廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

慈愛に満ちた優しさ

2018年12月24日 | Jazz LP (Prestige)

Webster Young / For Lady  ( 米 Prestige PRLP 7106 )


ビリー・ホリデイに因んだアルバムと言えば、まずこれが出てくる。 このアルバムが制作された時、ビリー・ホリデイはまだ健在だったので "トリビュート"
という言葉は使われていないけれど、アイラ・ギトラーの解説を待つまでもなくこれが彼女のために作られたことは誰にでもわかる。 残り時間はもう
多くはなかったけれど、その頃彼女はヴァーヴで精力的にレコーディングしていた。 このアルバムがどういう経緯で企画されたのかはよくわからない
けれど、生前にトリビュート作品が作られるのは異例なことだから、当時から彼女は既に生きる伝説だったんだということがこれでよくわかる。

それにしても、地味なメンバーで固めたものだ。 クイニシェットやウォルドロンの起用は当然だったとしても、少なくとも売れるレコードにしよう
という意図は最初からなかったんだろうと思う。 披露された演奏も非常に大人しく控えめで、何かを懐かしむようなトーンで統一されている。 

ウェブスター・ヤングは明らかにマイルスのコピーキャットだし、クイニシェットは最晩年のレスター・ヤングのようだし、ウォルドロンの口の重さは
相変わらずだが、そういう要素が悪い方向には倒れず、むしろこのアルバムの趣旨にはよく合っている。 聴いていて、なんと慈愛に満ちた
音楽なんだろうと感じるのだ。この雰囲気をぶち壊す愚か者は誰一人いない。 皆が彼女のことを頭に想い描きながら、慈しむように演奏している。

アルバムはウェブスター・ヤングのオリジナル曲で幕が開き、彼女の持ち歌へと進んで行く。 ハイライトはB面の "Don't Explain" から最後の "Strange Fuirt" 。
"Don't Explain" はデクスター・ゴードンに決定的な名演があるけど、こちらはもっと彼女のイメージに近く寄り添った寂れた哀感が漂う。 
そして、最後のフレンチ・コルネットのオープン・ホーンによるストレートなメロディーラインに落涙。 ここにこのアルバムの想いがすべて
凝縮されていると思う。

リード・マイルスにジャケット・デザインをさせてこんな優しいアルバムを作るなんて、ボブ・ワインストックもそんなに悪いやつじゃなかったのかもしれない。


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サックス奏者としてのテオ・マセロ

2018年11月24日 | Jazz LP (Prestige)

Teo Macero / TEO  ( 米 Prestige PRLP 7104 )


プロデューサーとしてのテオ・マセロについては既に語り尽くされている感があるけど、サックス奏者としての彼の姿はどういう訳かまったく見えてこない。
彼自身は自分のことを音楽プロデューサーではなく作・編曲家だと思っていると語っているが、その基盤になっているのは1人の演奏家としての自分だったはずだ。
ただ、彼は演奏家として成功したいという欲求がさほど強くはなかったようで、ジュリアードに通ったのも徴兵から逃れるためだったし、入学したらしたで
クラシックよりもポピュラー音楽に夢中になったり、と自分の置かれた環境と自身の興味が大抵の場合乖離状態にあった。 こういう生き方をしていては、
その道で成功するのは土台無理な話なのであって、彼のサックス奏者としての姿が蜃気楼のようにぼやけてしか見えないのはこの時期の彼自身の
アンビバレントさが原因だったのではないかという気がする。

ミンガスとの録音では夜の咆哮を想わせる深い音色だったが、このリーダー作では演奏スタイルを180度変えてまるでウォーン・マーシュのようなプレイをしており、
同一人物には思えない。 マル・ウォルドロンの寡黙なピアノ、テディ・チャールズのひんやりと冷たいヴァイブが響く静かな空間の中をのっそりのっそりと
ゆっくりしたテンポで音楽が進む。 この独特の雰囲気は、マイルスの "Blue Moods" そっくりだ。 けたたましく激しいハードバップが全盛の最中で、
この音楽はとにかく異質に聴こえただろう。 

でも私はこのレコードが結構好きで、折に触れてよく聴く。 この音楽には、どこかはわからないながらも惹かれるところがある。 掴みどころがないようでいて
それでも心に残るものを創っているところに、音楽家としての非凡さがよく表れていると思う。 自身での進路選択後の大成は何も不思議なことではないのだ
ということが、これを聴けばよくわかるのだ。

