続き
桂昌院は部屋子として徳川家光の側室、お万の方に仕えていた時に春日の局の目に留まり「秋野」という名前で作法を学び将軍付きとなります。後に家光に見初められ側室となり5代将軍となる綱吉を産み家光亡き後、仏教への帰依が深い桂昌院は護国寺を建立した際に、ここ上野国碓氷八幡宮の別当・大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山しました。高崎の護国寺に多くの仏像を寄贈したのはそうした因縁があっての事だったのでしょうか(?)
この置物が桂昌院と関係あるかどうかは分かりませんが脇に飾られておりました
この枯山水庭園は桂昌院をイメージして造られたものだそうです。桂昌院のイメージと言われても、それを理解する能力は凡人の私には難問ですが誰も居ない静かな佇まいに身を置くだけで今、抱えている心配事から少しだけ離れられた様な気がしてくるのでした。
今年は我が家、親戚と次から次へと心配事が絶えない最悪の年でした。悪い事から逃れられない年って有るのですね。年が明ければスッキリとした気持ちで過ごす事が出来るのかな。そんな意味でもここを訪れたのは良い気分転換だった様です。続きますのでコメント欄はお休みです。
こうした場所に座り庭に目を向けているだけで一切の邪念が払われる思いがします。
この庭園は桂昌院の生涯を表し作庭されたとの事ですが実によく作られていますよね。
下から3番目の潜り門は東京豊島区高田の南蔵院から移設したもので有り
門の左前の灯籠は徳川四代将軍、家綱公の供養のためのもので有ると説明が有りました。
凄いなあ、ほんと凄い
憧れの『枯山水』です。
心が澱んでる時、枯山水の庭園眺めるだけで、心を整えられそうです。
難しいことはわかりませんが、
『空間の美』、でしょうか。