マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

一時の涼・・・『キキョウの花』 そして 『イエスが「マリア」と言われると、マリアは振り向いて、「先生」と言った。』・・・『マグダラの聖マリアの祝日』

2019-07-22 21:35:40 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月22日。月曜日。雨時々曇り。


   庭の切り花で・・・  『一時の涼』
   
   キキョウの花とビールジョッキーの水とが相まって、
                    涼し気にスケッチ。

      蒸し暑い日は・・・
        水を眺めながら、精神統一。瞑想。
         
      無限の宇宙の広さに、思いをはせてみる。
        涼しさが増していく。

 

そして。

今日は7月22日。年間第十六月曜日。

            『マグダラの聖マリア 祝日』
       

          キリストに従う人たちの一人で、
    イエス・キリストが十字架上で亡くならたときにそばに立ち、
          イエスの埋葬を見届け
    磔刑後三日目の朝早く、復活されたイエスと最初に出会った。
      又。
    復活の訪れを使徒たちに告げるために、イエスから遣わされた。
  このため、初期キリスト教父たちから『使徒たちへの使徒』 と呼ばれました。
                    『毎日の読書』より。


そして。

『今日の福音書 イエスの御言葉

 イエスは、磔刑後三日目に復活なさり、最初にマグダラのマリアに出会うのです。


  週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。
       そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

 そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。

       「主が墓から取り去られました。
     どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

  
   そこで、ペトロともう一人の弟子は、外に出て墓に行った。
         二人は一緒に走ったが、
 
 『ヨハネとペトロは復活の朝に墓に急ぐ』        ウジェーヌ・ビュルナン作品

    
     もう一人の弟子のほうが、ペトロよりも先に墓についた。
      身をかがめてのぞくと、亜麻布が置いてあった。
       しかし、彼は中に入らなかった。

        続いて、シモン・ペトロも着いた。
     彼は、墓の中に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
   
     それから、先についたもう一人の弟子も入って来て、
            見て、信じた。

  
 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、
      二人は、まだ理解していなかったのである。
   
       それから、その弟子たちは家に帰って行った。

      
        マリアは墓の外に立って泣いていた。
  
     
      泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。

     
      
    一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

  天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
  マリアは言った。 「わたしの主が取り去られました。
     どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

    
  こう言いながら後ろを振り向くと、
 
       イエスの立っておられるのが見えた。
      しかし、それがイエスだとは分からなかった。

 
  イエスは言われた 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
   マリアは、園丁だと思って言った。
     「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
          わたしが、あの方を引き取ります。」

   
     イエスが、「マリア」と言われると、
  彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

  
     イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。
   わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。

     『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』 と。」

   
     マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
        「わたしは主を見ました」 と告げ、
       また、主から言われたことを伝えた。』
              ヨハネ福音書 20章1-18節

    
今日。
    マグダラのマリアは、
     イエスへのひたむきの愛から、イエスに従い、
イエスのもとから離れず、
          イエス様がメシアであることが分かっていく。
             そんな 『信仰の過程』 を学びました。

現在。

     私たち・キリスト者は、聖書・イエスの御言葉を離れず、
          『信仰』 を学びます。

イエスは神の一人子である。イエスは人類の贖罪のために十字架上で御自分の命を差し出された。
 イエスは死後三日目に復活なさり、神のもとに帰られ、神の霊・聖霊をこの世に送られた。
  最後の日に、再臨なさり、聖者と死者をさばきに来られます。

           ・・・と。信じていきます。


そして。
当時。

   イエスが、生前に『復活』について話されても、
         弟子たちはなかなか理解できませんでした。


     『イエスは必ず死者の中から復活される』 といるという聖書の言葉を、
  弟子たちは、復活は肉体の復活であると考え、イエスの体を探したのです。
     同様に。
   マグダラのマリアも、一生懸命に、肉体のイエスを探したのです。


    マグダラのマリアは、
  天使に出会い、復活のイエスに出会っても、『イエスの復活』が理解できません。
    そして。

  イエスに『マリア!』と名前で呼ばれたとき、初めて、イエスだと分かったのです。
    
更に。
  イエス様に、「わたしにすがりつくのはよしなさい。」 と忠告を頂きます。


   『復活のイエス』は、
  目で見、手で感じることに、こだわってはいけません。
目で見えなくても、手で感じなくても、信仰の目で、『イエスの存在』がわかるのです。

    
   イエスが、父のもとへ上った後、『聖霊』を送ってくださいました。
  その『聖霊』が、私たちに『イエスが見える』ようにしてくださるのです。


         私たちも、
    マグダラのマリアのように、イエス様に出会えるように、
      聖霊に願い求めて、祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱歌』

アレルヤ、アレルヤ。
 『主キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、あふれるいつくしみをわたしたちに。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
厳しい蒸し暑さの毎日です。涼を取り入れる工夫をしましょう。 お元気で!