Kenny Dorham / The Arrival Of Kenny Dorham ( 米 Jaro JAM-5007 )
タイム・レーベルの "Jazz Contemporary" の1ヵ月前に録音されたのがこのアルバムで、メンバーもピアノ以外は同じ構成で、この2枚は兄弟の
関係にある。こちらはトミー・フラナガンがピアノを担当しているが、これがこれら2枚のアルバムの性格を異にしている。
フラナガンのバッキングやソロは従来のハード・バップ・マナーで、このアルバム全体のトーンを普通のハード・バップに染めている。
そのため耳馴染みが良く、誰からも好かれるであろう非常にわかりやすい音楽になっている。ヴィクター・ヤングの "Delilah" でのソロ・パートの
エレガントさは如何にもこの人らしい。
また、このアルバムで顕著なのはドーハムの饒舌さで、これが珍しい。ヴィヴィッドで鮮やかな音色で鋭く切り込むような演奏をしていて、
彼のアルバム群の中でもトップクラスの力の込められたプレイだ。チャールズ・デイヴィスの重量級バリトンが霞んであまり目立たない。
アルバムによってなぜこうも演奏の仕方にムラがあるのかよくわからないが、彼のトランペッターとしての側面を知るには打ってつけだろう。
彼のトランペット奏者としての位置付けは、ハンク・モブレーのテナー奏者のそれと似ている。トップランナーではないが、リーダー作を
任せるには十分の力量はあり、共演者として重宝されるので残された演奏は多く、愛好家にはお馴染みのプレーヤーになった。
このアルバムは選曲も良く、ハード・バップの雰囲気が上手く出せる楽曲が丁寧に選ばれており、ブッチ・ウォーレンのソロがメインの曲が
あるかと思えば、"Lazy Afternoon" のような幻想的な楽曲もあるなど、1曲ずつしっかりと聴かせて飽きの来ない構成になっているところが
ドーハムの知性だったのだろう。細部にまで神経が行き届いた作りになっていると感じる。
トランペッターとしての姿と成熟したハード・バップの2つの要素がどちらかに偏重することなく、ちょうどいいバランスで配合された
完成度の高いアルバムで、高名だが各アルバムは地味な印象のドーハムの真の実力がよく表れたいいアルバムではないかと思う。
ただ、一旦この路線はこれで十分と考えたのか、翌月の録音ではピアノをスティーヴ・キューンに代えている。
これにより、次作は新しい風が吹く爽やかな内容に仕上がることとなった。これは正しい判断だったのではないだろうか。