fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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学校へ行けないときは

2015年09月08日 | 日記
 ここのところ、連日「団地ともお 戦争」などの検索でここに来てくださる方がいらっしゃいます。8月14日放送の「団地ともお」についてよかったと書いたのですが、同様の感想を持った方がたくさんいらっしゃる様子。こういう広がりは嬉しいです。私が書いたのは8月15日のブログです。そして他の方のブログも拝見したのですが、私と同じともおの台詞に共感していらしたり(これは、嬉しい)、この回のシナリオを書いたのが誰かというところまで調べたりしていらして、感心しました。
 
 さて。

新学期になっても学校に行くのが死ぬほどつらいときは、図書館へいらっしゃいと子ども達に呼びかけた鎌倉市図書館のツイートが話題になりました。
 実際には行かなくても、このような呼びかけをしてくれる場所があるだけで心強いと思います。
 そしてもしものときには、学校や親との連帯が必要だと思うのですが、ひきこもりとなって家でゲームやネットをするのはやはり好ましくなく、図書館というのは、ホントにいい場所だと思います。
 
 なぜゲームじゃだめなのか、本のほうがいいのか。
 それに対して、ずいぶん前に読んだ新聞記事が記憶に残っています。

 何かを達成したとき、楽しいと思ったとき、脳からはドーパミンという物質が出ます。この経験が次にまたその体験をしたいという気持ちになり、頑張る。そういう図式になっているのだそうです。でも、ゲームをしているときは、このドーパミンが出っ放しになっている状態。これが続くというのは興奮状態が続いているということ、すると人はささいなことに喜びを感じることができなくなる。
 ささいなことというのは、たとえば外を歩いていて、小さな花を見つけたとき。雲の変化に秋を感じる、などなど。(これって、俳句的だなあと、そのときは思ったのですが)
 対人関係にも支障が出てくるのです。

 なので、やっぱりゲームではなく、本を!(一時的にはいいんですよ) 
 学校に行くのが死ぬほどつらい場合は、行かなくてもいい。でも、そのかわりに家でゲームばかりしていては、精神のどこかが仮死してしまう可能性があるのではと感じるのです。
 電子書籍の場合はどうなのかは、よくわかりません。でも、本が売れないといわれている今、私が児童文学にこだわっているひとつの理由がここにあります。

 自分の体験としても、小学生のとき、本の中の世界に浸っていたときの幸せな体験。全身全霊本の中に入り込んでいましたっけ。ああいう体験ができる本が一冊でもあってほしい。それがある子は、現実の世界も生き抜いていけるのではと思うのです。

 いじめられていたというわけではないけれど、私も学校は好きじゃなかったなあ。逃げたい! と思うほどではなかったので、行ってはいましたけどね。学校って、けっこうしんどいところですよね。そこに耐える力も必要かと思うけれど、どうにもならないときは、逃げていい。
 なぜだったかは覚えていないのですが、学校に行きたくなくて、お腹を壊したいと思って、ご飯を6杯食べたことがあります。とろろをかけてたから、するするでしたが。そしてお腹を壊すこともなく、学校へ行ったのでした。結局バカ真面目だったということ。楽しくなかったから行きたくなかったのかもしれません。
  
  バッタ

 そういうことも含めて、昔話の「語り」の大事さに共感しています。私もやりたいけど、咳喘息の持病があるので、声を出し続けるのがちょっと苦手。(友人とおしゃべりを長くしているだけで、だんだん声が嗄れてくる。そして炎症的になり、そこから風邪に移行しやすい)残念です。でもちょこちょこそれ系の本を読んでいます。