廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

国内盤の底ヂカラ(その12)

2020年05月09日 | Jazz LP (国内盤)

Junior Mance / The Soul Piano Of Junior Mance  ( 日本ビクター SR-7003 )


ジュニア・マンスと言えば判で押したようにヴァーヴの "Junior" の話になるが、それだけの人ではない、ということをシモキタで300円で拾った
このペラ盤が教えてくれる。安レコはいいな。いろんなことを教えてくれる。オリジナル盤を聴くといろんなことがわかるが、それと同じくらい
安レコもいろんなことを教えてくれる。こちらに学ぼうという気持ちさえあれば、世界は様々な啓示に満ちている。

黒人ピアニストに抱くイメージとは少し違うきれいな打鍵のタッチ、フレーズやノリのスマートさがよくわかるアルバムだ。録音の仕方の違いなのか、
ヴァーヴ盤に比べると全体的にはこじんまりとした印象だが、音楽はスッキリとしていて見晴らしがいい。ジャズらしいノリを重視しながらも、
各所で丁寧な処理を施した弾き方をしていて、それを積み上げることで楽曲全体が音楽的に豊かに響いているような建付けになっている。
そういうデリケートな仕上がりがとても好印象として残る。

このアルバムはモノラルとステレオの両方が揃っているが、ステレオ・プレスのほうが音がクリアでずっといい。一般的にこの時期の録音には両方の
形式で併行リリースされているけれど、ステレオ・プレスのほうが自然で音がいいものが多い。そろそろ認識を新たにしたほうがいいだろう。
この国内盤も楽器の音がクリアで分離も良く、とても自然な音場感。何も問題ない。安レコじゃなければこの地味なアルバムに手を出すことはなく、
ジュニア・マンスの本当の良さを知らないまま終わっていたかもしれない。


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国内盤の底ヂカラ(その11)

2020年05月08日 | Jazz LP (国内盤)

Curtis Fuller / Soul Trombone  ( 日本 King Records SNY 9 )


インパルスの国内ペラ盤は音質面では失格。何枚か聴いたが、どれもダメだった。ベース、ドラムの音が奥に隠れていて、サウンドの土台がない。
音場感も貧弱で、全体的にこもっている。オリジナル・プレスとの差が大きすぎる。私はヴァン・ゲルダーの真価はブルーノートやプレスティッジ
よりもサヴォイやインパルスにあると思っているから、インパルスのオリジナルの音質と同等の再現が難しいのはしかたないだろうと思っている。
ただ、原盤と比較して大きく劣るのは止む無しとしても、それ単体で別の良さがないというのはちょっといただけない。

尤も、インパルスのダブル・ジャケットは背表紙のどぎつい色使いやかさばるサイズなどの仰々しさが個人的には嫌いなので、スリムなジャケットは
大歓迎だし、ペラ盤の若い番号は重たいフラットがあるので、そういう質感はオリジナルよりは優れている。且つ、値段も極めて安いので、音質に
こだわりがないとかオリジナルは既に持ってるよということであればいいのかもしれない。また、チョイ聴きする際もネット音源では味気ないし、
その程度の鑑賞しかしないのに大枚をはたくのはバカげているから、ということで手許に置いておく分には、まあ、いいかもしれない。

カーティス・フラーはトロンボーン奏者としては一流とは言いにくいけれど、それとは相反してレコード制作には恵まれた人だ。第一人者であった
J.J.ジョンソンはいいレコードがあまり残っていなくて買うのが難しい人だけれど、フラーはそういう面では付き合いやすい。数多く残された
作品群の中でも、このアルバムは火の玉ハード・バップとしては上位に来る力の入った作りになっている。惜しいのは楽曲的には魅力に欠ける
ものが並んでいるため、あまり日常的に聴いて楽しめる内容とは言い難い。迫力はあるけどいささか騒々しい、という感想が先に立つ。

そんな中でも、冒頭の "The Clan" は印象に残る。楽曲としていい曲だし、演奏も纏まりと勢いが両立していて非常にいい。メンバーの中に
音楽監督に向いた人がいなかったので、この後の焦点がなかなか定まっていかなかったのが残念だが、演奏レベルは高く、十分に聴かせる。


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国内盤の底ヂカラ(その10)

2020年05月05日 | Jazz LP (国内盤)

Mal Waldron / Mal - 4  ( 日本ビクター Top Rank - 5069 )


マル・ウォルドロンの音楽は昔からどうもピンとこない。特に、スタンダードの解釈のぎこちなさには閉口する。楽曲を魅力的に演奏することも
ないし、演奏力で圧倒するところもない。モンク、ハービー・ニコルズ、ランディ・ウェストンの亜流のような弾き方だけど、影響を受けている
という感じはなく、ただ単にピアノが上手くないだけのような気がする。

