マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

My東京ーその2・・・『寛容と自律』 そして 『人は、神の御言葉とパンで生きる。』

2019-02-16 17:00:00 | 娘と娘家族

2月16日。土曜日。

 My東京・・・   『寛容と自律』
 
 5600円床屋と1000円床屋が、一店挟んで、隣同士。       駅前商店街。

   私は、”どちらの店が先に構えたのか?” とても興味がある。

    同時に店を構えることはなかろう?
    とすれば。
 後から店を構えることにした店主は、勇気がある。『自律心』がそうさせるのだろうか?
 先に店を構えていた店主も、勇気がある。 『寛容心』がそうさせるのだろうか?

   それとも。
両店主共に、自信があり、相手のことは気にしないのであろうか? 正に『自立心』であろうか?

   東京の多様性に、驚く私。
   そうです。
    私は、『好奇心』と『探求心』 の塊なのです。

 

そして。

今日は、2月16日。年間第五土曜日。

    人は、『神の御言葉』 と 『パン』のよって生きるのです。


『今日の旧約聖書 神の御言葉

『お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
    お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。
 
 『灰の水曜日』
 ”お前は塵に返る。”
 灰の日に、灰で十字架を、参加者一人ずつ、隣の人に刻んでいく、ルーテル教会の人たちです。
                    ちなみに。 カットリックでは、司式司祭が、灰を刻む。

  『お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。』
           創世記 3章9-24節

  
  神様は、人を、『働き自分でパンを得る者』とされました。

  人は、労働の喜びを得ながら働き神との再会・灰に返る日、を待ち望むのです。

 

そして。
今日の新約聖書。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、
 

     イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。」

そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、
    七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、
 
    人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。 

        弟子たちは群衆に配った。
 

        人々は食べて満腹した。』
          マルコ福音書 8章1-10節

 
イエス様は、お腹のすく人々を見捨てることはありません。

     御自分で、パンを増やし、人々満腹させてくださる方です。

人間は、イエス様を信頼し、安心して、精一杯自分の仕事をしながら、田畑を耕しながら、喜びの日々を過ごしましょう!
     イエス様は、そんな私たちを見て、大喜びなさる方です。

 

そして。
今の時代。

 ミサ・・・  『神の御言葉=イエスの御体=真のパン』
 
    『このパンこそ、生きたパン、イエスの体である』

『最後の晩餐』

『一同が食事をしているとき、イエスはパンをとり、祝福してこれを裂き、
       弟子たちに与えて言われた。

    「取って食べよ、これはわたしの体である。
    これをわたしの記念として、行いなさい。」』 
          マタイ福音書 26章26節


 三位一体の神様は、世の終わりまで、私たちを養ってくださるお方たちです。
 私たちは、イエス様の体を頂き、渇くことも空腹もなく、
      
安心して。恐れず。日々を、汗水流しながら、たえず喜んでいましょう!

  

『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『人はパンだけではなく、神の言葉によって生きている。』アレルヤ、アレルヤ。

 

皆様!
神様に感謝申し上げます。
皆様は何に興味をお持ちですか?私は政治や世界情勢に大いなる興味を持っています。 お元気で!