マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

バレンタイン・チョコ・・・『聖書通読会・聖書100週間』・・・『3か月間/40年間、荒野を進むモーセと民』

2019-02-22 14:00:20 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月22日。金曜日。『聖書通読会・聖書100週間』。

頭を使った後・・・   『コーヒー・ブレイク』

『Kさん手作りバレンタイン生チョコ』        おいしい。

毎年、バレンタインDayに近い勉強日、沢山の生チョコを作ってくださるKさんです。
優しい心遣いとお味の良さに、皆様の疲れた頭がホッと一息です。ありがとうね!

  
 熟年者の集まりは、熟年の持つ落ち着きと貫禄がクラスを包みます。いとよし。
 今日は11人。2人の欠席。


    今日の通読範囲は、出エジプト記16章~24章です。
今日は、『荒野を進むモーセとイスラエルの民の大移動を、ご一緒に見てまいりましょう。
               面白いですよ。お楽しみください。
  

イスラエル共同体は・・・

 3か月に及ぶ、
 イスラエルの男子だけで60万人、そのほか種々雑多な人人が加わった。 
 
 『砂漠』

女子供を加えれば約100万人ほど?。今の約神戸市市民の数、の砂漠の中での大移動です。
      イスラエルの民の、エジプト脱出後の3か月間の記録です。

  
  神戸市の人口に近い民が、共同体となって、知らない土地・砂漠を進む。
                 想像を越える、未知の世界ですよね。


それは、
当然といえば当然で・・・

 
 『荒野に入ると、
 イスラエルの人々の共同体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。
 
 『モーセに不平を述べる民たち』

 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって死んだ方がましだった。
あの時は、肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。
あなたたちは我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」』16-3

 

神は。
いつも・・・
 そんな、民の苦しみの声を 聞き逃すことがない御方なのです。
 神は・・・苦しむ人を憐れみ、行動なさるのです。愛されるのです。

 

『神の愛の行動・・・その①』

 

『主はモーセに言われた。
「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。
    民は出て行って、毎日、必要な分だけ集める。

『天から降ってくる食べ物を集める民』

だし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」16-6

更に、
主はモーセに言われた。

  「良くわきまえなさい。主があなたたちに安息日を与えたことを。
  そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。
  七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」』 16-28

 

神は、念押しをされます。

『あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめなければならない。
それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。』 23-12

 

  神の愛は、どこまでも、限りなく続きます。 なんてやさしい神様の配慮なのでしょう!

 

続いて・・・

 
    主の栄光が雲の中に現れた。
 
 主はモーセに仰せになった。
「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがいい。
 『あなた方は夕方には肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。
あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」16-11

 

神の思いは、
”私は無条件に民を愛します。それで、民も、私を何にもまして私を愛してください!” です。 
      相思相愛を望まれる、熱情の
神様です。
   相思相愛は、神にも人間にも、愛の最高の形ですよね。



更に。
モーセと民たちは、荒野の道のりを進んで・・・


主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、
シンの荒野を出発し、旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、そこには民の飲み物がなかった

  民がモーセと争い、「我々に飲み物を与えよ」と言うと、
  モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」

 

モーセは、
『私に文句を言うことは、主に向かって言っているのだと分かりなさい』と、民を諭します。 16-8
     『主を信頼しなさい』と、民を励ますのです。

 
そんな時、

『神の愛の行動・・・その②』


主はモーセに言われた。
「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を勧め。また、ナイル川で打った杖を持っていくがいい。
     見よ、わたしはホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。
  あなたはその岩を打て。そこから水が出て民は飲むことができる。」 17-1~
 
 神の言葉通りに…『神の杖で、ホレブの岩を打つモーセ』

神は、
民が神への信頼を失い、神を試すようなことになることを、恐れます。
   神は、数々の奇跡を民に見せながら・・・
   民の信頼を、決して、裏切ることなく、

民の神への信仰心を増していかれるのです。 民の信仰心を育てていきます。 

 

荒野の道中・・・
いろいろのことが起こります。

『神の愛の行動・・・その④』 

『アマレクとの闘い』

『アマレクがレフィディムにきてイスラエルと戦ったとき、モーセはヨシュアに言った。
  「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。
   明日、わたしは神の杖を手に持って、岡の頂に立つ。」』 

  ヨシュアは、モーセの言うとおりに実行し、アマレクと戦った。
  モーセとアロン、そしてフルは岡の頂きに登った。

   モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、
 
       手を下すと、アマレクが優勢になった。
     アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。
     その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。
     ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。

モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。
  「彼らは主の御座に背いて、手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」』17-8~

 

『神の杖』
エジプト王・ファラオを説得しに行くモーセの手には、『神の杖』が握られ、奇跡を起こします。
ナイル川で、ファラオの大軍に追いつかれそうになったとき、海の水を分けて民を救ったのも、『神の杖』です。
荒野で、岩を打ち、水を出し、民の渇きをうるおしたのも、『神の杖』です。
アマレクとの戦いで、『神の杖』を持つモーセの腕が高く上がっているときは、味方の勝利が約束されました。

   
     『神の杖』とは、何を意味するのでしょう?