欧州レーベルに移った後の音楽はその感が特に強くて、聴いていても何がやりたいのかさっぱりわからない。だから、その前にアメリカのレーベル
へ吹き込んだいくつかを聴くのが関の山だけれど、それでも忘れた頃になって「どんな音楽だっけ?」と聴き返す程度だ。

この第4集は全編ピアノ・トリオでスタンダードは聴いていても面白くないが、自作の Love Span" は憂いのあるメロディーが印象的な楽曲で、
唯一これが素晴らしい。演奏がというより、楽曲の良さで聴かせる。

プレスティッジの国内初版はトップランク・レーベルで出たものはモノラルリリースだけれど、音質はこもったものが多い印象で、そういう面では
あまり褒めることはできない。このトップランク盤も音質は大人しく、音楽には勢いが感じられない。まあ、この人の音楽自体が内向的なので、
内容に相応しいと言えばそうかもしれない、という感じだ。

片や、このシリーズの "MAL-1" ~ "MAL-3" の国内初版はステレオリリースで、こちらはステレオの音場感で聴けるというのがアドバンテージに
なっていると思う。音像の大きさという点ではこじんまりと纏まっているけれど、楽器の音はクリアで悪くない。原盤はRVGの覇気のある
モノラルサウンドで音質のことだけで言えばそれらの方が当然優れているけれど、内容と値段のバランスが極端に悪くて、私には興味がもてない。

ということで、国内初版を拾った。入手は簡単で、4千円でおつりがくる。







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国内盤の底ヂカラ(その9)

2020年05月04日 | Jazz LP (国内盤)

Charles Mingus / Blues & Roots  ( 日本ビクター ATL 5045 )


Charles Mingus / Blues & Roots  ( 日本ビクター SAL 5004 )


"直立猿人" の国内ステレオ盤の音場感がとても良かったので、当然ステレオ盤だけ拾って帰ればよかったのだが、モノラル盤とどういう違いが
あるのかにも興味があったので、モノラル盤も拾ってみた。こうやって、安レコと戯れる日々が続く。

裏ジャケのライナーノートによると、モノラル盤は1,700円、ステレオ盤は2,000円、野口久光氏の文章は同じものが掲載されているので、
正確な年代はわからないけれど、近い時期の発売だったのではないだろうか。盤も共に厚手で重量がある。

このステレオ盤は猿人ほどステレオ感が効いておらず、モノラル盤との差があまり大きくない。そのため、音場の拡がりによる音楽の雄大さが
出るような感じはない。多管編成なので音の分離がいい方が愉しめるはずだが、分離の度合いが際立っているわけではないので、どちらかと
言えばモノラル盤のほうが音楽の纏まりはいいように聴こえる。

録音時期を考えれば猿人よりもこちらの方が音質はいいはずなんだけれど、そうはいかないというのがレコードの難しいところだ。
理屈では割り切れず、1枚ずつ是々非々で判断するしかない。そこが楽しいと言えば楽しいんだけれど、時間と金がかかる遊びだから、
ボチボチいくしかない。

このアルバムは "The Crown" の冒頭に収録された "Haitian Fight Sing" を気に入った制作監督が同様のブルース的、教会音楽的なものをテーマに
したらどうか、という提案から生まれている。作曲と構成を重視するミンガスだが、ここではそれらの要素がかなりごった煮となっていて、
敢えて整理整頓されておらず、少し焦点が定まり切れていないように思う。迫力という点では十分凄い演奏なので、その部分での満足感は
あるのだが、音楽的な満足感については私にはいささか物足りない。

そういうアルバムでも聴きたくなる時はあるので、こういう安レコは重宝する。何でもかんでも金をかければいい、というものではない。


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国内盤の底ヂカラ(その8)

2020年05月02日 | Jazz LP (国内盤)

Stan Getz / Getz / Gilberto  ( 日本グラモフォン SMV-1023 )


レコード屋でパタパタしなくなって1ヵ月が過ぎた。我ながらよく耐えてるなあ、と思う。最後にDUへ行ったのは3月27日(金)の夜で、それ以来、
パタパタとはご無沙汰である。外出自粛はあと1ヵ月延長されるようだが、実際に我々がエサ箱の前に立てるようになるのがいつになるかわからない。
営業が再開しても、人混みを誘発する週末の廃盤セールのような形式はしばらく取れないんじゃないだろうか。どこの誰だかわからないおっさんと
身体が接触しながら空気の悪い店内をウロウロするというこれまでは当たり前だったことが、この先も同じようにできるだろうか。

マニアにとっては受難の日々が予想されるが、ただ私の場合は不幸中の幸いというか、人混みの少ない時間を狙っての安レコ漁りが出来さえすれば
それでいいので、実は割とお気楽に構えている。週末のセールがあろうがなかろうが、そんなのはどうでもよろしい。興味の対象は別のところに
あって、3月はそういうのばかりを拾っていた。