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第三のレコード

2018年08月12日 | Jazz LP (Prestige)

Red Garland / Live !  ( 米 Prestige NJLP-8326 )


ニューヨークのプレリュード・クラブで行われたレッド・ガーランドのライヴ演奏では、ベースとドラムがいつものメンバーではなく、フィラデルフィアの
ローカル・ミュージシャンがサポートしている。 ベースのジミー・ローサーはメイナード・ファーガソン楽団などで、ドラムのチャールズ "スペックス" ライトは
ディジー・ガレスピー、アール・ボステックらのバンドなどで演奏していた。 売れっ子のポール・チェンバースやアート・テイラーが多忙でブッキングが
できなかったのかもしれない。 プレスティッジのガーランドのアルバムの中でこれだけが音楽の雰囲気が違うのは、これがライヴ演奏だからではなく、
このメンバー違いが原因だろうと思う。 やはりリズム感が少し気だるく弱いし、アンサンブルの層も薄い。

それでも、ガーランド自身はしっかりと弾いている。 ベースとドラムの弱さをカヴァーしようとしていたのかもしれない。 そのせいか、スタジオ録音と
較べると珍しくピアノの演奏が前面に押し出されていて、一体感という意味ではいつもの黄金のバランス感は崩れている。 1作目の "At The Prelude" は
ガーランドの傑作の1つと言われるけれど、演奏を聴く限りではいささか格落ちの感がある。 勿論、それは2作目、3作目も傾向に変わりはない。
だた結局のところ、ガーランドの録音自体は(復帰後のものもあるとは言え)この時期に集中していて、且つ最も輝いていた訳で、ささいな違いのせいで
その価値が揺らぐことはない。 今となっては、私たちは慈しむ気持ちで聴けばそれでいいのだ。


そして、このやっかいなレコードの話である。 1作目の "At The Prelude" が黄色NJ、2作目の "Lil' Darlin'" がStatus、本作がNew Jazz規格、と
3レーベルに分かれてプレスされているところから、当初は最初のアルバムだけで完結させる予定だったが、ガーランドの引退で売れるものは何でも出して
しまえ、という話になったのだろうと思う。 この3枚は曲目が違うというだけで、演奏の質感は当たり前だがまったく同じで、何が何でも3枚とも聴かなければ
ならないというものではない。 このレコードもヴァン・ゲルダーのカッティングで、一応VAN GELDER刻印がある。 全体のサウンドは残響を無くした
デッドな音作りで、ピアノの音はいつものこもった感じはないが逆にチェレスタのような音色で、相変わらず何考えてるんだかなあ、という感じである。
手抜き感丸出しのジャケットデザインといい、本来は安レコで十分なはずだが、1回プレスされただけで忘れられたのはおそらく内容に際立った特徴が
なかったせいだろう。 まったく面倒臭いことをしてれたものである。


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もっと評価されていい人

2018年02月18日 | Jazz LP (Prestige)

Art Farmer / Farmer's Market  ( 米 Prestige PRLP 8203 )


アート・ファーマーは何をやらせても上手過ぎる。 どの演奏を聴いてもいとも簡単そうにやってのけるから、その凄さがこちらに伝わってこない。
長い演奏活動の中で残した作品数は膨大で、そのクオリティーに出来不出来の差があまりないことから、中堅扱いされることすらある。 
でも、それは改めて言うまでもなく、間違っている。 

50年代のトップランナー集団の中で激動の時代を乗り越えて長く最後まで第一線で活躍して、リーダー作品を安定して残したのはほんの僅かしかいない。
マイルス、ロリンズは別格としても、スタン・ゲッツくらいとは同格の扱いをされていいはずなのに、そうはなっていないのが気に入らない。

ファーマーの凄さの一片に触れることができるのがこのアルバム。 1956年11月に録音されたが発売は後回しにされ、イエローレーベル最終期の1958年に
リリースされたが、彼のプレスティッジの作品ではこれがダントツで群を抜いている。 そして、彼のハードバップの最終完成形がここに出来上がっている。

ファーマーのくすんだ音色やおだやかなスタイルと同系統のハンク・モブレーと組んでいることで、アンサンブルの統一感が完璧。 そして、ケニー・ドリューが
絶品のソロを連発している。 この時期のドリューの演奏としてはこれが最高ではないだろうか。 楽曲の選曲も良く、演奏全体のキレの良さが他の物とは
一線を画している。 そしてヴァン・ゲルダーが触ると手が切れるようなサウンドをレコードに刻み込んでいる。 ファーマーのプレスティッジのレコードの中では
これが一番音がいい。

