11月3日。水曜日。快晴。
穏やかな小春日和。
孫息子の小学校の『文化祭』です。
孫息子にとって小学生最後の文化祭です。
祭日の今日も仕事の両親の代理出席の私です。
小学六年生の文化祭のテーマは・・・
『We love peace』
於:小学六年生の展示室・図書室
『平和の象徴:鶴』の折り紙が部屋の中心を飾ります。
卒業旅行・修学旅行の広島行きがコロナのために中止となり、
その代わりに 都内の『第五福竜丸』等、三カ所を訪ね、
『平和』について考えた発表展示が並んでいました。
『今も核兵器は、13895発もあります。
核兵器をなくすために、仲間や家族と話し合うことから始めてみましょう。』
『1945年8月6日8時15分 原爆投下
死者(~1945年12月):約14万人
主な被害:爆風・放射能・熱練』
『1945年8月6日8時15分
都市の大きさ、地形など、の理由から広島に原爆が投下されました。
その戦争により、人々は後遺障害で苦しみ、
土地は荒れ果ててしまいました。』
広島と長崎の原爆投下、東京大空襲、第五福竜丸、風船爆弾、等々、
小学六年生一人一人が自分で選んだ『テーマ』、その研究発表。
全員の展示が図書室いっぱいに並んでいます。
孫息子とお友達
体も大きくなり、思考力も発達し、立派な自分の考えを持ち、
小学校での六年間の学びを身に着け、
来年には中学生として羽ばたく青年たちです。
もう青年と呼ばれるにふさわしい小学六年生の発表の立派な『展示物』
それらを見させて頂きながら・・・
彼らの健やかな成長をお祈りさせて頂いた『文化祭』訪問でした。
今回の旅。故郷・東京への旅でした。
土曜日の夜~水曜日の夕方まで。 4泊五日の娘家族訪問でした。
コロナ禍のために、私の神戸から娘家族の住まいの東京までは、かなわなかった娘宅訪問。
一年十一ヶ月ぶりの訪問に、
娘家族全員の無事をこの目で確認でき、感謝と安心の旅となりました。
安心して・・・
帰路の新幹線の中。
金曜日・『聖書100週間』の予習です・・・ 『聖書通読』
私の乗った新幹線車両は、ガラガラの車中、五人だけの乗客でした。
金曜日・聖書100週間の『通読範囲』は『テサロニケの信徒への手紙ⅠとⅡ』
全部で8章だけなので、
ゆっくりと心を込めての予習が、東京=神戸間で終了できました。
娘家族と息子家族の応援で一歩踏み出した『新しい日常』スタートの旅となりました。
私も、更に賢く慎重に、明日からの日々を充実させることに致しましょう。
私も、更に賢く慎重に、明日からの日々を充実させることに致しましょう。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月3日。年間第三十一水曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしは主を愛する。 生涯、わたしは主を呼ぼう。
主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。』
詩編 116章1&2節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、大勢の群衆が一緒について来たが、
イエスは振り向いて言われた。
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
※あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、
造り上げるのに十分な費用があるかどうか、
まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
そうしないと、土台を築いただけで完成できず、
見ていた人々は皆あざけって、
『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』
と言うだろう。
※また、どんな王でも、
ほかの王と戦いに行こうとするときは、
二万の兵を率いて進軍して来る敵を、
自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、
まず腰をすえて考えてみないだろうか。
もしできないと分かれば、
敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。
だから、同じように、
自分の持ち物を一切捨てないならば、
あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」』
ルカによる福音書 14章25-33節
今日のイエス様は、
『主の呼びかけに応じて従う弟子の覚悟』について、
イエスの後についてきた大勢の群衆に向かって話します。
イエス様は、
今日の話をする時に・・・
御自分は、エルサレムに向かっていき、
そこで『十字架』につけられ、
苦しみをうけることを、ご存じでした。
イエスの弟子になる人は、
『そこまで:十字架まで』イエスについていく『決心』をしなければなりません。
と、話したかったのです。
ルカが、
この福音書を書いた時は、イエスの亡き後。
ローマの町では、キリスト者に対する迫害が起こっていました。
この福音書を書いた時には、すでに、ペトロとパウロは殉教をしていました。
そのように・・・
その頃、信者になりたい人は、
『勇気』がいりました。
自分の命をも棄てる『覚悟』でなければなりません。
イエスに倣って、自分の『十字架』を担うことが、自分に出来るかを、
まず腰を据えて考えなければなりません。
イエスは、
『自分の十字架を背負って』 又 『自分の持ち物を一切捨てて』
親兄弟以上に、イエスを愛する。
『イエスに従うことは、第一のことであり、すべてに勝る価値がある』
・・・と、厳しい『言葉』をおっしゃいます。そして励まします。
そのように・・・
信仰を求めている人は、
親、兄弟の反対があっても、
『決心』する必要がある場合もあります。
その時は、必ず、キリストが『力』となってくださいます。
私たち・キリスト者も、
信仰を続けることが出来るように、キリストに指導して頂きたいものです。
祈りましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『キリストの名のためにの非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。』
ペトロの手紙Ⅰ 4章14節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒さの後のぽかぽか陽気の小春日和が続きます。
寒い冬の冬眠前の『食料集め』『筋力貯金』のために、大いに散歩を楽しみましょう。 お元気で!