3月6日。金曜日。快晴。
コロナウイルス対策で、孫たちの小学校は一律休校で、1週間がたった。
ママ(私の娘)は、外出も出来ない二人の子供をどう楽しませるか? 満足させるか?
ママは、悩んで、決めた。
ママは小学6年の孫娘に任命した・・・
『女シェフ』
女シェフの・・・『昨日の料理』:『クリームパスタ』
小6の孫娘はママから 『シェフ職』 を任命された。
家族4人(パパもママも教員のため休職中かな?)のために、一日 『一食』 を作る。
孫娘の毎日の『奮闘』が始まった。
①食材収納棚と冷蔵庫から、今日の『食材』を選ぶ。
②選んだ食材にぴったりの『料理』を、パソコンから探し出し決定する。
③料理の『レシピ』を、『My(孫娘の作成)料理ノート』 に書き写す。
一昨日は 『ほうれん草のポタージュ』 昨日は 『クリームパスタ』
ママも誰も手伝わない。全部一人でする。
④材料を集め、レシピ通りに計量し、切って、炒めて、煮る。料理する。
⑤きれいにお皿に盛り付けて・・・
”どうぞ!召し上がれ!”
孫娘の『料理』はおいしく、家族に大好評です。
孫娘は家族に喜ばれて・・・大嬉し。満足。 & 大忙し。
孫娘は、自分の作った『料理』 と 『レシピ』 の写真を、
ばあちゃん・私にメールしてきます。
”今日も大成功だったよ!”
私は、一日遅れで、『孫の料理』 の昼食を作っています。
”おばあちゃんのもおいしかったわ! 大成功ね!”
小学校一律休校・・・『女シェフ』の孫娘は楽しく 『満足の日々』 のようです。
ママの作戦の大成功! 良かった!良かった!
そして。
明日の我が家の昼食は・・・
女シェフの 『今日の料理』:『潮汁』 になります。
”私的には、醤油で隠し味がいいと思います。”
とシェフの ”メモ” 付き写真
『今食べ終えたけど、ちょーおいしかったよ!!』
『良かったね! 皆においしく食べてもらえて良かったわね!!』
『うん』
孫娘とおばあちゃんの『ラブメール』も、
小学校一律休校のおかげで、
当分続きそうです。
そして。
今日は3月6日。四旬節第一金曜日。
今日も。 神も・・・ キリストも・・・
「見よ、わたしは今日、
命と死、幸いと災い、 をあなたの前に置く。
自由に、しかし 真剣に、
『生命の道』:『永遠の命』 を選ぶように、決断を迫るのです。
『今日の第一朗読 神の御言葉』
『主は言われる。
「悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、
わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、
必ず生きる。 死ぬことはない。
彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。
しかし、
正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、
悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら、
彼は生きることができようか。
彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく、
彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は 死ぬ。
正しい人がその正しさから離れて不正を行い、
そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに 死ぬのである。
しかし、
悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、
彼は自分の命を救うことができる。
彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、
必ず生きる。 死ぬことはない。」』
エゼキエル書 18章21-28節
神は、 『行いの責任はその人の上にある』、 断言なさいます。
悪人でも、犯したすべての過ちから離れ、正義の業を行うなら、
必ず生きる。死ぬことはない。 『天の国』に入る。
しかし。
善人でも、正しさから離れ不正を行うなら、
彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに、死ぬ。 『神の国』に入ることはない。
神は、イスラエルの民の背信、犯した過ちのゆえに、
イスラエルの民を、敵国:バビロンの捕囚となさいました。
預言者エゼキエルは、
『ユダヤ教の父』 と言われるほどに、
イスラエルの中で大きな影響力を発揮しました。
捕囚となったバビロンの地で、イスラエルの同胞を支えました。
イスラエルが自分たちの背信を反省するように、
そうして未来に希望を持つようにと励ましました。
その結果。
神は、悔い改めて、行ったすべての背きから離れた、捕囚の地にいるイスラエルを、
母国への帰還を赦し、
主の選びと、主の祝福を、取り消すことなく、残されたのです。
神は言われるのです。
『お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、
新しい心と新しい霊を造り出せ。』
エゼキエル18章31節 『今日の栄唱』より
神は、赦しと憐れみと命を、制限無く、回心する者に与えるのです。
『今日の集会祈願』
『恵みあふれる神よ、
四旬節に、共に行う節制が、全ての人に恵みをもたらすものとなりますように。』
そして。
イエスも、『生か?死か? どちらを選ぶのか?』
と、迫ります。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「言っておくが、
あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、
あなたがたは決して天の国に入ることができない。
わたしは言っておく。
兄弟に『腹を立てる』 者はだれでも裁きを受ける。
兄弟に『ばか』 と言う者は、最高法院に引き渡され、
『愚か者』 と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
あなたは、兄弟が自分に反感を持っているのを思い出したなら、
まず行って兄弟と仲直りをしなさい。」』
マタイ福音書 5章20-26節
ファリサイ派の人々は、律法を守ることが一番大切だと思っていました。
律法を守ることで神の前に正しい人になれると思っていました。
彼らは、律法を守る立派な人でしたが、
彼らは自分の救いが大切で、人の救いは後回しでした。 それは『死』なのです。
一方。
イエスは、一番大切なことは、律法を守ることではなく、
兄弟を大切にし、兄弟に仕えることだと考えました。
私たち人間は、人と仲良く、人を赦し、人と和解するときに、
神の赦しを頂き、神の命を頂き、
死ぬことなく、永遠に生きる者 となるのです。
もう一人。
使徒パウロも言います。
『そのほかどんな掟があっても、
「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
愛は隣人に悪を行いません。
愛は律法を全うするのです。』
ローマの信徒への手紙 13章9&10節
『今日の拝領唱』
『わたしは神である。
わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。』
エゼキエル書 33章11節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
色々のマイナスの思いは、愛の行動の前では消え去りますよね。愛は全てに勝利するのですね。 お元気で!