3ケタのこの国内盤も今聴くとどういう感じなのかを確かめたくて拾ってきたわけだが、これが十分な音質であることを確認できた。うちにあるmono
オリジナル初版と聴き比べてみたが、このアルバム特有の空気感や楽器の音像の大きさ、ゲッツのサックスのザラッとした質感などはまったく引けを
取らない感じで鳴っている。このアルバムに関しては、オリジナル自体大した値段ではないにせよ、別にこちらで十分じゃないかと思う。

私が国内盤を普通に聴いていたのは学生時代で、今よりも狭い部屋で、スピーカーの配置も悪く、使っていたカートリッジや機器ももっとチープな
ものだった。そういう状態で国内盤はダメだな、とか言っていたわけだから、これはもうお話にならない。今だって安モンのオンボロ機器である
ことには大して変わりはないけれど、当時よりもたくさんのレコードを聴いてきて、知見自体は増えている。そういう今だからこそ、再発盤や
国内盤が実際のところはどういう感じで鳴るのか、本当にダメなのか、をもう一度きちんと確認するのが楽しい。


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国内盤の底ヂカラ(その7)

2020年04月04日 | Jazz LP (国内盤)

Albert Ayler / My Name Is Albert Ayler  ( 日本ビクター SFON-7053 )


このレコードはオリジナルがずっと欲しかった。でも、きれいなものは10万円で、まあ一生縁がないから、国内盤で手を打つしかない。
そこでペラジャケの出番、ということになる。

いわゆるフリー・ジャズの巨人の中では、アイラーは異例なほど多くの人によってたくさん語られる。セシル・テイラーは語るには難解過ぎるし、
オーネットは掴みどころがない。それに比べてアイラーはある意味語りやすいところがあるし、人々に語りたいという衝動を抱かせる何かがある。

アイラーを語る際には、ひとまずこう言っておくとよい。「凄まじい咆哮、しかし、意外なほど普通で聴き易い」と。
これは揶揄しているのではなく、事実、そうだからだ。

アイラーの代表作と言えばスピリチュアル・ユニティーというのが大方の意見で、私もそのことには特に異存はない。何しろ聴いていて楽しいし、
ひとつのスタイルを作ったという意味でも重要な作品だと思う。でも、聴く機会が多いのは、圧倒的にこの "マイ・ネーム・イズ~" の方だ。
ペデルセンを含む北欧デンマークの優秀なピアノトリオが極めてデリケートで洗練されたバックとして典型的な欧州ジャズを展開、その中で
アイラーが蘇った伝説の怪物の如く、艶めかしくうねる。この奇跡のような音楽が放つ不思議な美しさをどう説明すればいいのか。

このペラジャケは驚くような高音質で、オリジナルが欲しいという気持ちはどこかへ消えてなくなり、2度と戻ってくることはなくなる。
適切に調整された環境で再生すれば、国内盤はしっかりとした音で鳴る。これを聴いて音質に満足できないのだとしたら、再生環境のバランスが
極端に悪いか、若しくは相当に偏屈な人柄だということだろう。音楽が好きなら、国内盤の良さにもっと目を向けるべきだと思う。


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国内盤の底ヂカラ その6

2020年03月08日 | Jazz LP (国内盤)

Charles Mingus / Pithecanthropus Erectus  ( 日本 ビクター SMJ-7228 )


目から鱗が落ちた。音がすごくいい。管楽器の音が輝いていて、ベースも重低音でズンズンと腹に響く。

1956年1月に録音されて、オリジナルは同年にアトランティックからモノラルで発売されている。日本では1965年にステレオで出されたこのペラジャケ
が初出のようだが、これが見事な音場感で鳴る。アトランティックのステレオ盤は見た記憶がないが、発売されているのだろうか。
なかなか納得いくコンディションのものとの邂逅がなくてオリジナルはまだ手許にないが、これならもう高い値段を出して買う必要もないなと思う。
そのくらい満足度が高いサウンドだ。アトランティックのモノラルプレスはいろいろと面倒臭いので、これで十分じゃないかと思う。

ミンガスを代表する名盤と言われるこのアルバムは当時としては表題曲の型破りさがウケたのだろうと思うけれど、私の感覚だとモントローズも
マクリーンもイマイチ中途半端な演奏に思えて、もっとキレッキレでもよかったのにと少し残念な印象がある。楽曲のスピードにもキレがなく、
精彩に欠けるのがちょっとなあ、と思う。やろうとしたことはよくわかるし正しい感じがするけれど、当初期待したほどの強い感銘は受けなかった。

それでもユニークな音楽であるのは間違いなく、それなりに愛聴しているアルバムなので、状態のいいオリジナルをと思っていたが、このビクターの
ペラジャケはそういう物欲から解放してくれるのに十分なサウンドだった。

適度な残響感の中、自然な配置で楽器がリアルな音で鳴っている。これも元はステレオ録音だったのだろうか。マトリクスは「SD 1237」という
アトランティックのステレオ盤の体系だ。

