マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

TheTokyo二日目・・・『小学生の巡礼』 

2018-03-10 11:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月10日。四旬節第三土曜日。主の復活まで3週間。

四旬節も残り15日となりました。

そこで・・・   『小学生の巡礼』
 
 『カトリック神田教会』

『孫たちの学校・司牧部からの巡礼の案内状』

『四旬節に入りました。「祈ること」「節制する(がまんする・こらえる)こと」「愛徳行為(よい行い)」、
これが四旬節の間、わたしたちにすすめられていることです。

基本的にはいつでもこれらを大切にしなければなりません。
しかしやはり、四旬節は特別な季節ですので、意識しながらよい復活祭の準備ができるといいですね。

さて、今年は、恒例の学校内での錬成会ではなく、巡礼もいいかなあと思いまして計画しました。
強制ではなく、自由参加です。ロザリオを持っている人は、持参してください。』


孫二人と、パパとママは仕事のため欠席、ばあちゃんが、巡礼に参加しました。
       四旬節ですので、『祈り』の実行です。


教会の中に入ると・・・ 『フランシスコ・ザビエル書簡』
 
  『フランシスコ・ザビエル全書簡集』 


 『東洋に赴いたザビエルは、多岐にわたる使徒的活動や自分の体験を度々報告書として送りました。
137通の書簡が残されています。その90通にザビエルが日本に到着した様子と日本人とその社会がつぶさに書かれています。』


アジア国への宣教のために人生をささげたザビエルに、深い畏敬と感謝の念で頭を下げました。


御聖堂に入って・・・    『お話とお祈り』
 
 『校長先生の話を真剣に聞く小学生たち』      今日の参加者は、全員で一五人ほど。

『校長先生・司祭のお話し』

カトリック神田教会は、
明治6年2月24日・キリスト教禁止令が解かれたの後、
明治7年(1874年)1月。 フランシスコ・ザビエルに捧げる聖堂として、創設されました。
明治10年。 司教座教会となり、東京の宣教の拠点となりました。
第二次世界大戦末期の激しい空爆に遭いながらも、奇跡的に被害をのがれました。
大正10年。 関東大震災により、聖堂を失いました。
1928年(昭和3年)12月9日。当時の主任司祭と信徒の尽力のより、現在も健全な聖堂が完成しました。

  
  今日の巡礼の皆で、
神田教会への訪問の感謝と、神田教会のために尽力した人々のために、
ロザリオを一連捧げましょう。



校長先生の話が続きます。


   『聖堂の真ん中に、12本の太い柱が立っています。
 教会で『12』といえば何を意味しますか? そうです。 『12』は『使徒の人数』です


  今日の巡礼の皆で、
私たちのために命を捧げてくれた12人の使徒のためにも、ロザリオを一連捧げましょう。



次は。

イエスの生涯を語る・・・   『ステンドグラス』
 
 『イエスに教会の鍵を渡される使徒ペトロ』

  ポーランドのステンドグラス制作家・マリア・テレサ・レクレフスカ氏の作品。
  聖堂の両側14面の窓に、イエスの生涯、信仰箇条の一つひとつが描かれています。
 
 もう一枚。
 
 『イエスに癒される女性』

   イエスの生涯は、病める人を救うことでした。
私たちも、イエスに倣って、苦しむ友の友人になれますようにと、一連のロザリオをささげましょう。



次は、

神田教会守護聖人について・・・    『聖フランシスコ、ザビエル聖遺骨』
 
 神田教会聖堂の姿を模した保管箱の台座の『言葉』

 『聖フランシスコ・ザビエルの聖遺骨、ここに在り。ザビエルの心、この前で祈る人々の中に在れ』 
 

  2000年。 聖フランシスコ・ザビエrを保護の聖人とする神田教会に聖人の遺骨が安置されました。


 私たちも、この四旬節の間に、ザビエルの心を宿して過すことができるように、一連のロザリオをささげましょう。


聖堂内の『聖品』についてのお話の後、
巡礼参加の小学生たちは何人かに分かれて、『聖品』の前で、それぞれの意向に、一連ずつロザリオの祈りを捧げました。
 

    東京の都心部に在りながら、
神田教会・聖堂内は、静寂な祈りの雰囲気を保つ 『祈りの家』『心の憩いの場』です。


   無心に、無邪気にロザリオの祈りを捧げる巡礼の小学生に、
     神の恵みが豊かに注がれることを確信しました。



最後に。
神田教会の庭。


道端の祈りの場・・・   『聖母子の祠』
 

   『聖母子』
   

  校長先生の最後の話。
 『今でも世界中に争いが続いています。争いの中で苦しむ人々のために、祈りましょう。


神田教会の後。
『切支丹屋敷跡』 と 『シドッティ神父墓所跡』 へと巡礼は続きました。


シドッティ神父は、
幕府により、『踏絵』等の政策の一つで、切支丹屋敷に軟禁され、1714年に屋敷内の地下牢で、46歳で衰弱死しました。

  
 四旬節は特別な季節ですので意識しながら、よい復活祭の準備ができた小学生たちでした。

    『すべての 民よ、主を 賛美せよ』 
      神田教会聖堂のモットーでした 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
四旬節も残り15日間です。祈りと節制にお励みのことと思います。残り15日間を捧げてまいりましょう。お元気で!