー・スコットはまた違った雰囲気の演奏を聴かせてくれて、イェ~イ!の幅も拡がるのである。 同じイェ~イ!でも、ソウル・ミュージックと比べると
ジャズの方は音楽的な高級感があったりして、そういう差分を感じながら聴くのも味わい深いものがある。 音楽は「イェ~イ!」を忘れてはいけないんである。


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傑作群前夜の素の姿

2019年01月03日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / And Milt Jackson Quintet / Sextet  ( 米 Prestige Hi Fi LP 7034 )


テクノロジーの発達で今は歌が歌えなくても楽器が弾けなくても曲が書けなくてもミュージシャンになれるし、デビュー作から豪勢な作りのサウンドになっていたり、
というのが当たり前になっている。 もう新人とベテランの違いもよくわからないし、アーティスト本人以外の手による音楽への関与率も高くて、一体どこまでが
本人のものなのかすらよくわからない。 標準化した裏方のノウハウが現在の新録作品から魅力を奪うので、それに飽きた者の一部は古い音楽の中へ退避し、
一部はアンダーグランドに閉じ籠り、一部は第三世界へ旅立つ。 まあ、当然である。

私も2018年に出た新譜や世評高きアーティストをそれなりに買って聴いたけれど、ここに載せておきたいと思うようなものは、唯一まともだと思った
吉田野乃子関連以外では、1つもなかった。 ティグラン・ハマシアンもメアリー・ハルヴォーソンもつまらなかった。 それらが如何につまらないかを書こうと
したけれど、つまらなさを論じることほど難しいことはなく、つまらなさは人から思考や言葉まで奪い取るのだということを知った。

大物の未発表作のリリースにも結局乗り切れなかった。 敬愛する先輩ブロガー達のドルフィーに関する記事を読んでも、とにかく微妙、ということで
見解は一致しており、やっぱりアーティスト本人がリリースに関与しない作品には金を出す気にはなれないという想いはますます強くなっていく。 


新年の縁起物ということでマイルスを聴くわけだが、一般的にはスルーされるこのアルバムをかけていると、去年感じた上記のようなモヤモヤ感はどこかへと
消えて無くなっていく。 若い音楽家たちが楽器一本でもって地味なブルースをただ演奏しているだけなのに、マイルスのラッパのみずみずしさ、
マクリーンの若々しいアルトの音色、ミルト・ジャクソンが奏でる穏やかなシリンダーの響きがこれ以上ないくらいに生々しく迫ってくる。 何のからくりもなく、
嘘やハッタリもない。 拍子抜けするほど素朴な演奏だけど、こんなにリアルな手応えが自分の中に残るのは一体なぜなんだろう、と思う。

ビ・バップ風の演奏にしたかったから舎弟のマクリーンを呼んだのに、クスリでハイになり過ぎていた彼がマイルスに甘えてダダをこねて途中でスタジオを
飛び出してしまったから、マクリーンのアルトは2曲でしか聴けない。 しかたなく残りはワンホーンで演奏されているが、最後に演奏した "Changes" は
ミドルテンポの落ち着いた曲で、完成しつつあるミュートでの演奏が心に染みる。

マイルスの有名な傑作群はこの後から始まるけれど、その前夜であるこの作品にはアーティストの生身の姿が実にリアルに記録されている。
こういう音楽はもう聴けないんだろうと思うからこそ、時々引っ張り出しては聴き続けることになるのかもしれない。 
こんなにもマイルスを身近に感じるレコードは他にはあまりないだろうと思う。


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