大抵は笑顔で写真に写っているし、作品も身近なところにたくさんあるので親近感が高いミュージシャンだが、そういうのも考え物なのかもしれない。
ゲッツくらい偉そうにしていればもっと畏敬の念を持たれたのかもしれないけど、人柄の良さがそうはさせなかったのがある意味、もったいない。


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新年に聴く、若き日のマイルス

2018年01月02日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis featuring Sonny Rollins / Dig  ( 米 Prestige PRLP 7012 )


新年最初の1枚はマイルスで、というのは日本人特有のメンタリティーかもしれない。 初夢は富士山をとか、初詣は明治神宮でとか、そういうのに似ている。
でも、それは "Kind Of Blue" とかそういうんじゃない。 もっと若い頃の、手垢に塗れていない頃のマイルスの方が「新春」には相応しい。

アーティストの自発性と作品のクォリティーを何よりも優先したアルフレッド・ライオンのブルーノートに一目を置きながらも、マイルスがボブ・ワインストックの
プレスティッジを選んだことは、当時何の後ろ盾も持たなかった一介の若いミュージシャンにとってプレスティッジの「専属契約方式」が如何に有難いものだったか、
ということを物語っている。 契約条件であるアルバム制作枚数の縛りに対してうんざりしながらも、金も名声もなかった当時の自分と契約をしてくれて、
作品制作の機会と生きていくために必要だった金を与えてくれたワインストックに対して、マイルスは晩年になっても感謝の気持ちを忘れることはなかった。
そういう無我夢中で生きていた頃の雰囲気が濃厚に漂うのが、プレスティッジのレコードだ。

初出は2枚の10インチだったが、それらをヴァン・ゲルダーがリマスターして12インチにまとめたのがこの "DIG"というアルバム。 当時、弟分として毎日
一緒につるんで可愛がっていたジャッキー・マクリーンを連れて、頭角を現していた若いロリンズと一緒に演奏した貴重な記録だ。 このレコーディングは
プレスティッジでは初めてマイクログルーヴ方式という新しい技術が採用されて、それまでのSP向けの3分間の演奏から解放されたLP向けの初レコーディング
になるということで、マイルスは入念に準備をして臨んだ。 マクリーンはまだひよっ子で、この時が初レコーディングだった上に、スタジオにはパーカーが
見学に来ていたものだから、緊張度のメーターは針が完全に振り切れていたそうだ。

マイルスも、ロリンズも、マクリーンも、すでに誰の物真似でもない彼ら自身のトーンで吹いている。 この演奏の一番の凄さはそこだ。 技術的にはまだ
たどたどしいけれど、それは時間が解決するということを我々は知っている。 若い彼らの生々しい姿がリアルな音で目の前に再現されるというこの一点に、
このレコードの他にはない価値がある。


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何かが忍び寄ってくるような

2017年12月30日 | Jazz LP (Prestige)

Curtis Fuller And Hampton Hawes With French Horns  ( 米 Status 8305 )


これは評価が難しい作品だ。 今までとは違う新しい何かを模索しようとしている様子があるけど、従来の延長線上の単なる相似形のようでもある。
何かやらなければいけないという切迫感に追われながらも、どうすればいいのかよくわからない、そういう戸惑いも感じる。

カーティス・フラーにアルトのサヒブ・シハブ、ハンプトン・ホーズという組み合わせだけでも珍しいのに、そこにフレンチ・ホルンが2本加わっていて、
そういう異色の組み合わせをすることで新しい何かが出てくるんじゃないかという狙いがあったのは間違いない。 確かにあまり聴いたことがないような
サウンドになっていてそこは印象に残るけれど、各人の演奏が従来の演奏をそのまま持ってきているので、そこに新しさが見られない。

その一方で、テディー・チャールズやホルンのデヴィッド・アムラムが作ったオリジナル曲の雰囲気が独特なテイストで、そういう不思議なムードを持った
楽曲だけで固められたところは新しい。 従来の方法論でそういう新しい空気感を演奏しようとしたところに、振り切れていない手探り感が生まれるのだと思う。

