続き

象山地下壕を後に向かった先は旧樋口家住宅でした
樋口家は藩の目付役を勤め江戸時代末期には禄高230石だったそうです


昔の家は心が和みますね



此方は真田のお殿様の邸宅
真田邸は江戸時代末期に9代藩主、幸教が母・貞松院の隠居所として建てたもので
明治維新以降は真田家の私邸として使われていました

オッこの方は?
「撮影料300円頂きます」と冗談を言った、チョンマゲおじさん
観光客の一人でした




部屋は用途によって造りや大きさ、唐紙や装飾などに違いが有るとの事ですが
結構、斬新な模様の唐紙ですよね


「水心秋月亭」と名付けられた庭園は狼煙山などの山を借景に奥行きの広さをみせています


この像は窮乏した藩を立て直した恩田木工民親(おんだもくたみちか)
上杉鷹山を何処か彷彿とする人物です



最後に向かった先は真田宝物館
寿三郎が作った真田人形のみ撮影は許されましたが後は撮影禁止です
古文書や武具、調度品など多数陳列され真田家の歴史を肌で感じる事が出来ました
像は真田家12代最後の藩主真田幸治氏です
S41年、代々に伝わる大名、道具類などを当時の松代町に寄贈されたため
後に目出度くこの真田宝物館が建てられたという訳ですね


帰路は志賀高原から帰る事に致します
火山活動がレベル2となった為、午後6時から翌午前8時までは草津へ抜ける事は出来ませんので
私達は鹿沢温泉経由(有料1100円)で帰りましたが
眺める白根山は本当に危険なのだろうかと思う程、静かな佇まいでした

歴史のこと いろいろ教えていただいて
とても有意義なブログですね(*^_^*)
たかさんの名解説は 分かりやすく専門家はだしだと思います
真田城下
とても落ち着きを感じ 心が和みます
やはり いにしえに思いをはせますね
>「水心秋月亭」と名付けられた庭園
見事なものです
借景式の庭園は 仰せのように奥行きが感じられて
素晴らしいですね
自分も座布団10枚たまったら行ってみたいです(^o^)
迷解説だった様な気がして心苦しいです。
真田の城下町、シットリとした落ち着きが有りますね。
箕輪も城下町なのですが関ヶ原の後、全てを高崎に移してしまいましたので
何も残っておらず、寂しい限りの城下町です。
水心秋月亭、伸び伸びした庭でした。
お世話は大変でしょうが庭と言うのはこうでなくては・・・
我が家の庭はゴチャゴチャ過ぎ
これもあれもと植えてしまうのがいけないのですね。