7月24日。水曜日。曇り。
地熱は暑くて・・・ 『花に水まき』
『家庭用スプリンクラー』
1本の大元ホースから、10本ほどの枝分かれのホースがついている。
その各々の先に、小さなスプリンクラーがついている。
木々の根元や花の植木鉢の中に設置され、水がまかれる。
4年前の娘からの誕生日プレゼント
娘は自分が使ってみて ”いいな!” ”便利だな!” と思う物は母親に贈ってくる。
種をまくのは私。 水を撒くのは娘の愛。 育てるのは神様。 です。
そして。
今日は7月24日。年間第十六水曜日。
イエス様は、花の種ではなく、『御言葉の種』 をまかれます。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『その日、大勢の群衆がそばに集まって来たので、
イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞きなさい。」』
マタイ福音書 13章1-9節
思い出します。
種まきといえば・・・ 『種まく人』
ミレー1850年の作品。
当時。イスラエルでは、ミレーの絵のように、種をまき散らし・・・
それから、土地を耕したそうです。
だから、
種がまかれるところは、
道端あり、石だらけの所あり、茨の地あり・・・で育たず。
一方、良い土地の上にまかれると・・・100倍にも60倍にも30倍にも、育ったのです。
勿論。 育つには、必ず、神様の働きがあったのです。
ということで。
今日の福音です。
イエス様は、『神の言葉』を、あちこちの場所で、話されました。
それは。
イエス様は、『神の言葉』の種を、色々の地にまいた、ということです。
『神の御言葉』の種は、伸びずに枯れる場合も、鳥に食べられてしまう場合もありました。
『神の御言葉』を、迫害する人あり、聞き流す人もありで、信じない人が多くいたのです。
一方。
種が良い土地に落ち・・・100倍もの実を結んだように、
『御言葉』がある人の心にまかれ・・・信じる人もいました。
『宣教』は、聞く人が少なくとも、あきらめないで、
神の働きを信じて、『御言葉をまく』ことが大切なのです。
使徒パウロも述べました。
『わたしは植え、
アポロは水を注いだ。
しかし、成長させてくださったのは神です。
交差点角に、どなた様かが種をまいてくださり、神様が成長させました
ですから、
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。』
コリントの信徒への手紙 3章6節
『宣教』は、信仰の育ちが悪くとも、あきらめないで、
神の働きを信じて、『水をまく』ことが大切なのです。
参考までに。
見つけました。
ゴッホの・・・ 『種まく人』
ゴッホらしい絵ですね。
ミレーの『種まく人』をモチーフに、ミレーの38年後、1888年の作品。
『今日の拝領唱』
『御言葉を聞いて受け入れる人たちは、百倍の実を結ぶ。』
マルコ福音書 4章20節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
梅雨明けも間近、水まきの夏到来です。花々は愛に応えて、一杯咲いてくれますね。 お元気で!