ジャケットの発色もよく、盤も硬質でしっかりとしたつくりで質感も高い。国内盤は侮れない、とやはり強く思う。最近は安レコ専門ハンターと
化していて、どっぷりとその沼にハマっているけれど、この世界は底なしに面白い。当分の間、抜け出せそうにはない。


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国内盤の底ヂカラ その5

2019年11月24日 | Jazz LP (国内盤)

Eric Dolphy / Eric Dolphy At The Five Spot  ( 日本ビクター MJ 7043 )


エリック・ドルフィーが嫌いだ。その原因を探るために主要なアルバムはすべて聴いたし、何度も繰り返し聴いているけど、未だに全然ダメ。
ドルフィーを褒める人は多いし、オリジナル盤はどれも漏れなく高額。つまり、人気があるということだ。そんなに人気があるのが信じられない。

今のところ、嫌いな理由として自覚しているのは、まずはアルトの音。あの音は生理的に受け付けられない。ただただ、気持ちが悪い。
もう一つは、彼の演奏には音楽を感じないところだ。どれを聴いても、この人の演奏からは音楽が聴こえてこない。

それじゃいけないような気がするので、いつでも検証できるように安いレコードを買って手許に置いておこうと思うのだけれど、
いざ、エサ箱の前に立つと買う気が失せてしまう。その繰り返しだったが、安いペラジャケがあったのでついでの勢いで拾ってきた。

「怒涛の」「火を噴くような」という形容詞が付けられるけど、ちょっとオーバーだ。"Fire Waltz" という曲名の影響かもしれないけど、
無責任な話である。確かにドルフィーのアルトが全面に出てはいるけれど、案外冷静に吹いていたんじゃないかと思わせるところがある。
ドルフィーのフレーズはキテレツだけど、受け皿となっている音楽自体は当時の主流派のジャズで、そこに噛み合わせの悪さがある。

ドルフィーの音楽は限りなくフリーに近いけれど、伝統的なジャズを踏まえていて、と言われる。そういうフリーっぽいところが魅力なんだろうか。
でも、それではなぜフリー自体はあんなに人気がないのだろう。そもそも、私はドルフィーの音楽にフリーの要素を感じたことがない。
奇想天外なフレージングや楽器演奏の卓越したところに惹かれるのだろうか。でも、私はドルフィーのフレーズにマンネリ感を感じる。
ラインそのものにはきっと意味はない。周到にコードを避けて、上下の振れ幅をできるだけ大きく取り、何度も往復する。
その繰り返し、若しくは単なるバリエーションの連鎖のように思える。
高い音圧、大きな音に圧倒されるのだろうか。確かに大きな音が出せるのは重要なことだけど、この人の場合は抑揚や陰影に乏しく、
常に似たような音量で、且つ表情不足で、そこにもマンネリ感を感じる。

とまあ、いつも考えが堂々巡りして出口がなく、解決しない。このままドルフィーの良さを理解できないまま、私のジャズ観賞人生は終わって
しまうのかもしれない。

このペラジャケは1,500円だったけど、音圧が高くて非常に迫力のあるモノラルサウンドだ。オリジナルは聴いたことがないのでどういう音なのかは
わからないけれど、これはこれでイイ線いってるんじゃないだろか。私のような門外漢にはこれで十分だと思う。

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国内盤の底ヂカラ その4

2019年11月23日 | Jazz LP (国内盤)

Helen Merrill / Helen Merrill  ( 日本 King Record MC 3025 )


美人白人女性ヴォーカルは聴かない。まあ、美人じゃなくても、白人女性ヴォーカルは聴かない。ちっともいいと思わないからだけど、おかげで
どれだけレコード代が節約できていることか。

ヘレン・メリルとて、例外ではない。素晴らしい歌手だと思うし、1曲、2曲聴く分にはいいんだけれど、アルバム1枚はもたない。あろうことか、
この天下の大名盤さえ、例外ではないのである。実を言うと、20数年前にヴィンテージマインでAランク、5万円のオリジナルを買ったけど、
その時もそんなにいいとは思わなかった。当時は名盤のオリジナル盤なら内容は関係なく何でも買っていたような初心者だったからだけど、
よくよく考えればそのころからさほど白人女性ヴォーカルは好きではなかったような気がする。

今でもそうだけど、このアルバムは "You'd Be~" 以外の曲はどれもつまらないという感想しか持てない。そもそも、他にどんな曲が入っているのか
すら、よく思い出せない有り様だ。"Don't Explain" は憶えている、1曲目だから。必ず聴くことになるから。あとは、"Born To Be Blue" は
入ってたっけ?どうだっけ?くらいの感じでしかない。

