群馬大学の並びに浅間山の噴火で土石流に押し流され、ここに留まった溶岩石が有ります。現在はそこに神社が建ちこの石がご神体となっておりますが何れにしても此処まで流されて来たとは、にわかに信じがたい巨岩に驚かされます。場所は県道沿いに在る事から前橋に出るのに何時も目にはしておりましたが車を停めた事は有りませんでした。
周囲約60m、高さ地表部分9・47m、地下に埋もれた部分10m 赤色部分は火砕岩、黒みを帯びた所は溶岩
始めの内は赤城山の噴火により運ばれて来たと信じられておりましたが平成になり調査をした結果、浅間の溶岩石で有る事が判明しました。浅間の噴火によって発生した泥流と共に吾妻川沿いに流れ下り利根川と合流すると流れも緩まりここに根を下ろしたという事の様です。
「飛び石」と呼ばれているのは近くに岩場も無い平坦地で有る事から空中を飛来してきたとしか思えない事から、そう呼ばれその名が今に残っている訳ですね。
飛び石の前に神社が造られたのは江戸時代初期、前橋藩主・酒井重忠が稲荷神を勧請し此処に神社を建造、岩神神社と命名致しました。 勿論ご神体は「飛び石」です
飛び石と21・5mの大銀杏
樹高21・5mある大銀杏は乳の出ない母親が乳房に似た気根に触れ願をかけると母乳の出が良くなるご利益が有ると説明されておりました。今はご神木となっております。
そろそろ帰ろうかと思った時、丁度ご婦人がお参りにやって来ました。今でも市民の拠り所となっている神社なのですね。
実際には流されて来た石ですが、ずっと赤城山の噴火で飛んで来た溶岩であると信じられ「飛石」の名が定着していました。
でも実際、こんな大きな石が空を飛んでいたら、それは地獄絵図ですよね。
流されて来た物にしろ飛んで来た物にしろ想像もつかない程の凄まじさだった事でしょう。
ただ浅間山は今も活動を停めてはおりません。最近、山体の西側の膨張が確認されています。
令和の時代、当時の惨劇が繰り返されたとしたら誰にも留めようが有りませんよね。
kumanekoさん、ふらふらっと群馬においで下さいな!
「日本のポンペイ」鎌原には私も2度行きました。
石段を登り切った93人だけが助かった正に生死を分けた石段ですね。
あと一歩で助かった命も有ったはず、骨として発見された無念の姿のパネルが今でも思い出されます。
ここは残された石段と観音堂だけが噴火の恐ろしさを今に伝えているという悲惨な遺産ですよね。
隣りの建物でお茶を頂きながら食べたキャベツの漬物の美味しさが忘れられません。
「村々数多ある中で一の哀れは蒲原よ 人畜田畑家屋までみな泥海の下となり」←鎌原の念仏
平成の調査が入る前は赤城山の噴火による飛び石と信じられてきたこの巨岩が浅間山の噴火で流されて来た物で有ったと誰が信じた事でしょう。
何せ70K以上有るという距離です。自然の力の凄さなのでしょうか。
宇和島にも得体の知れない巨石が有るのですね。もしかして足摺岬の帰り巨石群で出来た山(?)を歩いた事が有りますが、その岩の事でしょうか?