管楽器の演奏はどれもしっかりとしていて、聴き応えは十分。 サヒブのアルトが音圧が高くこちらに迫って来るし、フラーのトロンボーンも安定している。
フレンチ・ホルンはあまりハーモニーに貢献していない感じだけど、これはアレンジが悪いせいだろう。 アディソン・ファーマーのベースがいい音で録れていて、
これが重低音としてかなり効いている。 残念なのは、ホーズのピアノ。 一人だけバップのピアノを弾いていて、空気が読めていないのか、これしかできない
からなのか、何にせよここでみんながやろうとしている音楽に全くそぐわない演奏をしている。 これは人選ミスだった。

楽曲がスタンダードの類いではないので、演奏者たちが共通のイメージを掴みきれずに音楽を進めているようなところがあるし、聴いているこちらも耳慣れない
曲ばかりなので、この音楽に関わる全員が暗黙の合意を持てない状態に置かれる。 こういうのは共通の約束事に満ち溢れたハード・バップの時代にはないことで、
未知の何かが足音もなく忍び寄ってきているのを感じずにはいられない。

録音はヴァン・ゲルダー・スタジオで、本人のカッティングでレコードは作られている。 完成したRVGのモノラルサウンドが聴ける。

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モンク・トリビュート ~その9~

2017年08月27日 | Jazz LP (Prestige)

Thelonious Monk / Thelonious Monk  ( 米 Prestige LP 7053 )


レコードとしては2枚の10インチ盤をコンパイルしたもので、1つはフランク・フォスター、レイ・コープランドの2管を加えて1954年にヴァン・ゲルダーが録ったもの、
もう1つはソニー・ロリンズ、ジュリアス・ワトキンスの2管を加えてニューヨークのスタジオで1953年にダグ・ホーキンスが録ったもの。 それらをヴァン・ゲルダーが
リマスターして12インチとして発売し直した。 だから、A面とB面では音の質感が全然違うし、モンクのピアノの弾き方も違う。

53年のロリンズとのセッションでは、モンクは割と普通のハード・バップのピアノを弾いている。 音階は独特な使い方をしているけれど、間の取り方なんかは
普通のピアニストと変わらない弾き方をしていて、まったく知らずにこれを聴けばモンクだとはわからないかもしれない。 ロリンズもまだ未熟で大人しく、
彼らしさがまったく感じられない演奏になっている。 アドリブ部は記憶には残らず、不思議なテーマの合奏だけが印象に残るような有様だ。

これに比べて、54年のフォスターとのセッションはまるで別人の演奏で、モンクはようやくモンクとしてその姿をを現したかのようなピアノを弾いている。
フランク・フォスターもテナーの音を太く大きく鳴らす演奏で驚かされる。 ジャケットにロリンズよりもこの人の名前が前に書かれているのはここでの演奏の
出来の差によるものなんだなあということがよくわかる。 当然、このA面のほうが音がいい。
 
演奏者全員がまだ若かった頃の録音だが、そこにはハード・バップの濃い空気にむせかえるような独特の雰囲気があり、そういう空気感がレコードを再生すると
音と同時に溢れ出してくるような感じがする。 どの曲も演奏時間は短く、アドリブを堪能するというタイプの演奏ではないけれど、モンクの作った奇妙で
風変わりな音楽を賑やかに奏でるだけで十分に楽しく聴けるところがいい。 ジャズという音楽がもともと持っている型破りで自由な要素の、1つの具体的な事例
として、モンクの音楽はそこに在ったのだだろう。 いろんなミュージシャンたちが寄ってたかって演奏しても楽曲の魅力が擦り減ることはなく、却って
鍛えられて強度が増し、その音楽は確固たるものへと変わっていったのだと思う。 その過程の中の1つとして記録されたのがこのレコードなのだ。

プレスティッジはモンクを管楽器奏者のバック・ミュージシャンとして使うことのほうが多く、看板アーティストとしては扱わなかった唯一のレーベル。
それだけモンクのレコードは売れなかったということなんだろうけど、もう少し我慢して録音を残しておいてくれれば良かったのにと思う。 モンクにせよ、
エルモ・ホープにせよ、ブルーノートから早々に引き抜くところまではよかったけれど、使い捨てるのがあまりにも早かった。 時期的にもリズムから逸脱する
モンク独特の弾き方が固まりかけた頃だったのだから、面白い作品がいくらでも残せたに違いない。 そういう意味で、プレスティッジの罪過は大きい。


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問題山積のプレスティッジ

2017年08月06日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / Cookin'  ( 米 Prestige PRLP 7094 )


