fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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朝倉彫塑館(谷中探索)

2015年09月11日 | 日記
 大雨の被害にあわれた地域の皆様、大変です。

         

 先週晴れ間の一日、谷中の朝倉彫塑館へ行ってきました。
 ずいぶん以前に訪れたことがあり、最近改築された?という情報があったので、まさかこぎれいになってしまったのか? と懸念しつつ行ったのですが、印象は変わっていません。よかった。
 真っ黒い外観も、和洋折衷の中身も、もちろん彫刻群も。生前集めていた蔵書も、壺などの類も、すばらしいものばかり。
 建築物としては古いものですので、おそらく補修は何度もされているでしょう。床など、いろいろきれいになっているのでしょうが、元のイメージを壊していないのです。ホントにすばらしい建物です。三階まで、そして屋上庭園まであるのですから。二階、三階とある和室は広々として、座卓も立派です。
 屋上には畑もあり、トマト、キュウリが成っていました。オクラは、花がちらほら。実は小さなものがひとつだけ。紫式部もきれいでした。
 屋上
 屋内は撮影禁止なので写真ありませんが、代表作「墓守」はやはり秀逸。そして私が一番好きなのは、様々な姿態の猫たち。

 近辺の江戸時代からあるという築地塀や谷中霊園や(牧野富太郎博士のお墓もあるようでした)、明治維新後の上野戦争の際に、敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受け、その際の弾痕のあるお寺のご門や、谷中銀座や、あちこち歩いてくたびれました。同行の「童子」の方に(そうです、吟行だったのです)この界隈で生まれ育ったという方がいて、八百屋お七の名前の由来となった七面様がこの先にあるとか、このお寺は江戸時代にお坊さんが女の人を何人も連れ込んでいかがわしいことをしたという事件のあったとこ、とか教えてくださって。
 でも、一人じゃあ、それがどのお寺か、もう行ってもわからないなあ。

 それから、晴日さんへ。(いきなり、個人的に呼びかけです)
 谷中霊園に徳川慶喜の墓があるの? ときかれて、私、「徳川家の墓所は別でしょ(あのとき寛永寺という名前は出なかったけど、徳川家ゆかりの墓は、寛永寺か増上寺ですね)」と言いましたが、慶喜の墓は谷中にあるようです! すみませーん。
調べたところ、慶喜は遺言により、仏式ではなく神式で葬儀を行ったそうで、それでお墓もお寺ではなく霊園になったということです。

*先日フェイスブックでシェアをしてくださったMさんが、こんどはツイッターで「学校に行けないときは」の記事をツイートしてくださいました。私のブログの記事のツイッターのところに数字が出ていますが、その数字をクリックするとMさんのツイッターへ飛ぶことができます。Mさんのアンテナは多方面にわたっていて、へえーっと思われる記事をいつもツイートされています。
 ただ、その数字が2となっているということは、Mさん以外にもツイートしてくださった方がいるということか? クリックして飛ぶことができるのはMさんのところだけなので、ここもよくわかりません。Mさんのツイッターからこちらへ来た方の数字なのかしらん? 
 いつもこんなんで、すみません。でも、いろいろ感謝です。