"You'd Be So Nice To Come Home To" は世紀の名唱である。それは間違いない。クインシー・ジョーンズのアレンジも圧巻だ。ブラウニーの音程の
正確さも完璧だ。でも、残念ながら素晴らしいのはこの曲だけだと思う。それ以外は何度聴いても、まったく記憶に残らない。"Falling In Love With Love"
なんて酷い出来だと思う。こんなの、よくOKテイクになったよな、という感じだ。

そういう訳で、このレコードがうちにやってきたのは20数年ぶり。このペラジャケはちょっと高くて、2,500円。人気作だから、値付けも強気だ。
でも、我々の世代は国内盤で2,500円というのは許容範囲。若い世代の人のために言っておくと、その昔、街中に普通にレコード屋があって、新品の
レコードが売っていた頃は、国内盤の定価は1枚2,500円と相場が決まっていた。

フラットディスクでDG有りで、しっかりとした作りのレコードだ。ジャケットも丁寧な作りだと思う。音質はマイルドな質感で、オリジナルとは
方向性が違う。おそらくオリジナルの音は当時の日本の住宅環境には合わないということで、リマスタリングされたんじゃないだろうか。
決して音が悪いということではない。違う質感だという話である。

ここで取り上げられているようなタイプの曲やそのアレンジは、ヘレン・メリルにはあまり合っていないような気がする。彼女にはもっとゆったりと
歌わせるようにした方がいい。元々声量がないし、技巧的な上手さがあるわけでもなく、それらを補うべく雰囲気作りの上手さで聴かせるタイプだ。
ジャケットの意匠のインパクトやブラウニーとの共演というところで実態以上の評価になっていることは否定できないだろうと思う。

"You'd Be~" は歌うには非常に難しい曲だろうと思う。それをこんなに上手く歌いこなしたんだから、素晴らしい歌い手であることは間違いない。
これに関しては、彼女以上の歌が今後出てくることないかもしれない。この曲に限っては時々聴きたくなる。だから、質のいい国内盤が手許にあれば、
私にはそれで十分なのだ。そういう私のニーズに応えてくれるものが、国内盤にもちゃんとある。

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国内盤の底ヂカラ その3

2019年11月22日 | Jazz LP (国内盤)

Kenny Dorham / Quiet Kenny  ( 日本ビクター SMJ-7380 )


ペラジャケが900円で転がっていたので拾ってみた。ホコリを被ってケニー・ドーハムのコーナーに刺さっていた。今まであまり意識したことはなかった
けれどよく見ると結構転がっていて、他にも何枚か拾っておいた。特に思い入れもなく高額なオリジナルを買う必要のないものは、品質のいい国内盤で
十分である。何の不満もなく、楽しく聴くことができる。

このアルバムは第2版以降はどの国のプレスもすべてステレオ盤としてリリースされている。国内盤も最初のトップランクだけがモノラルで、以降は
すべてステレオプレスだ。私が聴いていたのはVIJ規格の一番ポピュラーな国内盤だったけれど、それを聴いていた時もこのペラジャケを今回聴いた
際にも思ったのは、このアルバムは元々の録音はステレオ録音だったんじゃないか、ということだった。

他にもOJCのCDも聴いたけれど、それらのどの規格で聴いてもステレオ再生の音場感は非常にナチュラルで心地いいサウンドだ。疑似ステレオのような
不自然さはまったくなく、たぶんステレオ録音だったことは間違いないと思う。じゃなきゃ、こんなきれいなステレオ再生になるわけがない。
オリジナルが発売された59年はまだ一般家庭の再生環境はモノラルが普通だったから、モノラルプレスにミックスダウンされたのだろう。だから、
このレコードのオリジナル盤の音は凡庸で冴えないんだろうと思う。アート・テイラーのシンバルの音も、トミフラのピアノの音も、楽器が本来
持っている綺麗な音で鳴っている。

サウンド面はこれらステレオ再生がベストチョイスということでいいとして、問題は内容ということになる。ワンホーンで、トミフラのトリオがいて、
ブルースとスタンダードのバラードがミックスされていて、と名盤の方程式を満たしているせいか昔から名盤としての評価は揺るぎないけれど、本当に
そうなんだろうか。このまったりとしてユルい演奏はそれ自体はこういう演奏もあるということでいいと思うけれど、それ以上の話ではないと思う。

このレコードをいわゆる名盤だと思わされて20万円のオリジナル盤を買ってしまうと、音質への不満が募るし、ハジけない演奏に内心合点がいかない、
ということになってくるのが本音じゃないだろうか。このアルバムは40年近く前から聴いてきたけれど、私の認識ではジャズにはよくある一介の
地味なマイナー盤の1つに過ぎない。ドーハムが一流プレイヤーであるのは間違いなく、彼にはもっといい演奏が他にいくらでもある。

このレコードは(こういう言い方は嫌いだけれど)いわゆるB級盤だ、という認識に立つと、その割には丁寧な演奏でよく出来ているじゃないか、
という感想に変わってくる。そして、千円前後のステレオ盤で聴けば音質への不満が出てくることもなく、ドーハムの貴重なワンホーンの作品として
そのありのままの音楽を愉しむことができるようになると思う。