先日、ヤフオクでこのレコードのフラットディスクがかなりの高額で落札されていたのには驚いた。 

このレコードには確かにフラットディスクがあるんだけど、私見ではこのフラットはこのレコードの初版ではないと思う。 このフラット盤は材質が軽石や
発砲スチロールのようなスカスカの軽い素材で出来ていて、実際に手で持ってみると直感的にこれはバッタもんだと感じる。 プレスティッジのレコードで
こういう素材を使っている盤は他には見たことがなく、なぜこの番号のフラットだけに使われたのかはよくわからない。

更にこの番号にはレーベルのB面の最後の曲が "Just Squeeze Me" と誤植されたものと、"When Lights Are Low" と修正されたものの2種類があって、
件のフラット盤には後者の修正版が使われていた。 誤植のほうが先発で、修正は後発、と考える方が常識的なので、やはりフラットは初版ではないのだろう。

プレスティッジは他にもマトリクス表記の問題やジャケットの体裁の問題なんかがあって、何が正解なのかがよくわかっていない。 そして一番マズいのは
それらと音質の因果関係がまったくわからない、ということだ。 そういう状態の中で、「オリジナル」と一括りにされて一様に高い値段で売られていることに
誰も違和感を覚えないというのが不思議だ。 ブルーノートの場合はあれだけ細部にこだわるのに、プレスティッジに対しては急に大らかになる。
まあ、これだけ値段が高いと複数枚買って聴き比べるなんてことは普通の人にはできないから、こればかりは仕方ないのかもしれないけれど。

このアルバムは "My Funny Valentine" がマイルスの生涯の中でも最も優れた演奏の1つだけど、それ以外の演奏は集中力の欠いた散漫な出来でつまらない。
この4部作はそういう風に曲単位で出来不出来の落差がはっきりしていて、出来のいいものが4枚に万遍なく配置されている。 だから、結局のところ我々は
4枚すべてを聴かざるを得ない。 それに加えて何が初版かもよくわからないんだから、あまり高い値段で取引するのは考え物ではないだろうか。 
中古の値段は市場見合いと言うかもしれないけど、売り手が一定の操作をしている事実はあるんだから、売る側も注意して欲しいと思う。


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生真面目な正統派

2017年07月16日 | Jazz LP (Prestige)

Walt Dickerson / Relativity  ( 米 New Jazz NJ 8275 )


1961年にデビューして翌62年まで New Jazzレーベルに録音を数枚残したけれど経済的にやっていくことができず、一旦ジャズ界からは離れることになった。
時期的にはちょうどジャズ業界は新しい感覚のジャズがハード・バップを駆逐し始めていた頃で、その真っ只中にデビューしたというのは運が悪いにも程があった。
聴く側も演る側も価値観がグラグラと揺れていたんだから、そこに安定した基盤などは初めからなかったのだ。

そんな状況の中で、ディッカーソンは非常に生真面目に音楽をやっている。 演奏の腕を磨き、新しい語法を持った共演者を注意深く選び、アルバム全体を
仄暗く憂いの表情で統一させている。 音楽には集中力と纏まりがあり、デビュー間もないアーティストの音楽だとはとても思えない。

B面の真ん中に置かれた "Sugar Lump" なんて、まるでマイルスの "Kind Of Blue" にも共通した雰囲気があるし、"Autumn In New York" は落ち着いて
透明度の高い質感に仕上げていて、どれも感心させられる。 ピアノの Austin Crowe という人はディッカーソンのアルバム以外では見た記憶がないけれど、
現代的なセンスを先取りしているような過不足のないとてもいい演奏をしていて、音楽の上質さをこの人が支えている。

ミルト・ジャクソンに飽きた聴き手には歓迎される新しいヴァイブのジャズだし、内容は極めて優秀だし、ということでもっと評価されていいはずだけど、
人目に付くにはいささか生真面目過ぎたのかもしれない。 ニュー・ジャズと言うにはあまりにも正統派過ぎて、そういう面でも損をしている。
でも、そういうところがきちんとわかる人には、この音楽は決して風化することなく、これからも支持されていくだろう。



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ヴァン・ゲルダーがチェット・ベイカーを録ると

2017年07月08日 | Jazz LP (Prestige)

Chet Baker / Smokin'  ( 米 Prestige PR-7449 )


