続き
数度、繰り返すアップダウンはどれも足を踏ん張って木の根を掴み無理矢理、体をづり上げる垂直に近い登りである。スリルを味わうなんてそんな余裕は完全に失せた。「帰り大丈夫かなぁ」と誰に言うでもなくそんな言葉が口を衝く。
10時20分、山頂到着
右上に薄っすらと浅間山
後方、右に高岩
裏妙義山群、双眼鏡を当てると丁須の頭の上に人影を捉えた
奥秩父、金峰山、西上州の山並みと八ヶ岳。目の前の稲村山の奥に僅かに望める白銀の北アルプス、更に目を右に移せばドキッとする様などでかい浅間山と四阿山が有り志賀の山々が山急山の横に除く。その奥に上越の山々も遠望できた。
振り向くと競い合う様に稜線の荒々しさを見せる表妙義と裏妙義は指呼の間。ここ迄の道のりのキツさに十分報いてくれる眺めが小さな空間を取り巻いていた。「あの山も登ったね」「この山も登ったね」 懐かしい山々と対峙して同定する私達は幸せだった。
「
山頂での至福の一時
その時、裏谷急沢を詰めてきた埼玉県上里から来たと言う青年が「どちらから来られたのですか?ゴールデンウイークはどうされるのですか?」とお決まりの言葉で話しかけてきた。GWは特に予定なしと応えると「僕は穂高に行きます」と嬉しそうに話し、後から登って来た人達と共に三座の道程をすると再び沢に下って行った。「あの若さが欲しい」私のその言葉に皆が頷きそして笑った。
(左)急な下りは木が頼り。今まさに木に体を任せんとするところ
(右)勾配のきつさは写真には出ないが実際は結構きつい。周りの景色を見ている余裕などない。真剣そのもの)
足がガクガクする程の急下降を続けて漸く三方境に戻った。あぁ、やっと緊張から解放されたという安堵感に丸太にヘタヘタと座り込む。しかし此処は風の通り道、座っていると寒さが身に応え腰を上げざるを得なかった。
落ち葉に足を取られながら沢に降り立ちここで暫く休憩。もうここからは気持ちの良い沢沿いを緩く下るだけである。足元を流れ下る水の美しさをジッと見つめている内、流れを妨げる落ち葉が気になり杖で葉をどけると流れの勢いが増し、それが面白くて手の届く範囲の葉を全部払い除けた。雄さんが行くぞと言わなければキリも無くその行為をし続けていたかもしれない。
右の写真は午名(ごみょう)の滝
中央に私達が名付けたトンガリ山。あのピークに立ったのだ
細い沢が大きな流れとなってやがて集落が見える辺り、榾木に数個、肉厚の椎茸を見つけビニール袋に入れて持って帰ると途中、倉庫で椎茸の仕分けをしていた農夫に「いい椎茸があるよ、持ってくかい?」と声を掛けられた。直径10cm程もある立派な椎茸だった。「今そこで・・・」とは言えずビニール袋を後ろ手に持ち遠慮なく頂く事に。そしてもう一度、谷急山を振り返り車に戻った。
帰りは「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」で始まる西城八十の詩で有名な霧積館で一浴。 「残念ながら現在は閉館となっております」
たかさんたちがトンガリ山と呼ばれたピークからの眺め素晴らしいですね。
幾重にも重なる山々の色の重なり、肉眼で見たら素晴らしかっただろうにというのが、
写真からも容易に想像できます。
そして今日の垂直近い登りもすごいものですね。この登りも木が生えていなければ
到底無理なような気がします。スリルも十分味わえたようですが、危険と隣り合わせも
振り返ってみれば、思い出としては印象が強くなりそうですね。
西城八十の詩にも懐かしさを覚えました。
>そこは道を間違えて止む無く一夜を明かした場所である・・・
こんな経験は全くないです。
たかさんのレベルが10としたら、私なんぞ1か2くらいでしょうね。
むしろ16~17歳くらいの怖さ知らずの頃がそんな真似事をしたかも知れません。
さて、山ボーイ?からきょうの記事に挑戦です。
ある時は琴を弾かれ、そしてある時は女性登山家!地図の下のカメラにポーズを付けられる表情の余裕写真にその脚力を感じます。
>体をづり上げる垂直に近い登りである
なんと!ウエイトリフティング選手みたい!
>山頂到着
顔の表情に余力を感じます。
私ならヘロヘロ顔でしょうね(笑)
へーっ、双眼鏡をいつも携行しているんですか!
20年くらい前にこの記事を読んだら「登山教室教本」な気がします。
そういえば、近年山で地図を広げたことないような・・・。
人に尋ねて歩く程度だった気がします(汗)
「指呼の間」左記を検索しました(笑)。格調高いです。
建設現場では「指差し喚呼確認」という言葉はよく近いますが・・・。
>「あの山も登ったね」「この山も登ったね」 懐かしい山々と対峙して
最高のご夫婦です!
>山頂での至福の一時
羨ましい!!!
>「あの若さが欲しい」私のその言葉に・・・
はっはっは、私は欲しくはないけど自分の老化には残念がっています。
その下の写真の綱渡りのようなたかさんの歩きこそ素晴らしいです。
>余裕などない。真剣そのもの
ご主人カメラに残されるなんて余裕です!
>丸太にヘタヘタと座り込む
こんなこともあるんだ!
私はずっとですよ(笑)
>寒さが身に応え腰を上げざるを得なかった。
楽しいです!
