2月20日。水曜日。
今夜は・・・
新鮮な鯖。
塩して・・・『1時間半』 〆て・・・『5時間』
若者たちと過ごした東京の5日間。 『おいしい食事』を色々に頂きました。
帰宅して・・・
夫と二人だけになって様変わりです。 油が少ない『老人食』の始まりです。
今宵は老人食で・・・ 『しめ鯖』
『Chateau Mon-Perat 2015』 娘夫婦からのプレゼント
今日の魚。
しめ鯖。 & 白ボルドー・ワインも・・・超おいしい。
今日は、夫はゴルフ。私は、明日・木曜日と明後日・金曜日の『聖書100週間』の、二日分の予習です。
頑張った一日の後のディナーは、超おいしい! 感謝!感謝!
もう一品・・・ 『ロースト・ビーフ』
今日の肉。
ステーキではなく、脂分が除かれるローストビーフ、『老人食』です。
昨日まで5日間の『若者との食事』。 そして 今日の『熟年者の食事』。
私はどちらも好き。 一方を味わうから、もう一方の味の良さが分かる。
別れがあるから、再会が待ち遠しい。再会の喜びは大きい。
子供たち家族との別れは寂しい。でも、別れがあるから、再会を待つ期待がある。楽しみが大きくなる。
二つの違いを味わうことは、楽しみが倍になる。大切なことですね。
そして。
今日は2月20日。年間第六水曜日。
イエスは、ベトサイダの街がお嫌い?
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。
『ベトサイダ』
人々が、一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。
イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、
『盲人を癒すキリスト』 ユスターシュ・ル・シュール作品
その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。
すると、盲人は見えるようになって、言った。
「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」
そこで、
イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。
イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。』
マルコ福音書 8章22-26節
イエスは、その友人たちの盲人を思う心と信仰を見て、盲人を、2段階で、いやします。
いやされた盲人は・・・
1段階目では、『木のように見える人が歩いているのが、見えました。』
2段階目で、『なんでも、はっきり見えるようになりました。』
『目がはっきり見えるようになる』とは、『信仰の目で見えるようになる』ということです。
見えないものが、信仰の目で見えるようになるということです。
信仰も、一段階、二段階と、深まっていくのです。
それでも。
私にとって・・・
『今日の福音』
一つ不思議なことがあります。
イエスは、ベトサイダの村に着いたときに、そこに連れてこられた盲人を癒します。
しかし・・・
癒された盲人は、『ベトサイダに入ってはいけない』と言われ、家に帰されました。
どうして? Why?
イエスはなぜ? 『ベトサイダに残らないように、家に帰りなさい』と言われるのでしょう?
ベトサイダとは、どんな村? イエス様は、ベトサイダの街がお嫌い?
調べてみました。
『ベトサイダ』
『漁師の家』という意味。
イエスの最初の弟子になった漁師アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷である、『ガリラヤの町』です。
イエスが、ガリラヤにおける『宣教の根拠地』とされた町です。
イエスにとって、とても大事な町です。
次に。
思い出しました。。
『ベトサイダ』
イエスが、その不信仰・悔い改めのなさを嘆き、叱った町です。
イエスは、次のように、叱りました。
『イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。」』
マタイ福音書 11章20~22節
ベトサイダとコラジンは、『イエスの宣教の始まりの土地』、イエスの公生活の始まりの土地です。
一方。
ティルスとシドンは、栄えた『異邦人の港町」です。
ところが・・・
『異邦人の街・ティルスとシドン』の方が、『宣教の根拠地・ベトサイダ』より良い。
・・・と、断言なさるイエスです。
ベトサイダは・・・
イエスを受け入れない。回心をしない。そんな町なのです。
これらこそが、イエスの嘆きの原因であり、イエスの叱責の原因なのです。
イエスは、
目の見えるようになり、信仰を頂いたばかりの盲人に、
『ベトサイダに入ってはいけない』と言われたのは・・・
『朱に交われば赤くなる』
『かたくななベトサイダ』の人々と交わるのを、恐れたのでしょう。
イエスは、
ベトサイダが、嫌いなはずはない、大好きなのです。
『手を焼かせる子ほどかわいい』とかなんとか、いうように、
かたくななベトサイダを、いとおしく、そして厳しく、気にかけておいででしょう。
私たちも、信仰者との交わりの中で、信仰を深めていきましょう。
私たちも、『お人のつまずきになることなく』マタイ17-7、信仰生活を全うしたいものですね!
以上。『今日の御言葉』から、私が思ったことでした。お粗末様でした。
そして。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。』アレルヤ、アレルヤ。
エフェソの信徒への手紙 1章17&18節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
偏見を取り除き、新しい考えを受け入れる。長い伝統の中にいる人には難しいことでしょうね。
それでも、心を柔軟にしていたいものですね。 お元気で!