黒人ジャズのイメージが強いルディ・ヴァン・ゲルダーだが、ちゃんとチェットも録っている。 1965年8月の3日間でアルバム5枚分の録音が行われている。
それらを例の "~ing"シリーズとして、ひどいセンスのジャケット・デザインで5枚もリリースしている。 そのせいで誰も見向きもしないレコードになって
しまったけれど、この時の演奏は極めて良質なミディアムハード・バップで、実はとてもいい演奏なのだ。 この時期トランペットが盗難に遭ったせいでフリューゲル
ホーンを吹いていたから、ブラインドでこれを聴けばきっとアート・ファーマーのクインテット作品だと思うだろう。

そして何より、ジョージ・コールマンのテナーが抜群にいい。 理知的で、上手くて、魅力的な音色だ。 この2人はガツガツとした野心がなく、音楽を自分の
手許に手繰り寄せるようにして演奏をして、形式的にはハード・バップではあるけれど地に足の着いた音楽になっていて、一聴してすぐにこれはいい音楽だと
直感的にわかるようなところがある。 この辺りが一流の証であろうと思う。

ヴァン・ゲルダーの録音もクセのないナチュラルでクリアな音で、とても好ましい。 このグループの音楽にはよく合っている。 ヴァン・ゲルダー・サウンドは
何もブルー・ノートのような大袈裟にデフォルメされた音だけだった訳ではなく、実際はもっと多種多様なのであって、アレはアレ、コレはコレなのだ。

あまりにもパシフィック・ジャズの音楽のイメージが強い人だけど、本人はもっと本流のモダン・ジャズをやることを元々望んでいた。 だから、この録音は
本人にとっては嬉しかったのではないだろうか。 聴く側も表面ヅラだけに囚われず、もっとこのセッションのことを見直すべきではないだろうか。


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違いを味わえるようになれば

2017年05月20日 | Jazz LP (Prestige)

Red Garland / It's A Blue World  ( 米 Prestige PRST 7838 )


引退状態にあったガーランドが復帰ことになり、それに合わせてプレスティッジが未発表音源を集めて1970年初頭に複数枚発売した中の1枚で、これは
1958年2月7日の録音。 コルトレーンの "Soultrane" と同日、マイルスの "Milestones" の3日後、という時期にあたる。

リハーサル・テイクなどではなく、スタジオでの完演版がこんなにたくさん未発表のまま放置されていたということは理解に苦しむけれど、録音当時の感覚では
ジャズの巨人たちが群雄割拠している中での数多くの演奏の1つに過ぎなくて、特に有難みは感じられなかったのかもしれない。 これらのレコードの印税が
きちんとガーランドに支払われていたのかどうかも怪しい。

こういういわゆるスタイリストの演奏はそのスタイルが故にどの演奏を聴いても同じようにしか聴こえないと言われることもあるけれど、それは少し違うと思う。
曲ごとに集中力の違いは明らかにあるし、上手く原曲のムードを出せているものとそうでないものもあるし、更にそういうバラツキがある曲の組み合わせ方で
アルバムとしての印象も変わって来る。 だから、どれを聴いても・・・という話などは相手にせず、自分の耳で実際に聴いてみるしかないのだと思う。

ガーランドのアルバムもそれぞれ印象がかなり違うのが実際のところで、このアルバムもそれまでの作品のどれとも少し違う。 明るい表情の元気のいい演奏と
さらりと弾き流しいてるバラードの組み合わせのせいか、人出で賑わう夜の街を歩いているような雰囲気がある。 "It's A Blue Word" という物憂げな
バラードも明るく穏やかな表情のアップテンポに変えることで、聴いているこちらの顔もほころんでくる。

そういうアルバムごとの違いを聴き分けて1つ1つを味わいながら愉しめるようになれれば、レコードを聴くことがもっと楽しくなるし、そうなればレコードの
買い方も変わってくるだろう。 市場に安レコが増えてきたおかげで、自分の音楽の聴き方にも変化が出てきたことを実感する。



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深夜のジャズを聴こう

2016年12月25日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / And The Modern Jazz Giants  ( 米 Prestige PRLP 7150 )


別の意味で、ジャズの世界ではこれもクリスマス・アルバムと言ってもいいだろうと思うけれど、でもこの作品を語る際に例の裏話だけで終わってしまう
ことの何と多いことか。 だから、もっと別の話をしよう。

