[3月28日09:57.天候:晴 東京都八王子市高尾町 JR高尾駅→中央本線437M列車6号車内]
私の名前は愛原学。
都内で小さな探偵事務所を経営している。
京王経由で東京都の西側に移動した私達は、ここでJRに乗り換えた。
京王線の高尾駅はこぢんまりとしたものであるが、JRの方はホームが4番線まである(京王線は5番線と6番線)。
〔本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。4番線に停車中の列車は、9時57分発、普通、松本行きです。発車まで、しばらくお待ちください〕
中央線のホームで電車を待っていると、6両編成の中距離電車がやってきた。
かつては高崎線や宇都宮線辺りで活躍したと思われる211系だ。
多くは例え長距離運用でもロングシート車が割り当てられることも多いが、今回はボックスシート車が来た。
乗車時間は短いとはいえ、そちらに乗ってみた。
行楽には向いている座席だろう。
これで一気に旅気分になる。
藤野には何回か行ったが、電車の場合は通勤電車を利用した中央特快に乗ることもあったので、どちらかというと、そんなに旅気分は味わえなかった。
それが今や……。
自販機でジュースを買い、窓の桟に置けば完璧(211系には窓の下にテーブルは無い)。
〔「お待たせ致しました。9時57分発、中央本線、普通列車の松本行き、まもなく発車致します」〕
ホームに発車メロディが鳴り響く。
ドアが閉まる際、大きなエアー音が鳴り、ドアチャイムが無い所は旧国鉄車両を思わせる。
そう、211系は旧国鉄時代に製造された車両である。
185系が運用離脱するに当たって、撮り鉄が騒ぎを起こしてくれたが、あくまでも国鉄型特急車両がJR東日本から全廃されただけで、普通列車用のそれとしてはまだ地方線区に残っている。
ガクンと発車するところは、デジタル制御された最近のJR車両とは違うアナログ感がある。
〔「本日もJRご利用頂きまして、ありがとうございます。ご乗車の列車は9時57分発、中央本線下り、普通列車の松本行きです。これから先、相模湖、藤野、上野原、四方津、梁川、鳥沢、猿橋、大月の順に、終点の松本まで各駅に停車致します。【中略】電車は6両編成での運転です。お手洗いは1番前の車両と、1番後ろの車両にございます。【中略】次は相模湖、相模湖です」〕
愛原:「どうだ?一気に旅気分になれるだろう?」
リサ:「うん、そうだね。地下鉄だとずっと地下だし、京王線でも通勤電車だったからね。これなら、本当に旅気分……」
しかし、電車がトンネルに入ってしまった。
湯の花トンネルだろう。
第二次世界大戦末期、走行中の列車が米軍戦闘機P51に捕捉され、機銃掃射の集中砲火を浴びた現場である。
高尾駅、当時は浅川駅という名前だったが、その駅に当該列車が停車していた時点で空襲警報は発令されていたが、空爆されやすい駅に留まるよりは、なるべく彼らの攻撃目標から離れ、且つトンネルの中に逃げ込んだ方が安全なのではという判断から、列車は出発した。
しかしその判断は誤りだったのか、米軍側は爆撃機であるB29だけが飛んで来たわけではなかった。
P51のパイロットはすぐさま、逃げる列車を捕捉して機銃掃射を開始、列車の先頭部分や2両目がトンネルに入った所で走行不能に陥らせ、集中砲火を浴びせたという。
この列車は電気機関車が牽引しており、運転士がトンネルに入った所で非常ブレーキを掛けて停車したという説と、空爆後の現場は架線が切られていたことから、機銃掃射の際に架線が切れて停電してしまい、走行不能になった場所がトンネル内だったという説がある。
今ではトンネルの外側に慰霊碑が建てられている。
惨劇のあった場所柄、90年代のオカルトブームでは怪奇スポットとして紹介されたことがあるという。
もちろん、今はそんなことはない。
多分、リサなら第二次大戦の機銃程度では死なないだろうな。
2013年、香港で起きたバイオハザードの際、ネオ・アンブレラを名乗るテロ集団に中国海軍の空母が乗っ取られたという事件があったが、この時、BSAAのクリス・レッドフィールド隊長は副隊長のピアーズ・ニヴァンスと共にハリアーで立ち向かったという記録がある。
空母にハリアー1機で立ち向かうなんてハッキリ言って無謀だと思うが、さすかに空母は沈没まではしなかったものの、船橋などは火災を起こし、操舵不能にまではしたというから驚きだ。
BSAAアメリカは米軍出身の隊員が多く、戦闘機乗りは例え自軍が1機でも、敵と見做した相手には集中砲火を浴びせるという習慣でもあるようだ。
愛原:「さすがにハリアー相手なら倒せるかな……」
