とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:前半

2016-04-20 19:45:07 | マラソン
ペンションの食事は、やはりパンとサラダ、卵、フルーツ、コーヒーが出る洋食だ。パンは、一人あたり2つだったが、食欲あるランナーばかりなので、それでは足らず当然おかわりを頂く。


おしゃれなペンションらしく、コーヒーのスプーンは、桜模様だ。


9時。ペンションの前で写真を撮ってから歩いて飛鳥駅に向かう。


9:10。飛鳥駅前からマラニックがスタートする。


9:20。すぐに吉備姫王墓に到着する。


吉備姫王墓の中には、猿石(さるいし)と呼ばれるユニークな人面石像が4体ある。猿みたいだが、実際は渡来人を象ったものであるといわれている。左から『女』『山王権現』の愛称が付いている。


さらに左には、『僧(法師)』『男』と愛称がつけられているが、誰が何の為に作ったのか全くなぞで、歴史ミステリーとなっているそうだ。


吉備姫王墓の奥には、欽明天皇陵がある。とにかく明日香村には、天皇陵がいたる所にあるのだ。


吉備姫王墓に着いた時から雨が降り出し、しばらく雨具を着て走る。


9:30。鬼の雪隠に到着する。謎の石造物に見えるが、実は古墳の石室の蓋石(雪隠)だと言われており、すぐ上にある床石(俎)と対であったらしい。伝説によると、鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足したと言われている。


こちらが鬼の俎。近年の研究によると、天智天皇の第一皇子で持統天皇の実弟・建王(たけるのみこ)と、建王の祖母・斉明天皇がここに合葬された可能性が高いとされている。


鬼の俎から先に進むと、天武・持統天皇陵がある。大海人皇子(即位後に天武天皇)とその皇后である持統天皇の合葬墓である。


坂を下り、横を眺めてみると、いかにも小高い丘の上にあり、立派な古墳だというのがよくわかる。この頃には、雨も上がり青空となってきた。


9:50。亀石に到着する。昔むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまい、湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまったという。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養した。今は、亀は南西を向いているが、もし西を向き大麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。ちょっと怖い伝説が残っている。


10:05。田んぼの中を進んでいくと突如橘寺に着いた。この寺は、聖徳太子誕生の地であり、太子自身の創建とされる。この橘とは田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、海を渡りある種を持ち帰った。しかし、その時すでに天皇は亡くなり、しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘(みかんの原種)であったという。以来この地を橘と呼ぶようになったそうだ。


太子堂と呼ばれる本堂。中に安置されている本尊は聖徳太子35歳の像(重文)で太子の彫刻としては最も古いものである。


太子堂の横にある二面石。背中合わせの二つの顔はそれぞれに人の心の善悪を象徴しているという。


右が善の顔、左が悪の顔。それにしても飛鳥は不思議な石が多い。
 

境内の奥まで行くと、中の建物内でお茶会をやっているので是非寄っていって欲しいと寺の人から誘われる。ちょっと場違いな場所に来てしまったのではと、躊躇していたが、しきりに誘われるので、中に入ってみた。


和服の女性が点ててくれた抹茶を頂く。


他のメンバーも神妙に抹茶を頂く。


生花は、明日香橘流という流儀らしい。周りは、礼服を着た人ばかりでマラニックの格好がなんだか浮いてしまっていたが、寺の人が快く受け入れてくれたのがありがたかった。


天井には、美しい花の天井絵がはめ込まれている。


10:45。橘寺を出て、川原寺跡を通り抜ける。


菜の花が咲く小高い丘を上がっていく。


丘を通り抜けると車道に出る。


車道の向こうは、甘樫丘だ。甘樫丘は明日香村の西の端にあり北東から南西に横たわる丘陵である。二つの展望台があり、北東部にあるのが甘樫丘展望台で、中央部にあるのが川原展望台である。


甘樫丘展望台から東の方向を見下ろせば、飛鳥の集落、飛鳥坐神社の森、その背後に両手を広げたように御破裂山が立ちはだかっている。


北の方向を見れば、天香具山、円錐形の耳成山が見え、橿原市の市街地の向こうに大和盆地が広がっている。のどかな田園風景が広がり景色がいい場所だ。


11:27。甘樫丘を通り抜け、水落遺跡まで来る。ここは、古代の漏刻とされる遺跡である。漏刻とは、容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計のことだ。つまり水時計である。


のどかな田園風景の中を、ぐるっと回る。


11:40。看板や標識が何もなかったが、これが蘇我入鹿首塚だ。飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔である。大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれている。


飛鳥寺の西の入口から境内に入る。飛鳥寺は、飛鳥の代表的なお寺の一つであり、596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺だ。


本尊の飛鳥大仏が祀られている。これも日本最古の大仏で、ありがたいことに写真撮影OKとなっている。


飛鳥寺の東の入口。こちらからは、バスや車の観光客がたくさん入ってくる。


「2016明日香村古代遺跡巡りマラニック:後半」に続く。