fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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季語と季感

2015年09月03日 | 俳句
 俳句には、いろいろと基本的な決まりごとがあります。
 一句の中に季語をひとつ入れること。575であること。
 これが、大きな二本柱。ほかにも、切れ(や、とか、けりとか、かなとか、ほかにも)が大事。一句の中に切れるところは一カ所。句会には、その季節の句を出す、など。

 でも、文学ですから絶対的なものではありません。季語が一句に2つ、多い場合は3つも4つもということもありますし、字余り、字足らずでもOkな場合もあります。

 そんな中、私が幹事をしている句会で、「夕焼けの歌」「朝顔の切手」のように、歌の言葉、絵に描かれたものが季語として使っていいのかどうか、という話題になりました。NHKの俳句番組で、これらを季語として使った句が、特選に選ばれていたという方がいらっしゃったのです。
 私は、ずっと「季語は俳句の命」と教わってきていたので、実際のものではない言葉は、季語としては弱いと思っています。また、俳句は結社という会の中でやっているので、選ぶ方が違えば、いいと思われる句も違う、NHKの俳句とうちの会の俳句は違って当然です。ただ、うちの主宰がどう考えてらっしゃるのか、確認をしたいという心持になり、お忙しいところ申し訳なかったのですが、質問をしてみました。(正直、いちいちきいてこないでと叱責を受けてしまうかなという不安もあったのですが)
 先生からは、「これは季語の本質の部分で、とても大事なこと。あなたに返事をするだけではなく、ほかの人にも聞いてもらいたい」とお返事をいただき、(感激)急遽、近隣にいらっしゃる句会の幹事の方たちに召集がかかり、このことについての座談会となったのです。(またも、感激)

 いろいろ意見が出ました。
 ほかの句会でも、着物や帯の柄の植物などを季語として使った句が出る。着物の柄は季節によって着分けるので、いいのではないか。
 一句に季感があるかどうか。

 芭蕉も無季の句を作っている。
 
 道のべの阿波の遍路の墓あはれ  虚子 

 の句について、山本健吉と大須賀乙字という二人の評論家が違った見解を述べている。健吉は遍路という春の季語があるのでいい。乙字はこの句には季感がない。(だめということではない)
 
 しんしんと紺碧きまで海の旅   篠原鳳作  
 
 俳句をまったくやっていない人にこの句の季節はいつだと思うかというアンケートをとったところ、冬という意見が多かった。が、作者は宮古島でこの句を作った。無季ではあるが、あえて言えば夏の句である。

 戦争が廊下の奥に立ってゐた  白泉
 
 のように、無季の句でもいい句はある。

 などなど、たくさんの意見が出ました。
 結論としては、ゴッホのひまわりのように、一年中あるものは言葉として夏のものが入っていても、無季である。その上で一句が季感をまとっていればよいとなる場合もある。それが私たちの考え方です。そして、季語が入っているか無季かという事とは別に、人の心に響く句であるかどうか? ということが大事。

 こうして時に基本的なことを確認しながら、句を作っていく、座を運営していくというのが大事だなと思いました。

 *また後日、先生からは、「皆さんとてもいい話し合いだったと喜んでいらっしゃいました。きっかけを作ってくださってありがとう」というお言葉も! またまた感激。こういうことがあると、改めて自分にとって文学の師は辻桃子(敬称略)であると心に刻むのでした。そしてそう思えること(師と呼べる方がいること)って幸せだなあとも。
 
「夕焼け」は夏の季語