2月25日。月曜日。風もなくポカポカ陽気。
昨日のポカポカ陽気は、登山。
今日は、
庭を眺めながら・・・ 『水仙』
『真っ白の水仙』
スケッチで、はかなく美しい『白』の一瞬を切り取ってみました。
我が家に、一番に、春到来を告げてくれる水仙。
可憐な姿を眺めながら、これからの一年を想像してみた。
今年は・・・
どの国を訪ねるだろうか? どの山を登るだろうか? 絵も描く? 新しい自分に変身してみる?
水仙のように、上品に、楚々と、美しい一年となればいとよし。
老後の『品格』を上げるのは、物ではなく、<自由な旅><自由な時間>、『自由』の確保であろう。
自由ほど素晴らしいことはない、でも、当然ながら、自由は高くつく。
限られたお金を何に使うか? それこそ品格が出る。
格好良い老後は、『知恵』が一番に要るということですね。
な~んて考えながら、スケッチをした暖かい午後でした。
そして。
今日は2月25日。年間第七月曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスがお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。
「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。」
イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。
父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。
おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」
イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。
「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」
すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。
その子は死んだようになったので、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。』
マルコ福音書 9章14-29節
偶然にも、
今日は、ラジオから流れる『神の子羊』バッハ作曲 を聴きながら、このブログを書いています。
病気の子を持つ父親は、
イエスを信頼して『信じます。』と宣言しながら・・・
『信仰の弱い私をお助け下さい。』と、イエスの前でへりくだります。
バッハも、
『イエスこそ、ダビデの子、神の子羊』と宣言しながら・・・
『自分の信仰の浅さを痛悔し、信仰を深めて下さい。』と、曲の中で祈り、イエスの前でへりくだっているのです。
・・・と。偶然にも、ラジオから音楽家の解説の言葉でした。
息子の病を治るのも、信仰が深まるのも、イエスの力に依るのです。
イエスなしでは何もできないと、病気の子を持つ父親も そして バッハも分かっておられたのです。
私たちも、イエスと強く結ばれ、信仰を深めていきたいものですね。
『今日の拝領唱』
『全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
遠く地の果てまですべての人は、わたしたちの神の救いを見た。』
詩編 98章4&3節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
暖かい月曜日でしたね。皆様の今週一週間の日々が穏やかでありますように! お元気で!