岩の間を縫いながら歩いたり岩の上を登ったり一寸した探検気分にさせられる山歩きでした。
もしあの場所の事でしたら、周りは鬱蒼とした樹木。有るのはあの場所だけですものね。
銀杏はダイナミックでいいですね~。心を明るくしてくれます。黄色い絨毯を敷き詰めた様な散った後の景色も大好きです。
群大前を通りますと必然的に目に入って来る「飛石」ですよね。
通りが激しいので中々車を停めようと思う気持ちになれず駐車場の関係で今まで寄った事もありませんでしたが今日訪れて見て境内に駐車場が設けられている事を知りました。この日、私はすぐ横の生協の駐車場をお借りする事にしましたが。
坂東太郎の異名を持つ利根川は反乱を起こす度に浸食が進み前橋城や臨江閣にまで被害を与えたと言いますから浅間山の噴火で噴石が泥流と共に流されて来た時には、この辺り地獄の光景だった事でしょう。
そうした状況だった事が想像も出来ないほど今は長閑なものです。
気になりながらも今迄寄った事の無い岩神神社でしたが大銀杏が見頃を迎えたという情報を得ましたので行って参りました。
でも気になったら行ってみるべきですね。ただ外から見ているだけでは判らない地中の部分も含めて途轍もない大きさには目を見張りましたものね。(巨石はここだけでなく流域の渋川を始め数か所にも流された溶岩が残されている様ですよ)
今、この辺りは土で嵩上げされておりますが暴れ川と言う異名を持つ当時の利根川はよく氾濫を起こし甚大な被害をもたらしたと聞いた事が有ります。そこに溶岩流が加わったらさぞや、恐ろしい光景だった事でしょう。
そうでした。私が小学生の頃にはよく小噴火が起こり手拭いを被って下校した事を思い出しました。
浅間山の天明の噴火は吾妻川から利根川を流下したため流域の村々を飲み込みました。
その中で最も被害を受けた村が日本のポンペイと言われる死者477名を出した蒲原地区です。
この時の土石流が東京湾まで達したと言いますから如何に凄かったかと言う事になりますね。
現在、生死を分けた観音堂が石段と共に残されておりますが発掘作業で親子の骨が掘り出された時はどんな気持ちだっでしょう。
機会が有りましたら鎌原地区へもお出かけ下さいね。
地中に埋まっているのも含めて約20mの高さの岩石が泥流と共に押し流されるという事は天明の噴火が如何に凄まじかったかですよね。
今見ればそれほど急流でもない吾妻川(八ッ場ダムが出来た川)ですが押し寄せる泥流の威力でしょうか。
なんて遠い昔の事を言っている場合ではなく最新の発表では今年3月以降、一日当たり25000トンの噴煙の放出が200トンに減少しているにも関わらず山体に膨らみが見られるらしいのです。と言う事は何等かの理由でガスが詰まり放出されない状況になっているという事が考えられます。
今は嵐の前の静けさなのでしょうか。恐いですね。
それにしてもいいこんな大きな石が空中を飛んだなんて!隕石並みですね。
おおきな日の玉みたく飛んだんでしょうか
日本は世界有数の火山国ですから、色んな火山地帯でも見られるんでしょうね。
地震が多いわけです。南海トラフ、怖い😱
行ったことがない群馬ですが、タカさんのblog読んでると行ってみたくなりますね〜
ぼくは長野原にいた時、浅間の大噴火の溶岩流に追われて階段の途中で飲み込まれた遺跡を見ましたが、ここにも傷跡があったんですね。
平成に入って浅間の溶岩と分かったのですか。
すごい発見ですね。
知りませんでした。
飛び石が御神体になってる場所は多いですね
火山がない宇和島でも明らかに周りの岩と違う
10mを超える岩が飛んできてる場所があります
いったいどこから飛んできたんだろうって思うもの
でかい岩が飛が飛び交う地球が活発な火山活動してた時代があったんですね
おおきな公孫樹の木綺麗に黄色くなってる
立派な気根がたくさんありそうな木ですね
堂々とした御神木 ご利益ありそうです
この岩の神社の脇の道路を通った記憶があります。
車は止めませんでしたが「凄いね〜」と車から見ながら通り過ぎました。
夫もこの写真を見て、「この角を曲がったよね」と記憶していました。
こんな神社だったのですね。
私も1月に帰省した時にここを通りました。
何度見ても本当に驚きますよね!
神社の銀杏の黄葉がきれいになりました。
浅間山の噴火は私の子供の頃もあった様な気がします。
学校の帰り傘をさして帰った覚えがあります。
灰の降る音が今も耳に・・・
実家から届いた干し柿を今夜もいただいたところです。
またまた知らなかったお話自然の力って無限のような気がします。
浅間山の噴火もすさまじかったのですね
そういえば出羽三山に行ったとき湯殿山のご神体も岩で祈祷を受けてから素足で熱いお湯が流れているご神体の岩を登りました。
写真も写すのはNGでした
浅間山から群馬大学間の距離は車道だと70km以上あるようですが、
直線距離にしても、かなりの距離がありそうですね。
このでっかい溶岩が流れて来たにしろ、飛んで来たにしろ、浅間山の噴火の凄まじさがわかります。
御神体として祀られている傍らに立つ、御神木のイチョウの木の姿形が素晴らしいです。
黄葉も見頃とあって、良い時に訪れられましたね。