薬師寺:
法相宗大本山:大講堂と東塔(左)と西塔(右) 『般若心経』 (写経用手本270文字)
『平城遷都』1300年
710年:「日本のはじまりの奈良」といわれる奈良・平城に都が置かれて、
・・・悠久の歴史が流れ・・流れ・・流れて1300年も経った今年です。
2010年の今年は、奈良地方は、『平城遷都1300年』の大祝年となっています。
MY夏休み四日目・・・
『平城遷都1300年』の奈良・西京の地をを訪れ・・
感動と出会いの旅を楽しみました
。
憧れの薬師寺を訪ね・・
1300年が築きあげた文化に触れ・・3時間の薬師寺訪問となりました。
つらつら考えるに・・
私は、心底、騒がしいのや今風に弱い。のかもしれない。
仏様や神様や宗教が好き。 な・・変わり者なのかもしれない。
感動ものでした薬師寺を、3時間散策、ご一緒に楽しんで下さい
。
『薬師寺』とは。
『法相宗『』の総本山。 平成10年世界遺産登録。
愛の結晶の寺
天武天皇が愛する妻の病気回復を願い発願(680)。
愛する妻は回復。しかし天武天皇が先に他界
。
継いで天皇となった妻・持統天皇によって本尊開眼(697)。めでたしめでたし
。
その後、平城遷都(710)に伴い・・・現在地に移転(718)
本来の仏教寺です。(奈良と京都の寺の大きな違いとか)・・・
葬式なし。檀家なし。勉学と修行。・・しがらみはないが金もない。との坊さんの説法でした。
入口を入れば・・で~んと、『金堂』↓ 美しさと荘厳さと美を尽くした様は竜宮造り。 竜宮城とも呼ばれます。
中央に座す仏像は
『薬師三尊像』(国宝) 薬師如来が中央。日光菩薩(右)と月光菩薩(左)。
豊かな量感。やわらかな表情。の御三体です。
薬師如来は、医王如来とも言い、私達の身と心の病気を救って下さる、医者
の仏様。
日光月光菩薩は、医王如来の脇に控える動きのある美しい姿で、日の出る昼間も月の出る夜中も三交代で一日中働く、看護婦
の仏様。
三人一体で、世の中の健康を守っておいでです。・・と坊さんの説法でした
。
金堂の後ろに控えるのは・・『大講堂』↓ 正面41m。奥行20m。高さ17m。 伽藍最大の建造物。
金堂より講堂が大きいのは古代伽藍の習わし。教学重視の南部仏教が大勢の学僧を経典講讃のため参集したためです。て。
大講堂の本尊は弥勒三尊像。そして・・裏の方に安置されているのが
仏足石(国宝) 仏様の足跡の付いた石です。
”仏像に直接向って祈るのは。あまりにも、畏れ多いこと。 そんな失礼は出来ない。
てんで・・釈迦の足跡を焼き付けた石を拝む”てことだったそうです。
これって、ユダヤ人が”『神』の名を呼ぶのは畏れ大きすぎるってんで、『ヤーウェ』と呼んだのに似てません
金堂の両脇に立つ二つの塔。 右側が『東塔』(国宝)↓
色鮮やかな諸建物の中で、律動的な美しさと黒っぽく落ち着いて。『凍れる音楽』とも言われる。
「『東塔』は、あくまで”仏舎利”塔なので、塔が何回火災に合おうとも、まつられた仏の骨が大事なんです。
当時は、寺は勉学の地。政治を動かす坊さんの住まい。政治を変えるには、まず、寺を焼けばよかった。」
説法するお坊さんの話しでした。
東塔の後ろにある東院堂に安置なさる
聖観音菩薩像(国宝)
。若さの中に漂う気品と淡麗さ。 そのとおおりです。
”仏舎利”て御存じですか
恥ずかしながら私存じませんでした
『仏舎利』とは。・・・お勉強です。
お釈迦様は、死後、在家の信者によって荼毘(火葬)に伏され、
その舎利(遺骨)は、お釈迦様を信奉する8つの国に、分けられました。
舎利を持ち帰った国々で、仏塔が造られ、釈迦信仰の象徴となりました。
その流れは、日本にも伝わり、各地で塔が建立され、
薬師寺では、東塔と西塔となりました。 ・・・そうです。
金堂の両脇の二つの塔。 左側が
『西塔』 華麗であでやかな西塔と黒っぽい東塔は印象的な光景です。
写経場で、無心に、写経をする人々。頭が下がります
私も参加したかったのですが・・。 持ち帰りました。
納経された皆さまの写経(千年も持つ紙)は、金堂や西塔等の上層内陣にお祀りされ永代供養されます。
写経し奉納した人の死後の命は、永遠に安泰ってことですよね。
薬師寺では、その復興のため、そのたたずまいを子孫へ残すため、写経勧進を行っておるとのことです。
現在、皆様の写経納経供養料(一式2000円が一番安)を資金にして・・・
金堂、西塔、中門、回廊の一部や僧坊が既に復興。
玄奘三蔵院伽藍が建立されました。
平成15年(2003)には大講堂も落慶致しました。
しかし、薬師寺ではまだまだ復興が続きます。
「写経をとおして・・・
写経された方に心の安らぎを頂戴していただき、
更に皆様の御結縁を頂きます。」 が、”写経勧進”の勧め文句でした。
最後は『玄奘三蔵院』↓・・法相宗の始祖・
玄奘三蔵の骨を、”真身舎利”として祀る。まだ、建立後、30数年の、薬師寺新参仲間です。
平山画伯の絵『薬師寺』
(絵はパソコンより)
玄奘三蔵院の後ろには、今日の私の訪問最大目的の、『大唐西域壁画殿』
玄奘三蔵の、仏教発祥地インドへの苦しい旅路と精神を、
平山邦夫画伯が、30年の歳月をかけ描いた、49m長さ・13壁画、壁画殿です。
その壁画が、玄奘三蔵の”絵身舎利”として、『大唐西域壁画殿』にお祀りされています。
平山画伯は、30数年前(40才)、玄奘三蔵院建立が決まった当時の薬師寺・高田管主と話し合う。
平山画伯は、壁画制作費用も設置費用もすべて、平山画伯からの奉納とすると約束。
平山画伯は、制作に費やした30年間、いっさいその制作過程を公開されなかった。
40歳の若さの平山画伯に大きな決心をさせた『信念』、を感じたかった私です。
平成12年(2000年)12月31日:最後の一筆を入れて開眼供養(70歳)
平成21年(2009年)12月3日: 平山郁夫氏死去(79歳)
薬師寺散策の3時間。 お付き合い下さいまして有難うございました
MY夏休み第四日目・・大満足