オリジナル盤を探して買うのは楽しい趣味だ。ただ、このレコードに関しては、もっと別の選択肢があると思う。
長年ジャズを聴いてきて、たくさんのオリジナル盤にも塗れてきて、ようやくそのことが理解できるようになった。

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国内盤の底ヂカラ その2

2019年10月27日 | Jazz LP (国内盤)

Barney Wilen / Barney Wilen Quartet In Paris  ( 日本グラモフォン LPPM-1012 )


こんなレコードまでペラジャケで出ていることに、まずは驚く。裏ジャケットに消えかかった手書き文字で「61.4/8(名前、読めず)」という
書き込みがなんとか判読できる。おそらくは最初の所有者が書いたのだろう。昭和36年にこのレコードの予備知識があった人なんていたのだろうか。
定価は1,500円。当時の国家公務員キャリア組の平均初任給は12,900円、そういう時代だ。

日本人が如何にモノを大事にするかがよくわかる。ジャケットはシワが少しあるくらいできれいなもんだし、盤には傷一つない。
私なんて見た目も中身も傷んでしまって、盤質で言えば「甘めのB-」くらいなのに。

ジャケットはコーティングのフリップバック、盤は分厚いフラットディスクで重量は201gと丁寧な作り。音質はブライトなモノラルサウンドで、
コロンビアカーヴで聴くと耳が痛くなるような高い音圧で鳴る。裏ジャケットの解説は野口久光氏で、マイルス・デビス、メランコリイ・ベビイ、
ハッケンザック、と時代を感じる表記が満載だ。

このアルバムのバルネはフレーズも音色も単調で、内容はつまらない。A面のスタンダード集もB面のモンク集も聴くべきところは何もない。
バルネらしい陰影感や深みは皆無で、何だか別人の演奏を聴いているようでさっぱり面白くない。だから私には国内盤で十分で、質のいい
国内盤があるというのが重要になってくる。こんなマイナー盤ですら60年も前に製造されているのだから、国内盤は侮れないと思う。
「パリのジャズ巨匠シリーズ 第一集」という企画だったようなので、他にも色々リリースされたのだろう。
果たして当時、どれだけの人が買い求めたのかはわからないけれど。

日本で作られた国内盤は何もペラジャケの時代まで遡らなくても品質は一流だ。海外では日本盤に対する一定の需要があるようだし、
我々ももう少し見直していいだろうと思う。値段が安く、中古の盤質で苦労することもなく、細かく見て行けばプレス時期ごとに音質の違いが
あって聴き比べの愉しみもある。特にオーディオにこだわりがあり、それなりの機器が揃っている環境であれば、国内盤は意外といい雰囲気で
鳴って目から鱗が落ちることがある。優劣を付けて切り捨てるより、違いを違いとしてそのまま愉しむほうがずっと面白いと思う。

海外リイシューの雄であるOJCの音質がいいというのは今では常識になっているし、このブログでも日本ビクターのレコードの音質の良さを
何度も書いてきたように、国内盤だって負けてはいない。レコード蒐集を始めるとオリジナル盤しか眼中に入らなくなる時期というものが
確かにあって、それはまあ仕方がないことだと思うけれど、いずれ目が醒める日が来る。そうなった時に初めて、もう1つ別の新しい楽しみ方が
できるようになって、見える風景が大きく変わっていることに気が付くだろう。






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国内盤の底ヂカラ

2019年10月26日 | Jazz LP (国内盤)

Tommy Flanagan / Overseas  ( 日本 Top Rank MJ-7010 )


ジャズのレコードコレクターの世界において国内盤は昔からバカにされる存在で、その風潮は今も変わらない。その理由は音質の悪さだったり、盤や
ジャケットの作りの悪さのせいだ。確かにそういう面で比較した時、大きく劣るものが多いのは事実なので致し方ない部分はある。ただ、全てがそうか
というと、必ずしもそうではない。何の遜色もないタイトルはいくらでもあって、基本的には先入観による物言いになっているだけだろうと思う。

私も若い頃はガチガチのオリジナル至上主義で国内盤をバカにしていたクチだけど、マニア遍歴が2周、3周した今は国内盤の良さを素直に享受できる
ようになった。昨今のレコード復権の中でレコードでジャズを聴き始めた人たちはSNSに溢れるオリジナル自慢の記事に自分の持っているレコードの
ことを気恥しく感じるかもしれないけど、そんな風に思う必要はまったくないよ、と言ってあげたくなる。どんなハード・コレクターだって元を正せば
国内盤を聴いて育っているわけで、単にそのことを封印しているに過ぎない。

