7月17日。年間第十五火曜日。
今日は『出エジプト記』
エジプトで、川に流され、王女に救われ王女の子となり、
その後 ミディアン地方へ逃亡するモーセの半生です。
まずは。
昨日の朗読:『出エジプト記』の復習です。
『新しいエジプト王が、国民に警告した。
「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。
抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。
一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」
エジプト人はそこで、
イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。
しかし、
虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、
エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、
イスラエルの人々を酷使し、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。
新エジプト王・ファラオは全国民に命じた。
「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」』
出エジプト記 1章8-22節
エジプトで奴隷として過ごすイスラエル人の姿は、
罪の状態にある人間の姿を示している。 と言われます。
エジプトに住み着いたイスラエルの人々は、
エジプト人が恐れるほどに増加し、大きな民となったのです。
エジプトの新しい王は、
そんなイスラエル人を恐れて、
『イスラエルの全滅策』を計り、イスラエル人を圧迫するのです。
罪の状態にある人間は、
モーセがエジプトから逃亡し、後に、エジプトからイスラエル人を救い出すように、
キリストによって清められて、罪の状態から救い出されるのです。
そんな『イエスの救いの前表』である『モーセの半生』が・・・
今日に続きます。
『今日の第一朗読 モーセの半生』
『(生まれた子は皆殺しの王の命令が出た)そのころ、
イスラエルのレビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。
彼女は身ごもり、男の子を産んだが、
その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。
しかし、もはや隠しきれなくなったので、
パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、
その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。
その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、
そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。
その間侍女たちは川岸を行き来していた。
王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。
開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。
王女はふびんに思い、
「これは、きっと、ヘブライ(イスラエル)人の子です」と言った。
そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。
「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」
「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、
娘は早速その子の母を連れて来た。
王女が、
「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。
手当てはわたしが出しますから」 と言ったので、
母親はその子を引き取って乳を飲ませ、
その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。
その子はこうして、王女の子となった。
王女は彼をモーセと名付けて言った。
「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」
モーセが成人したころのこと、
彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。
そして
一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。
モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、
そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。
翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。
モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、
「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。
お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」
と言い返したので、
モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。
ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、
モーセはファラオの手を逃れて
ミディアン地方にたどりついた。』
以上。出エジプト記 2章1-15節
『出エジプト記』は、モーセの誕生で始まります。
そのモーセの出生、その後エジプト王女の子としての半生。
王子という特権を与えられたモーセは、
エジプト人を殺し、エジプトから脱走するという失敗を犯し、
ミディアン地方に逃れます。
それは、人間が始めた計画が、
目に見えない神の御手によって導かれていく不思議を物語ります。
後に、ミディアン地方に逃げたモーセは神と出会い、
赦し。謙遜。従順。
を、神から学ぶことになるのです。
モーセの半生は、
後にモーセの指導で、
エジプトから脱出し、『神の民』となるイスラエル人の前表となるのです。
その昔。 神に呼ばれ、神に従ったアブラハム。
そのアブラハムの子孫であるイスラエルの民は、
エジプトから救い出されるという、
人間の力をはるかに超えた『不思議な体験』を重ねていきます。
この『不思議な体験』は、
先祖アブラハムたちが出会った神に、イスラエルの民も又 神に出会う体験なのです。
不思議な神との出会いの『出来事』を、
代々にわたって繰り返し祝う間に、
イスラエル民族は、自分たちが神に選ばれた『選民』であることを自覚していくのです。
主なる神は『イスラエルの神』となり、イスラエルは『主なる神の民』となるのです。
毎朝、出勤や通学前の30分間、中学生くらいになると、
『聖書』や『律法』 を読むユダヤ・『主なる神の民』 の男性たちです。
早朝のベツレヘム 昨夏のイスラエル巡礼時に
そして
今の時代。
エジプトで奴隷だったイスラエルの民が、
神とモーセに救い出されて、『自由の地・カナンの地』へと導かれました。
それらの前表と同様に。
罪の状態にあった人類が、
キリストによって清められて、『永遠の命・神の国』へと導かれたのです。
『今日の拝領唱』
『わたしたちの父に祝福された人たちよ、
天地創造の時から、あなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。』
マタイ福音書 25-34節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界のロング&ベストセラ―の聖書は人類の歴史が書かれていて、『温古知新』、面白いですね。
お元気で!