続き
お西から地続きのお東に向かいます、ではさっそく行って参ります
お西に同じく重厚な構えですね。お西もお東も宿泊用の施設は無く休憩や昼食、ほかの大通行が関所に掛かっている間の時間待ちに利用された様です。
矢島群芳の屏風絵「四季花鳥図」
高崎藩主の矢島兵左衛門の子として生まれた群芳は脱藩し諸国行脚の旅に出ますが和漢の歴史にも通じ禅学を学ぶなど学識が深く、また武芸にも秀でていた事から高崎藩主はその名声を惜しんで藩に召喚したと言います。
家の周りに溝が掘られています、雨どいが無いため屋根から落ちる雨が此処に落ちる仕組みになっているのですね。美観的にも優れていますし一石二鳥ですよね。
↑ ちょっとブレた
正月のお飾り、いまこれを伝承している人はいるのでしょうか
土人形など素朴な人形が飾り棚を埋めておりました
これは博多人形でしょうか?
夕食です。荻野屋の釜めし、味が上品なんですよ。久し振りで美味しかった~。
お西さん、お東さんといえば
京都の西本願寺と東本願寺が思い浮かぶのですが、
五料の茶屋本陣にも同じように西と東があっちたのですね。
どちらも保存状態は良いようで、歴史を感じさせてくれます。
屋根から落ちる雨水の処理にも、美的感覚の鋭さをうかがい知ることができます。
具沢山の峠の釜飯、今でも陶器製の器を使っているのですね。
荻野屋の釜めしの写真、待ってました~!(笑)
いや~、昔と変わりませんね!
今でも土釜はそのままなんですね、、、
私が東京駅で買ったのは荻野屋では無かったのかな~?
気になるので、そのうちまた東京駅に見に行って来ます。
人形は博多人形ですね。
羨ましいです。
縁側の奥が障子というのが趣きを感じます。
へ~~~!時間待ちだけに使われたんだとは贅沢なものですね。
>群芳は脱藩し諸国行脚の旅に出ますが・・・から高崎藩主はその名声を惜しんで藩に召喚したと言います。
現代で言ったらヘッドハンティングになるのかな?
>美観的にも優れていますし一石二鳥ですよね。
お洒落だし風流ですね。
>↑ ちょっとブレた
ちょっと~?(笑)
>正月のお飾り、・・・
かなり細やかな手芸?ですね。
>土人形など素朴な人形が飾り棚を埋めておりました
癒してくれると思いますが、時間待ちの人たちもかなり身分の高い人たちなんでしょうね!
>これは博多人形でしょうか?
博多の人間もそう思います(笑)
>荻野屋の釜めし、味が上品なんですよ。
このような上に乗っている総菜は大好きです。
有難うございました。
和の世界を見るのが大好きです。
一度も行ったことがありません。
夫も知らないんだろうと思います。
素晴らしいものを見せていただきました。
行ってみたいです。
できれば駅で買って食べた➰い😁✨✨
この西と東の陣屋は今から216年目、松井田の大火に巻き込まれ消失してしまいましたが村人が妙義山から木を切り出し翌年には再建されたと言いますから、いかに重要な役目を果たしていた建物だったか想像できますね。
雨水の処理も情緒が有りますね。我が家の樋は数年前の大雪の時に駄目になりました。この方式、現代にも取り入れても良いのではないかと、ふと思いました。
峠の釜めしの容器は今も不変です。これでご飯も炊けるのですよ。家で釜めしなんてですよね。
数年前に重すぎると言う声を尊重しパルプモールド容器が導入されると即「土釜は温かいまま食べられる」「峠の釜めしらしさを捨てないで欲しい」と言う声が上がったそうです。
勿論、荻野屋さんは主流を土釜に、そしてパルプモールド容器も並行して売る様になったそうですが横川の釜めしは見る限り全て土釜でした。
ですのでgabaoさんが東京駅でお買いになられた「峠の釜めし」はパルプ素材のものだったのだと思います。昔を知っている者には「?」となってしまいますよね。
これだけのものが残ってる
屋根が茅葺だったらもっと重圧な印象になるのでしょうね
樋の代わりの溝 これだと羽帰りも無く家の腐りも防げる
昔の人の知恵の積み重ねが現代技術に繋がってくるのでしょう
釜めし美味しそう 食べたいな
陶器製の容器は使用済みを再利用できる利点が有りますね。
手賀沼日記さんの様に小物入れにしても良し、私はやった事が有りませんが一人分のご飯を炊く事も出来るのです。
ソロキャンプに飯盒替わりとして使うのも中々オツなものですよね。