続き
アルピニスト長谷川恒夫もクライミングの練習していた屏風岩
故・長谷川恒夫氏はフンザのナジール・サビール氏を伴い過酷なウルタル二峰を目指すが雪崩に遭い43歳で帰らぬ人となった日本屈指のアルピニストだ。 ナジール・サビール氏と言えば一緒にワインを飲み交わした高崎での一夜が思い出される。
この写真は何時のものかは知らないが偶々見つけた屏風岩
巨岩が覆い被さる様に聳え立つ屏風岩に着くと谷を隔てて今夜泊まる三つ峠山荘が左上に、四季山荘と富士見山荘が右上に見え私達の足音が届いたのか大型犬の太い鳴き声が聞こえて来る。
分岐点を左に取り急崖に取り付けられたアルミの階段で一汗かいて三つ峠山荘に休憩を含めて15時15分に到着(12時15分出発)。 「どのルートから来られたのですか?」「達磨石からです」「それが本来の登山道です。かなり急ピッチでしたね」と小屋のご主人、中村さんはお茶の用意をしながら驚いていた。そうだろうか、バテバテだったので、かなり休憩も取ってきたはずなのに。
「今日の宿泊者はTさんご夫婦だけですから一番良い部屋を用意しておきました」と通された部屋は富士山が真正面に見える一号室だった。夕食までの一時、私は炬燵で日没が迫る気配を眺めていた。
富士の雪の輝きが衰え、やがて闇に沈むと変わって町の灯りが輝き始めた。冬季のため風呂は閉ざされていたが山上の湯で汗を流し風呂上りにそんな光景を眺めながらイッパイやれたら、これこそ至上の喜びと言えよう。気が付くと何時寝てしまったのか私は夢うつつだった。家庭的な夕食を頂き19時、炬燵に横になると私はそのまま朝まで本当に良く寝た。
未だ仄暗さが残る早朝、眠い目をこすりながらカーテンを開けると丹沢の山並みの上が朝焼けの気配を見せていた。富士山の山肌が朝焼けに染まる迄のじれったさ・・・ご来光間近な胸のときめき・・・やがて迎えた日の出・・・待ってましたと白雪の衣を脱ぎ棄てた瞬間・・・次いで負けじとばかり山体を紅く染める南アルプス・・・
長い時間、私を焦らしたドラマの終わりは数分間で幕を閉じ後は今日も好転を約束する青空が眩しく広がった。 未だ続きますのでコメント欄はお休みです。
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