3月24日。火曜日。晴れ。
今日は、私の友人の 『年中行事の日』:『枝の主日の準備の日』 です。
友人は、
2011年の東日本大震災以来、9年間、震災の被害の大きかった福島の女子修道院へ、
『枝の主日』 のための 『棕櫚の葉』 を送り続けておられる。
友人の補充となる・・・ 『我が家の棕櫚の葉』
友人は、今朝、ご主人様といらして、
我が家のきれいな葉を50枚ほど持ち帰られました。
友人のお宅の 『棕櫚の木』 は丸坊主。
我が家の 『棕櫚の葉』が、『枝の主日』 の足しとなります。光栄なことです。
「とげの部分を切りそろえて、
長さも切りそろえて、
手に持つ部分にホイルを巻き付けて、
今夕に送付完了しました。
当日にコロナウイルスのためにミサが取りやめになるでしょう。
でも、後ほどに、祝別した葉を、信者さんたちに配るでしょう。
ありがとうございました。」
と電話があった。
友人は、 『棕櫚』の他にも、
月に二回、 手作り菓子 を、福島の『ふれあい集会所』に、九年間、 贈り続けておられる。
仮設住宅の皆様やご近所様たちの 『おしゃべり会』 の 『お茶菓子』 になっている。
使徒ヤコブは忠告をします。
『魂のない肉体が死んだものであるように、
行いを伴わない信仰は死んだものです。』
ヤコブの手紙 2章2節
同様に。
イエス様も忠告をなさいました。
『わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入るのである。』
マタイ福音書 7章21節
私の友人のように、
人知れず、目立たず、自ら進んで、一人で、途切れることなく、
窮地におられる人々を、 助ける人たち。
この人たちこそ、
『行いの伴う真の信仰者』 であり 『天の父の御心を行う真の信仰者』 である。
・・・と。
彼女に出会う度に、確信させていただくのです。学ばせていただくのです。
何よりも、反省の時を与えていただくのです。
感謝!感謝!
そして。
今日から12日後。4月5日。
『受難の主日:枝の主日』
『イエスのエルサレム入城の福音』
『イエスの一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、
イエスは、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。
「向こうの村へ行きなさい。
するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。
それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。
もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』 と言いなさい。
すぐ渡してくれる。」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
ろばと子ろばを引いて来て、
その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
大勢の群衆が自分の服を道に敷き、
また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。
そして
群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も 叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」』
イエスがエルサレムに入られると、
都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」 と言って騒いだ。
そこで群衆は、
「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」 と言った。』
マタイ福音書 21章1-11節
ダビデの子イエスは、エルサレムに入場なさいます。
『棕櫚の枝』は、当時、凱旋者を歓喜して迎える印でした。
イエスは、
系図によりアブラハムの子孫イスラエルの出身、ユダヤのベツレヘムで生まれました。
洗礼者ヨハネから洗礼を受けて以来、聖霊に導かれて宣教活動を初めて、3年間が過ぎました。
人々は、
イエスの話を聞くために集まり、病人が奇跡的に治されるのを見て、
イエスには権威があり、神から遣わされた者ではないかと考えるようになりました。
エルサレムに上ったイエスは、
メシアとして、子どもたちや群衆から歓迎されました。
しかし、一方、祭司や律法学者たちは、ますます、イエスに反対するようになるのです。
イエス様は、ユダヤ人たちが長年待ち望んでいた、『メシア』 です。
『メシア』は、『神の御心』 を行うために、この世に派遣され、
『受難と復活』 をもって、
『神の御心』 を成就なさるのです。
『神の子イエスの過越』 は実現するのです。
『イエスのエルサレム入城』は、
時が満ち、イエスが、自ら進んで死に向かい、
『人類の救い』 のためにご自分の命をささげられる時であるのです。
『今日の祈願』
『全能永遠の神よ、
わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、
復活の喜びをともにすることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人の目には見えない一人一人の善意が世の中を変えていくのですね。 お元気で!