街へ出たついでに八幡の八幡様を廻って見る事にしました
創建は平安時代、1千年以上の歴史を持つ一国一社の八幡宮です(随神門より本殿を見る)
説明版の中に棟梁が群馬郡和田山村の松本主水藤原栄貞と言う興味深い記載を見つけました。和田山と言えば現・高崎市箕郷町和田山であり知り合いが子孫で有るか定かでは有りませんが和田山に松本姓は数軒存在しています。
神社に鐘楼は違和感を感じましたが、これは神仏習合の名残ですね。左に神楽殿も見られますが11月3日の秋祭りには今でも神楽の舞が奉納される様です。随神門を通して国道18号まで真っ直ぐに伸びる参道が見えます。真っ赤な大鳥居は随神門の屋根に隠れてしまいましたが一際大きく真っ赤な鳥居はシンボル的存在で何処からも眺める事が出来ました。
迫力ある海老虹梁龍
天井にはビッシリ絵が描かれておりましたが残念ながら当時の豪華絢爛さは失われていました
ここから奥社へと進んで行きたいと思います。続きますのでコメント欄はお休み致しました。
小生、2008年頃和田山周辺を訪問したことが
有ります。お暇の時にご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/c02cfedcadf714d9be79c47b656fb6ba
何時もの若々しい行動を拝見している私にはクタビレ爺さんの「クタビレ」はとても結びつかないのですが・・・
昨日も箕輪城祭りに足を運ばれ動画まで写されているのですから、その若さの秘訣を教えて頂きたいくらいです。
この度は箕輪城に纏わる和田山の地に付いて細かく教えて頂き有難うございました。
松本姓につきましては憶測の域から抜けられない所もある様ですが、しっかりした系図が有る限り松本本家としては「譲れない」と言う事でしょうか。
友人の松本さんは(友人と言っても私より10才上)姉が経営する幼稚園に教諭として働いて下さった方で一度姉とお尋ねした事が有りました。お写真を拝見した時に見覚えが有りましたので本家に嫁いだ方だったのかもしれません。何しろ随分前の事ですので記憶が曖昧です。
逆さ梅のある場所は当時、業政や業盛の墓を廻った時に業盛の遺児が匿われた場所が和田山に在ると言う事を知り尋ねてみました。
長野氏は残念な結果に終わってしまいましたが血の繋がりは続いている訳なのですね。
長野一族の事は身近で有るが故か何処かロマンを感じてしまいます。
因みにお天気お姉さんでテレビに出ていた事の有る長野智子さんも長野市の血を受け継いでいる一人です。