私はマイルスがプレスティッジに残したアルバムの中では、これが一番好きだ。 なぜなら、これは深夜の暗い闇の中で鳴っている音楽だからだ。

ジャズという音楽は、本質的に夜の音楽。 昼間の野外でぎらつく太陽の下で汗を吹いてビールを飲みながら聴く音楽ではない。 月並みな偏ったイメージだと
笑われても、事実は変わらない。 仕事が終わり、1日が終わるまでの僅かに残された自由な時間に、失いかけた自分を取り戻すために聴く音楽ではないだろうか。

灯りの落ちた深夜の暗いスタジオの寒々とした空気の中、冷たいシリンダーから憂いに満ちた音色が放たれ、トランペットの伸びやかで起伏の少ない旋律が
朗々と響き、単音でポツリと呟くようにピアノが鳴る。 音数の少ない広々とした空間の中、孤独なウォーキング・ベースの重い音色が音楽の骨格となり、
曲を前へ前へと進めていく。 テンポ設定は速めなのに、まるで深夜のバラードを聴いたかのような深い余韻が残る。

この演奏には単なるスタジオセッションでは終わらぬ、何かがある。 そして、それは大きな手で聴いている私の心を鷲掴みする。 プレスティッジの
RVG録音の中でも最も素晴らしい音響が聴けるものの1つとして、音楽が迫って来る。 あまりに叙情的で感傷的な音楽で、言葉もなく感動しか残らないのだ。



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きちんと踏み止まるということ

2016年08月21日 | Jazz LP (Prestige)

Tommy Flanagan / Moodsville 9  ( 米 Prestige MVLP 9 )


"Overseas" を名盤にしているのはエルヴィンのブラシワークと "Verdandi" という曲の力だと思うけど、よくよく聴くと全体的にかなり硬い演奏で、
横揺れ感も意外と希薄だ。 フラナガンのピアノはミスタッチも目立つし、かなり雑に弾いているけど、そういう粗いところをエルヴィンのブラシが覆い
隠してくれている。 本場のジャズメンが来訪してくれたということで、スタジオには大量の酒が差し入れされて、彼らはレコーディングしながらそれらを
全部飲み干してしまい、かなり酔っていたそうだ。 だからピアノトリオの名盤と言われる割には粗っぽい演奏になっている。 ただ、出てくる音の雰囲気が
如何にもスウェーデンの旧いスタジオで録音されました、というレトロな感じを醸し出していて、それが名盤の風格を出すのに一役買っている。

それとは対照的なピアノが聴けるのがこのアルバム。 レーベルコンセプトに沿ったムーディーな選曲になっているせいもあるが、ここでのフラナガンは
万全のデリケートさで鍵盤を撫でるように弾いていく。 普段は欠点とされるRVGが創るピアノの水に溶かした水彩絵具の滲みのような色彩感も、ここでは
このレーベルが描こうとする世界観を映し出す上では逆に好ましい効果を挙げていると思う。 ムード音楽スレスレのところできちんと踏み止まっている
ところに、当時のジャズメンの力量を感じることができる。 

これはまだ廃盤だオリジナルだなんてことを知らなかった学生時代から好きだった作品で、未だに飽きずに愛聴できている1枚。 冒頭の "In The Blue
Of Evening" が始まると、独特の雰囲気が立ち上がる。 個人的にはトミー・フラナガンはピアニストとしてはoverestimateされていると思うけど、
Moodsvilleという企画はこの人にうまくハマっている。 同レーベルにもう少し作品が残っていても良さそうなものだが、当時のアメリカではあまり
評価されていなかったようだ。 マイルスもこの人にはまったく興味を示さなかった。


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クロージング・テーマ

2016年06月19日 | Jazz LP (Prestige)

Charles McPherson / Bebop Revisited !  ( 米 Prestige PR 7359 )


13歳の時に近所のキャンディ・ストアに置いてあったジュークボックスから流れてきたパーカーの "Tico Tico" を聴いて床に伸びてしまって以来、
パーカー直系の道を歩いてきたマクファーソンの初リーダー作。 1964年にタッド・ダメロン、ファッツ・ナヴァロ、バド・パウエルらの曲をパーカー&
ガレスピー・スタイルで正面きってやってしまうんだから恐れ入る。 究極の時代錯誤なのか、それとも本気でビ・バップの復興を目論んだのか。

生まれはミズーリ州だが9歳の時にデトロイトに移り、そこで育った彼は、地元のジャズクラブでハウスミュージシャンだったバリー・ハリスのもとで
ジャズを学んだ。 だから、このデビュー作はバリー・ハリスが手を貸している。 60年代にビ・バップをやったら、という内容だが、やはりそこには
ハード・バップのスタイルも混ざっていて、単なるビ・バップの焼き直し以上の内容になっている。