ブルーノートのオリジナルとキング盤を比較してどうのこうのという話は今でも見かけることがあるけれど、ブルーノートのオリジナル盤にたくさん
触れていて本当に熟知している人はオリジナルには美点しかないというわけではないことをよく知っているから、そういう発想にはならないだろう。
ありのままに見る、人目を気にしない、というのは煩悩の多い我々には難しいことだけど、それに近づくことで音楽の楽しさの幅は間違いなく拡がる。


天下の名盤として不動の地位にあるこのアルバム、みんなどういうフォーマットで聴いているのだろう。オリジナルのメトロノームEP盤で聴いている
人なんてごく少数だろうし、オリジナルでもないのに異様な高額になっているプレスティッジ盤初版となればもっと少ないだろう。大半の人が普通の
国内盤かCDで聴いているはずで、私ももちろん国内盤レコードで聴いている。国内盤はたくさんのヴァージョンがあって、いくつか聴き比べた中では
このペラジャケ版の音が1番古臭くて雰囲気がよく出ているような感じだったから、これに落ち着いている。

国内盤のペラジャケにはそれ専門のコレクターもいる、それなりに人気のある分野。このペラジャケは日本でレコードが製造されるようになった初期の
時代のもので、海外から原盤のスタンパーを借りて製造されたものが多いと言われている。ただ、私が聴いた範囲では必ずしも音質が優れているものが
多いという印象はなく、かなりバラつきがあるように思う。そんな中で、このオーヴァーシーズはいい出来だ。

このレコードは縦横両方の振動を拾うモノラル・カートリッジで聴けば、何の不満もない音で鳴る。エルヴィンの唸り声はしっかりと再生されるし、
酔っぱらったフラナガンの粗挽きなタッチも生々しく聴ける。ウィルバー・リトルのベース音も大きなレベルでカッティングされていて、迫力も
満点だ。ピアノ・トリオの演奏としては珍しく粗っぽい演奏だけど、そこは超一流の演奏家らしく破たんなく着地させているから名盤ということに
落ち着いた。7インチEPは再生が面倒だし、プレステ盤は高過ぎて買えるはずもないから、国内盤を上手く鳴らす工夫をして聴けば大丈夫。
このアルバムの一番大事な部分はきちんと手に入れることができる。

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日本人にしか作れないレコード

2019年01月19日 | Jazz LP (国内盤)

Duke Jordan Acoustic Trio / Kiss Of Spain  ( 日本 3361*Black No.3363 )


国内盤をバカにする人は、きっとこういうのを見逃している。 このレコードは国内盤の中古コーナーの中でいつも静かに眠っているからだ。 
そして、心ある人に貰われていって、いつの間にか静かに在庫から姿を消している。 

これは正真正銘、日本人にしか作れないレコードだ。 デューク・ジョーダンから哀感を100%引き出していること、日本の至宝である富樫雅彦が
ドラムを奏でていること、アコースティックにこだわった究極の音質で録音していること、この3点を実現できたのは日本人だからこそだ。 
海外レーベルのステレオ録音でこれを凌ぐ満足感を味わえるレコードは、"Live In Japan" を除いて、1つもない。 言っちゃ悪いけど、"Flight To Denmark"
なんてこのレコードの足許にも及ばない。

富樫雅彦の謳って語りかけてくるドラムが圧巻だ。 ジョーダンのピアノを聴かせるユニットであることを十分に踏まえた大胆で且つデリケートを
極めたタッチはまるでもう1台のピアノのよう。 この感じはドラムを聴いているという感覚ではない。 こんな風にドラムを奏でられる人が
果たして他にいるだろうか。

山中湖畔にスタジオを構える3361*Blackというブランドのアコースティック・サウンドへのこだわりはHPを見ればよくわかる。 そのコンセプトの
結晶である純度100%の深みと透明度はまさに深い山間に佇むカルデラ湖の湖水のよう。 高音質を誇るレーベルは数あれど、そのどれとも異なる
空間表現と楽器の音を聴かせてくれる。 ウッドベースの音が生々しい。

デューク・ジョーダンもゆったりと無理のないプレイをしていて、その余裕が自身の持つ哀感をうまく解放できているようだ。 
相変わらず素晴らしい旋律の表題曲も含め、ありふれたスタンダードがまるでジョーダンのオリジナル作のように響いている。 
我々が日本のプロダクトを誇りに思わなくて、一体どうするのだ。





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ジャズテットの隠れた傑作

2018年02月10日 | Jazz LP (国内盤)

The Jazztet / Voices All  ( 日 Eastworld EWJ 90016 )


1982年にジャズ・フェスティバルに出演するためにジャズテットを再結成して来日した際に録音されたアルバムで、"Whisper Not"、"Killer Joe"、
"I Remember Clifford" など代表曲と新曲がブレンドされている。 正直、こういうのは恥ずかしい。 古き良き時代にいつまでもしがみつく姿は
みっともない。 もちろんそれはアーティストのことではない。 こういうレコードを作るレコード会社のことである。

