棚下地区を後に日本で最も美しい村連合に登録されている昭和村へと車を向けました
群馬北部へ行く時には、どうしてもR17を利用してしまうため(今はICが出来てます)
昭和村へと言う目的が無ければ行く事も先ず無いだろうと言える川向こうの集落です
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車の速度を落とさなければ車のすり替えも危ない様な狭い道を進みますと
形の異なる二本の陸橋(上越線・手前が下り 奥が上り)が見えて来ました
下は綾戸渓谷が青い水を湛えております
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私は助手席から降りて徒歩で隧道を抜けてみました
途中、コンクリート壁面に穿たれた場所が有り、もし今、列車が通過したら
さぞ迫力ある写真になるだろうと思いながら一枚カメラに納めました
雄さんは隧道を潜り撮鉄さんの為の駐車場なのか山側に5~6台駐車可能な場所に
車を停め待っていてくれました
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棚下地区で下り電車を見たのが40分ほど前、運が良ければ
こうしている間にも上りの電車がやって来るかもしれません
幸い此処は風も通り空気も冷んやりしています
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「電車は何時に通過しますか?」
「さぁ・・・・・・・・・・・・どうなんでしょう」
私のハッキリしない返事に再びアクセルを踏んだ車を見送りながら
スマホで敷島駅の時刻表を検索し始めた時
ガタゴト・ガタゴト・・・・・・・・・・・来た~!
カメラを構えるのも忙しい程・・・アッと言う間の出来事でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和村に入って参りました
合併に合併を重ねて今は渋川市の一部になった昭和村です
では以前は何処と合併したのでしょう、調べてみましたら
● 久呂保村(万葉歌に久呂保の嶺呂と詠まれていた事に由来)
● 糸乃瀬村(流水が浅く流れている所)
この二つの村が合併して昭和村が誕生したのですが私達は地名で、その地の
地形、文化、由来を知る事が出来る訳ですよね
私の住むお隣の榛東村は平成の大合併でもガンとして国の方針を拒否しました
見ての通り「榛名山の東の村」・・・解りやすいでしょう
話が逸れてしまって申し訳ございません
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説明が有りますので省きますが一枚目の空洞が焼けた部分です
私が立てるほど大きな空洞でした
持参した麦茶も少なくなってしまいましたのでコンビニが無いかと探しましたが
この村の人は日常の買い物はどうしているのだろうと思うほど
店らしきが見当たりません
それでも執念で一軒の雑貨屋さんを見つけました
買い物を済ませキャベツ畑が広がる高原を聞きますと200m先を右折して
道なりに行けば出ますよとの事、 さっそく目指します
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(この写真は前回、使用した写真ですが、この木々の上が広大な高原です)
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今、キャベツは収穫しおえた野菜ですので何処にも見当たりませんが
その代わりにコンニャクとレタスが見渡す限り植わっていたのでした
(コンニャク畑の後ろの山は子持山 レタス畑の向こうの三角の山は通称おにぎり山)
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近くには道の駅「あぐりーむ」が在り、この中にある「旬采館」の野菜は
新鮮で有る事は勿論、驚くほど安価でした
今、一躍有名になった道の駅がありますが行くなら私は昭和IC近くの此処をお奨めしますね
一角には足湯も併設されており写真の様なお風呂が幾つか見られました
また来てみたい道の駅でした
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これだけの空洞ができても尚生き続けるパワーは、お寺さんから授かったものかもしれません。
そのご恩返しで、お寺を守ったようにも思えてなりません。
コンニャク畑とレタス畑が広がる風景もスケールが大きいですね。
目的の滝だけではなくて、少し足をのばして寄り道すると、いろんなものが目に飛び込んで来ます。
滅多にこない電車も、タイミングよくとらえることができて悔いが残りませんでしたね。
なんか 秘境と言う感じの村
「山紫水明」という言葉がピッタシの
自然が豊かですね
暑い夏も 涼しそうです
雲昌寺の大ケヤキ
お見事の大木
長い長い年月 人々の暮らしをも 見守ってこられたのでしょうね
歴史を感じます
国の都合で合併させられた村や町...今になって不満タラタラの地域も少なくないとか。住み慣れた地域の名前が変わるのは寂しいことでしょうね。
合併を拒否した町は野付ウシの住む近くにもあります。実はそこにある「道の駅」で7年間勤務したことがあります(現地管理者として)。昔は休憩場所だった道の駅ですが、都会からの日帰り圏では「目的地」に変わってきました。でも経営の内情は大変なのです。市町村が本当の中身を出さないのでよくわかりませんが、実態は「大赤字」の道の駅も少なくないんですよ。
この辺りは渋川、沼田に挟まれた長閑と言う言葉がピッタリの集落ですが、昭和村一帯からは数多くの縄文土器や石器のほか土偶、動物形土製品、土製耳飾りなどが出土したと言う事ですので大昔から人々がここで生活していた事を知る事が出来たのは思わぬ収穫でした。古墳も在ったらしいですよ。
集落のうえに広がる高原は耕地のない此処の人達が長い間、苦労して作り上げたものなのだそうです。
それにしても凄い広さでした。そうした中にポツンポツンと民家が建つ風景は此処が日本なのだろうかと思う程でしたね。
電車の通過は、諦めて帰ってしまう人、痺れを切らし始めた主人を他所に、どうやら私の粘り勝ちでした。
確かに快適さは幾分、乏しいかもしれませんが村民が 「日本で最も美しい村」 それを守ろうと言う意識の方が勝っているのかもしれませんね。
来て見てホッとする村・・・今では本当に少なくなりました。
こんな小さな村にIC(関越道)が出来たのも美しい村を観て頂きたいと言う事だけでなく
便利になれば若者の流出が防げる、全国に新鮮で良質な野菜を配信できる、そうした働きかけが有ったからではなかったのか・・私はふとそう思いました。
ケヤキの根性とでも言いましょうか、700年の時を経て今もなお葉を茂らせ旺盛さを見せつける姿に唸るしかありませんでした。
勿論私は反対派だった訳ですが人は有力者に弱いんですね。私が住む村でも左向けと言えば左、右向けと言えば右・・・そんな人の多い事。
「合併すれば地方交付税が減らないどころか増える」と踊らされる人達ばかりなのです。 ところが、いざ蓋を開けて見れば逆に削減ですものね。
合併後の名称のイビツさも酷いものですよね。私達の年齢は、地名がどう変わろうと、それでも昔を偲ぶ心は持ち合わせておりますし
生活も何とか年金で食べて行く事は出来ます。でも、これからの人達が財源も減少していく中、ますます締め付けが厳しくなったらどうなるのでしょう、心配です。
道の駅は北海道一ヶ月の旅で、あちこち利用させて頂きましたが(5時に店仕舞いは困りましたが)内情がそれほど悪いとは知りませんでした。
もしかしたら北海道だけでなく全国の道の駅も結構、内情は苦しいのかもしれないですね。でも・・「あぐりーむ」は活気が有りましたよ~!
棚下不動の滝が渋川でしたので確かめずに渋川市と思い込んでおりました。
教えて頂きありがとうございます。