高橋:「ハリアーでリサ、倒すんスか?先生なら倒せるんスね。さすがっス!」
愛原:「いや、俺はさすがに(操縦)免許持ってないよ」
高橋:「えっ?先生、車の免許お持ちですよね?」
愛原:「あるよ」
高橋:「えっ?」
愛原:「えっ?」
高橋:「トヨタのハリアーで、どうやってリサ倒すんスか?特攻っスか?」
愛原:「アホ。戦闘機のハリアーのこと言ってんだよ」
高橋:「ああ、そっちっスか!……どうなんでしょうね」
愛原:「その前に、ネメシスにロケラン撃ち込まれて墜落するかもしれんな」
高橋:「はあ……」
[同日10:15.天候:晴 神奈川県相模原市緑区 JR藤野駅]
山沿いを走ることもあってか、列車はトンネルが断続的に続く区間を走行した。
中央高速でも名物の小仏トンネルを通過する所がハイライトだ。
湯の花トンネルで機銃掃射を浴びてしまった列車も、小仏トンネルに逃げ込めれば助かっただろうに。
〔「まもなく藤野、藤野です。お出口は、右側です」〕
そして列車は最寄りの藤野駅に到着した。
この辺りは本来、半自動ドアが実施されていた。
即ち、ドアの開閉は乗客がドア横にあるボタンを押してするというシステムであった。
これは車内保温の為である。
しかし昨今の新型コロナウィルス流行により、車内保温よりも車内換気の方が優先され、換気を悪くする半自動方式はワンマン運転列車でしか行われなくなっている。
ワンマン運転では引き続き行っているのは、不正乗車防止の為だろう。
確かにJR東海とはいえ、この前利用した身延線ではしっかり半自動ドアとなっていた。
〔ふじの~、藤野~。ご乗車、ありがとうございます〕
私達は狭いホームに降り立った。
この辺りは平地が少なく、藤野駅は1面2線ではあるものの、通常の対向式ホームの1面分の幅しか無い。
そこで藤野駅では上り下りのホームを互いにズラすことで、狭いホームに人が集中しないように対策している。
リサ:「先生、ここからは?」
愛原:「バスに乗り換えるぞ。それが最後の乗り換えだ」
高橋:「実際、あの研修センターからは近いんスか?」
愛原:「地図で見る限りでは、歩いて行けるというわけではないみたいだな。同じ、相模原市緑区内ではあるんだが……。バスも、研修センターの近くを通る路線ではなく、別の路線だから」
高橋:「そうですか」
私達は跨線橋を渡り、改札口へ向かった。
この辺りは、まだSuicaやPasmoが使える。
私の名前は愛原学。
都内で小さな探偵事務所を経営している。
京王経由で東京都の西側に移動した私達は、ここでJRに乗り換えた。
京王線の高尾駅はこぢんまりとしたものであるが、JRの方はホームが4番線まである(京王線は5番線と6番線)。
〔本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。4番線に停車中の列車は、9時57分発、普通、松本行きです。発車まで、しばらくお待ちください〕
中央線のホームで電車を待っていると、6両編成の中距離電車がやってきた。
かつては高崎線や宇都宮線辺りで活躍したと思われる211系だ。
多くは例え長距離運用でもロングシート車が割り当てられることも多いが、今回はボックスシート車が来た。
乗車時間は短いとはいえ、そちらに乗ってみた。
行楽には向いている座席だろう。
これで一気に旅気分になる。
藤野には何回か行ったが、電車の場合は通勤電車を利用した中央特快に乗ることもあったので、どちらかというと、そんなに旅気分は味わえなかった。
それが今や……。
自販機でジュースを買い、窓の桟に置けば完璧(211系には窓の下にテーブルは無い)。
〔「お待たせ致しました。9時57分発、中央本線、普通列車の松本行き、まもなく発車致します」〕
ホームに発車メロディが鳴り響く。
ドアが閉まる際、大きなエアー音が鳴り、ドアチャイムが無い所は旧国鉄車両を思わせる。
そう、211系は旧国鉄時代に製造された車両である。
185系が運用離脱するに当たって、撮り鉄が騒ぎを起こしてくれたが、あくまでも国鉄型特急車両がJR東日本から全廃されただけで、普通列車用のそれとしてはまだ地方線区に残っている。
ガクンと発車するところは、デジタル制御された最近のJR車両とは違うアナログ感がある。
〔「本日もJRご利用頂きまして、ありがとうございます。ご乗車の列車は9時57分発、中央本線下り、普通列車の松本行きです。これから先、相模湖、藤野、上野原、四方津、梁川、鳥沢、猿橋、大月の順に、終点の松本まで各駅に停車致します。【中略】電車は6両編成での運転です。お手洗いは1番前の車両と、1番後ろの車両にございます。【中略】次は相模湖、相模湖です」〕
