続き
いよいよ長年の憧れだった「しまなみ海道」を走ります
今、ここはサイクリングが盛んだと聞きましたが走ってみて、その意味が解りました
「“一に来島 二に鳴門 三と下がって馬関瀬戸(関門)”と謳われた潮の流れる場所はどこかしら?
来島村上氏の居城が在った島(先日、荒川三歩さんがアップされてましたね)はどの島かしら?」
私は助手席から精一杯、背筋を伸ばすのですが飛ぶように後退する景色に追いつかず
あれよあれよと言う間に大三島南ICに到着してしまいました
大三島で先ず私達が立ち寄った所は今から5~600年前の戦国時代に瀬戸内海を駆け巡った
海の大名「村上水軍」ゆかりの品々を展示した「村上水軍博物館」でした
左の写真は村上海賊の機動力として活躍した小早舟(復元)と右隅に小さく繋船石が写っておりますが
これは海底から引き揚げられたものだそうです
右の写真は当時を再現したお祭りでしょうか
今もここには昔が息づいているのですね
村上水軍は高い教養を持った文化人であった様です
その証しとして日本総鎮守として知られた大山祈神社には「法楽連歌」が奉納されているとの事です
村上水軍については詳しい事は知りませんでしたが、その場に行ってこそ見えて来るものが有るのですね
穏やかな瀬戸内の海に繰り広げられた戦いに想いを馳せれば
毛利軍が勝利したのも村上水軍の活躍あってこその事だった訳ですから
どれ程の勢力を持ち活躍していた水軍であったかを読み取れますよね
大変勉強になった博物館でした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考までに
↓
↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世は移りもう直ぐ平成も終わろう(この時点では) としておりますが
果敢に戦った男たちの魂は来島の海に未だに生き続けている様に思えてなりませんでした
四国本土を後にして渡られた来島海峡大橋も車で走ればあっという間ですね。
しまなみ海道には、今治をはじめとして、いくつかのサイクリングターミナルがあり、
乗り捨てできることから人気が高いようです。
尾道までサイクリング道路が整備されているのも素晴らしいですね。
それにプラスして芸予諸島の風景の素晴らしさ。人気があって当然ですね。
村上水軍は海賊という一面もあったようですが、海上の要衝に関所を構えて水先案内人の派遣や
海上警護などを行い、海の安全を守る集団だったようですね。
現地に行かなければわからないことがたくさんあります。村上水軍の歴史に触れることができた今回の旅。ここへは立ち寄らなかったので興味深く拝見しました。
あのコース自転車で走ると気持ちいいでしょうね
村上水軍 水軍言われてても最後は海賊
宇和島沖にも日振島があって同じ平安時代
藤原純友率いる水軍がったんですよね
たかさんバリバリの歴女ですね
村上水軍につきましてはベルさんのコメントを読ませて頂いた事で今、私の頭の中は混乱状態です。 このままではモヤモヤが消えませんので調べてみましたら、やはり諸説ある様でした。
最初に調べた時には・・・元々貴族だった村上氏が罪人として島送りされ、そこに移住する内に着々と勢力を伸ばし藤原純友の乱の鎮圧に手助けしたのが水軍の始まりと有りました。
また秀吉の朝鮮出兵では水軍大将として二度に渡り出兵しますが慶長の役の時に鳴梁海戦で戦死 その時、戦死した村上氏を含む多くの水軍兵を不憫に思った珍度の住民が一人一人埋葬してくれた様ですが、その遺跡が今でも珍度に残されているのだそうです。
これはほんの一部ですが、そこには私が描いていた海の勇者としての村上水軍を語る物ばかりでした。
ベルさんのコメントにより逆説も存在する様ですので、その事はベルさんのコメントに記したいと思います。
水軍の起源に関しまして私が調べてきた事とは違う逆説に今「さて、困りました」状態に陥っております。 海の警備を任された水軍であったのか、はたまた海のギャングであったのか・・・真実が年を経て美化される事は往々にして在る事ですし信長にせよ秀吉にせよ天下を得た者が勝ち組となって崇められた時代ですから村上氏が勢力を拡大していけば、それも有りなんかもしれませんよね。そこで私は又々調べずにはいられなくなりました。
・・普段は漁業を営む傍ら集落を略奪から守っていたが一たび食べる物に困ると沖を行く船から食料や金品を掠め取った海人達が集団化し海賊となり、やがて水軍として武力を提供する様になったのが始まり、その中で頭角を現した人物が村上水軍で海に関所を設けては往来の船舶から通行料を取り立てる様になった。
戦国期に入り安芸で勢力の有る毛利氏に付いた村上氏は織田水軍と戦いを交える事になり増々その勢力を拡大して行きますが秀吉が全国統一を間近にした天性16年(1588)に海賊禁止令が発令され水軍は滅ぼされたり封建家集団に組み込まれ次第に瀬戸内海から姿を消す事になります。
以上、私の独断部分も有りますので間違った解釈が有りましたら申し訳ございません。
そうなりますと、ベルさんの節がにわかに信憑性を帯びて参りますよね。
もう少し、調べてみる価値がありそうです。
村上水軍のことは知っていても、詳しく知ろうとはしなかったので、
たかさんの好奇心や知識欲旺盛なところに益々感心しました。
やはり百聞は一見に如かずですね。
足を運んでこそ分かることがあるんですね。
歴史は好きですが、入り口をちょこっと入ったところで引き返すような私です💦
これからも「たかレポート」で勉強させて下さいね(^_-)-☆
旅に出るまでは信長軍と戦かった海の勇者という知識だけで大三島にやって来た訳ですが
博物館を建てるほど大々的に紹介されていた事には驚いてしまいました。
ただ、ベルさんが仰ったように美化されている部分は多分に有る様ですね。
真実はどうなのか私には解りませんが、そのような人物がいた事は確かな様ですので
飽くまで外野席からですが、歴史を追いながら瀬戸内海に目を向けましたら5~600年前の光景が見えた様な気がしたものでした。