3月25日。水曜日。
午後8時。
フランシスコ教皇からの『祈りの招き』に応えて・・・
世界中の全キリスト者が一致して 『主の祈り』
『パンデミックに関しての教皇フランシスコからの祈りの招き』
「パンデミックの脅威に人類が揺さぶられるこの試練の日々、
天に向けて一致した祈りを捧げるよう
すべてのキリスト者に呼びかけたいと思います。
全キリスト教教会と共同体の指導者の方々に、
教派の異なるすべてのキリスト教徒と共に、
われらの主イエスが私たちに教えてくださった祈りを、
いと高き全能の神に向かい、
一緒に唱えてくださるようお招きします。
こうしたことから、
「主の祈り」 を毎日何度も唱えることはもちろんですが、
3月25日(木)の正午(日本時間、同午後8時)、
この祈りを共に唱えてくださるよう
すべての皆さまをお招きいたします。」
『晩鐘』 ミレー作品
午後8時。
私たち夫婦も、教皇様の祈りの招きに応えて、
世界のキリスト者と一致して、共に、
「主の祈り」 を唱えました。
「パンデミックの脅威に人類が揺さぶられるこの試練の日々、
天におられるわたしたちの父よ
世界のコロナウイルスの終息の日をお願いいたします。」
そして。
その後。
教皇様の『祈りの招き』以来・・・
私は、毎日、『主の祈り』 について考えています。
いつも、身に染みついた自分の原語のごとくに
唱えている『主の祈り』の意味を
私は本当に分かっているのだろうか?
イエス様はおっしゃいました。
『イエスはある所で祈っておられた。
祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、
「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、
わたしたちにも祈りをおしえてください」
と言った。
そこで、イエスは言われた。
「祈るときには、こう言いなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。』
ルカ福音書 11章1-4節
私は、『主の祈り』 を瞑想するときに・・・思い出す二つのことがあります。
涙が出ます。
一つは。
『知覧特攻平和会館』
特攻隊の青年たちの、『最後の言葉』 は、
『母よ、先に旅立ちます。』 等々。
『母への手紙』 が多いです。
もう一つ。ドイツ軍の前に命を終えるフランスやイギリスの青年たちの映画
ドイツ兵の銃撃に命を捧げる、『最後の言葉』 は、必ず、
『天におられるわたしたちの父よ・・・。』 と。
『主の祈り』 です。
青年たちは、『イエスの言葉』:『祈るときには、こう言いなさい。』
に忠実に、『主の祈り』 を唱えながら、我が身を捧げました。
二者の違いは、
日本国民とキリスト教国民の違い、 ということなのでしょうか?
私は、最期を覚悟したときに、どんな祈りをするだろうか?
フランスやイギリスの青年のように
キリスト者の 『証し』 の祈りをするだろうか?
『主の祈り』 は 『全福音を要約する祈り』
です。
『福音』 とは、
すべての律法と預言=神の救い、がキリストにおいて成就された、
ことを知らせる 『告知』 なのです。
カトリック教会『カテキズム』より
『主の祈り』 は 『告知の核心』 なのです。
『主の祈り』 は 『嘆願』
です。
主の聖霊が、
私たちの命からほとばし出る 『私たちの願望』 に、
『新しい命の生き方』 を教えてくれるのです。
イエスは、『主の祈り』 を教えられた後で、言われました。
『願いなさい。
そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。』
ヨハネ福音書 16章24節
聖アウグスティヌスも、言われました。
『あなたがたが聖なる嘆願のことばをすべて調べれば、
「主の祈り」 に含まれない嘆願はないことに気づくと思います。』
『主の祈り』 は 『普遍の祈り』
なのです。
多様性の世界、グローバルな世界、日々変化する世界、現代の私たちの世界の中で、
『主の祈り』 は
時空を超えて
世界中が一致して祈ることができる
『普遍』 の 『証』 なのではないでしょうか?
以上。 フランシスコ教皇様や世界のキリスト者と
『共に祈る』
すばらしい『体験』の後に、
私が考えていたことでした。
感謝!感謝!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も、明日も、明後日も、・・・ずっと。
コロナウルス終息を祈り続けてまいりましょう。 お元気で!