   『神の杖』は、神の権力の象徴です。同時に、神の力そのものです。
  後に、モーセは『神の杖』に蛇を巻き付け、それを仰ぐ者は命が助かりました。
イエスが、民を罪から救うためにかけられた『十字架』は、『神の杖』そのものではないでしょうか?

 
更に。
モーセと民を助けるために、『神の計らい』は続きます。


『神の愛の行動・・・その⑤』

 
『エトロのモーセ訪問』

モーセのしゅうとでミディアンの祭司であるエトロは、
神がモーセとその民イスラエルのためになされたすべてのこと、
すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主がイスラエルを救い出されたことを聞いた。
 

  モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす捧げものといけにえを神にささげた。
翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。

モーセのしゅうとは言った。
あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねてくる民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。
  このやり方では、あなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。
わたしの言うことを聞きなさい。助言しよう。神があなたと共におられるように。

 

あなたは、民全体に中から、
 神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、
千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。
  
  『百人隊長・ケントゥリオ』

平素は殻らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持ってこさせる。
もし、このやり方を実行し、神があなたに命令を与えて下さるならば、
あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」

モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、しゅうとはモーセに送られて、自分の家に帰っていった。』

 

  しゅうと・エトロの訪問は、『神の計らい』、モーセを気遣う『神の愛の計らい』です。
  モーセは、しゅうとの知恵で、民のためにも自分のためにも、更なる神の力を与えられるのです。

 

とうとう。

   『イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三か月目のその日に、
 
 『シナイ山』

      シナイの荒れ野に到着した。

   イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。
 モーセが神のもとに登っていくと、山から主は彼に語りかけて言われた。

 「ヤコブの家にこのように語り、、イスラエルの人々に告げなさい。
   今、わたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、
 あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。
      世界はすべてわたしのものである。
 あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。」

 民は皆、一斉に答えて、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と言った。』

 

神と民が対面するのです。
人類初めての出来事です。民の信仰ができてきて…神と人間との距離が近くなっていきます。

 

更に。

『主はモーセに言われた。
「三日目に、皆の見ている前で、主はシナイ山に降る。民を聖別し、三日目のために準備しなさい。」

   三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、
 
 主はシナイ山の頂に下り、
   モーセは山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登っていった。
 

『神の愛の行動・・・その⑥』  『十戒』  


     『主はこれらすべての言葉を告げられた。
 

モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、
民は皆、声を一つにして答え、「私たちは、主が語られた言葉すべてを行います」と言った。
      モーセは主の言葉をすべて書き記し、
   
   『十戒を民に示すモーセ』

朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。

     七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。
  モーセは雲の中に入っていき、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。



   モーセと民は、何のために、砂漠の道をカナンの地まで進むのか?

神は言われるのです。
『わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。
腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。』 6-6
更に。
『わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出したとき、
   エジプト人は私が主であることを知るようになる。』 7-5


    神は、イスラエルの民をエジプトから導き出して、
 イスラエルの民の神となりました。エジプト人はイスラエルの主こそ主であること認めました。


次に。
『主の御計画』は、まだまだ信仰者として未熟なイスラエルの、『民の教育』が始まります。

    
   神は、民に、『十戒』を与え、
自分の罪を自覚させ、自分のみじめさを知って後に回心し、神への信仰を深めさせたのではないでしょうか?

カナンの地に入る前に、
自分の『ルーツ』を自覚させ、『イスラエル人のアイデンティティー』を確立させ、『イスラエル人の誇り』を植え付けたのではないでしょうか?

 


モーセは、神の呼びかけに答え、神の山・シナイ山に登り、『四十日四十夜山にいた。』のです。
    その時間は、どんな時間だったのでしょう?
イエスが公生活を始める前に、霊に導かれて、荒野で40日間、昼も夜も断食して過ごされますよね。
 モーセも、断食しながら、誘惑を受けながら、誘惑に打ち勝つ経験をするのでしょうか?

 

              来週をお楽しみに!


  今日は、モーセとイスラエルの民の3か月間の荒れ野の旅に同行しながら・・・
    すべての人を憐れみ、愛される『神の愛』を学びました。
        長々と、ありがとうございました。
                 
                    以上。出エジプト記16章~24章でした。
                   私の今日の聖書100週間の感想の一部も書きました。お粗末様でした。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
モーセとイスラエルの民の『目的地到着までの旅』は、40年間の長く厳しい道のりでした。
それは、私たち一人一人の人生に似ていますよね。
道のりは厳しくとも、『光』を仰ぎながら、着実に、迷うことなく、恐れずに、『目的地』に到着いたしましょう。 お元気で!