>手の届く範囲の葉を全部払い除けた
いやー、やっぱりお元気だ。
続く文章も面白い(幼児の水遊び?失礼!)
トンガリ山のピークって達成感があったでしょうね。
榾木(ほたぎ)・・・また検索しました(汗)
>ビニール袋を後ろ手に
わっはっはっは
「・・・母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから・・・」
新鮮な気持ちで目を通しました。
有難うございました。
全く道のないと言うか人が通った後のないような場所登っていくんですね
慣れてる雄さんでさえ迷う道ほんと詳しくなかったら即遭難レベル
毎回凄い場所です
やっぱり青年には勝てませんか
皆さん頷くぐらい軽やかに上って行ったんですね(笑)
見つけたシイタケよりでかいシイタケ見せられたらもらっていきますね 上手く見つからないように後ろに隠したたかさんの姿見てみたいものですね
調べないとサッパリです・・ハイッ(^^♪
調べるのが楽しい記事です。内容も姿も(笑)
なんでも柱状節理や溶岩貫入の残骸とか記事が有りましたが膝や手は傷にならないのでしょうか?
岩の角など結構鋭いと思うのですが・・
シッカリした雄様の知識とたかさんの丈夫そうなデフケースが(失礼)これらが相まって頂きを極める事が出来たのですね。
ありがとうございました。
道なき道を
岩を乗り越えて。
若く元気なステキな写真☺️
また思い出の場所に
一緒に散策するのも、
ステキだな思います(*´∀`*)
テル
たかさん達が名付けられたトンガリ山、その名の通りの山ですね
とても登れるような山に見えません。すごいですね
トンガリ山の頂上からは以前たかさん達が登られたことのある素晴らしい山々が望めるのですね
たくさんの山を登られたたかさん達だからこそ
こう云うことも起こり得るのですね
感動されたでしょう
大変な思いをされましたが登られて良かったですね
本当にお疲れ様でした。
それだけに見晴らしは360度。高度感も然ることながら素晴らしい眺めでした。
今振り返ってみれば随分、無茶な事をしていたものです。
西条八十の「麦わら帽子」「何処へ行ったのでしょう」のフレーズは当時、流行語にもなる程一世を風靡しましたねよね。
・山が危険で有ればあるほど闘争心を燃やす・・・これは若気の至り? とても孫には経験させたくないですね。
・あの頃は花よりも展望でしたので双眼鏡は常にザックに忍ばせておりました。
・あの若さが欲しい・・・やはり私は欲しいです。歳と共に慎重になっていきますもの。
・椎茸のくだり、笑えましたか?私も読み返して私も噴出してしまいました。
一歩、コースを踏み外すと四面楚歌状態になってしまいますのでテープだけは見逃す事は出来ません。
それでも後ろから「おいおい、そっちじゃ無いだろ!」と雄さんに注意される事も山歴の中で数度有りました。
単独登山をしていたら今頃どうなっていた事やら・・・です。
後ろ手に隠して・・・悪い事は出来ませんね(^_-)-☆
ただこちらは表・裏妙義の様な岩山では有りませんが字の如く深い谷を持った山ですので緊張感は同じ様に有りました。
前者が腕力で有るならば谷急山は脚力を強いられる山だったでしょうか。とにかくガレ石が不気味でウッカリ乗ってしまったら、あの坂です。止まる事など到底出来ません。 木から木へ飛び移る曲芸もどきも今では懐かしい思い出となりました。
ちょっとした狂いが遭難に結びついてしまうのです。
前回記した「苦い経験」はそんな事から起きてしまった失敗登山でした。
この頃は今のテルさん(テルさんの年齢を知りませんが)とそう変わらない年齢だったかもしれませんね。
もう一度、思い出の場所に・・・今はもう無理でしょう。三方境迄辿り着くのさえやっとかもしれません。悲しいですね~。
そうした突出したピークでしたので四囲の眺望は言う事なし。二人が足を投げ出して座る事が出来たなら此処でお弁当を広げたいくらいでした。
妙義はそれこそ私達のフォームグランドの様な山ですので見えた岩峰はほぼ制覇しております。
殆ど鎖に頼っての登攀でしたから今、握力も無くなった私の手では指を咥えて見てるしかない峰々となりました。
そうなのです。登り切った後の爽快感は格別でしたね。今は思い出を大切にしたいと思っております。
展望のない谷急山から引き返す途中、左へルートを外れ道迷い、崖へ臨み、戻ったとの記載があるが、これも記憶なし。そこは、たかさんが34年前、道迷いで谷で一晩ビバークした場所ではないと思います。当時、ご家族は、日帰り山行で帰宅しないので、心配されたことでしょうね。三方境〜谷急山のルートが破線(難)コースであることは、お互い道迷いの実績から頷けます。
帰路は、三方境から中木川へ下る楽なコースを、駐車した国民宿舎へ戻りました。
私の記録に藪で難渋した事は記されて有りませんでしたから(覚えてないだけかもしれませんが)その後、刈払いされたのかもしれませんね。
展望もスッキリとは言い難くも写真に残せる程度には楽しむ事が出来ました。
私達が山中で一夜を明かしたのは国民宿舎から丁須の頭~赤岩~烏帽子~三方境を回り国民宿舎へ戻る途中、右に有った沢登り用のテープを見誤ったが為だったのです。
そこで立ち止まっていたら、その様な失敗も無かったのでしょうが、その時は引きずられる様に沢に下り滝を二つも降りてしまいました。
当時は細切れに妙義を歩いておりましたが、さすがその後は暫く寄り付きませんでした(笑)