Eastworldは東芝EMIのレーベルで、売れる見込みのあるレコードしか作らない。 社員の中にはもっと違うことをやりたいと考えている人もいただろうけど、
会社の方針には逆らえない。 だから、こういうタイプのレコードが出来上がる。 手放しで喜んだ人もいれば、同じ数だけ顔をしかめた人もいただろう。
でも、レコード会社はそんなことは気にしない。 喜んで買う人のほうが多いだろうという見込みがあったから、この企画が承認されたのだ。

かく言う私も、そういうアンビバレンツな感情を持つ一人だ。 よくもまあ何の臆面もなくこんなレコードを作ったな、という軽い嫌悪感を覚えながらも、
ジャズテットの聴いたことのない音源となると飛びついてしまう。 いくらカッコつけて能書きを垂れても、本能が逆らうことを許さない。
なぜなら、ジャズテットは最高だから。

ゴルソン、ファーマー、フラーによるゴルソン・ハーモニーに包まれたサウンドがとにかく素晴らしい。 そして、アート・ファーマーが最高の名演を聴かせる。
極めつけはデジタル録音が優良で、演奏の良さを最良の形で再現してくれる。 ハードバップは死んでないじゃないか、と思う。
結局のところ、ハードバップはそれ自体が消費されて内部崩壊的に廃れていったのではなく、時代がより刺激的な他のものに目移りしているうちにただ単に
忘れられただけだったのかもしれない。 ここで聴かれる音楽には他のジャズにはない風格みたいなものがあって、そんなことを考えさせられる。

50~60年代の演奏よりもはるかに洗練されていて、ずっとマイルドで、ハーモニーにも深みがあって、音楽的にはより進化しているような感じすらある。
音楽家としての経験をよりたくさん積んだメンバーが再度集まって演奏する音楽からは、以前とは違う声が聴こえてくるような気がする。

最後に置かれた "Park Avenue Petite" では、ファーマーのバラード・プレイの極致が聴ける。 いくら人前で褒めるのは恥ずかしくても、これは傑作である。


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早回しされたテープのように

2017年11月12日 | Jazz LP (国内盤)

Cecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlinger  ( 日本 CBSソニー SONF 01107 )


ジャズ・ピアニストなのにピアノ・トリオとしてのフル・アルバムを1枚も作らなかった、おそらく唯一の人がセシル・テイラーだった。
これが私のこの人に関する唯一の不満で、アルバムの中で何曲かはトリオで演奏してはいるものの、1枚全部という作品は私の知る限りはない。

その限られたトリオやプラス・ワンでベースを弾いていたのがビュエル・ネイドリンガーだ。 テイラーが常設トリオで活動しなかったので、ネイドリンガーの名前も
有名になることがなかった。 テイラーのデビュー作での縁からスティーヴ・レイシーのプレスティッジのモンク集なんかにも参加してるけど、それでもその名前が
クローズアップされることはなかった。

テイラーはベースを入れる時は必ずこの人を呼ぶ程仲が良く、その彼にスポットライトを当てようと企画されたのがこの録音だった。 ところがマスタリングも終わり、
いよいよリリースという直前になってCANDIDレーベルが倒産し、ついにリリースされることがなく終わってしまう。 ツイてない人はとことんツイてない。

その音源をCBSソニーが特典盤として初めて配布したのがこのレコード。 その時は非売品だったが、その後は違う形で再発されているようなので、特に
稀少な音源ということもなくなった。 私がこれを拾ったのはこの中にセシル・テイラー・トリオの演奏があるからだ。 元々はネイドリンガーのリーダー作だったのに、
世に出る時はテイラーの名前が前に出ている。 まあ、そのおかげで私の目にも留まることになったのだから、彼には気の毒だけどこれで正解だった。

3種類のセッションで構成されている。 クラーク・テリー、ラズウェル・ラッド、スティーヴ・レイシー、アーチー・シェップ、チャールズ・デイヴィスの多管編成では
何とスイング・ジャズをやっていて、これには驚く。 ミディアム・テンポでほんわかとしたオールド・スイングで、テイラーはゆったりとしたフリースタイルの
不協和音をまき散らしていて、これがなぜか曲調と違和感なく会っていて面白い。 こういうスイングとフリーの親和性の高さを聴くと、テイラーの演奏が
伝統に根差しているという言い方が紋切り型の文節ではなく真実であることがよくわかる。

お目当てのピアノトリオでは、重くどっしりとしたネイドリンガーのベースとデニス・チャールズのドラムの上でテイラーのピアノがまるでテープを早回しした
セロニアス・モンクのような感じで、これがとてもいい。 やはり、アルバム1枚分の演奏が聴きたかった。

まともに聴く人なんてほとんどいないようなアルバムだろうけど、私には面白いレコードだった。 安レコだからこそ、こういう音楽に接することができる。
安レコは凝り固まった世界観を大きく拡げてくれる扉なのだ。


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