マクファーソンのアルトはまだ初々しく、とても素直に吹いている。 後年になると個性を出そうとしてちょっとひねり過ぎでは?と思うようなところも
出てくるけれど、ここでは非常に清々しい吹き方でとても感じがいい。 カーメル・ジョーンズとの技巧的なバランスもうまく釣り合っており、うまい人選
になっていると思う。 "Hot House" にしても "Wail" にしても、パワーとスピードが十分あって見事な演奏になっている。

出来ることならずっとこういう演奏をやっていきたかったんだろうなあ、と思う。 でも、もうこういう音楽が求められる時代ではなかった。 あと10年
早く生まれていれば大スターになっていただろうけど、こればかりはどうしようもないことで、気の毒なことだったとしか言いようがない。 時代の潮流に
合わせることを嫌い、地道に主流派のジャズをやり続けて、まだ現役のミュージシャンとして今もサン・ディエゴに住みながら元気に活動しているのは
喜ばしいことだと思う。 

パーカーに捧げたのであろう、"Embraceable You" ではワンホーンで究極のバラードを聴かせる。 これはこの曲の最高の演奏の1つだろう。
まるでパーカーが完全には出来なかった録音の仇を自分がとるのだと言わんばかりの演奏で、深い哀感の表現が素晴らしい。 その素晴らしい演奏を
RVGが見事な録音で捉えており、風前の灯だったバップ期最後の名盤と言える内容だ。 良い悪いは別にして、これ以降、こういう主流派ど真ん中の
名盤と言える演奏はほとんど見当たらなくなる。 歴史を俯瞰する目線でこのアルバムを眺めると、まるでバップという音楽のクロージング・テーマ
として生まれてきたかのように見えて、なかなか切ない気持ちにさせられる。



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曲は地味でも

2016年03月21日 | Jazz LP (Prestige)

Red Garland / Can't See For Lookin'  ( 米 Prestige PR 7276 )


完璧な演奏が聴けるのに、曲目が地味なせいか、まったく陽の当たることがない作品。 ガーランド、チェンバース、テイラーの3人の一体感の凄さは、
長いピアノトリオの歴史の中でも間違いなく筆頭の1つだろうと思う。 演奏力という観点で見れば、この作品は彼のディスコグラフィーの中でも上位に
喰い込んで来てもおかしくない。 ピアノの指の動きはとても良く、この1958年のセッションはとても調子がよかったようだ。

ガーランドがプレスティッジに自己名義で録音をしたのは1956年から60年にかけてで、最初は誰もが知っている有名な曲ばかりを順番に録音していたが、
レコーディング数が多かったために、後半は地味な楽曲も積極的に取り上げるようになった。 同じ曲を何度も頻繁に演奏するミュージシャンが多い中、
1つもダブることなく、よくもまあ、ここまでたくさんの曲を録音したなあと思うけれど、それはきっとガーランドの音楽家としての矜持だったのだろうと思う。 

自分のスタイルを持っていたからどんな曲でも演奏できる自信があったんだろうし、実際に録音されたものはどれも素晴らしいクォリティーだった。
どの演奏も皆同じじゃないかという話もあるだろうけど、スタイルが完成した直後の4年間という限られた期間に演奏そのものがそんなに大きく変化する
ことは普通ないだろうし、体調やメンタル面の影響もなくピーク時の高い質を維持し続けたというのは、常に強い外圧にさらされて競争の激しかった
ハードバップという最前線のフィールドにいた高名なピアニストたちの中ではあまり例がないことだと思う。 アート・テイタムやオスカー・ピーターソン
らとはそもそもの立ち位置が違うのだ。 かつてボクサーとしてシュガー・レイ・ロビンソンとも対戦したこともあるという逸話に相応しい勇ましい姿だと思う。

ガーランドの名盤と言われるものは56~57年に録音されたものに集中していて、それは結局のところ、演奏の出来よりも有名曲が入っているかどうかで
決められてしまっていると思う。 演奏のクォリティーが同じなら、誰だって好きな曲が入っているアルバムのほうがいいに決まっているだろうが、
ガーランドのような優れた演奏家の場合はもっと広い範囲を聴く価値が十分にある。 コレクターだけのものにしておくのはもったいない。




コメント (2)
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