愛原:「どうだ?一気に旅気分になれるだろう?」
リサ:「うん、そうだね。地下鉄だとずっと地下だし、京王線でも通勤電車だったからね。これなら、本当に旅気分……」
しかし、電車がトンネルに入ってしまった。
湯の花トンネルだろう。
第二次世界大戦末期、走行中の列車が米軍戦闘機P51に捕捉され、機銃掃射の集中砲火を浴びた現場である。
高尾駅、当時は浅川駅という名前だったが、その駅に当該列車が停車していた時点で空襲警報は発令されていたが、空爆されやすい駅に留まるよりは、なるべく彼らの攻撃目標から離れ、且つトンネルの中に逃げ込んだ方が安全なのではという判断から、列車は出発した。
しかしその判断は誤りだったのか、米軍側は爆撃機であるB29だけが飛んで来たわけではなかった。
P51のパイロットはすぐさま、逃げる列車を捕捉して機銃掃射を開始、列車の先頭部分や2両目がトンネルに入った所で走行不能に陥らせ、集中砲火を浴びせたという。
この列車は電気機関車が牽引しており、運転士がトンネルに入った所で非常ブレーキを掛けて停車したという説と、空爆後の現場は架線が切られていたことから、機銃掃射の際に架線が切れて停電してしまい、走行不能になった場所がトンネル内だったという説がある。
今ではトンネルの外側に慰霊碑が建てられている。
惨劇のあった場所柄、90年代のオカルトブームでは怪奇スポットとして紹介されたことがあるという。
もちろん、今はそんなことはない。
多分、リサなら第二次大戦の機銃程度では死なないだろうな。
2013年、香港で起きたバイオハザードの際、ネオ・アンブレラを名乗るテロ集団に中国海軍の空母が乗っ取られたという事件があったが、この時、BSAAのクリス・レッドフィールド隊長は副隊長のピアーズ・ニヴァンスと共にハリアーで立ち向かったという記録がある。
空母にハリアー1機で立ち向かうなんてハッキリ言って無謀だと思うが、さすかに空母は沈没まではしなかったものの、船橋などは火災を起こし、操舵不能にまではしたというから驚きだ。
BSAAアメリカは米軍出身の隊員が多く、戦闘機乗りは例え自軍が1機でも、敵と見做した相手には集中砲火を浴びせるという習慣でもあるようだ。
愛原:「さすがにハリアー相手なら倒せるかな……」
高橋:「ハリアーでリサ、倒すんスか?先生なら倒せるんスね。さすがっス!」
愛原:「いや、俺はさすがに(操縦)免許持ってないよ」
高橋:「えっ?先生、車の免許お持ちですよね?」
愛原:「あるよ」
高橋:「えっ?」
愛原:「えっ?」
高橋:「トヨタのハリアーで、どうやってリサ倒すんスか?特攻っスか?」
愛原:「アホ。戦闘機のハリアーのこと言ってんだよ」
高橋:「ああ、そっちっスか!……どうなんでしょうね」
愛原:「その前に、ネメシスにロケラン撃ち込まれて墜落するかもしれんな」
高橋:「はあ……」
[同日10:15.天候:晴 神奈川県相模原市緑区 JR藤野駅]
山沿いを走ることもあってか、列車はトンネルが断続的に続く区間を走行した。
中央高速でも名物の小仏トンネルを通過する所がハイライトだ。
湯の花トンネルで機銃掃射を浴びてしまった列車も、小仏トンネルに逃げ込めれば助かっただろうに。
〔「まもなく藤野、藤野です。お出口は、右側です」〕
そして列車は最寄りの藤野駅に到着した。
この辺りは本来、半自動ドアが実施されていた。
即ち、ドアの開閉は乗客がドア横にあるボタンを押してするというシステムであった。
これは車内保温の為である。
しかし昨今の新型コロナウィルス流行により、車内保温よりも車内換気の方が優先され、換気を悪くする半自動方式はワンマン運転列車でしか行われなくなっている。
ワンマン運転では引き続き行っているのは、不正乗車防止の為だろう。
確かにJR東海とはいえ、この前利用した身延線ではしっかり半自動ドアとなっていた。
〔ふじの~、藤野~。ご乗車、ありがとうございます〕
私達は狭いホームに降り立った。
この辺りは平地が少なく、藤野駅は1面2線ではあるものの、通常の対向式ホームの1面分の幅しか無い。
そこで藤野駅では上り下りのホームを互いにズラすことで、狭いホームに人が集中しないように対策している。
リサ:「先生、ここからは?」
愛原:「バスに乗り換えるぞ。それが最後の乗り換えだ」
高橋:「実際、あの研修センターからは近いんスか?」
愛原:「地図で見る限りでは、歩いて行けるというわけではないみたいだな。同じ、相模原市緑区内ではあるんだが……。バスも、研修センターの近くを通る路線ではなく、別の路線だから」
高橋:「そうですか」
私達は跨線橋を渡り、改札口へ向かった。
この辺りは、まだSuicaやPasmoが使える。